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3-2

***


「どうしてももう一度会っておきたかった」

 気まずい夕餉の下ごしらえがすんで、イーゴルと一緒に廚から暖炉のある別室に移ったサンドラは彼からそう告げられて戸惑うばかりだった。

 まだ整理し切れていない気持ちがまたぐちゃぐちゃにかき回され、散らかされどうやって片付けていいか途方にくれる。

「……すまんな。困らせるだろうとはわかっていたのだ」

 何も答えられずにいるとイーゴルが力なくつぶやく。

「え、あ、うん。びっくりしたし、どうしようって思ってるんだけど、でもね、嫌じゃないから」

 自分の心の隅に会えて嬉しいという気持ちを見つけてしまって、サンドラは戸惑いながらとにかく座ろうと毛織物を敷いた長椅子へイーゴルを促す。

 間を空けて座ったふたりはまた黙りこんでしまう。

「いかんな。考えるのは性分に合わんと何も考えずに来たが……間違いだったな」

 イーゴルが大きな体を縮めてしょんぼりするのを見て、サンドラは少し気が緩む。

「あたし、家に戻ってからいっぱい考えたわ。それでイーゴルと一緒にいた時間は忘れないで、大事にしておこうって決めたんだけどね、それも違うなって今思ってる」

 再会してみるとそれでいいのだろうかと疑問がもたげてきた。

「俺も最初は会わない方がいいだろうと思った。しかし自分で自分の考えに納得がいかなかった。だからとにかくサンドラに会わねばと思ったのだが、うむ」

 そしてイーゴルは来てみたはいいいものの、ここからどうするか全く考えていなかったと最初に戻ってうなだれる。

「イーゴル、いつまでこっちにいられるの」

「父上からは自分が納得いく結論が出るまでいてもかまわないと言われている」

「いつまでもってわけにはいかなくても、時間が限られてないなら考えるの後にしない? ここで座ってたってどうしたらいいかなんてちっとも決められないわ」

 これが最後に一緒に過ごす時間になるのか、それとももっと先まで一緒にいることにするのかできるのか。

 考えたところで結論は簡単に出せない。

「そうだな。よし、今日は俺は野営地に戻る。明日はサンドラの仕事を手伝わせてくれ」

 イーゴルが少々前向きになったところで、サンドラは彼の宿泊地に目を丸くする。

「野営してるの?」

 てっきり近くの領主の屋敷にでも滞在しているものだと思っていた。

「ああ。名目は視察だがこれは俺個人の問題だ。余計な世話をかけさせるわけにもいくまい。訓練も兼ねて近衛達と野営をすることにした」

「雪が降り始めてるからよかったら家に泊らない? 狭いけど客間ぐらいはあるから」

 まだちらつく程度ならばいいのだが、このまま積もることになれば野営するにも難儀である。

「いや、申し出はありがたいが悪天候下の野営訓練でもある。状況から野営続行が危険と判断したら厄介になるやもしれん」

「そっか。じゃあせめて夕飯だけでも持っていって。近衛の人達何人? 出来るまでちょっと待っててね」

 サンドラが廚へ向かうためそいそと立ち上がると、イーゴルもすぐに立ち上がる。

「いや、せっかくの申し出だがそこまでしてもらうのは申し訳ない」

「気にしないでよ。来てくれたのになんにもしないのはあたしが困る」

「うむ。ではせめて手伝おう。姉君も身重で大変だろう」

「もうすぐ一番下の兄さんが帰ってくるけど、そうね。どうせなら一緒に作ろうか」

 再会してすぐの気まずさはいつの間にか消え去って、二人の表情には自然と笑みが浮かんでいたのだった。


 ***


 父は一体何を考えているのだろう。

 フィグネリアは視察という名目でイーゴルをサンドラの元に送り出した、エドゥアルトの決断に悩んでいた。

 父がここまでするということは、サンドラを皇太子妃にしたいという意志が固いということは分かる。だが彼女が皇太子妃に相応しい理由が見当たらない。ただそこから導き出される答はあるものの、やはり納得はいかない。

「父上、私には分かりません。なぜサンドラ嬢なのですか」

 まずは自分で考えることを常日頃説かれていて、ここ数日ずっと考えていたのだが父の本心を知りたくて問うた。

「なぜサンドラ嬢ではいけないんだ?」

 そうすると執務の手を止めないままのエドゥアルトに逆に問い返されて、彼の正面に座るフィグネリアは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに答を返す。

 まず政治的な繋がりをどの貴族とも持っていない。加えてサンドラ自身が政に明るくない。何一つ益となる面がなさすぎる。

「フィグネリアにとっては益がないことが益だろう」

 やはり父の狙いはそこなのかと、あまり嬉しくない解答にフィグネリアはサンドラが軍舎に来ていた時にタラスが同じようなことを話していたのを思い出す。

「……タラス殿も同じ事を仰っていましたが。あ、申し訳ありません」

 タラスは父と対立する九公家の嫡子である。あまり彼に多くは話すべきではないだろう。

「かまわんよ。手駒は必要だ。彼の先進的な考えは悪くない。それにいずれラピナ公になる者を今の内に引き込んでおくことはいい。そうやってお前は自分自身で後ろ盾を築いていかねばならない。九公家と拮抗するほどにな」

 急にまだ八歳の子供には難しすぎる課題を告げられて、フィグネリアは怖じ気づく。

 はたしてそれだけのことを自分は成せるのか、まったく自信がない。

 その様子にエドゥアルトが書類から顔を上げて苦笑する。

「時間はいくらでもある。俺が玉座を譲るのはまだまだ先の話だからな。今の内は、跡目を継ぐ者をよく知ることだな。名誉、地位、財、家、何を重んじ何を欲しているのか。誰と繋がっているのか、誰を敵視しているか。あらゆることを知っておくことが大事だ」

「……あまり、私はそのようなことは得意ではありません」

 同年代でもさほど親しい間柄の者がいない。皇位継承順位第二位でありながらも生母は平民という宙ぶらりんな立ち位置という要因の他に、自分の性格が大いに影響している自覚はある。

 まず他者と親しくなるというのは難しい。

「何も自ら近づいていく必要もない」

 そんなフィグネリアの心情を見透かしたようにエドゥアルトはそう言って席を立つ。

 そして彼女の前に屈んで視線を合わせる。

「これから、様々な思惑を持ってお前に色々な人間が近寄ってくる。取り入り操ろうとする者、陥れようとする者、あるいは忠誠心を持つ者。敵味方を見分け己の手駒を増やしていくんだ」

 どこか楽しげな様子とは裏腹に父の瞳からは何の思惑も読み取れず、フィグネリアは身を硬くして拳を握りしめる。

 若干二十歳で先帝を玉座から引きずり落とした父親の腹の内など、幼いフィグネリアには底なしの暗がりを覗き込むことと同じだった。

「フィグネリア、一番大事なことは相手を信頼しないことだ。信頼は己の目を曇らせ判断を鈍らせる。……サンドラ嬢ならばいらない詮索もいらないだろう」

 話が戻ってフィグネリアはゆるゆるとうなずく。

「確かにあの方はとてもよい人です……。ですが兄上のお立場を考えると、もっと大きい家のご令嬢の方がよろしいのではと私は思うのです」

 仮にもイーゴルはいずれ皇帝となる身だ。だというのにこれでは政の中心から遠ざかってしまう気がする。

「家が大きければしがらみは増える。お前が政の要となるためには、イーゴルにまつわるしがらみは出来るだけない方がいい」

 それでは兄の座る玉座にいったいなんの意味があるのだろうか。

 フィグネリアがエドゥアルトから目線を外してうつむくと、不意に抱き上げられる。

「お前には少しばかり野心が足りないな」

「野心、というのはなければいけないのですか?」

 エドゥアルトの方に顎を置く格好になったフィグネリアは、首を傾げる。

「過ぎたるは及ばざるがごとしだが、まったくないよりはいい。俺がお前ぐらいの頃には九公家の言いなりにならない皇帝になる野心があった。今でも野心はあるぞ」

 この大帝国の頂に座してなお、父にはまだ成し遂げたいことがあるらしい。

「父上はどんな野心を抱いておられるのですか?」

「お前がもっと大きくなるまで秘密だ。他にも話したいことがたくさんあるな。ただ今はまだ早い。……フィグネリアが大人になるのが待ち遠しいよ」

 きゅっと抱きしめる父の力の強さは何かにすがりついているようにも思えて、不安と寂しさが一緒にやってくる。

 父の顔も見えずどうしたらいいかわからなくて、戸惑っていると父の椅子の上に降ろされた。

「さて、今はこれについて教えようか」

 広げられた書類の数々に目を落としてから恐る恐る父を見上げると、いつもと変わらない様子にほっとする。

(……兄上の結婚はもう決まったも同じなのだろうな)

 ただ、結局イーゴルの結婚については呑み込みきれずにもやもやとするばかりだった。


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