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4-1

 帝都へとやってきてひと月半、サンドラは数日に一度はお針子達に囲まれて新しいドレスを着せられていた。

婚約が決まった二月後、イーゴルがお針子達を連れてやってきてサンドラが帝都に来るまでにドレスを仕立てる準備を始めていた。それが次々と出来上がっているのだ。

「これはひとりで着られるし楽だわ」

 そして今日はドレスでなく、軍服を着て身軽さにサンドラはうんとうなずく。

 見た目は華やかなドレスはひとりでの脱ぎ着が難しく、窮屈すぎてなかなか慣れそうにない。

 そんなことを何気なくイーゴルに話したら、行儀作法の講義以外では軍服でもかまわないのではということになった。元より軍服は必要ということであらかじめ仕立てていたのが、今日できあがったのである。

「まあ、サンドラお姉様素敵ですわ。白もお似合いだったでしょうけれど、お兄様と結婚するのだから黒ですわよね」

 サンドラが新しいドレスを着るたびに見に来ているリリアが、今日もやってきて上から下まで眺めて楽しげに微笑む。

 軍服は皇帝が群青、皇家が黒、他が白である。まだ正式に結婚したわけではないが、サンドラはすでに皇家の一員であるとされているのだ。

「といってもまだまだ結婚までは長そうね」

 皇都に来てすぐに結婚というわけにはいかなかった。まずは行儀作法を一から学び直して、その後九公家を始めに諸侯への挨拶回りをするというのだ。この広大な国土を端から端までとなると数年がかりになる見通しだ。

「結婚してからご挨拶に伺ってはいけないのかしら。お兄様とサンドラお姉様の結婚式を早く見たいですわ」

「でもまだ覚えないといけないこといっぱいあるし、これで結婚式まであるのは大変だからちょうどいいくらいだわ。それに楽しみは最後までとっておくっていうのもあるでしょ」

 行儀作法だけでも大雑把にしか覚えておらず、そこに加えて皇太子妃として会話で困らない程度の知識を得るための勉学もあってもう頭の中はいっぱいいっぱいである。

「そうですわね。サンドラお姉様とお勉強するのも行儀作法を教えて差し上げるのは楽しいからそれで我慢しますわ」

「今のあたしの一番の勉強仲間で先生がリリアで嬉しいわ」

 帝都に来て一緒に過ごす時間が長いのはリリアだった。毎日のように机を並べて、共に歴史や地理、上位貴族等について学んでいる。行儀作法はリリアの方が板についていて教わることが多い。

 それもあって元々打ち解けていた関係はますます良好である。。

「お姉様がもうひとり増えるって素敵ですわ。今日はこのまま兵舎へ行かれますの?」

「うん。今日はいつもの弓とそれと森の歩き方を教えるのよ」

 帝都では森の見廻りもなければ家事を必要がなく、何をしたらいいのだろうとなったの所、イーゴルと共に軍でできることをすることになったのだ。

 入隊したばかりの子供相手の弓術指導や行軍訓練が今の主な仕事だ。斧や槍、剣もやってみれば行儀作法よりもよっぽどすんなりと習得しているので、入隊して一、二年ほどの子供世話が主な自分の役割になりそうだった。

「やっぱり、お兄様とはお似合いですわ。そうですわ、フィグお姉様も今日は兵舎に行くって言っていたから一緒にどうかしら。わたくしばかりサンドラお姉様と一緒にいるからフィグお姉様とはあまりお喋りできていないでしょう」

「そうね。あたし難しい話はわからないけど、他にどんな話が楽しいのかしら」

 フィグネリアとは食事の時間以外で一緒になることは少ない。食事の時もリリアが率先して話す一方、フィグネリアが自分から多く話すことはなかった。

 仲良くなりたいと思っても、なかなか糸口が掴めないままだ。

「フィグお姉様はずっとお父様とお勉強ばかりですもの。難しいお話しかされないわ」

 フィグネリアが皇帝と執務室にいる時間は、イーゴルよりも長い。行儀作法や護身術などの時間もあるらしいものの、それ以外はずっと政を学んでいるらしかった。

「じゃあ、また後でね」

 同じ年頃の貴族の令嬢達とお茶会があるというリリアと別れたサンドラは、王宮の外に出る。兵舎までは距離があるので馬を用意してくれていて、そこには二頭いる。片方はフィグネリアのだろう。

 せっかくだから一緒に行こうと待っていると、乗馬着のフィグネリアがやってきた。サンドラの姿を見て、少しばかり緊張した面持ちになる。

「リリアから兵舎に行くってきいたの。あたしも行くから一緒にどうかなって」

「……そう、ですか。軍服、仕上がったのですね」

「うん。ずっと狩装束とか乗馬服とかでやってたけど、これで様にはなるわ。イーゴルに会いに行くの?」

 なんとか会話が続きそうだと安堵しながら、サンドラはフィグネリアと共に馬を進める。

「兄上にご挨拶だけはしますが、今日は体術の訓練です」

「訓練は楽しい?」

「己の身を護ることに必要なことです。そういった風に考えたことはありません」

 言いながら困ったような顔をフィグネリアがする。

「じゃあ、他に興味あることない? ほら、弓とか、槍とかやってみたいなって思うもの」

「間合いが長くて重い得物は私には筋力が足らないので難しいと思います。なので関心というのもあまり……体術と短剣の扱いをまずはしっかり身につけたいと思っています」

「そうね。あれこれやるよりも的を絞ってちゃんとやるのも大事ね」

 こういう話なら続けられそうだと、サンドラは普段の訓練のことを聞いている内に、兵舎へと近づいて来る。

「ねえ、フィグって呼んでいい? かわいい呼び方でいいなってずっと思ってたの。あ、嫌だったら全然いいのよ」

 少しばかり欲を出してみると、フィグネリアはきょとんとした後、こくりとうなずいた。

「それは、お好きになさって下さい」

 フィグネリアの顔に戸惑いはあっても、拒絶はなかった。

 兵舎について馬番に馬を預けてそのまま訓練場へと行くと、槍の稽古をしているイーゴルが見えた。

「おお、サンドラ! ようやく軍服ができたか! よいな、よく似合うぞ」

 そしてこちらに気付いてやってきて、イーゴルはサンドラの斜め後ろへにいるフィグネリアへと視線を向ける。

「ふたりで一緒に来たのか。今日は体術訓練だったな!」

「はい。ちょうど王宮を出るのが一緒になったので。では、私はこれで失礼します」

 フィグネリアがそれだけ言って逃げるように去って行く。

「どうだ、フィグネリアはサンドラに慣れてきたか?」

「ううん、あんまり一緒にいる時間がないからどうかしら。それにしても、礼儀正しすぎるのは歳が離れてるから仕方ないのかしら」

 フィグネリアは礼節がきちんとしすぎているので、やはり距離を感じてしまう。

「礼儀正しいのはよいところではあるが、兄としては寂しくもあるな」

「そうよねえ。もっと色々話したいんだけど、忙しいわよね」

「フィグネリアも朝議に出て書記を始めたからな。この頃はずっと父上と一緒にいる」

 将来的に政を担うフィグネリアは多忙すぎるのだ。まだ九つになったばかりだが、皇帝と大臣達が集う議会にも出席して書記という役目で見学しているという。次期皇帝のイーゴルが十二になってからやっていたことだというので、ずいぶんと早い。

 それだけ能力の高さがあって期待も大きいのだろう。

「まあ、時間はたっぷりあるし、ゆっくり仲良くなるわ」

 自分の気持ちだけで焦ってもどうにもならないものだ。フィグネリアに合わせてのんびりやっていけばいいとサンドラは思うのだった。

 

***


 困ったものだと、鍛錬を終えたフィグネリアはため息をつく。

 サンドラが親しくしてくれようとしているのはわかる。ただそれにどう返せばいいのか何も思いつかなかった。

 当たり障りのない返答しかでてこなくても、サンドラが気にすることもなく声をかけ続けてくれるものの、彼女が望むものではないのだろうということは察せた。

 そしていまだにサンドラが皇太子妃になることに引っかかりがある。黒の軍服を着てすっかり皇族の一員となった彼女の姿に、もやもやとしたものが胸に渦巻いていた。

「フィグネリア皇女殿下」

 廊下を歩いていると、会う約束をしていたタラスから声をかけてきた。フィグネリアは彼に挨拶して近くの小部屋へと入る。

「サンドラ嬢は軍ではいかがでしょうか」

「ずいぶん、馴染んでおられます。弓は以前からお上手でしたが戦斧を扱えるのは驚きました。皇太子殿下が軍務を担うこととなるのでしたら、よい傾向ではありませんか?」

 筋肉至上主義というディシベリア建国期の風潮が、最も色濃く残る軍では強いということは敬服の対象になる。

 最初こそ政に関わらないサンドラの立ち位置と、彼女を妻と決めたイーゴルの立場を心配していたものの収まるところに収まっている。

「兄上が軍を纏めて下さるのはよいのです。ただ、このまま政から離れてしますぎないかと思うのです」

「皇帝陛下はなんと仰っているのですか」

「……このまま軍務に集中できるようにする方針だと」

 どこまでタラスに明かすべきか迷いつつも、フィグネリアは正直に答える。

 朝議にイーゴルも出てはいるが、皇帝が彼にその場で意見を求めることもない。九公家派などは味方してもらおうと自分達に都合のいい意見を引き出そうとしているが、イーゴルは分からないことは素直に分からないと言うので目論見は上手く行っていない。

 朝議が終わった後も、皇帝はイーゴルからの質問には答えても何かを訊くことはなかった。

 この頃は兵舎にイーゴルがいる時間がじわじわと長くなっている。表面上、まだ慣れないサンドラに軍務を教えるためともとれる範囲ではあるが、いずれ皇帝から政務を教わることはほとんどなくなってしまうだろう。

「タラス殿、兄上があまり政務に時間を割いていないことについての意見は諸侯方より出ていますか?」

「……九公家派はこのままではフィグネリア皇女殿下が政の実質の権限を持ってしまうと危ぶんでいるようですが、皇太子殿下に政務をしてほしいと望んでいるわけではないので軍務に集中することには肯定的です」

 予想通りの返答にフィグネリアはため息をつく。

 誰もイーゴルに皇帝としての役割を期待していない現状は気が重い。当のイーゴルさえ政に向いていないと自覚しているのだ。

 そうしてイーゴルが政務からさらに遠ざかるようになるために都合のいい皇太子妃がサンドラだ。

 ふたりともそんなことはまったく気にかけることなく、幸せそうでいるのを見ると後ろめたい気分になる。

 サンドラに覚えるひっかかりは罪悪感なのだろうか。

 おおよそ子供らしくない悩みばかり抱えるフィグネリアは、再び重苦しいため息を吐き出した。

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