第九話 火点し頃に伸びる影
「異世界に飛ばされた人間?」
凛夏とハモってしまった。
ハモるといえば『デュエットの強要はセクハラ』とか言うけれど、そこまでしてデュエットしたいヤツの真理がわからん。
下ネタソングを歌わせることを強要する気持ちならわかるが……デュエットってそんなに楽しいか?
そういえば修学旅行の時、歌ってる女子の胸を揉んだらエライことになったな。
一人しかやってないのに、何故か男子生徒含め全員を揉んだことにされて俺だけ旅行が中断したもんなあ。
あれは辛かったな……。
「……凡ちゃん、また話聞いてないでしょ?」
凛夏の声で我に返る。
いかんいかん、悪い癖だ。
「すみません、ちょっと考えごとをしていまして。チャールズ、すんませんがワンモアお願いしまんもす」
「うむ。異物の正体は、異世界から戻ってきた人間だったというわけだ」
「は、はあ?」
何を言ってるのかわからん。
デュエットの件に気をとられているうちに、俺の少ない脳内メモリは古い話題を消去してしまったようだ。
「やっぱ聞いてないじゃん。えっとね、異物を倒すと裸の人になるでしょ? あの人たち全員、異世界経験者だったんだって」
「は? 異世界に行ったヤツがどうしてバケモンになってんだよ?」
やっぱり何を言っているのか、さっぱりだ。
っていうか、もうこの話題やめようよ。めんどくせーよ。
帰って寝てーし、そうでないなら救護中の裸のねーちゃん観察させるか、マイエンジェルと愛を語るかさせろよ。
イライラ。
「異世界に行ったらどんな人間だってヒーローになれる――あれは嘘だ」
言い放つチャールズの声は低く、表情は鋭かった。
なんか割と真面目な話っぽいので、少し背筋を伸ばした。
「嘘……?」
「詳しくは調査中だ。確かなのは、彼らは異物となり、この世界に戻ってくるということだけ」
「な、なるほど……」
イライラの次はクラクラしてきた。
荒唐無稽すぎて、夢じゃないかと思ってしまう。
凛夏のスカートをめくると、〇.二秒で平手が飛んできた。
「何すんのよっ!」
「イテテテ……夢じゃないか」
うーむ。昨日までのニート同然の日々もつまんねーけど、ここまで非日常ファンタジーになるのも困る。
「……ちょっと頭の整理がつかないんで、これだけ教えてください。俺は何をすればいいんすか?」
チャールズはもったいつけたように新しいタバコに火をつける。
いちいちカッコつけねーでいいから早く言ってほしいんですが。
「鈴木くん。君には稀能者として、異物の調査と討伐をお願いしたい」
「わかりました。やります。稀能者になれば就活もしなくてもいいし」
「何故だ?」
「だってNHJって国家公務委員ですよね?」
「まあ、確かにそうなのだが、厳密にはちょっと違う。君が所属するのはNHJではなく、NEETSだ」
「NEETS?」
「国防特別無償戦闘員。Nippon Economical Enemy Terminate Specialists――略してNEETS。そこに所属してもらいたい」
「何それカッコイイ! やります!」
即答しときました。
「それにしても、長い一日だったなあ」
帰り道、夕暮れの街にカラスの鳴き声が響く。
「信じられないことばっか起こったよね。凡ちゃんと再会するなんて思ってなかったし」
どうして凛夏が隣にいるんだろう。
てか、こいつ今どこに住んでるんだ? 家はこっちなのだろうか。
「でもさあ、凡ちゃん、昔はもうちょっと頼りになったよね?」
「何だと。今の俺は頼りにならねーってか?」
「ならないよ。落ち着きなくてチャールズさんの話とかも聞いてないし」
「あ? そりゃ昔から変わってねーよ。通知表にいつも書かれてたもんよ。『落ち着きない、我慢しない、勉強運動何もしない』って」
「何よそのラップ」
「ラップじゃねーっての! 通知表の通信欄だよ。中学でも書かれたぞ。『遠慮しない、常識ない、宿題掃除も何もしない』」
「だからどうしてラップなのよ! お母さんが気の毒」
「うちの母ちゃんはタフだからフツーに返信してたぞ。『みっともない、面目ない、ないないだらけできりがない』ってよ」
「はいはい、私が悪かったです。昔から落ち着きのない子だったのね」
「おまえも似たよーなもんだろ。優しくない、おっぱいない、美貌も気品も全くな……ふんぬばッ!」
凛夏の指先が頬をかすめた。
フフフ、何とか直撃は免れたぜ。
「……うわ、今の声キモ」
「ビンタするからだろーが! 本当におまえはダメだな。ダメダメ、失格! マイエンジェルを少しは見習え!」
目を閉じるだけで鮮やかに思い出せる。
麗しのマイエンジェル。
自然と頬が緩む。
「葵姫さん……って言ったっけ? あの人、ちょっと怖くない?」
凛夏が足を止めた。
眉をハの字にして、俺を見つめている。
「おりゃあ!」
俺は凛夏の頬を平手打ちした。
「痛っ! 何すんの!?」
「うるせー! 今日何度も俺をビンタしただろーが! 仕返しじゃ!」
「普通女の子にそんなことする!?」
「都合いい時だけ女ぶりやがって! 俺は男女平等なの」
「ぐぬぬぬ……!」
お、拳握ってやがる。
「何を怒ってんだよ。痛くねーように叩いたのに、そんな怒るなよ」
「違うわよっ!!」
「そんなに怒鳴ることねーだろ。唾が飛ぶっつーの!」
「ううううう……ばかっ!」
「おまえカルシウムが足りねーんじゃねーの? 美少女と会えてご機嫌な俺様が牛乳おごってやろうか?」
またビンタが来る!
すぐにかわせるように構えていたのに、ビンタは来なかった。
目に大粒の涙を浮かべながら凛夏は身体を震わせていた。
「せっかく会えたのに……もう知らない! 死んじゃえっ!」
凛夏は駆け出し、角を曲がっていった。
「――何だあいつ?」
子供の頃はあんな情緒不安定じゃなかったと思うんだけどな。
月日は人を変えるものだ。
……。
それにしても、急に静かになったな。
静かな通りで動いているのは、俺と、俺のつま先から伸びる長い影だけだ。
まあ、ここ数年こんなもんだよな。
人口が増加すれば「食糧がどうの~」とか言って問題になる。
異世界のせいで人口激減すれば「経済が~」「国力が~」とか言って問題になる。
そんなスケールのでっけえ話は俺には関係ねーどさ。
でも、単純に『人が少ない』って寂しいよな。
うん。
寂しいな。何だろう、この気持ち。
それから数日が過ぎた。
中央病院での異物襲撃事件は、新聞では『巨大トレーラーが病院に突っ込んだ』と報道されていた。
CGなのか知らんけど、トレーラーが炎上する写真つきだ。
政府は異物のことを公表していないのか。
まあ、当たり前っちゃ当たり前か。あんな化け物のニュース、俺も知らなかったし。
つーか、あれだけ派手な事件だったのに、目撃者もいなかったのか。
数年前なら、ヌイッターであっという間に拡散されただろうなあ。
何を今さらって感じだけど、やべーよな。
本当に日本って人が少なくなっちまったんだなー。
俺は相変わらず大学も行かずにアパートでゴロゴロしていた。
あ、ちなみに大家さんが異世界に行ったおかげで家賃はタダなんだよね。
去年『家賃はもう不要。近隣住人に迷惑かけないことだけ心がけてください』ってメモがポストに入ってたんだ。
カップラーメンや缶詰も管理人室いっぱいに遺してくれたから、メシ代もタダ。
いい人だったな。また会えたら礼を言いたいものだ。
それにしても、暇だ。
もう七月半ば。世の中がまともに動いてたら、もうすぐ夏休みなんだよな。
まー、俺は毎日夏休みみたいなもんだけど。
チャールズからも連絡がないし、あれは夢だったんじゃないかって思えてくる。
窓の外は快晴だ。
澄み切った青空に、でっかい入道雲が広がっている。
毎年、自然が戻っていくように感じる。
去年の夏はもう少しセミも少なかったし、代わりに車の排気音ももっと聴こえた気がする。
どうでもいっか。
エアコン効いた部屋から出たくないし。
ごろごろと寝返りを打ちながら、ネットを徘徊。
しかしすぐ飽きた。
「面白い記事はほとんど読み尽くしちまったもんなあ……個人ブログも今や絶滅危惧種だし。つまんねーの」
この間加入した組織、何だったっけ。
あー、あれだあれ。
……NEETS。
加入したはいいけど、あれから何もねーな。
会員証送るとか何とかねーのかな。
「あーーーーー! なんでもいいから暇を潰せる出来事、起きてくれ!」
思わず声に出してしまった。
自分でも想像以上にこの暇な状況が辛いらしい。
「どーせ何もやってねーだろーけど」
テレビをつけると、ニュースをやっていてどっかの観光地を紹介するコーナーに移ったところだった。
つーか、最近のテレビは旅番組だらけだ。
この三年で、日本は観光大国になりつつあるって話だけど、毎日こんな番組やられてもなあ。
高層ビルが立ち並ぶお台場ゴーストタウンは世界的に有名だっちゅーけど、そんなので有名になっても嬉しくねーよ。
「……はあ」
大きなため息をつく。
ため息をつくと幸せが逃げるっていうけど、ため息をつきたくなる瞬間って幸せが逃げた後のような気もするんだよな。
どっちでもいいけどさ。
鍾乳洞入り口の売店でリポーターが何かを紹介していた。
へえー、都内にこんなところあったんだ。
奥多摩のほうか。
ちょっと面白そうじゃん。
めんどいから行く気はねーけど。
っていうか、アニメやってねーかな。
今年はアニメも十本しか制作されねーんだよな。しかもほぼ海外の作品。
ふざけんなっての。
クールジャパンはどこいった。
チャンネルを変えようとした瞬間、何気なく目をやった画面に釘付けになった。
「葵姫さん!?」
リポーターの背後、ちょっぴりピンボケしていたけれど、あの青色の巫女装束……あんなコスプレみてーな服を着るのは彼女に間違いない!
画面には「LIVE」の文字。
「生だ! ってことは、マイエンジェルがあそこに!?」
会 う し か な い ! !
鍾乳洞の名前を確認して、俺は飛び出るように家を出た。