真夜中に想うこと
「上官」
「なに」
「俺、いつから仕事してましたっけ?」
「いつから、なんて俺は知らないよ」
「いつまで続くんですか」
「さあなあ」
トカトン。トカトン。
開けた野原には無機質な音が響く。
「ほらよ」
「はい?」
「頑張り者の君にご褒美だ」
「何ですか、これは」
「いいから、読んでみな」
―――――
『ある童話作家のインタビューから。』
僕は空想好きな子供だった。
いつかのその日、個人的な事情というものがあって僕は知り合いのおじさんの家に暮らしていた。
おじさんの家のみんなは優しかったけど、僕にはどこかよそよそしかった。
寂しかったわけではないけれど、どこか寒々しかった。
だから、僕は物語を書いていた。
いっとう好きな童話を、自分の部屋にこもって。
毎日書いていた。
その日の夜もずっと。
ノートに物語を書いていたら不意に音がした。
それは外からで、たいそう不思議な音だった。
空から何かが降ってきたような。
地から何かが唸っているような。
そんな音が同時に響いていた。
僕は思わず物語を書きかけのノートを持ったまま、二階の自分の部屋からおじさんたちがいる一階へ駆け下りた。
夜のなかなか遅い時間だったけれど、おじさんたちはまだ楽しく談笑中だった。
「おじさん、今音がしなかった?」と僕が言うとおじさんは「何の音だい?」とうるさがるような顔をした。
「ほら、空から星が降ってくるみたいな、犬が唸っているような変な音がしなかった?」
「お前は、またか……」
ため息をつき、おじさんはお酒を飲んだ。
どうやら、僕お得意の空想だと思われたらしかった。
「違うよ、本当に音がしたんだよ」
「唸り声なんだろう?誰かが犬でも散歩させていたんだろうさ」
なおも食い下がると明らかに渋い顔をされた。
「それで、恐くて下りてきたの?全く坊やはねんねなんだから」
「かっこわるいなあ」
僕より小さい女の子である従兄弟二人に笑われて、僕は形無しだ。
おばさんもやれやれと呆れた様子だった。
「この子はまた空想かい?勘弁してよ、空想好きは一人で十分なんだからさ」
「でも、聞こえたんだ」
悔し紛れにそう言うと従兄弟は言った。
「そんなに言い張りになるなら、空想好きのお兄ちゃんにでも聞いていらしたら?」
おじさんの家にはおじさんとおばさん、僕より小さい二人の女の子と、年の離れたお兄さんがいた。
お兄さんは屋根裏部屋に住んでいて学校から帰ってきた後、夜の間はずっと絵を描いている。
ずっと、毎日。
僕に負けず劣らずの空想好きで、おじさんの家では僕と一番仲良しだった。
納得のいかないまま階段を上がると、僕は部屋でキャンバスに向かっていたお兄さんに声をかけた。
「お兄さん、さっき何か音がしなかった」
キャンバスから顔を向けてはくれなかったが、お兄さんは答えてくれた。
「何か、向かいの空き地で光ったみたいだ。気になるなら行ってごらんよ」
お兄さんの言葉にさらに音の正体への興味をあおられた僕は、夜に外に行くのはいけないこととわかりながらもすぐ戻るつもりでこっそりおじさんの家を抜け出した。
バリケードにカラーコーン、トラックにショベルカー。
迷い込んだ夜中の空き地は工場現場になっていた。
薄暗いこともあって、そこはまるで異世界みたいに僕は感じた。
その中に普段は見慣れない奇妙なモノがあった。
空き地の真ん中にたたずむブルドーザーから光が漏れていた。
中の運転席にあたる部分はなぜか光っていて、女の子が座っている。
それはさながら、おとぎ話のかぐや姫を僕に思い出させた。
「なんだい、君は」
驚きのままに思わず声をかける。
「こんばんは」
中に居た少女がうっすらとほほ笑んだ。
ブルドーザーの辺りには変な音が響いていて、不快な耳鳴りが止まらなかった。
「変だな、耳がキィンってする」
つぶやくと、少女は少し表情を曇らせた。
「それは私たちが時空を歪めるときに生まれる音。この次元の現実には存在しないものだから、あなたたちには不快に響くかもしれない。大丈夫?」
「別にこれくらいなんてことないよ」
本当は頭が痛いぐらいだったが僕は強がって微笑んだ。耳鳴りは嫌だったけれど、女の子の前では男の子は少しくらい格好をつけたがるものだ。
女の子は僕の返事に安心したように微笑んだ。
「よかった。ねえ、少しお話しましょう」
僕らはいろいろな他愛もない話をした。といっても話すのは主に僕で、少女はそれを聞いていてくれる感じだった。
話が一段落すると少女は僕が手に持ったままだったノートに目をとめた。部屋から出る時に持ち出した僕のお気に入りのノートだ。
「それは、なに?」
「ノートだよ。物語を書いているんだ。外に出ている時にアイディアが浮かぶこともあるからいつも持ち歩いているんだ」
「物語を書くのは、楽しい?」
「うん、とっても」
「私も読みたいわ」
「これはまだ途中だから、今度完成したものを持って来るよ」
そう言った時、僕はふいに目の前の景色が揺れた気がした。
夜の世界は現実味がなく、眠りについて目が覚めたら消えてしまう儚いものだ。僕は本当にここにいるんだろうか。本当はもうとっくに眠りについていて、ベッドの中にいるんじゃないだろうか。
そう、これがもし真夜中のただの夢だとしたら?
僕は少女に何を約束することができるんだろう。
不安なまま僕は訊ねた。
「ねえ、また会えるかな」
「ええ、あなたが望みさえすれば」
女の子は眼を伏せる。どこか寂しげに。
「私はいつでもあなたの隣に」
不思議な言葉だったが、真意を確かめることも無く僕は背を向けた。
どれぐらい時間が経ったかは分からないが、おじさん達に家を抜け出したことがバレてしまう前に早く帰らなければならないと思い直したのだ。
「ありがとう。おやすみ」
大急ぎで家に戻ると自分の部屋に駆けこんだ。幸いおじさんたちは寝てしまったようで、家の中は静まりかえっていた。
ノートを本棚に戻そうとして、ふとその横の小さな棚に目を向け、僕は驚きで目を見開いた。
なんで、気づかなかったんだろう。
棚の上、木洩れ日の中に微笑む少女。
写真立ての中では僕の知らない過去のいつか、そして今日出会って見た表情と変わらない優しく儚げな顔で母さんが笑っていた。
―――――
「何ですか、これは」
新しい様式の童話なのか。はたまた童話作家の空想なのか。それとも。
「変な話だろう。でも、今の時代こんな話があってもいいと思わないか?夢があって、俺は好きだね」
「……上官。俺、仕事頑張ります」
トカトン。トカトン。
野原には星明りに揺れ動く影二つ。