DAYS 1:上福姉弟
少女は流れていく景色をただ眺めていた。のどかな田園が列車の心地よい音と共に次々と通り過ぎていく。一面の緑。何というか、平和だ。
視線を目の前に座っている少年へと移す。彼女の弟は手に携帯端末を持ち、ソーシャルゲームに夢中になっていた。窓の外とは何とも対照的な光景である。
腕時計に目をやる。まだまだ、時間はかかるらしい。本も読み終えてしまい、新しい本を出すには一度立ち上がり、頭上の網棚から荷物を下ろさなければならなかった。走行中という事もあり彼女は重い荷物を抱えたくはなかったので、読書は諦める事にした。
仕方がないので少女は再び電車の外へと目をやった。春の暖かな光がほどよく体温を上げ、うっとりとしてくる。
自然と彼女は目を閉じていた。
〈……なく……鳥栖……鳥栖に……ます〉
「……!?」
スピーカーから聞こえてきたアナウンスで少女は目を覚ました。まばたきをしたつもりだったのだが、そのまま眠っていたらしい。
「……今、鳥栖って言った!?」
眠気が取れない内から弟に先ほどのアナウンスの内容を確認する。
「え? ……ああ、言ったかも。でも……」
彼は端末を覗き込んだまま答えた。
「降りる準備しなきゃ!」
「いや……え?」
彼女はばたばたとふたり分の荷物を下ろすと、ぐいと弟の腕を引っ張って立ち上がらせる。電車はもう駅に進入して停止をしていた。
「ほら、行くよ! ゲームばっかりしてないで!」
「え……あれ? そうだっけ?」
乗り過ごすまいとふたりは開いているドアからホームに降り立った。それと同時に発車音が鳴り響き、再び扉が閉まると電車はゆっくりと発進していく。
「ふー、ぎりぎり」
「……? いや……え?」
「さ、乗り換え乗り換え」
人がまばらな中をぐんぐんと歩き、彼らは改札口を通り抜けた。
「あれ? 改札通るの?」
「乗り換えるんだから、当たり前でしょ」
「え? でも切符出てこないけど……」
「え? ……」
言われて彼女は気付いた。そういえば確かに、通した切符は戻ってこない。
「……あれ?」
「……姉ちゃん、あの切符って、博多までのじゃなかったっけ」
「……あれ? そうだっけ?」
「いちいち改札出る必要無かったんじゃない……?」
「……し、知らないわよそんなの! 電車なんて全然乗らないもん! 路面電車だって怪しいのに!」
「22世紀のこのご時世にもなって……」
弟は呆れた顔をした。
「なっ! そう言うあんただって私と大して変わらないでしょ!」
「……まあ、それはそうだけど……」
「とにかく、お金は余分にあるから、また博多までの切符買えばいいんでしょ」
「あーあもったいない……」
「うるさい!」
彼らはすぐに券売機へと向かい、路線図を見上げた。
「えーっと、博多までは……」
「……姉ちゃん」
相変わらずの低い調子で弟は喋る。
「何よ」
「……しかもここ、鳥栖じゃないし……」
「はっ!?」
少女は現在地を確認した。確かに彼の言う通り、彼女達が今いるこの駅は鳥栖駅ではなかった。新鳥栖駅であった。鳥栖はこのひとつ先である。
「……あ~、ややこしい……!」
そもそもここには在来線の乗り換えなど存在しないのだった。
「こんなんで福岡で生きていけるのかよ……」
姉の後ろで少年がぼやく。
「あの~」
引き続き券売機の前で路線図を見ていた彼女に、後ろに並んでいた客が声をかけてきた。
「先いいですか?」
「えっ? あ、すみません! どうぞ!」
順番を譲ってもらった客は慣れた手つきで小銭を入れ、画面のボタンをタッチしていた。見た所彼女と同い年くらいに見える。鮮やかな赤髪が特徴的であった。
「……凄い。いとも簡単に切符を買っている……」
「いや、凄くないでしょ。僕達が田舎者過ぎるだけでしょ」
「うっ!」
弟のツッコミに心を痛める姉。
「……もしかして、わかんないの?」
切符を買い終えた少年が彼女に気さくに話しかけてきた。見栄を張ってもしようがないので、少女は正直に頷いた。
「……はい。博多まで行きたいんですけど……」
「あ、そう? なら650円。俺今買ったし」
「あ、そうなんですか。ありがとうございます」
「こっからだと30分ぐらいで着くよ」
「じゃあすぐですね」
彼に見守られつつ、彼女は650円の切符を弟の物とふたり分購入した。
「あんまり電車乗らないの?」
「ええ、まあ……田舎者なので」
少し恥ずかしそうに笑った後、弟に呼びかけて赤髪の少年と三人で再び改札を通り抜ける。
「あっ」
彼らがホームに出た途端、強い風が吹き切符が彼女の手からぽろりと零れ落ちた。そのまま線路の上へとひらひらと舞っていく。
「ああ……!」
慌てて身を乗り出す彼女を見て、線路に落ちそうだと危うく思った赤髪の少年は即座に背後からその体に腕を回した。
「危ねえっ!」
「うひゃっ!?」
伸ばしたその右手はしっかりと彼女を捕まえていた。具に言うなら、豊かに育っている胸部を思い切り掴んだ。驚いた少女はつい声を上げ、びくりと体を反応させてしまう。
「……」
目には見えない空気の流れが、完全に止まったのを三人は感じていた。
「……」
もみ、もみ、と確かめる様に無言で彼は彼女の胸をさらに二度揉んだ。
「……君、でかいね」
「……! いやああっ!」
赤面した少女は彼の頬を思い切りひっぱたいた。
「……! 何するんですか突然!」
「い、いやあ、見てて危なかったからつい……」
左頬を撫でながら少年は申し訳無い顔をする。
「いい人だなあって思ってたのに!」
少女はくるりと向き直る。このやり取りの間に切符は線路の上に落ちてしまっていた。
「あーあ……駅員さん呼んでくるね。陽は待ってて」
「ちょーっと待て待て」
未だ頬を押さえたまま少年がそれを制した。
「……何ですか、えっちな方」
「あの切符、俺が取ってやるよ。それでさっきのはチャラにしてくれ」
「いいですよ、危ないですから……それに女の子の胸を揉んでビンタ一発で済んだ事をありがたく思って下さい」
「事故だったんだってば……だいじょぶだいじょぶ。下りないから」
「え? だったらどうやって取るんですか?」
「こうやるの」
彼はホームの上から線路にある切符を見つめ、手を伸ばした。しかしそれは当然切符に届くはずなどない。だが彼はそのまま何かを摘まんで、持ち上げる仕草をした。すると。
線路に落ちていた切符がふわりと浮き上がった。
「!?」
とても奇妙なこの光景に少女も弟も訳がわからず口をぽかんと開けていた。彼がぐいと腕を引き寄せるとそれに応じたかの様に切符はすーっ、と彼女の前まで飛んできた。
「はい、どうぞ」
「……あ、ありがとうございます……」
目の前にふわふわと浮遊している切符を摘まんで、少女は礼を述べた。
「へー、長崎から」
姉弟は成り行きで赤髪の少年と一緒に電車のボックス席に座っていた。
「はい。この子が福岡の学校に進学する事になって。私は心配だからそれに付いてきた形になりますね」
少女が彼の隣に座っている弟を指差す。
「へー……中学から親元を離れんのか……すげーな」
「……別に。そんなでもないですよ」
まだ幼い弟は抑揚の無い声でかぶりを振ったが、照れを隠している事は姉にはわかっていた。
「いやいや、すげーって。んで君も」
少年は彼女に視線を移す。
「よく弟のために家を出ていこうと思ったもんだ。よっぽど仲がいいんだな」
「いやぜんっぜん」
姉弟は口を揃えて言った。
「……それは表向きで、実際は私、単純に福岡に憧れてるだけなんですよ」
「……そうなの?」
「はい。だって、凄いじゃないですか福岡! 首都ですよ首都! 日本の中心! 高いビルはいっぱい建ってるし、何かハイテク技術いっぱいあるし! 私みたいな田舎育ちは憧れるんですよ~!」
少女はらんらんと目を輝かせていた。
「ふーん……そんなもんなのか」
「そうなんです! どうせあなたみたいな福岡っ子にはわからないんですよ! ……って、そういえばまだ名前聞いてませんでしたね。私は浅倉です。浅倉美月。その子は弟の陽」
「俺は叶だよ。叶旭。よろしく」
「叶君……見た感じ、年が近そう……私今年17なんですけど、叶君は?」
「お、何だ俺と同い年か。俺もだよ」
「あ、そうなんだ」
美月はそれを聞いて反射的に敬語を使うのをやめた。この旭という少年は接しやすく、出会ったばかりであるにも関わらず非常に親しみを持ちやすかった。これが彼の魅力のひとつなのだろう、と彼女は確信した……胸は揉むが。
「ん? ……って事は君、進学じゃなくて転校する事になるのか」
「うん。誠心に。陽は中等部に入学」
「お、マジ? 俺も誠心」
「え、ほんと!?」
何と、年齢だけでなく通う学校も同じらしい。
「そうなんだ。じゃあもしかしたら学校で会うかもだね」
「だなー」
「叶君は何しに鳥栖に来てたの?」
「俺? 俺は家の用事でちょっとな」
「そうだったんだ……いやあ、でもさっきはびっくりしたなあ」
彼女は新鳥栖駅で旭に切符を拾ってもらった事を思い出す。ほんとだよ、と斜め前に座る陽も頷いた。
「あれ、どうなってるの? マジック?」
「うんにゃ? 種も仕掛けもございませ~ん」
旭は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「俺の特技みたいなもんかな。物心ついた時から出来てた。離れてる所にある物を取ったり出来るんだ。感触はねーんだけどな」
「超能力? 福岡の人はみんなあれ出来るの?」
「まさか。俺以外に見た事ねーよ。超能力……なのかなあ」
旭が頭上をぽんぽん、と叩く動きをすると網棚に置かれている荷物が音を立てた。
「俺にもよくわかんねー」
そのまま何気無く腕を前に伸ばして手を握ったり開いたりの動作を繰り返す……そうすると。
「ん!?」
突然の刺激が美月の体を襲う。胸が。見えない何かに揉まれていた。
「あ……」
旭は声を漏らしつつももみもみと手の動きを繰り返していた。
「……」
「あ……ははー、だいじょぶだいじょぶ。ほら、さっきと違って俺、感触無いから……」
言い聞かせる様に、もみ、もみ、もみ。
「……っ! こっちには感触あるんですっ!」
恥じらいながらまた一発。
「わーっ! 相変わらずすごーい!」
姉弟は滅多に経験した事が無い人混みの中にいた。
博多駅構内。どこを見ても、人、人、人。右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても。人で溢れ返っている。スーツを着こなしたサラリーマン、キャリーバッグを転がす旅行者、制服姿で談笑する学生、自転車を押して歩く若者……見渡す限りの人と、その広さに、ふたりはとにかく圧倒されていた。
「……さすが福岡……!」
「な、でかいよな」
凄いだろ、と旭は得意気な顔を作った。
「……そして、浅倉さんの胸もなかなかでかいよな」
「あれ、右もはたいてあげよっか? 左をぶたれたのなら右も差し出す?」
「結構です」
「まあ、肉が付いてるのは胸だけじゃないから……」
「ん? 何か言った? 可愛い弟よ」
「何でもないです」
「俺はこっちなんだけど」
旭が左側を指差した。
「ふたりは?」
「えーと……」
「博多口だよ、姉ちゃん」
「あ、そうそう……ってどっちだったっけ」
「博多口なら俺が今指差した方。表だな」
「表?」
「ああ。博多口が表、筑紫口が裏って感じだな……昔は逆だったみたいだけど」
「へー、そうなんだ」
「じゃ、行こうぜ」
三人は博多口の方へと歩き出した。途中、焼き立てのパンの香りが漂ってきて美月は否応無しに嗅がされた。これだけで十分お腹が空いてきそうである。見るとクロワッサンの売店があり、長蛇の列が出来ていた。今度絶対に買いに来よう。彼女はそう心に決めた。
外へ出た時、またも姉弟は息を呑んだ。理路整然と立ち並ぶ高層ビル群に、広大な道路。忙しなく走る車と鳴りやまない騒音。これこそが首都、福岡……日本の中心地。
「何度見ても凄い……」
「バスが何台も走ってる……」
驚異的だった。片田舎から遠路はるばるやって来たふたりにとって、つい昨日まで自分達が住んでいた所と同じ、九州だとはとても思えないほどの差であった。まるで異国……いや、異世界、異次元に巻き込まれたかの様な……自分達は何とも場違いな感覚。
「……ね、姉ちゃん、僕手が震えてきたよ……」
「わ、私は脂汗が……」
「……そんな調子で大丈夫かー……?」
見兼ねた旭が声をかける。
「ふえっ!? だ、大丈夫大丈夫」
美月がかくかくとぎこちない動きで返事をした。
「……家まで送ってってやろうか……?」
「ほへっ!? で、でも知らない人に住所を教える訳には……」
「そう言われればそうだけど」
「でも、旭兄ちゃん悪い人じゃなさそうだよ」
「そ、それもそうね。えっちだけど」
「あれはたまたまだっつ。じゃあ今度は電車の中の一件をチャラにしてもらうために送ってくよ。どっちなんだ?」
どうやら彼の中では新鳥栖駅での一件はすでにチャラになっているらしい。私はまだ許すとは一言も言ってないんだけどなあ……と美月は思った。
「えーっと、博多駅前……だったかな」
「何だよ、すぐ近くか。いいとこ見付けたなあ」
「えーっとね……」
先日親に買ってもらったばかりの携帯端末をポケットから出し、彼女は不慣れな様子で画面を操作し始めた。
「あ、ここ」
これから向かうマンションをマップで示し、旭に見せる。
「……4丁目か。じゃあこっちだな」
南西に向かって歩き始めた彼の後をふたりははぐれない様に付いていく事にする。
とその時、美月の腕が通行人の男子学生とぶつかった。
「きゃっ! ……あ、ごめんなさい」
すぐに謝るとまた足を動かす。
「よかったな、いちゃもんつけられなくて」
「へ!? いちゃもん!?」
「たまーにめんどくさいのがいるんだよ」
「ひ、ひええ……!」
怯える美月。
「……ははは! 冗談冗談! ……半分ね。ま、いはするだろうけど俺もそんなの今まで会った事無いし」
「……」
わ、私、ほんとにこれからここで生きていけるのだろうか……。
一行はそのまま歩を進める。次から次へと横を走り去っていく車が美月にはやたらと大きく、速く見えていた。本当に姉弟が住んでいた長崎を走っている物と同じ車なのだろうか。
「ひ、ひかれないかなあ……」
「そんなの、どこ歩いてたって突っ込まれる時は突っ込まれるだろ」
「そ、そうだけど……」
マップを何度か確認しながら三人がしばらく歩いていると、とある道を横断する時、通りに入った先に黒い煙が上がっているのを見かけた。
「な、何あれ……」
「火事か?」
「か、火事? 物騒だなあ……」
「いや、だから火事もどこでも起こるだろ」
「あ、ごめん通り過ぎちゃった。今の道に入るみたい」
「お、そっか」
てくてくてく。
火事現場の方へと近付いていく。
「うわあ、新しいお家の近くなんだ……」
やがて煙を上げているマンションに差し掛かる。火は勢いよく燃え盛り、マンション全体を包み込んでいた。消防隊員が駆け付け消火作業を必死に行っているが、一向に消える気配は無さそうだった。
「……結構激しく燃えてるな……全焼じゃねーか……」
通り過ぎながら旭が心配そうに言った。
「……住んでる人みんな逃げられてたらいいけど……あ、ごめんまた通り過ぎちゃった。戻んなきゃ」
「あ、そう?」
てくてくてく。
また火事現場である。
「大変そう……まだ全然消えそうにないね」
「そうだな……」
「あ、通り過ぎちゃった」
「またかよ」
てくてくてく。火事現場。
「早く消えないかな……」
「だな……」
「あ、通り過ぎた」
「おい、ちゃんと見ろよ」
てくてくてく。
火事現場。
「……」
ぴたりと美月は足を止めた。
「どうした? 場所わかんなくなったか?」
「……」
「姉ちゃん?」
陽も不審に思い問いかける。
「……」
「おい、どうした」
「……こ、ここだ……」
「……は?」
「……や、だから、私達の新しい家……ここだ……」
「……はあ!?」
新居が、燃えていた。
Life goes on...next DAYS.
本編中の博多についての描写は僕の実体験を一部踏まえています。ただ、そんなに物騒な街でもないので、その点はまあフィクションとして受け取って頂けたらと。自分で書いておきながら、このラスト、好きです(笑)いやあ、初めて一話目から好感触な気がします。




