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2-1

 サンドラはいったいどうしたらいいのだろうと、馬車に揺られながら何度目かの自問自答をしていた。

 二月前にイーゴルから王宮への招待状が届いた。

 当然のように父や兄達は頭を抱えた。サンドラも曲がりなりにも貴族令嬢である。最低限の礼儀作法ぐらいは身につけている。だがやはり最低限は最低限なのだ。ドレスとて見合い用に三着程度。装飾品もさほど高価なものでもない。

 帝都という上位貴族のひしめく場に出て行くのは到底難しい。

『サンドラはどうしたいの?』

 事の自体にまったくついていけず丁重に断る理由を父と兄達が考えているのを、ぼんやり見ていたサンドラに声をかけたのは義姉のジーナだった。

 どうしたいもなにも、王宮に行くのは自分でも無謀だと思う。だけれども、イーゴルにはもう一度会いたかった。

 もし、次に会えたらと何度も考えている内に、いつの間にか会いたいに変わってしまっていた。

 お礼にと鹿の角で作った櫛が届いた時、苦手な手紙では嬉しさを伝えきれなかったからよけいに会って直接言葉を交わしたくなった。

 王宮に行く、と思うと尻込みしてしまっても、イーゴルに会いに行く、と考えると心が浮き立った。

 王宮で上手く立ち回れる自信はない。でも、イーゴルには会いたい。

 家族にそう、素直に口に出して伝えたものの滅茶苦茶だとサンドラは思った。

 父や兄達も難しい顔をして、イーゴルに恥をかかせるだけではと案じ断ったほうがいいと説得してきた。

 父と兄達の言うことはよくわかる。行かない方がいいのかもとも思う。

『行きたいって気持ちがあるなら、行った方がいいわよ』

 滅多に使わない頭を一生懸命働かせて悩むサンドラに、ジーナがぽんと軽く答を返した。

 後退するか前進するかなら後先考えずに前進してしまうのが自分である。

 それで失敗することもあるけれども、前に進まないのは性に合わない。

 そして行くことを決めた。付き添いに帝都で数年過ごしていた長兄のボグダンも来ることになった。

 悪阻はおさまって他の家族もいるとはいえ、身重のジーナの側に夫であるボグダンが不在というのは不安ではないかと心配ではあった。

 しかしジーナは産まれるのはまだ先のことで、ちょっとの間夫がいないぐらいどうということもないと膨らみ始めたおなかを撫でて笑い送り出してくれた。

 そして出発したものの、イーゴルに会ってそれから自分はどうするつもりなのか、何がしたいのかまったくわからないまま到着が近づきサンドラは少々焦っていた。

「あと、少しだな」

 一緒に馬車に乗っているボグダンの方も緊張気味だった。

 帝都にいたとはいえ、もう十年以上前のことだ。貴族の長男は十歳頃から帝都へ上り軍に入り、十五になれば上位貴族で長子ならば官吏として王宮勤めとなり、階級関係なく望めば軍に残ることもできる。ボグダンは軍自体は嫌ではなかったが故郷の森が恋しいと任期が明けるとすぐに帰ってきた。

「長い長いって思ってたけどあっという間ね」

 帝都までは馬車でのんびり進んでいるので、ひと月近くはかかる。馬だけで行けばもっと早いのだが、まだまだ気持ちの準備が整っていない自分にはこれぐらいがちょうどいいどころか時間が足りないぐらいだ。

 今日の野営地が決まったらしく馬車が止まって、サンドラとボグダンは馬車を降りる。毎回ちょうどよく街にさしかかれないこともあり、ここまで数回野宿している。

 馬車の手配はもちろん、野宿の準備もイーゴルがしてくれていた。護衛も三人ついている。皆、ボグダンが軍にいた頃の知り合いで今も連絡を取り合う仲ということでボグダンも必要以上に緊張することなく過ごしている。

 人見知りしない質であるサンドラも、兄と親しいとあればなおさら打ち解けやすかった。

 帝都のことやこの頃のイーゴルの様子も聞けた。

 こちらからの返事が来るまでそわそわと落ち着きがなく、招きに応じるとわかった後はずいぶんはしゃいでいたらしい。

 イーゴルがとても会いたがってくれていることが嬉しかったと同時に、面はゆさもあってぎこちない愛想笑いしか浮かべられなかった。

「サンドラ、ちょっといいか?」

 そうして、到着の前日の夜、宿で兄が真面目な顔で寝台側の椅子へ座るように促された。

「準備ならちゃんとできてるわよ」

 王宮に上がるための服やジーナに教わった化粧道具の確認はすんだ。緊張や不安でまともに眠れる気はしないが、横になるだけはしておこうと思ったサンドラは首を傾げる。

「それは俺も一緒に確認したからわかってる。こういう話はなあ、苦手なんだが俺、長男だし。うん、それでお前はその皇太子殿下に好意を寄せているということでいいか?」

 気まずそうに聞いてくる兄に、サンドラはきょとんとしながらもすぐに首から耳まで真っ赤になった。

「え、あ、そういうことなのかな。兄さん待って、あたし全然考えてなかった」

 もちろん、イーゴルのことは好きだ。だけれど、それが今まで家族や友人に抱いてきた好意と同じなのかまで考えていなかった。

 改めて問われると、違うとはっきりとわかる。

(あたし、イーゴルのこと、好きだから会いたいんだ)

 はっきり自覚すると意味もなく叫びたくなるぐらいに錯乱しそうだった。

「やっぱり考えてなかったか。ジーナはあんまり先回りしすぎるなとは言ってたんだが、こればっかりはなあ……」

 ボグダンが頭を抱えるのに、サンドラはぼんやりとジーナとの会話を思い出す。

『最低限覚えることはこれぐらいで大丈夫よ。後はいつもどおりのサンドラでいいのよ。なーんにも難しいこと考えなくていいから、会いたいって気持ちだけ大事にして。めんどうなこと考えるのはね、帰ってきてからでいいわよ』

 化粧の仕方やドレスの着方、装飾品の合わせ方を教えてくれたあとにジーナが言った言葉を、そのまま素直に鵜呑みにして何も考えていなかった。

 だがその方が自分にとってはよかった。これ以上考えることが増えたら、もうどうしていいかわからない。

「あたし、今、これ考えるの無理っ! 無理だから!!」

 よりによって前日になって言うことはないではないかと、サンドラは頭をぶんぶん横に振ってボグダンの話を拒否する。

「……いや、そうだな。無理だな。あー、今じゃなかったか」

 サンドラの勢いに呑まれてボグダンがとたんに大人しくなって引き下がる。

 それから翌朝まで兄妹で気まずい雰囲気になってしまった。

(ボグダン兄さん、本当にこういうとこだめなんだから)

 心配しすぎて先走りしてしまうボグダンをやんわりと止めてくれるのはいつもジーナだった。やはり事前に忠告されていても、彼女が側にいないことにはどうしようもないらしい。

 サンドラはむくれた顔で鏡台の前で薄化粧を施す。

 もっとそばかすを薄く見せたり、唇や頬の色をよく見せたりもできる。だけれど、イーゴルに最初に会った時、化粧などまったくしていなかったのであまり素顔を隠す気にはなれなかった。

(いつものあたし……)

 鏡に映るのはいつもよりちょっとだけ化粧気のある自分。髪は緩く編むだけにした。薄緑から明るい緑の色味の少しずつ違う薄い布地を重ねたドレスは、森の空を覆い木漏れ日を透かす木々の葉のようである。

 いつもしない格好だけれど、ところどころに普段の自分の姿が見え隠れする。

 後はどんな顔をしてイーゴルに会えばいいのだろう。

「サンドラ」

 ボグダンに部屋の外から呼ばれてサンドラは答が出ないまま外に出る。

 馬車に乗り兄とは一言も会話もなく馬車の窓から外を眺めながらずっと考え続ける。

 針葉樹の林の中を抜けると、やがて大きな赤煉瓦の街並みが見えてくる。その中でふたつの白い建物が特に際立って立派で大きく目立つ。

「すごい……あれが、王宮と大神殿?」

 思わず声を上げると、兄が苦笑する。

「七つの尖塔のあの王冠みたいな形のが、地母神様をお祀りしている大神殿。で、もう一個のたくさん建物が固まってるのが王宮だ。もう、帳は下ろしておいて後で見たらいい」

 サンドラは初めて見る帝都の景色に驚きながらも言われた通り窓の帳を下ろす。何も見えない中でも、馬車が止まって外で何やら確認するような会話で帝都の入り口についたことがわかった。

 そしてもう一度走り出した馬車の車輪から伝わる振動が固い石畳のものへと変わった。

 あと、もう少しでイーゴルに会えるのだ。

 挨拶の言葉はしっかり教え込まれている。問題はその後だ。いったいどんな風にイーゴルと過ごせばいいのだろう。

 馬車は止まることなく進んでいく。

 緊張と焦りでどんどん頭の中は真っ白になってくる。

「ついちゃった……?」

 馬車が止まって、サンドラは何も決められないままであることに血の気が引いてきて、そのあとにばくばくと盛大に心臓が鳴り出した。

「大丈夫か?」

 先に馬車を降りたボグダンが心配そうに手を伸べてくる。

 サンドラは無言で頷いて震える足を奮い立たせて馬車から降りる。目の前にはどれだけ大きいのかすらよくわからい白亜の建物がそびえ立っている。

「はあ、おっきい……」

 サンドラは、口をぽかんと開けて王宮を見上げる。

 そんな間抜けな顔をしていた時だった。

「サンドラ!」

 背後から馬の蹄の音と、自分を呼ぶ大きすぎる声。

 振り返ると心の準備を整える間もなくイーゴルの姿が目に飛び込んでくる。

 彼の満面の笑顔にサンドラはどうするべきかわからいけれど、来たことだけは間違いじゃなかったと思った。

 


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