第八十話 再会の血と薔薇
温泉からキャンプまではほとんど離れておらず、一分も歩けば充分に行き来できる。
それなのにピビーはいつまで経っても来なかった。
そしてあの銃声。
嫌な予感が頭をよぎる。
(まさか山頂にピビーの死体が転がってたりしねーだろうな)
ああ、足取りが重い。
悩む暇もろくにとれないまま、俺は山頂へ到着した。
そしてキャンプのある方向に視線を――って、おい!!
ピビーが宙に浮いていた。
いや、違う。
さっきまで目の保養を手伝ってくれた満月は雲に隠れ、あたりは夜闇に包まれていた。
焚き火に照らされかろうじてピビーの姿が確認できたのだが、彼の手前には大きな影が立ちふさがって光を遮っていた。
ピビーはその影に支えられるようにして浮いていたのだ。
(あんなところに岩なんてあったっけ?)
そう思ったのもつかの間、影が動いたような気がした。
(気のせいか……?)
距離をとったまま、まじまじとそれを観察していると、雲の切れ目から再び月が姿を現した。
淡い光がピビーをつかむそれをゆっくりと照らした。
それは、身の丈が四、五メートルほどもある巨大な人影だった。
月光に照らされまぶしく反射するハゲ頭。
筋骨隆々の身体。
ふんどし。
(巨人――!!)
ピビーの身体は巨人の右拳にすっぽりと収まっていた。
なんという大きさだろうか。
つーか、身長のわりに手がでっかくてアンバランスで不気味だ。
「ピビー!!」
俺の声に呼応したそれはこちらを振り向く。
「……とうとう見つけたぞ。クソガキが……!」
しゃ、喋った!
一瞬だけ驚いたものの、葉っぱ人間でさえ日本語を操る昨今。
巨人が人語を喋ったところで驚くほどのものでもあるまい。
「フン!」
巨人は右手を振り下ろしてピビーを地面にたたきつけた。
「アウチ!」
ピビーは地面を転がった。
『アウチ』とか口にできる程度の余裕はあるので心配はないだろうが、ダメージは大きそうだ。
「おい、木偶の坊! なんだテメーは!」
「あいかわらず口のへらないガキだ……!」
話がかみ合わない。
身体にばっか栄養がいって脳みそが発達していないのだろうか。
「オレはおまえを殺しにやってきた」
ポキポキと腕を鳴らしながらこちらに向かってやってくる。
しかもギャランドゥがボーボーで見た目的には最悪レベルだ。
せっかく今日は両手におっぱい的ないい気分にさせてもらったのに、チャールズのポコチンとこいつのせいで全て上書きされてしまった。
怒りがわいてきた。
これだけでかかったら素早さはないだろう。
今こそ葵姫たんに授けられた手刀の威力を試す時!
「とっとと来やがれ、チンポヤローが!」
「そうだ! おまえに復讐するためチ●ポを二本にしてもらったのだ」
本当に会話がかみ合わない。
マジでこいつはバカに違いない。
「誰もチ●ポの話なんかしてねー!!」
思い切り地面を蹴りつける。
先手必勝!
一気に間合いを詰めて、巨人を思い切り斬り……えっ!?
(で、でかすぎて攻撃が届かねー!)
俺の胸の高さはヤツの膝程度しかない。
手刀で腸ぶちまけさせてやろうと思ったのに。
一瞬の迷いが隙を生んでしまった。
「金田パーンチ!!」
俺の頭より大きな鉄拳が目の前に迫った。
直撃したら致命傷は免れないだろう。
しかし、絶対時間が発動したので余裕でかわすことができた。
問題はかわした後だった。
今までだったら絶対時間で攻撃をかわせば、反撃に転じる隙があった。
しかし、こいつの図体が大きすぎるせいで危機を脱しても俺はヤツの射程距離から抜け出せていなかったのだ。
「金田トーキックゥゥ!!」
丸太みたいな毛深い蹴りが迫る。
当然これもかわしたのだが、絶対時間の終了後も俺の身体は異様に広いヤツの間合いの中にあった。
「金田左パーンチ!」
後ろだ。後ろに飛んで距離をとらないと。
金田左パンチもなかなかの速度だったが、絶対時間がある限り俺には当たらない。
反撃のことも考えないといけないので、下がりすぎるわけにはいかない。
絶対時間が作り出すスローモーションの中で俺は反撃プランを考えた。
(ヤツの腕が伸びきったら、拳を叩き落してやる!)
ヤツの拳の先端から手首まででも五〇センチはある。
手首から切り落とすには下がりすぎるわけにはいかない。
だから安全マージンを五センチ程度だけ残して俺は下がった。
周囲の時間の流れが元に戻った。
目前で止まった拳の風圧が俺の前髪を持ち上げた。
すごい威力ですこと。
「――痛ッッ!!」
ボクサーにぶん殴られたような強烈な衝撃を受けて、俺は吹っ飛んだ。
地面の硬さを背中で受け止める。
歩くだけでは気にならないような小さな起伏までが剣山のような威力で俺を迎え入れた。
「い、いてえ……!」
あまりの痛さで起き上がれない。鼻が熱い。
ドクドクと流れ出る熱い液体が、頬を伝い落ちて襟に水溜まりを作った。
鼻に手をやった指先にぐにゃりとした感触が伝わる。
(折られた……!?)
「グハハハハハ! 金田デコピンの恐ろしさを思い知ったかーッ!!」
かわしきった拳の先端から発射された中指が俺の鼻面を直撃したようだ。
マージンを読み違えていた……もっと下がっておくべきだったのだ。
そうすれば手首までとは言わなくとも、ヤツの拳の半分は叩き落せたに違いない。
ズキン、ズキンと痛みのリズムが心臓の鼓動にあわせて身体に響く。
致命傷ではないから絶対時間は発動しなかったのだろう。
だけどこの痛さは反則だ。
「さて、鈴木よ。おまえに聞きたいことがある」
こんな化け物に呼び捨てにされるなんて、屈辱だ。
今まで俺を襲ってきた敵はここまで明確に『鈴木凡太』個人を狙ってきたことはなかった。
それだけに、今回の敵は気味が悪かった。
「オレのペットの葉っぱ人間をどこにやった?」
ああ、やっぱ葉っぱ人間はウンモに派遣されてたのね。
チャールズのヤツ……俺たちの居場所、敵にバレバレじゃねえか……。
「……死んだよ」
寝転がって鼻を押さえたままぶっきらぼうに答えてやった。
絶対時間がある限りそう簡単には殺されることはない。
どうやってこいつをやっつけるか考えないと。
「し、死んじゃったの!?」
「ああ、死んだ。俺たちが倒したんだ」
「うおおおおおおおおおん!!」
おたけびかと思ったら、そうではなかった。
泣き声だったらしい。
「さびしいよおおおお!!!」
そうきたか。
でもこれで逆上してヤツの攻撃力が上がれば、それだけ絶対時間が確実に発動しやすくなるだけだ。
デコピンみたいな中途半端な攻撃が一番痛い。
「鈴木。おまえはいつもそうだ! オレの大切なもの、全部壊す!」
「つーかあんた、俺の知り合いみたいな口ぶりだな……」
ギン!!
彫りの深い顔が怒りの形相にかわった。
剣の切っ先のように鋭い視線を向けられ、背筋に冷たいものが走った。
「オレを忘れたのかァァ!!!!」
巨人は怒号とともに脚を振り上げた。
やばい!
絶対時間が時間を遅らせる。
巨大で薄汚い足の裏が迫ってきた。
何度か身体をよじってそれをかわした。
さっきまで俺の倒れていた場所に土煙が上がった。
巨人の足は一メートル近く陥没していた。
(おー、怖っ)
しかし、こいつの声どこかで聞いたことがあるような……。
「十年間、オレはおまえを殺すことだけを夢見ていたァ!」
巨人は駄々をこねる子どものように叫びながら、地団太を踏んだ。
そのたびに工事現場みたいな轟音を立てて地面に穴が増えていく。
(しめた……これだけ大きな音がすれば、鎮鈴さんが気づいてくれるはずだ)
彼女ならこいつを倒す方法が思いつくかもしれない。
俺は攻撃をかわしながらヤツを挑発することにした。
「ちょっと待てよ、俺はあんたのことなんて覚えてねーんだけど」
「アアアアアアアア!!! ふざけるなァァァァ!!!」
「あんたみたいなツルッパゲ、見たことあったら絶対覚えてるって!」
「オレはハゲじゃねえええええ!!!!」
まるで茹蛸みたいに顔を真っ赤にさせ、ヒートアップしていく。
いい感じだ。
(鎮鈴さん、早く来てくれ!)
しかし鎮鈴さんは来なかった。
「オレの十年を返せエエエェェェ!!!」
「いいじゃん十年くれー」
「オレの青春んんん!!!」
「ていうかいい加減あんたが誰なのか教えてくれよ」
「アジャパアアアアア!!」
「いい加減にしてくれ」
何分経っただろうか。
ひとしきり山頂に穴を空けたところで、巨人はぜえぜえと肩で息していた。
横になったまま右に左に転がって攻撃をかわした俺も正直疲れた。
「疲れたから休んでいい?」
俺の返事も聞かずに巨人は地面にあぐらをかいた。
「なあ、おっさんよ。すまねーけど俺はあんたのことを知らないんだよ。十年前に何かあったっけ?」
「ピギャアアアアア!!!」
巨人は仰向けになって手足をばたつかせた。
(やばいな……こいつ本格的なバカだ。危険だ)
でも、今がチャンスかもしれない。
鼻は痛むけどあとでピビーに治してもらえばいい。
痛みをこらえながら立ち上がった。
巨人にはまだ気づかれていない。
ヤツが横になっている今なら首を落とすチャンスなのだが、あまりにひどい暴れっぷりに近づくことができそうにない。
(ちょっと面倒だけど絶対時間でかわしながら行くしかねーか)
視界に入らないように、足の裏のほうから巨人に近づく。
バタ足の横を通り抜ける時に何度か絶対時間が発動した。
身をかがめたり、身体をよじったりして接触をまぬがれ、ヤツのわき腹までたどり着いた。
(いくぞ!)
ジャンプして腹に飛び乗った。
「鈴木!? しまった!!」
「くらえ!!!!」
袈裟懸けの要領で、ヤツの左肩から右腰までを手刀で斬った。
(これで真っ二つ!)
と思ったが、筋肉の表面を切ったに過ぎず、胴体は切り離せなかった。
「イデエエエエエエ!!!」
巨人は腹をかばって立ち上がる。
「危ねえっ!」
振り落とされないよう絶対時間を利用してヤツの身体を駆け上った。
(葵姫たんの能力を丸々コピーできたわけじゃねーらしいな。切れ味は劣っても、頚動脈を切れば……!)
ヤツは俺を落とそうと手足をばたつかせながら全身を振り回した。
どれも即死級の攻撃なのだろう。それが幸いして絶対時間が確実に発動する。
巨大なギターを早弾きするようにヤツの身体のあちこちに捕まりながら隙をうかがい、そして最高のタイミングと角度で手刀をお見舞いした。
太い首に一筋の線が走る。
そしてそこから噴き出した鮮血が糸のように宙を舞った。
攻撃後に猛烈な勢いで振り落とされた俺は、絶対時間を活用して地面を蹴って、ノーダメージで着地に成功した。
顔を上げると巨人は両膝を地面に突いていた。
上半身は自身の出血で真っ赤に染まっている。
やった!
「鈴木ぃぃい。いでええよおお」
まだ絶命しないとは、とんでもないタフさである。
しかしちょっとだけ心の中に安堵の気持ちが存在している自分に気づいた。
今までの化け物とは違い、俺の名前を知っていて人間らしい感情を見せるこいつを殺してしまったら後味が悪いからかもしれない。
「うう……鈴木くん、大丈夫か」
ピビーがふらつきながら歩いてきた。
「鼻が潰されたっす……あとで治してください」
「ああ、わかった。手ごわいヤツだったな……こいつは君のことを知っていたようだが」
「それが俺にも心当たりはないんすよ」
「そりゃねえだろ鈴木イイイィィィィ! いでええよおおお!!」
患部を押さえて苦しそうにのた打ち回る。
「異物なら既に活動を停止して消えているはずだ。こいつは異物じゃない」
「えっ、どういうことっすか」
「彼を助けてやってもいいかい?」
何を言ってるんだ、ピビーは。
即座に反対しようと思ったけど、苦しみもだえる巨人を見ていたらそんな気持ちは薄れていってしまった。
「わかりました。先に俺を治してくださいよ」
「ははは、わかったよ」
「すまんこってすだべ。オレのようなバカを治してくださって……」
巨人は正座して頭を下げた。
さっきまでの荒々しさが嘘のようにおとなしくなっている。
「礼はピビーに言ってくれよ。っていうかあんた、マジで誰なの?」
「……本当に覚えてねえんだべか?」
「すまんが覚えてない。十年前つったら俺は小学生だぜ? 人違いじゃねーの?」
「人違いじゃねーだべよ。オレは、あんたん家の近くに済んでた金田玉男だべ」
金田玉男?
「知らん」
「そりゃねーべよ! オレはあんたのおかげでブタ箱入りになっちまったってのに」
「なんで小学生の俺があんたをブタ箱に送れるんだよ……ん?」
俺の脳内に電気が走った。
これは……この感じは。
「思い出してもらえねーと悲しいだべ」
「ちょっと待ってくれ。ここまで思い出してるんだが……」
「覚えてねーべが? 変わり者だったし目立ったはずだべよ」
「鈴木くん。君のせいで逮捕されたと言っているし、何か心当たりでも思い出せないか?」
「うーん……俺のせいで逮捕された大人って十人以上いるからちょっとわからないっすね……」
「金田さん、何か彼の記憶を呼び覚ませそうな情報はありませんか?」
「そうだべなあ……オレはロボトミー手術を受けて有名になったべ」
「それはとっくに禁止された治療法では?」
「ロボットになれると勘違いして、マッドサイエンティストにやってもらったんだべ。あっこからオレの人生狂っちまっただ」
「ロボトミーか……そういやうちの町内にそんなヤツがいたような――はっ!!?」
俺の脳のシナプスに稲妻に似た衝撃が走った。
「思い出したべか!?」
「あ、あんた、キンボールじゃないっすか!?」
「オオオオオ!!!!!!」
巨人が吠えた。
「そうだべ!! オレはキンボールだべよ!!!」
「キンボールだったんすか!!! 十年ぶりじゃないっすか!!」
「嬉しいっぺ!! 本当に嬉しいっぺよ!!!」
「いやー、キンボールならキンボールと最初から言ってくださいよ。そうすればわかったのに」
「不甲斐ねえべ。おまえに復讐するために、ついつい忘れてたべよ」
「巨人の知り合いはいないのでわからなかったっすわ」
「ウンモ星人に頼んで、念願の半分サイボーグ化と二本槍になれたっぺよ」
「なるほど。半分サイボーグだからすぐに死ななかったんですね」
ピビーは納得したようにうなずいている。
「そういうことだっぺよ」
まさか巨人の正体がキンボールだったとは。
キンボールは近所の変質者で、幼い頃に散々からかったものだった。
逮捕されたのは聞いてたけどまさかこうやって復讐しに来るなんて……。
旧友とは良いものだ。
「で、俺に復讐しなくていいんすか?」
「もういいべ。揚げたてポテトももらったし、命も救ってもらったし。本部には『このエリアは以上なし』と伝えておくんで、安心してキャンプするといいべよ」
「そうでしたか。助かります」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。揚げたてポテト、キンボールに食われちゃったの?」
「ピビーさんを責めねーでやってくだせえ。オレが勝手に食ったんだべ」
なんてことだ……戦って腹ペコなのに、食糧が……。
「そういうことで、オレはそろそろお暇するべよ。クソしてーし。あんたらも明日早いだべ?」
「お気遣いありがとうございます。金田さんもお気をつけて」
「それじゃ、さらばだべ」
キンボールはぺこりと頭を下げて、山を下っていってしまった。
残された俺とピビーは静まり返った焚き火の前で顔をあわせた。
「……ポテト、一本もないんすか?」
「なくなってしまったね」
「マジかよ……」
「でも安心していいよ。まだ他に食糧はあるから。すぐに調理するから、二人を呼んでおいで」
そうだ。二人はまだ戻ってこない。
(蘇ったチャールズに襲われてるんじゃないだろうな)
とぼとぼと斜面を下っていくと、温泉が見えてきた。
「鎮鈴さーん! リンポコー!」
返事はなかった。
おかしいな。
すれ違ったか。山頂へ登れる別ルートがあるのかな。
念のため温泉の脇を過ぎようとすると、岩場の影で二人の姿が目に入った。
「ピビーが夜食作ってるんで、チャールズが来る前に食いません?」
声をかけて気づいたが、二人はお湯に漬かりながら気持ちよさそうに眠っていた。
「……」
俺があんなに苦労したのに、どうしてこいつら寝てるんだよ!!
馬車から出ずに経験値だけ持っていくトルネコみてーな真似しやがって!!!!
今日はムカついてばかりだ。
この日をムカつき記念日として、今日の屈辱は忘れないことにした。
今回登場したキンボールは五十六話の回想シーンにも登場します。
お暇な方はご覧になってください。




