第八十二話 血塗られた縦穴
数百年前の空気をそのまま冷蔵保存したような冷たい空気が漂っていた。
懐中電灯をつけて進むとすぐに木製の大きな扉に行き当たった。
ピビーと俺でそれも開くと少し明るめの部屋に出た。
レンガ造りの壁にはアーチ状の窓がいくつもついていて、そこから差し込む光がぼんやりと室内の様子を浮かび上がらせた。
上部は吹き抜けになっていて、天井は体育館と同じくらいの高さがあった。さすがにバレーボールが引っかかってはいないけど。
「お化け屋敷っぽい感じっすね」
急に腕に体温を感じたので見ると、凛夏がしがみついて震えていた。
しかし、はっと気づいたように手を放してそっぽを向いてしまった。
「で、ここからどうするんでしたっけ?」
「ああ、この修道院の地下にはエリア5.1まで続くリニアモーターカーの駅が設置されているんだ。それを探すんだ」
「つまり地下室を探せばいいわけっすね」
ピビーに確認をとって前に進んだ。
結婚式で見かけるようなフロアだった。
椅子がいくつも並んでいて正面に神父のおっさんが立って「アーメン」とか言う感じの。
椅子の代わりに和式便器が並んでいるところが変わっているとは思ったが、まあカルトな一派だと考えれば特に不自然でもなかった。
「鈴木くん。和式便器があるぞ。ブヒャヒャヒャヒャ」
アメリカに来てから、めまぐるしい速度でチャールズの知能が低下しているように感じるが、無邪気な彼の姿はこのフロアにひどく似合っていた。
俺たちはバカを相手せず、手分けして地下室を探すことにした。
「俺はあっちを調べるんで、ピビーはその扉の奥。鎮鈴さんは凛夏を連れて向こうをお願いします」
「OK」
「わかったわ」
俺はこのフロアを丹念に調査しようと考えた。
クモの巣を払いながら進み、奥の説教台を調べる。
地下室とは言っても秘密の地下トンネルに続いているわけだ。
この修道院の建築当初から存在しているものではなく、近年に増築されたものに違いない。
そういうものはこういう怪しい場所に秘密のボタンがあるに違いない。
説教台にはホコリが積もっていた。
いや、積もっていたなんてレベルではない。
綿菓子といっても差し支えないレベルの分厚いホコリが台に乗っているのだ。
どんだけ長い間放置すればこんなことになるんだ。
さらにすごいのは、説教台の周囲にポコチンを模した燭台が設置されていたことだ。
これも何百年くらいは放置されていそうだ。
ウンモ星人の関与を疑ったが、ここまで古いとおそらくは違うだろう。
室内に何十も設置されている和式便器も同じようにクモの巣が張っている。
そんな何百年も前からこの地に和式便器があったことに驚かされる。
しかもT●TOって書いてあるし。
まあ、某便器メーカーとたまたま同名なだけだろう。
修道院に便器を並べる異常さと比べればこんなこと些細な問題だ。
よほどマニアックな邪教がこの建物を造ったのだろう。
滅びて良かった。
「鈴木くん! 鈴木くん!」
チャールズが必死に俺を呼んでいた。
「何すか?」
「ブリブリー」
便器にまたがって楽しそうに親指を立てている。
……イラッ。
ここ五年くらいで一番ムカついたかもしれないが、我慢した。
(説教台が違うとなると……)
目ぼしいのは、窓と、床の紋章か。
床に刻まれた紋章は窓の形状とそっくりだ。
よくあるパターンで考えるのなら、窓から入ってきた光がこの紋章と重なった時に隠し扉が現れる、ってやつかな。
窓の光は床を通り過ぎて反対側の壁に落ちている。
もう夕方で太陽が低いのだ。
この光が重なるのは明日まで待たないと難しそうだ。
しかし、いかにもそれっぽい仕掛けに気づいたのは俺の功績だろう。
「ダメだ、こちらにはなさそうだよ」
右の扉からピビーが引き返してきた。
「あっちはただの書庫だった。壁、戸棚にも仕掛けはなさそうだよ」
書庫……。
「特定の本を取り出すと床が動いて地下室が……みたいなパターンだったりして?」
「それはないね。本棚には『心理捜査官 草●葵』と『世紀末リーダー伝た●し!』の単行本があっただけだ。動かしてみたが何もなかった」
うーむ。
右の部屋は違うか。
「鈴木くん。こっちもダメ」
左の部屋から鎮鈴さんたちが戻ってきた。
「二段ベッドのバケモノみたいなやつ……十二段くらいあるベッドが置いてあるだけだったわ。他には何もない」
「なるほど……」
完全に基地外の館ってわけか。
「となると、やはり怪しいのはこの床の紋章だけっすね」
「……これは、何?」
「窓の形にそっくりじゃないすか? 多分太陽の光がここに差し込むと何かが動作するパターンだと思うんすけど」
「なーるほど。さすが鈴木くんね」
「問題は、今日はもう無理っぽいんすよ」
「角度から察するに、明日の午前中まで待つ必要がありそうだね」
「こんなホコリっぽいところに泊まりたくないっすよ」
「昨日の温泉まで戻るかい?」
「それもイヤっすね……」
「おーい、みんなー!」
チャールズに視線が集まった。
「ブリブリー」
相変わらず便器にまたがって下品な音を口ずさんでいる。
嬉しそうな顔を見ていたら、なんだか気の毒で胸が苦しくなってきた。
「今の推理があってるなら、ウンモ星人も午前中じゃないと出入りできないの?」
凛夏が首をかしげた。
放置された駅らしいから、出入りできなくても不便しないだろうが。
「凛夏ちゃんの言う通り、出入りが天気や時間に左右されるのは機能的じゃないね」
ピビーは無精ひげをさすりながら言った。
「ライトでいけるんじゃないの? 鈴木くん、外からあの窓を照らせない?」
鎮鈴さんは言い終える前に俺に懐中電灯を手渡した。
「え? 俺がやるんすか?」
「どうせ光センサーか何かでしょ。外から窓越しにこの紋章を照らしてみてよ」
「だからどうして俺が……」
外からと言われても、窓は高いところについている。
十メートルくらいの木に登って照らさないといけない。
つーか、懐中電灯と太陽光じゃ光量も違いすぎる。
「無理っすよ。工事現場のバルーンライトか何かがないと……」
それに、この紋章を照らすというアイデア自体当てずっぽうに近い。
朝まで待ったところで何も起こらなかったら悲惨だ。
(でも、光センサーか……)
この紋章に何かあるのかな。
しゃがみこんで、懐中電灯で紋章を照らした。
「うわっ!!?」
誰かの声が聞こえ、直後に何かが崩れる音がした。
「今の声は!?」
懐中電灯でみんなを順に照らす。
凛夏。
鎮鈴さん。
ピビー。
「全員無事か……」
「チャールズさんは?」
チャールズはあそこでブリブリやってんだろ。
ため息をついてチャールズを照ら――いない!?
さっきまでチャールズがいた場所には誰もいなかった。
彼がまたがっていた便器も。
そして床には二メートル四方くらいの穴が空いていた。
「秘密の入口ね。鈴木くん、やるじゃない。窓なんて関係なく、ただ紋章を照らせば良かったのよ」
「なんて誤作動しやすい秘密の入口なんだ」
穴を覗き込んでみる。
暗くて何も見えないが、かなり深そうだ。
チャールズはここに落ちたはずだが、落下の衝撃で死んでないだろうか。
「深さがわからないわね。どいて」
どこから持ってきたのか、鎮鈴さんはメロンくらいの大きさの石を両手で抱えて、穴に落とした。
落下した時の音で深さや、下のフロアの様子が少しはわかるはず。
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
五びょ……ボゴッ!
「ギャアーーーッ!!」
五秒弱経ったところで、暗闇の底から頭蓋骨を砕いたような音と悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「これで下の様子はわかったわね。深さは一〇〇メートル程度。チャールズは生きている。悲鳴の響き具合からしても、トンネル状の縦穴みたいね。ハシゴとかかかってない?」
なるほど。
懐中電灯の光を上下左右に泳がせて観察すると、確かに直径も二メートル程度の縦穴になっていた。
手前側――俺たちから死角になっていた側――の壁面にはハシゴが取り付けられている。
「よし、降りてみよう。チャールズが心配だからね」
ピビーが身体を下ろすとハシゴはギシギシと不吉な音を響かせた。
「待ってください、俺が最初に行きます」
「鈴木くんが?」
「俺が下り始めたらみんな続いてください。ハシゴがぶっ壊れても、一番下に俺がいれば最悪でも絶対時間で墜落死は避けられます」
「そうだね。じゃあ、僕は彼に続くよ。次は鎮鈴かな」
「何それ。あたしが凛夏ちゃんより重いってこと?」
「まあまあ、いいじゃないか」
「ええ……? でも私、一番最後まで残るの怖いかも……」
「じゃあ凛夏ちゃん先に行きなよ。あたしが最後でいいよ。軽いし」
懐中電灯を口にくわえた俺は、ハシゴを下り始めた。
すぐにピビーが続き、凛夏、鎮鈴さんと降りてきた。
(しまった! 二番目にしておけばパンツが見えたんじゃないか!)
一瞬激しい後悔が俺を襲ったが、どうせ暗くて見えそうにないし葵姫たんもいないので気にしないことにした。
入口の光が、暗黒空間に浮かぶ唯一の光に見える。
それが遠ざかるにつれて気温が下がっていくのがわかった。
結構降りたと思うけれど、底はまだだろうか。
口にくわえた懐中電灯はサビだらけのハシゴしか映していない。
たまにハシゴの裏を小さな虫がうごめいていたのが見えて、目を背けたくなる。
(光に誘われて俺の口に飛んでこねーだろうな)
細かいことを気にしながら降りていく。
懐中電灯の光がチャールズには見えているはずだ。
『鈴木くん、もう少しだ』なんて声をかけてくれればいいのだが、気が利かない彼は無言で俺たちを待っているようだ。
それとも地底で単独行動を始めたのだろうか。
ようやく底についた。
井戸の底のような狭いスペースだったらどうしよう。
閉所が嫌いな俺はそんなことを考えてしまったが、杞憂に終わった。
周囲が拓けてきたらしい。
さっきまではハシゴを降りる音がすぐ背中で反響して圧迫感を感じていたのだが、なくなったのだ。
ほっとした。
ほどなくして無事に地の底へ到着した。
まあ、修道院自体が丘の上にあったので現在地の標高も低くないのかもしれないけど。
ピビーが降りてきたのを確認してから、凛夏のスカートの中を懐中電灯で照らした。
「ぎゃー! やめてやめて!」
スカートを抑えようと片手を離した凛夏は、落ちた。
しかしピビーが抱きかかえたので特に問題なし。
鎮鈴さんのチャイナドレスの中を照らす。
「いやん」と鎮鈴さんは嬉しそうに言う。
ウィンウィンである。
「昨日から、何なの!」
凛夏のビンタが久々に俺を襲った。
「いてて。それよりチャールズは?」
全員降りたのを確認し、周囲に光を走らせた。
細長い空間だった。
奥行きは五十メートルくらいだが、左右にはその数倍の広さがありそうだった。
「なんだここ……」
「地下鉄みたいね」
それだ!
「凛夏の言う通りっすよ。これがアレっすよ。リニアモーターカーの駅っすよ」
「どうやらそのようだね」
ピビーはキオスク風の店舗跡地を発見した。
「使いもしないくせにキオスクを作ろうとしたのか……ウンモの考えることはわからねーっすね」
「ところでチャールズさんはどこに……?」
そうだった。
先にリニアモーターカーに乗ってしまったのだろうか。
ダイヤは?
いらないことを考えていると、凛夏が悲鳴を上げた。
「どうした?」
「ちゃ、チャールズさんが……」
彼女が指したのは、ハシゴの真下で倒れているチャールズの姿だった。
闇の中では保護色となる黒いスーツのままうつ伏せで倒れ、頭から大量の血を流していた。
「ちゃ、チャールズ!?」
「どいて!」
鎮鈴さんが脈を取る。
「……息をしていないわ!」
「えっ!?」
チャールズを殺した凶器だろうか。
近くには鮮血のこびりついた大きな石が物言わぬ証人のように転がっていた。




