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2-2

***


 サンドラはイーゴルとともに王宮の裏手、皇族と使用人しか立ち入れないという園庭をゆるゆると歩いていた。

 イーゴルが迎えに来たかと思うと、すぐに護衛の兵等は心配そうなボグダンを連れて行きふたりきりにされてしまったサンドラは少々戸惑っていた。

 こんなにすぐにふたりだけになるとは思わなかった。

「すまん。サンドラ達が一休みしてから会いに行こうと思ったのだが、待ちきれなくてな」

「ううん。びっくりしたけど、会えてよかった。あ、櫛、ありがとう! あたし、手紙苦手ですっごく嬉しかったのに、ちゃんと伝えられなくてだから直接お礼が言いたかったの。ああ、でも、これじゃ手紙とあんまり変わんない……」

 櫛が届いた時に胸いっぱいに広がった気持ちは、どんな言葉を使ったら伝えられるのだろう。

「いや、まったく違うぞ。手紙でも、十分伝わったが、直接声を聞かせてもらえるといいな。うん、俺も喜んでもらって嬉しい」

 いつも声の大きいイーゴルが照れくさそうに小声で言うのに、サンドラも妙に気恥ずかしくなってしまう。

「そう。それならよかった。それにしてもすごく広いわね」

 兄にはあまりきょろきょろするなとは言われていても、視線のやり場に困ってしまってつい庭と言うより草原のような周囲にばかり目が行ってしまう。

「ここは馬術の練習もできる。妹達が今頃練習しているかもしれんな……おお、いたいた。おーい!!」

 遠くに成馬が二頭と子馬二頭のいずれも大人と子供を乗せた四頭の馬が見えて、イーゴルが大声を上げる。

 その内の一頭の子馬が真っ先に駆けだして、残りが慌てて追う。

 まだ幼い騎手はもう練習など必要ないと思うほど颯爽と馬を乗りこなすものの、成馬にはあっさり追いつかれて速度を落とす。

「リリアはサンドラに会えるのを楽しみにしていたからな」

 その様子をイーゴルが目を細めて見つめる。

「皇女殿下があたしに?」

「ああ。王宮に招く提案をしたのもリリアでな……その、なんだ。俺がサンドラに会いたがっているのを察してくれてな」

「そ、そう、なんだ……」

 イーゴル本人の口から直接会いたかったと言われてサンドラは言葉に詰まる。

 幸い沈黙が続く前に、女官と思しき騎手が乗る成馬に付き添われてリリアがすぐ目の前にやってきた。

「ようこそいっらしゃいませ! お目にかかれるのをとても楽しみにしてましたわ」

 馬から下りるなりすぐに目の前にまで飛んで来て、リリアが大きな瞳をきらきら輝かせて微笑みかけてくる。

「あ、お初にお目に掛かります。ニキフォロフ男爵家のサンドラと申します。このたびはお招きいただき、ありがとうございます、リリア皇女殿下」

 その愛らしさに思わず息を呑んでしまっていたサンドラは、慌てて挨拶をかえす。

「サンドラお姉様、わたくしのことはリリアでかまいませんわよ。お兄様のことだってお名前で呼んでいらっしゃるのでしょう」

 そんなことまでイーゴルは話していたのかとサンドラはイーゴルの横顔をちらりと見つつ、いいんだろうかと困ってしまう。

「リリア、ニキフォロフ男爵令嬢がお困りだろう」

 そこへ追いついてきたフィグネリアが妹を窘めながらその隣に立つ。

「ただ名前で呼んでっていっているだけよ。お姉様こそ早くごあいさつなさったら。失礼ですわよ」

「まったく、リリアはどうしていつもそう……ご挨拶が後になり申し訳ありません。フィグネリアと申します。このたびは遠いところからおこしいただき、ありがとうございます。お目にかかれて嬉しく思います」

 妹に文句を言いながらも、八歳とは思えないほど堅苦しい挨拶にサンドラは恐縮しながら、リリアにしたのと同じ挨拶をする。

(それにしても、かわいい……お揃いの人形みたい)

 サンドラは姉妹の並んだ姿に感心する。

 まるであつらえたかのように真逆の要素がある姉妹である。どちらも真っ直ぐな銀の髪に薄水色の瞳ではあるが、フィグネリアは凛とした面立ち、リリアは柔らかな面立ち。

 着ている乗馬服がまったく同じであるから、ふたりの違いがはっきりわかる。それでいながら髪と瞳の色以外にもひとめで姉妹とわかる雰囲気があるのだ。

「背が高いのですわね。お兄様のお顔をみるときうんと、首をあげなくていいし、並んだ時にすごくちょうどよくてすてきだと思いましたわ。そう。ドレスもすごくお似合いですわ。ねえ、お兄様」

 リリアが好奇心の強そうな瞳でサンドラを見つめながらそう言って、突然イーゴルに話題をふる。

「そ、そうだな。俺はドレスのことはよくわからんのだが、その、美しいから似合っているのだろうな」

 イーゴルの返答が気になってちらっと表情を見た時、しっかり目が合ってしまってサンドラは自分ではっきりとわかるぐらい頬が熱を持つのを感じる。

「……ありがとう」

 視線をそらす瞬間に、イーゴルの顔も赤くなっているのが見えた。

「ふふ。やっぱりお似合いですわね。フィグお姉様もそう思うでしょう」

「ああ。あのあたりだとカフラッドの織物だろうか。仕立てもいい。色味も髪と目に映えてとてもお似合いだ」

「まあ。ほんとフィグお姉様ってお勉強しかできないんだから」

 ふたりきりでは間がもちそうにないのだが、リリアとフィグネリアが前で賑やかにしてくれるのはありがたい。

「皇女様達、話にきいてたよりずっと可愛いわね」

 話題をそらすのと本心半々でイーゴルに語りかける。

「妹達の愛らしさは俺の拙い言葉だけでは伝えきれんほどでな。ひとめ会ってもらえればすぐにわかってもらえるはずだと思っていた」

 本当に嬉しそうな顔で妹ふたりを眺めるイーゴルに、サンドラは自然と微笑む。

「サンドラお姉様! これから昼食はご一緒できるのでしょう」

 不意にリリアが振り向いて、サンドラはそういうことになっていた気もするとイーゴルに訊ねる。

「うむ。もうすぐ昼食だ。父上と母上もサンドラに会えるのを楽しみにしている。ボグダンも一緒だ」

「……皇帝陛下と皇后陛下も」

 あらためて考えるとそういうことで、サンドラは緊張して固くなる。

「そう大仰なことではない。俺の家族と食事をする。それだけだ」

「そうですわ。お父様もお母様も、とっても優しいのですのよ。だから、緊張なさらなくてもよろしいのですわ」

 イーゴルとリリアがそう言うものの、一生ないと思っていた皇帝と皇后への拝謁がこの後すぐなのだ。

 きっと食事の味などまともにしないのだろうと、サンドラは緊張がほぐれないまま昼食会に臨むのだった。


***


(うーん、美味しい)

 どれだけ緊張しいても美味しいものは美味しいのだなと、サンドラは鴨の香草焼きを味わっていた。

 昼食会は円卓で行われていて左手側に兄のボグダン、右手側にイーゴルがいる。イーゴルの隣に皇帝、その隣に皇后、さらにリリア、フィグネリアと続く。

「サンドラお姉様、髪もお化粧も全部ご自分でなさったの?」

 今日の格好についての話題になって、リリアが目を丸くする。

「化粧は義姉さんに教えてもらったけど、まだ慣れなくて。髪はほとんど結んだだけです」

 やっぱりなにかおかしいだろうかと、隣の兄に目配せするもののすでに疲労困憊でやや目が虚ろな彼は気付いてくれない。

「素敵ですわ。わたくしも、大きくなったら自分で身支度できるようになりたいですわ。その時は色々教えて下さいませ」

「は、はい。教えられるぐらいには勉強しておきます」

「絶対ですわよ」

 やたら念押ししてくるリリアを不思議に思いつつも、何かがおかしいわけではないことに安堵しながらサンドラはなんとか声を返す。

 気軽にお喋りという雰囲気にはとてもなれないものの、リリアが率先して喋ることに返すことでなんとか間がもっていた。

「本当になんでもお出来になるのね」

 そうしてリリアに他に身の周りのどんなことができるか聞かれて答えていると、ちょうど正面に座る皇后のオリガが感心した声をあげる。

「当家は人を召し抱えるほど立派なものでもありませんので、自分達でできることはなんでもやるようにしているのです。本当にこの場にお招きいただけるような身の上ではなく、お恥ずかしい」

 ボグダンが喋りすぎだとでも言わんばかりに、卓の下でサンドラの足を軽くつついて恐縮する。

「当家が皇家となる前よりも古くより神霊様に認められ森を治めてきた立派な御家だ。そう卑下することはない。それに、この場は息子の友人達と過ごすためのものだ。身分も気にしなくていい」

「そうだ。細かいことは気にせず楽しんでくれ」

 口数少なく穏やかな表情でいた皇帝のエドゥアルトがそう言ってイーゴルも追随すると、ボグダンがお言葉感謝しますと消え入りそうな声で応えた。

「フィグお姉様はサンドラお姉様に聞きたいこと、ありませんの?」

 リリアがあまり率先して喋らないフィグネリアに話題を振る。

 フィグネリアは少し困った様子で瞳を伏せ、ではと口を開く。

「サンドラ様は現在行われているハドロワ街道の整備についてどのようにお考えでしょうか」

 一瞬何を言われたかわからず、サンドラはぽかんとしてしまう。

 ハドロワ街道といえば領地から近い大きな街道で、帝都にくるまでにも通ったはずだ。帝都とは反対方向の辺りで道幅を広げ、凹凸の多い路面をならす大規模な工事が行われいることは知っている。

 知っているのだが、フィグネリアの求める答がわからない。

「…………道が広くなって平らになったら通りやすくて便利、だと思います」

 答を絞り出したと同時に兄の顔色を伺うと大失敗であったことは明らかだった。

「道が狭くて悪いと危ないですものね。エドゥアルト様のお仕事で助かるひとがたくさんできるのは素敵ですわ」

 なんとも言いがたい顔でいるフィグネリアと、サンドラの間の沈黙を破ったのはオリガの無邪気な言葉だった。

 そこに気遣いなどはまるで感じられず、ただただ純真に喜んでいる。

「ハドロワ街道……おお、サンドラの生家からここまでの道か」

 そこでやっと頭の中の地図から話題の場所が見つかったイーゴルが声を上げる。

「フィグお姉様、そのお話、つまらないですわ。もっと楽しいお話、ありませんの?」

「つまらないことはないだろう。道路事業は父上が今、お力をいれているところで、我が国にとっても道路の整備は、とても重要だ。それに、経済、軍事に関しても道というものは……」

「お勉強の時間でもないのにそんなのつまらないですわよ。ねえ、サンドラお姉様」

 リリアから同意を求められて、サンドラはうなだれる。

「ごめんなさい。難しい話が苦手で……」

 なんとなく、フィグネリアが求めているのはもっと複雑なことだろうとはわかったものの応じるだけの知識がなかった。

「確かに、食事の席では少々堅苦しいな。俺としては利用する者達が便利だと喜んでくれれば嬉しい。フィグネリア、その話は後でゆっくり俺とするか。今度進める新規事業についてもお前の意見もききたい」

 気分を害したでもなく呆れるでもなく優しく言葉を紡ぐエドゥアルトに、サンドラはイーゴルの寛大さは父親譲りなんだろうと思う。

(本当にフィグネリア皇女殿下、頭の良い子なのね)

 それと同時にフィグネリアの賢さにも感心する。八歳で皇帝と政について話せるのはよっぽどで、次期皇帝として噂されるのもよくわかる。

 そうして食事会はすっかりリリアが中心になってとりとめない会話をしながら終わった。

「ついたばかりでゆっくり休む間なくすまんな。旅の疲れをとってゆっくりやすんでくれ。俺はこれから勉学の時間なのでそれが終わった後でまた、話相手をしてくれたらありがたいのだが……」

 滞在先の小宮へ繋がる柱廊でイーゴルが別れ際そう言って、サンドラはうんとうなずく。

「待ってる。食事、美味しかったし、ご家族達も優しかったしお目にかかれてよかった」

 楽しめる余裕はなく緊張もすれば失敗もしたけれど、誰もが優しい雰囲気で終わってしまえば来てよかったという気持ちが残った。

「それならばよかった。ではな」

 またすぐに会えるのに、名残惜しそうにするイーゴルにちょっとだけどきどきしながらサンドラは手を振って別れる。

 そうして少し先で案内の使用人と共にいるボグダンの顔を見て、一気に冷静になる。

 ゆっくり休む前にこれからふたりで長い反省会となりそうだ。

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― 新着の感想 ―
皇族なんだから、下手に才能ない皇帝が誕生するより適材適所でいいと思う。
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