4 手も足も出ない
何もできない無力を呪ったのは
何もしないことを恐れたからだ
化け物でもいい。時間をくれ。確かにそう言ったよ?でもさ、
「流石に腕がないのは勘弁して欲しかったな」
俺の体には腕がなかった。
いや、それどころか首から下がごっそり無かった。文字通り手も足も出ない。
最初は埋められてるんじゃないかと思ったが、さすがにわかるさ。身体がない。
こんな状態で生きていられる化け物みたいな命と、物思う時間だけを与えられたようだった。
目が動く範囲であたりの様子を確認する。
地形の分類には詳しくないが、簡単に言うと森だった。それ以上の情報は得られない。
次に周囲の音に集中していると、不意に頭へ痛みが走る。
怪我でもしてるのだろうかと思い、見えるはずもないが視線を上へと向けてしまう。
「あれ、なんか髪の色違くないか? ――――ッ!」
瞬間頭にノイズが走り、景色を塗りつぶすように転使の姿が投影された。
『もしこの映像をあなたが見ているなら、転換が失敗したということだ。もし帰ってくることができたなら、最初のあの時に戻れたのなら、今度こそあなたを救っ……あ、こういうのいらないですか?この映像は、あなたが転換の結果に抱いた疑念をトリガーに再生されるよう記憶に捻じ込んでおきました。びっくりしましたか?転使的サプライズです。それでは、さっそく感じたであろう疑念にお答えします。ずばり、私の練度不足ですね。ええ、そうです。だって転換なんて初めてなんですもん。そりゃあ、失敗もしますよ。でも、頑張ったんですよ?顔だって勇者様をベースにあなたに寄せて、鼻を低くしたり、瞼を厚くしたり。あなたの記憶はほぼ完全に復元済みですし……まあ、勇者様の記憶の途中で挫折したんですけどね。プライベートな部分は大概消しましたが、言語とかそういうのはむしろあってもよくない?と思ってほったらかしにしました。さすが私ファインプレーです。まあ、しばらく記憶が錯誤して頭痛とかするかもですが、頑張ってください。正直、転換中にあなたの今の姿を眺めてたら、もうダメでした。なんか可笑しくて、ふふ。それでは、ご愁しょ、ごきげんよう。夢、叶うといいですね(笑)』
……………………
………………
……………
………。
「転使!!ふっざけんな!!カッコ笑、じゃあねえよ!」
俺の人生に対してやる気がなさ過ぎるだろ。仮にも担当者のくせに。
次に会うことがあればありとあらゆる手段を以てあいつの尊厳を……って、やってる場合じゃないな。
冷静になって状況を整理しないと本当にご愁傷されかねない。
まず俺は一度死んだ。
ハロワで転生を進められるも、記憶第一で別の手段に変更。で、おそらく転使に首を落とされた。
スワンプマンよろしく、気が付けばこの森で首だけだった。
あの無駄に長かった転使との馴れ合いも、大体こんな顛末だ。
いやもう、これほんと、どうすんのさ。
正直言って詰んでいる。少なくとも自分一人の力ではもうどうしようもない。
そもそも今のこの状態、この世界の人にはどのように映るのだろう。
救出や保護の対象にはなるだろうか。できれば殺されたり実験されたりは勘弁願いたい。
何もわからん。いろいろと不安になってきたな。
誰か俺に異世界をハウツーしてくれ。
……あ、そういえば、いるじゃん。そういうのがわかる人。
俺の中にまだ残っている。勇者様。
***
結論、やばいな。完全に討伐対象ですわ。
人間か怪物かでいうと間違いなく怪物サイドだった。
少なくとも残された勇者の知識の中には、こんな一頭身の人間はいない。
限りなくアンデットと呼ばれる存在に近いと思う。悲しい。
しかし、勇者メモリを漁っているうちに、ある程度この現状を整理することができたのは僥倖である。
まず、今俺がいるのはヴァールブラウ大陸の南方にある未開拓領域だ。
この森にはまだ名前がなく、ほとんど誰も手を入れていない。
だが、全くの無人という訳ではないようだ。
森に入る前に勇者が立ち寄ったようだが、少し戻ったところにピッコルという小さな村がある。
こんな辺境地で村が成り立つのは、大した脅威が存在しないためだ。
未開拓のまま放置されているのもそれが原因であった。
調査しても発見はなく、何も起こらず、無傷で帰還できる。危険はないが旨みもない。
それでいて方々を山に囲まれ無駄に広大ともなると、後回しになるのも致し方ない。
そう、思われていた。いや、今も思われている。しかし、ここには穴があったのだ。
―――異界。世界に秩序を施した神々の盲点。
驚くべきことに、この世界は本当にファンタジーしていた。
魔獣、魔物、魔人といった魔該なる存在。
それらに対抗すべく魔女から模倣した魔法、それを扱うための魔力。
それらは総じて【魔】と呼ばれている。
異界とは、その魔が異常な濃度を持つ霊脈溜まり、天然の迷宮を指す。
ここに勇者がやってきた理由は、正しくその迷宮への対策であった。
王都で神託を受けた巫女の命により、早期の踏破を目的としていた。
都市の近くであればある程度管理し、資源として利用することも出来るだろう。
だが、未開拓領域ともなれば管理は難しく、放置しておけば魔界を開きかねない。
勇者は異界が成長する前に奥まで潜り、迷宮の心臓である異界石を回収するつもりだった。
しかし、魔該に囲まれ脱出することになった。
途中装備を落としながらも迷宮を出たが、脱力したところを後ろから剣で殺された。
鍛え上げられた勇者の剣が、自分の首を一撃で刎ねたのだ。
何が言いたいかというとだ。俺の現状は、その首を転換したものである。
つまり、多少飛ばされていたとしても付近には化け物の巣窟があり、人から見れば俺も、そこから飛び出してきた喋る生首である。
「魔該に会っても、人間に会っても命が危い。……誰にも助けを求められないな」
そもそも、声の届く範囲に人が来るのだろうか。
いや、ほんと、手も足も出ないわ。
***
あれから、10日が経過した。
すでに俺の精神は崩壊しかかっていた。
物語などでは、数カ月の孤独や苦痛に耐える登場人物らが普通に存在する。しかも、その経験をバネに急成長を遂げたりするわけだ。正直、どうかしてるぜ。首だけの俺より余程化け物してる。
俺は普通なんだ。全く動けず、視界も変わらず、誰とも関わず生きていくことはできない。
何故か腹が減らないのが、唯一の救いだろうか。
しかし、筆を執ることができないとなると、そろそろ限界である。
昨日思いついた眩しい言葉を、今日の朝思い出せないことの苦痛が、理解できないだろうか。
書き残すことに魅せられた自分にとって、現状は拷問にも等しい。
ただ、思考だけを巡らせる。夢を見失わないように、1日中夢を描き続ける。正しく白昼夢であった。
思い描くことしかできないのなら、現実に意味はあるのだろうか。
***
あれから、何日が経過した?
積極的に誰かと関わるタイプではなかったが、今は無性に人が恋しい。もうダメかと思う。
しかし、奇跡は起こった。目の前に、誰かの姿が見える。
俺は咄嗟に声を掛けた。場合によっては命が危ないなど、すでに考えていない。
目の前を通り過ぎようとしていた少女が、ゆっくりと色のない顔をこちらに向ける。確かに、俺と少女の視線が重なる。
既に現実と幻想の判別が難しい。
でも、目の前の少女が、妄想の産物でないことは確信できる。
こんなに綺麗な女の子を俺は見たことがない。
自分の記憶の底から引き上げられる何よりも、少女は美しかった。
光を梳かしたかのような少し癖のあるプラチナブロンド。
クリスタルグラスを思わせるグリーンの瞳。
薄い桃色の唇に、きめ細かく透き通る白い肌。
纏ったワンピースには、起伏のある少女の輪郭が僅かに浮かび上がっている。
全体的に透明度が高い少女。というか、透けている。輪郭どころか身体全部浮いている。
俺がこの世界で最初に出会ったのは、魔該でも人間でもない、幽霊と呼ばれる存在だった。
なかなか話が進まない