6 右眼に映る偽りの
君の笑顔が本物であるならば
この嘘は信じるに値する
消えてしまいそうだったデイジーが元気になるまでは一瞬だった。
透ける自分の手をデイドリーに通して遊んでみたり、消えたと思えば地面から首だけを出してきてデイドリーの真似をしてみたりと、自由に動き回っている。
今も楽しそうに頭上で飛び回る幽霊少女を眺めながら、デイドリーは自分の右眼の力について考えていた。
右眼に宿っていたのは、勇者の力だった。
そして、元勇者が「勇者」と呼ばれた原因であり、不適合者であった原因でもある。
本来、世界に勇者は一人だが、今は少し違っていた。
幾度もの世代交代を経て、勇者の力は分化していき、欠片をもつ者たちを生んだのだ。
最も勇者に近い者として「勇者」の称号を得た、未完成の勇者。
元勇者が所有していたのは、首、左腕、胴、右足、そして右眼であった。
そして、デイドリーに残されたのは首と右眼。
右眼のことを、元勇者は偽眼と呼んでいた。
幻を作り出す眼で、簡単な補助魔法能力を持つ。
デイドリーは最初、デイジーはこの偽眼により描き出された『自分を元気づける効果のある幻』なのではないかと疑った。
しかし、彼女のあまりの自由さと自然さにより、その思いは霧散していった。
俺の話を聞いて、笑ったり怒ったりする。
俺の幻想に意味を与えてくれた彼女が、現実でないはずがない。
***
デイジーが少し潤んだ瞳を輝かせながら、腕を左右で勢いよく振っている。
何かを伝えようとしているのは理解できるが、口が動くだけで声が出ていない。
幽霊の姿をこの眼で見ることはできても、声を聴くことはできない。
基本的には「YES」「NO」くらいの意思疎通しか適わなかった。
分かったのは彼女が何も覚えておらず、彼女自身も独りであったということのみ。
せっかく人に会えたというのに、デイドリーは歯痒い思いを抱いていた。
「メモ帳でもあれば、筆談とかできるんだけどな」
それを聞いて、デイジーは不思議そうな顔をする。おそらく「メモ帳」というものが上手く理解できていないのだろう。
デイドリーは偽眼を使ってメモ帳と万年筆を宙に思い描く。
「メモ帳ってのはこういう紙の束で、インクの出る道具で文字を書き記すものだ。
まあ、体のない俺たちじゃ、あったとしても持ち腐れちゃうけどな」
そういって、デイドリーは皮肉交じり渇いた笑みを浮かべた。
デイジーのおかげで心を壊さずにはすんだが、文章が書けない状態はデイドリーにとって酷く気持ち悪いものだった。
自分でつくった幻想に心を痛めていると、デイジーは興味深そうに手を伸ばした。
そして、宙に浮かぶ〝それ〟を手に取ってみせた。
思わず「えっ!?」と驚きの声が上がる。
思い描かれた紛い物でしかないメモ帳と万年筆。デイジーはそれに触れ、いろいろな角度から眺める。
そして、何かを書き込み始めた。
理解が及ばないままデイドリーは目を見張り、様子を伺っていた。
デイジーは開いたページを確認し満足そうに頷くと、デイドリーに向けた。
『メモチョありがとう』
そこには、メモ帳と読める音の羅列と感謝の言葉。
理解できたのはデイドリーの中に勇者の知識が残っていたからだ。しかし、メモ帳にそのような文章は思い浮かべていない。内容は間違いなく今、〝書き〟加えられたものだった。
「そのペンを俺に向かって投げてくれないか」
突然、デイドリーがM性に目覚めたわけではない。
デイジーがペンを握ったまま首を傾げる。
不思議そうな表情で向けられる〈いいの?〉という視線に対して、デイドリーは頷いてみせる。
それを確認すると、何を思ったのかデイジーが渾身の勢いでペンを投げた。めちゃくちゃなフォームだが奇跡的な軌道を描き、回転の加わったペン先が真っ直ぐにデイドリーの右眼球へと飛び込んだ。
マジで死ぬかと思った。何故全力で投げたし。
ないはずの心臓を鳴らしながら、冷静な部分で今の現象を考察する。
ペンはデイドリーに傷一つ付けることなく頭部を透過していった。
つまり、ペンが実を持たないということを意味している。
あのペンは偽眼で作り出したものに間違いない。だが、デイジーはそれに触れている。
そして、それをデイドリー〝想像以上の〟速さで投げてみせた。
触れられないはずのものに干渉するには、基本的に同じ性質でなければならない。
マンガ肉を食べるには、漫画の登場人物である必要があるのだ。
しかし、デイジーは創作物の前提である〝想定内〟を超越している。
正直、デイドリーは思考が追いつかず混乱状態に陥っていた。
「なあ、デイジー。お前は本当に、俺の作った幻覚じゃないんだよな?」
自信なさげなデイドリーの問い掛けに、デイジーは勢いよく首を振った。
僅かに頬を膨らませ、じとっとした目でデイドリーを見る様子から、少し機嫌が悪くなったようだった。
(作り物であることを疑うなんて、怒らせても仕方がないな)
疑うのではなく、今は確かな事実だけを受け入れようとデイドリーは思った。
とりあえず謝罪をするが、デイジーはそっぽを向いて口を尖らせている。
私怒ってますよ、という分かりやすい仕草に和み、デイドリーはつい笑いそうになった。
子供みたいだなとデイドリーは思った。
そんな彼女がどうすれば喜ぶのかを真剣に考える。
「デイジー。頼みがあるんだ」
デイドリーが名前を呼ぶと、仏頂面の口元が大きく緩む。
デイジーは考えるそぶりを見せ、デイドリーに背中を向けると何かをメモ帳に書き込んでいた。
そして、恥ずかしそうに振り返る。
少し戯けた調子のメモを口元に掲げ、心底幸せそうな笑顔でデイドリーを見つめる。
『なーに?』
ただそれだけの言葉。
しかし、奔るように書かれたその文字に映るのは、喜びの色であった。
この世界で彼らは孤独だった。
おそらく幽霊である彼女と、首だけの彼。デイジーとデイドリー。
誰かに必要とされることの大切さを、彼らは身を持って理解していた。
「俺の代わりに、物語を書いてくれないか」
この世界に来てデイドリーが初めて得た信頼は、またの名を共依存といった。
さらさら書いてるけど中身すっからかんで進まねえ…