5 幽霊少女と首の名は
君がいたからだ
「待ってくれ!」
気づけば視界に入った少女に向け叫んでいた。
少し冷静さを失うのに、半月以上という時間は俺にとって十分だった。
おそらく、この状態でなければまだ増しだっただろう。
拘束されているだけならともかく、首だけで味わう孤独は、俺に永遠を想像させるだけの絶望であった。
俺の叫び声が聞こえたのか、目の前の少女がゆっくりとこちらを振り向いた。
思わず息を呑む。待ち望んだ邂逅に緊張したのもあるが、何より相手が綺麗だった。
幻覚ではない。狭すぎる俺の脳では創れるはずもない姿をしていた。
ただ、少女を透して向こうの景色が見えている。
(まさか、幽霊なのか)
彼女の姿にばかり目を奪われていたが、良く見るとその足には靴がなく、地面から離れていた。
ぼんやりと向けられた虚ろで生気のない瞳が、その推察を裏付ける。
目が合っているのに何も感情が伺えないのは、やはり生きていないからだろうか。
気持ちを落ち着け、ようやく訪れた他者に対話を試みる。
「こんにちは、綺麗な幽霊さん。翠の瞳が、ブロンドの髪に良く似合ってる」
幽霊という存在をマジ初めてみた。少し浮いているし、浮遊霊と呼ばれるタイプだろうか。
何かに縛られている感じはない。むしろ、何もかもを手放しているかのような、そんな存在の曖昧さ。
触れれば今にも崩れてしまいそうだった。
「その薄手のワンピースは、そっちの世界の流行りなのか?だが、森で散歩するなら靴を履いた方がいい。いや、この場合散浮遊になるんだろうか」
彼女に彼女自身を伝えるために、言葉を選びながら声を掛ける。
彼女の姿や周囲の様子、森の匂い、枝葉の音、木漏れの光。
枠のないジグソーを一つずつ埋めていき、新しい形を生み出していく。
まるで、物語を紡いでいるかのように心地よい。
……そういえば、大切なことを忘れていた。
「名前は覚えてるか? 俺は―――…」
彼女に問う前に、その言葉は自分に降り掛かる。
――― 俺は、誰だ。 ―――
転使は、死んだ勇者の身体を基に、俺を転換すると言っていた。記憶も、完全に引き継いでいる。
だが、この世界に居場所を得るため、心は異なるものとなったらしい。
そのせいで、夢を失う可能性も零じゃないと教えられた。
それは、俺が俺でなくなるということだ。絶対に許されない。
今までを失いたくない。そのために、若干後悔していたものの現状を選んだのだ。
…………別の名前が必要だな
俺は名前を、世界から個を切り取るための記号だと考えている。それは呼称に限定されず、形や色でも構わない。違うことを認識するためのものだ。人が「子供」から、「大人」になるように。
偽名ではない、もう一つの自分。この線引きは、自殺に近い保護である。
だから俺は、真崎義彦の願いを叶える何者かになろう。
変化という言葉で自分を見失わないように、これからの自分に輪郭を与えよう。
そうすればきっと、大切な思いを風化させずに済む。
では、何と名乗ろうか。
意義を思うと、全く異なる名前である必要がある。この世界に来てからの俺をどう表そうか。
元勇者。首。化け物。目の前の美少女幽霊と違い碌な言葉が出ない。あらためてひどい状態である。
俺は何をしていた。日がな一日、物語を考えていた。それだけが許されていた。
であれば、そう名乗るのがいいだろう。
「俺は、デイドリー。白昼から空想ばかりしている暇人だ。……お前は?」
おそらく、この問い掛けに意味はない。返答がないことは予想しているからだ。そもそも、この問いが会話の導入に出てこない時点で、俺は彼女の名前を知りたいとは思っていないのだろう。
それはジョン・ドゥやリチャード・ロウのように、ただ、この場で二人が二人であるために必要だっただけ。
だからこそ、これからすることには意味ができる。
「なら俺が勝手に決めようか。……光を集めたように綺麗で、俺が目を瞑る間に消えてしまいそうだから、光で目を開く花、デイジーにしよう。俺が白昼夢で、お前が日の瞳。
どちらも眠れば消えてしまうけど。どうかな、デイジー」
もう一度声を掛けると、彼女の白すぎる頬に僅かだが赤みがさす。
そして、綺麗だが細工のようだった瞳に、確かな命の輝きが宿った。
ようやく、彼女が本当に俺を見た。
おはよう。デイドリー
声は聞こえないが、そう言ったような気がした。
微睡むように目を細め、微笑みかける彼女の瞳から、一筋の涙が零れる。
俺たちは今、二人になった。
何が楽しいって、自分で書いた駄文を読めるってこと