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2-4

 

***


 その頃フィグネリアは兵舎の一角にひっそりといた。

 ひっそりと言っても忍び込んだわけでもなく、兄達の邪魔になりたくないのでと兵達に口止めしているだけである。

「サンドラ嬢をいかが思われました?」

 こぢんまりとした部屋の中で、フィグネリアはタラスにそう訊ねる。

「ほとんどお話は出来なかったのですが、皇太子殿下と雰囲気がにておられるかと。軍事にはご興味ないようでした」

「政も経済も史学も算術も同じようでした……」

 何かひとつぐらい関心があるものはと話題にしてみたものの、どうにも話が続くことはなかった。

(別に、無礼をしているわけではないのだ)

 リリアは難しい話ばかりして失礼だと後でふたりになった時に怒っていた。

 礼を欠いているつもりはないのだけれど、関心もなければ知識もない話題に一生懸命に耳を傾け答を返そうとするサンドラを思い出すと、胸がちくりと痛む。

「皇帝陛下は、サンドラ嬢を皇太子妃候補にお考えなのですか?」

 タラスの問にフィグネリアは、考えながらうなずく。

 彼は父と対立している九公家のひとつであるラピナ家の嫡男である。ただ、彼自身は父の功績に敬意を払い今後にも期待している。

 敵ではない。だが味方とも言い切れない。だからあまり九公家に知られたくないことまで話していいのか迷うのだが、イーゴル当人から招かれたサンドラを有力な皇太子妃候補と見るのは誰でもそうだろう。

「反対なされなかった以上は、そういうことだと思われます。ですが、あの方には皇太子妃としての公務をこなすのは難しいでしょう。政務でも兄上の補助ができるほうがいい」

「それが一番の理由ではないのですか? いずれフィグネリア皇女殿下が政務を補佐することになるのであれば、補佐は必要ありませんしむしろできない方が余計な荒波は立たないでしょう」

 タラスの言うことは、自分も考えなかったわけではない。ないのだが、そうなると帝位につく兄の立場とはどうなるのだろうというもやもやした気持ちになるのだ。

「ボグダン殿についてはどうですか? 野心や他の有力貴族との繋がりは」

 サンドラ自身が人畜無害なのはわかる。心配なのはニキフォロ男爵家の交友関係である。特に跡継ぎである嫡男のボグダンのことは重要だ。

 兵舎に来たのも、タラスにボグダンの身辺調査を頼んでいたからだ。

「野心、というのはなさそうです。親しくしている間柄の者の中に、面倒な立場の者はいません。誰かに弱みを握られているなどという話はありませんでした。益とはならなくとも、害になる方ではありません。もっと詳しい事でしたら皇帝陛下がお調べになるのでは?」

「父上はもうとっくにお調べでしょう…」

 イーゴルがサンドラを招くと決めた時にはきっと、ニキフォロ男爵家についても探っているはずだ。

「フィグネリア皇女殿下は、皇帝陛下と意見の相違があるのですか?」

 タラスの言葉にフィグネリアは押し黙る。

 父がいいと決めたことに間違いはないはずだ。なのに自分はなぜだか納得がいかない。

「……相違はありません。納得していないだけです」

 言葉にしてみると矛盾していて、タラスも解釈に困った顔をしていた。

 それからサンドラのことはひとまずおいて、自国の技術発展が近隣の大国から遅れをとっている問題についての話に変えた。

 意見交換に夢中になっている内に、正午を告げる鐘が鳴ってふたりはまだ話したりないながらも切り上げる。

 タラスは訓練があり、自分も午後の講義がある。

 フィグネリアはタラスに調査の礼を言って別れたあと、イーゴル達とかちあわないように兵舎を出ることにする。

 廊下の向こうからイーゴルとサンドラの声が聞こえて、フィグネリアは足を止める。

 兄達はたぶんこちらに来ずに手前の曲がり角を行くはずだ。こうなったら顔を合せてしまってもしょうがないのだが、後ろめたさがあった。

 フィグネリアは廊下を引き返して、角を曲がり兄達の声が行きすぎるのを待つ。

 聞こえてくるイーゴルの声はとても楽しげだ。サンドラが来てから今までに見たことがないぐらいに幸せそうで、だから罪悪感を覚えるのかもしれない。

 それでも、サンドラを皇太子妃候補とすることはまだ飲み込めそうになかった。


***


 帰郷を翌朝に控え実質最後の滞在日となる日、サンドラはイーゴルと王宮の裏手に広がる森へと猪狩りに出ていた。

 短い夏の終わりにさしかかり緑が色褪せ始めた森の空気が心地よい。慣れないドレスから狩装束を纏って、緑と土の匂いを吸い込むと故郷が懐かしくなる。

「みんな、どうしてるかな」

 家族を思い出してサンドラはぽつりとこぼすと、一歩前にいたイーゴルが振り返った。

「どうした?」

「んん。家族のみんな、今頃なにやってるんだろうなって思ったの」

「里恋しくなったか……。ここはサンドラの故郷から遠いからな。家族と長く離れるのはこれが初めてだったな」

 広い帝国の国のあちこちを回ってきただろうイーゴルの問に、サンドラはうなずく。

「領地から出たこともそんなにないわ。イーゴルと一緒にいるのは楽しいし、ボグダン兄さんもいるから、ひとりぼっちでもないんだけどやっぱり家族はみんな揃ってないと寂しいわね」

 見合いの時に領地を出ることがあっても、せいぜい三日だった。しかし帝都は片道ひと月以上かかる。もう翌日には帰郷とはいえ、家族に会えるのはもっと先になる。

 考えれば考えるほど寂しさが増してしまう。

「そうなら、次に招くときは全員呼ばねばならんな。いや、今度は俺が行った方がいいのか?」

「そうしたらイーゴルが今度は家族と離ればなれになっちゃうわ」

「ん? そうだな。では俺の家族全員でいけば解決だ」

「そんな、うちで皇族ご一家をお招きするなんて無茶よ。帝都に皇族方がいないっていうのも変だわ」

 皇帝一家が広大な王宮を留守にして、実家のこぢんまりした屋敷にやってくるのを想像すると妙におかしくてサンドラはつい笑ってしまう。

 笑っていると寂しさは胸の片隅にしまっておけるぐらいに縮まっていく。

 イーゴルと一緒に過ごす時間は、本当に楽しい。

 生まれ育った場所から遠く離れた初めて訪れる地に、少しだけあった不安や気後れはとっくに消えている。

 イーゴルの大事な人達で、大切な場所だからなにもこわいものはなくて素敵なものばかりに思えるのだ。

「サンドラ」

「うん」

 ふたり同時に獲物が近くにいることに気付いて、息を潜める。

 丸々と太った猪は今夜のご馳走だ。

 ふたりでかかればどんな大物も手強いものでもない。

 獲物の処理を黙々と進め、この森の決まりに則って定められた場所へ抜いたはらわたをおさめに行く。

 開けた場所にある血の染み込んだ巨石の上へと置いた後、場所を離れた途端に幾つもの羽の音がすぐさま聞こえてくる。茂みをかき分ける獣の足音も続く。ここでの動物たちの食事を見るのは禁忌で、振り返ることはしてはならないそうだ。

 森と言っても樹木の様相も違えば決まりも故郷とは全く違うものである。

 サンドラは巨大な猪を抱えるイーゴルの背中を見ながら、最初に出会った頃を思い出す。

 あの時はまさかこんな遠いところまで来ることになるなんて思わなかった。

(また、会えるのかしら)

 以前と違って、イーゴルは当たり前のように次の話をするのだけれど、何もなかった前回よりもこれが最後という気持ちが強い。

 家族には会いたい。だけれどイーゴルと離れるのも寂しい。

 帰りたいけど帰りたくない。

 そんな気持ちを抱えたままついに帰郷の時になってしまった。

 出発前の夜にあらかたの準備はすませて、朝から兄のボグダンと一緒に使用人達に世話になった礼をして、最後に皇帝一家に謁見する。

「あっというまでしたわね。雪解けの頃にはまた遊びにおいでになって」

「サンドラお姉様、今度はもーっと長く滞在なさってね」

 皇后のオリガが優しく言えば、リリアも名残惜しそうに歩み寄ってくる。滞在中あまり打ち解けられなかったフィグネリアも丁寧に挨拶をしてくれて、皇帝も恐縮しすぎて固まってしまっているボグダンに苦笑して、気安くまたおいでと声をかけてくれた。

 イーゴルは馬車まで見送ってくれるということだ。

「色々ありがとう。すごく、楽しかったわ」

 馬車の前で本当に最後となる会話をイーゴルと交わすサンドラは、『また』と続けかけた言葉を止める。

 前夜にボグダンから言われた。先に会うことは次からはこちら側からとにかく理由をつけて断ると。

 

『ここは、俺達の住んでる場所とは全然違うだろ。ちょっとの間ならいいけど、ずっといられる所じゃない』


 サンドラはイーゴルから目を逸らし、彼の背後にそびえる広大な王宮に視線をやる。

(言われなくてもわかってるもの)

 わかっているから、次の約束なんてできない。

「サンドラ……」

 並々ならぬ緊張を湛えた声でイーゴルに呼ばれ、視線を彼に戻す。

 続く言葉はなかなか出て来ず、どうしたのだろうとサンドラが首をかしげるとイーゴルは一度大きく息を吸った。

「お、俺と、結婚してくれっ!!」

 鼓膜が裂けるかと思うくらいの大音声だった。

 声が大きすぎて何を言われたのかすぐにわからなかったものの、分かったら分かったで頭の中が真っ白になってしまう。

「ごめんっ、無理!!」

 だからといって皇太子の求婚にたいしてこれはないのではないか。

 反射的に大声で返してしまってからそう思ったものの、時すでに遅しであった――。

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