道祖神
花。紅く揺れる。
道。黒く舗装されたアスファルト。
右手の先には小さな小川と彼岸花が靡く。
大学受験の年に俺は死んだ。
何故死んだのかは、覚えていない。
覚えているのは、自分の名前と紫の光から逃げた事。
「で、お前は死神なのか?」
「私は土地神…の、みならいだよ」
最後は小さな声で、あまり聴こえなかった。
「名前は…まだ、無い!」
誇らしげに胸を貼る少女は猫の様に笑った。
「俺は、優一って、名前で」
「知ってるよ、死んだんだよね…」
「いや、生きてるが?」
「そっか、気付いてないか…君は死んだんだよ。優一君」
少し寂しそうに少女は、俺の影を見た。
「君の夢は始まらないかもしれないけれど、終わらない夢を見よう」
名前が無い少女が呟くと、俺の影は消えた。
日輪はそこに在るのに。
『さて、私の名前を探しに行こうか』
少女は俺を見た後に、難しそうに言った。
彼女の話を聞くと、神様は引っ越すと神格を失い、その土地の神様に挨拶をしたり、奪う等をして格を上げていくらしい。
ただ、彼女は神様として引っ越した訳ではなく生まれたて、神様のたまごらしい。
難しい話は、俺には理解出来そうに無いので整理した結果だ。
「で、お前はこれから何をするんだ?」
「とりあえず、ルールブックによると土地の神様に挨拶か襲い掛かるみたいだね」
小さな本を見た後に伸びをした彼女は、とても、幼く見えた。
「すまん、何が言いたいか分からない」
俺が詫びると、彼女は少し困った風に笑い。
「このままだと、私達は消えてしまうから」と、真っ直ぐに俺を見詰めた。
「消えたらどうなるんだ?」
尋ねずには居られなかった。
「うんと、伸ばす指に触れられないだけかな」
彼女は俺の手をつっつき笑った。
日。色褪せていく街並み。
風。ぼんやりとした花を撫でる。
神社や祠と言った場所の神様と呼ばれる人は、示し合わせた様に笑う。
教会には、人すら居なかった。
「困ったね」と、名前の無い彼女は笑う。
「うんと、アヴェ・マリアだね…乙女が祈りが…なんて」
彼女、名前の無い少女は小さく歌った。
日本語の歌詞のアヴェ・マリアは賛美歌と言うよりは、少し童謡の様で懐かしくて笑ってしまった。
「あー!美空ひばりさんの聴いて勉強したから音痴じゃないやい!」
彼女は、いや、もう。見た目通りの少女が何歳か分からないが、音痴と思われて笑ったと憤慨したのだろう。
「ごめん、ごめん。何だか、懐かしく感じてさ」
音痴だと思って、笑った訳じゃないと付け足して謝った。
「そう言えば、名前無かったんだよな?」
少女と思うにしろ、彼女と呼ぶにしろ。
このままでは、大変に不便だと思い付き言葉を投げかけた。
彼女は、曖昧に笑いまた唄った。
「だったら、名前を俺が付けたら駄目かな?」
「君は神様に名前を付けるなんて、畏れ多い事が出来るの?」
「だって、アンタまだ神様じゃないじゃん」
「そうだけど、ルールブック見て決めるの?」
「ルールがあるの?」
「沢山…」
「直感じゃ駄目?」
「格好良い名前にしてよ?」
「ほら、俺って優一って、言うじゃん」
「知ってるよ」
「1番優しい人に成れって、親が名付けてくれたんだ」
「そうなんだ」
「だから、アンタは優花な」
「は?神様に自分の一字を渡すなんて…」
地面に枝で書いた文字を彼女は、ハッと見た。
「駄目かな?」
「君は、私にプロポーズでもしたつもりかい?」
「なんでだよ!」
優花、優花かぁ…彼女はブツブツと言いながら、小さな本の頁を捲る。
「うん!名前に意味が在れば…それを詠み名にしよう!忌み名は私が決めれば大丈夫みたい」
優花は、またブツブツと言いながら笑った。
「次は場所だね」
「場所?」
「そう、聖地と言うか、崇め奉られる場所だよ」
「無かったらダメなの?」
「神格が少し落ちるのと、一応私は土地神見習いだから…」
「土地神に成って何をするの?」
「領土を増やすのも良いね!野望は天下安定とか!」
優花は目をキラキラと輝かせながら、小川と紅い花を見た。
土。何も無い河原。
石。小さく積み重ねる。
前から居た神様は無関心に空を見上げる。
俺達の家と呼ぶには不細工な小さな祠が出来た。
「何上手くまとめた気になってんの?!橋の下にダンボールハウスって!泣くよ?私泪橋の星じゃないんだよ!」
彼女の結末は、夢か願いか野望か分からないけれど。
俺達の物語の幕は静かに開けられた。