3 Take it easy
明日また僕を始められる
「それでは、さくっと記憶を消去しますね」
「……え、ちょ、ちょっと、待って。記憶を消す!?―――いやだよ!」
「え?何故ですか?当然ですが、記憶を無くして幼児への転生となりますよ。
勇者様の力は世界共通ではないため、あなたが引き継ぐことになりますが……」
どうしてそんな死にやすい設定だけ引き継ぐんだよ。
世界に適応させる気あるのか?
それとも俺には勇者の素質が……いやいや、ないな。
正義感とか人並みだし、何より叶えたい夢が別にある。
「俺は作家になりたい。もし記憶を失って生まれ変わったら、俺の夢はどうなる!?」
「まあ、時の運次第となりますね。ごく稀に前世の記憶を取り戻す方もいますよ」
「それじゃあ困るんだよ!何だってする、どんなリスクも背負う。
だからこのまま、記憶を持ったままにしてくれ」
そう言われても困るといった風に、転使は複雑な表情を浮かべる。
「転生の場合、新しい肉体と心を形成してから霊体の移し替えが行われるので、殆ど種は変わらず、魂の形状にあった存在として生まれてきます。
それでも異なる親、環境の、しかも子供です。
当然、記憶はもちろんその他のアイデンティティもリセットされるんです」
転使が、俺の要求が如何に困難かを訴えてくる。
言いたいことはもっともだ。人生を再現でもしない限り、同じ人間にはならないのだろう。
「そもそも、異なる枝への転生、生まれ変わりなんて、本来はあり得ないのですよ?
偶然転生するなんて、器に入った水を海に溢し、ある日全く同じ形質の器にその水が戻ってくる、それほどの奇跡なんです」
つまり、そんな奇跡のような待遇に選ばれ、あまつさえ前よりは幸福な来世が約束されている。
それで満足しろ、ということだろうか。
「それが記憶まで保持しているなんて、奇跡を通り越して呪いです。
だって脳ないんですよ、脳!わかりますよね?絶対人格崩壊しちゃいます」
いや、違う。彼女は俺を心配してくれているのだ。
彼女は呪いと言った。
その表情からは、寂寥と、僅かに後悔の色が伺える。
だけど、その意を汲み取り、彼女を気遣うだけの余裕は、今の俺にはない。
そうできるだけの経験を、諦められるだけの時間を、俺はまだ……。
「お願いだ。何なら化け物だって構わない……魔王だって倒す!どうか俺に、物語を書く時間をくれ」
魔王を倒すと口にしたとき、僅かに転使の肩が震えた。
表情を歪め、今にも泣き出しそうに見える。
口を開いては閉じ、視線を落とし、何かを伝えるべきか悩んでいるようだった。
気持ちを固めた俺は、彼女の言葉を待つ。
しかし、その時間はそれを待てぬ者によって中断されることになった。
「?……はい。え、いや、しかし……。……わかりました」
少し驚いた後、耳に手を当てて何事かを確認している。
僅かな沈黙の間に、彼女が葛藤を飲み下したのがわかる。
おそらく、彼女の意の届かぬところで、状況に変化があったのだろう。
「神曰く、時間も押してるし魔王倒せるなら適当に進めちゃって、とのことです」
「え、なんか神様雑くない?」
さっきまでの切なげな雰囲気が台無しであった。
決意を胸に苦難の道を行こうとする男を、複雑な感情を抱いた女が手を伸ばし、それでも引き止められずにいる。誇大表現だけど。
そんなドラマ性の高い状況を、不躾な神による「巻きで」の一言に壊されてしまった。
「私の上司はいつもこんな感じですね。それで、その、どうなさいますか。
制約もありますし、相当不利かと思いますが……」
空気を読まない神様の介入で、お互い少しだけ冷静さを取り戻す。
俺は気持ちを切り替えるように、できるだけ落ち着いて返事を返した。
「構いません。記憶を持ったままでいられるのなら、どうか、よろしくお願い致します」
***
「では、手続きを転生から転換へ変更します」
しばらくタブレットをいじっていた転使が、出会った頃と同じ笑顔でそう告げた。
なんだか、ここまで随分と長かった気がする。
「転換?記憶を持ったままの転生ではないんですか」
「記憶を継承する転生は意図的には起こせませんので、今回の場合は全く別物です。
あちらの世界の勇者様の身体を転換し、記憶ごとあなたに作り変えます。
要望を100%叶えるのなら召喚か転送が望ましいと思いますが、ハロワにその権限はありませんし、そもそもあなたの肉体は死んでいますから」
スワンプマンという話を思い出した。
ある男の死と同時に沼から生まれた、何もかもがある男と同じ生物。
姿も、記憶も、目的も同じに見える完全なるコピー。
この存在を異なる者とするかどうかは、賛否を論ずるところである。
当事者となる俺としては、何を悩むこともなく昨日の続き過ごせるのであればそれでいい。
「転換の際、世界の座標となる心だけは勇者様のものを使います。
器の中身を入れ替えるイメージですね」
「心の入れ替わりですか?俺が夢を失うようなことはないんでしょうか」
生前の姿をし、今までの記憶を持っていたとしても、自分を失うのであれば意味がない。
転使のいう「心」の定義が定かではないが、精神的に重要な器官である気がする。
「断言はできません。人格への影響は回避できませんし、作家という夢には間違いなく心も関わっています。
しかし、何故そう願うのかという渇望は魂から溢れるものです。
たとえ居場所が替わったとしても、あなたの夢がそれを遂げる最善手であれば、決して失うことはないと思います」
言い難そうに口を開くも、胸の前で手を握り、最後には笑顔でそう答えてくれた。
おそらくだが、魂が感情で、心はそれを規制する環境や思想を表すのではないだろうか。
であれば、それを世界の座標というのも少しは理解できる。
あとは信じる他ない。彼女の笑顔と、自分自身の今までを。
「それでは、異世界への転換を行います」
その場で膝を着いて体の力を抜くよう指示され、それに従う。
目の前で軽く腕を広げた転使の光が僅かに強くなり、背後には青白い光の紋様が浮かび上がっている。
それはまるで、翼のように見えた。
「そうそう。今のところ、残りは魔王討伐に対する報酬として転送することを検討中です」
「……残り、ですか?報酬って――――」
転使が静かにと口元で人差し指を立て、俺の問いを遮った。
すると、俺の足元が光り、円や見たことのない文字のようなものが描かれていった。
俺が光景に目をみはっていると、転使はおかしそうに笑みを浮かべてドヤっていた。
「本来の転生とは条件が異なりますが、私が初めに与えられる命の上限は変わりません。
もともとの予定が赤ん坊ですし、おそらく、サイズ的に頭部が限界かと思われます」
ん? と、いいますと?
いまいち内容を掴めず、転使に対して首を傾げてみせる。
しかし、彼女は目を細め、すでに何かに集中しているためか気付いていない。
何やら雲行きが怪しくなってきたような気がした。
そう思うのが早いか直後、転使が横へ指先まで伸ばした手に、光の帯が形を成した。
「では、いきますよ。担当者として私も背中を押しますが、努力するのはあなたです。
どうか、これからの人生であなたの思いが遂げられるよう祈っています」
まるで本物の天使のように、慈愛に満ちた笑顔をこちらに向けてくれた。
しかし、今はそれどころではない。彼女の顔と右手の先を交互に見て訴える。
その光を溢れさせながら僅かに振動する薄い帯は何?
まるで剣のようにも見えるんだが、それで何をするつもりなんだ?
まさか、何か切るつもりか!?斬れるのか!?
今度はバッチリ目があった。しかも、俺の思いが完璧に伝わったと何故か確信できる。
しかし、答えが返ってくることはなかった。
ただ、これからの未来をかわいい笑顔で宣言する。なんてことない風に。
「転換は………………首だけですっ」
瞬間、光を帯びた転使の腕が軽く振るわれ、俺の視界が宙を舞った……。
「…………願わくば、あなたの救いとなりますように」
ここまでの前置きが長すぎるかな。
気にしたら負けか。