第八話 叩き割れ! 情熱のファイアーパムチ!
「鈴木くんを頼む」
「わかりました」
チャールズはドクトルを伴って部屋を飛び出した。
(何だよ……何が起こってるんだよ?)
不安と緊張を感じつつも、俺の中の厨二要素が滾るのを感じる。
「ここでじっとしていれば安心よ」
ビグザム婦長が背後から俺を優しく抱きかかえた。
香水のいい匂いがするあたりが正直気持ち悪い。
(マジかよ……女なら誰でもいいわけじゃねーぞ)
信頼と安らぎを感じつつも、俺の中の面食い要素が彼女を明確に拒絶しており、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
「あのー、ちょっと色々と確認してもいいすかね?」
「いいわよ。聞きたいことはたくさんあるでしょうから」
「チャールズがNHJ――日本秘密情報部という機関の工作員っていうのは本当なんすよね?」
「本当よ。公表はされてないけど、実在する組織よ。大佐というのはあだ名で、役職じゃないわ」
「で、マイエンジェルもそのメンバー。ビグザムさんとあのハゲも」
「そうね」
「なるほど。じゃあ、あのでっけえウナギは何すか?」
「……私たちは異物と呼んでいる。異世界からやってきた化け物よ」
「どうして病院に現れたんすか?」
「それはわからない。ただ、異物が現れる場所はチャールズの稀能で予測できるの」
「はあ……。何かよーわからんすけど、稀能ってのは厨二的な能力のことって認識で間違いないすか?」
「間違いないわ」
「で、俺にも稀能が備わっている、と」
「そう。致命傷を受ける寸前に周囲の時間を遅らせる能力、絶対時間が、ね。レアなのよ、それは」
「なるほ……わっ!?」
一瞬病院が宙に浮いたかと思うほどの強い衝撃を感じたあと、グラグラと部屋が揺さぶられた。
ガラスの灰皿がテーブル上を滑り落ち、シャンデリラは陸上部のポニーテールのように、右へ左へと揺れ動く。
「じ、地震か!?」
「……いえ、違うわ。離れないで」
婦長は腰を落とし、険しい表情で注意深く周囲を観察している。
その姿があまりにおかしかったのでつい笑いが漏れてしまった。
「ぷっ」
「静かに……! 何かおかしいことでもあった……?」
「いえ……」
シリアスな顔とヒソヒソ声のアンバランスさがまた面白い。
笑ってはいけないシチュエーションになると吹き出しそうになるのは俺の悪い癖だ。
そういえば中学の頃「保健室で休んでいた教頭先生にブラを着せたのは誰だ!」と犯人探しの全校集会が行われた。
俺は全然関係なかったのに絵面を想像したら面白く、ついつい大爆笑してしまった。
「鈴木! お前が犯人か!」と取り押さえられ、冤罪だと必死に主張するも俺は処罰された。
あまりに頭に来たので、俺の処罰に関わった教師どもの飲み物に睡眠薬を混入し、全員にブラを装着した状態で校門前で並べたことがあった。
ヌイッターで話題になりマスコミが取材に来る大騒ぎとなったが、やはり全校集会で爆笑した俺は犯人にされてしまった。
世間は笑い上戸に厳しい。
笑いを堪えプルプルしながら身を潜める。
時折衝撃音とともに床が揺れる。
な、なんだよ、おい。
大怪獣でも攻めてきてるんか?
朝からどーなってんだ、おい。
いつからこの街はパニック映画の舞台になっちまったんだ。
プゥ~。
間の抜けた音が響く。
「ブァーーーッハッハッハ!」
その瞬間、緊張の糸が切れ、耐え切れず俺の口から爆発的な笑い声が飛び出した。
「コラッ! し、静かにしなさい!」
「ファーッハッハ! だって婦長さん屁ェこいたっしょ?」
「こいてないわよ!」
原哲夫デザインみたいな顔したおばちゃんがそんな照れ顔するのは反則だろ!
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャーーッ!!」
「静かになさいっ!」
とその時、勢い良く扉が開き、反対側の壁に叩きつけられて砕けた。
な、なんだぁ?
そこにいたのは、巨大なサル、ってかゴリラだった。
天井につきそうなくれーでかいんだけど、ゴリラってこんなにでかかったっけ?
「離れてなさい、鈴木くん」
俺の前に立って、婦長は指をバキバキ鳴らした。
「私が相手よ、エテ公……」
部屋に入ろうとしたゴリラは、ドア枠に頭をぶつけた。
一瞬の隙をついて間合いを詰めた婦長。
「あちょォォォォォォ!」
ドドドドドドドド……。
目にも留まらぬスピードで交互に両腕をゴリラにぶち込んでいく婦長。
胸、腹、腹、鳩尾、腹、金、腹、顎……!
まるで筋肉のマシンガンだ。
「アパッ、アパッ、アパッ、アパッ、アパッ、アフッ、アパッ、アッパァァッ!」
婦長のリズムで鳴き声をあげるゴリラ。
自分より一回り巨大な怪物を吹っ飛ばした婦長。
――カッケェ!!
スーパーヒーローみてーだ。
やべー、やっぱこの人最高だわ。
婦長になら抱かれてもいい――わけはないな、うん。顔が無理。
「お疲れ様でございます」
肩で息する婦長に労いの言葉をかける。
「いや……まだよ」
ゆら~っと立ち上がるゴリラ。
「ウホホ……」
「タマタマを狙うっす! あいつタマタマ打った時だけ痛そうだったっすよ!」
「わかってるわ……!」
ファイティングポーズを構え、ゴリラの出方を見る婦長。
俺も何か攻撃しなくては……むっ、あれは。
棚に並べられた酒のボトルに注目した。
スピリタス!
うちの大学のヤリサー『ウルトラフリー』のクソどもが女の子を酔わせるために使ってた酒じゃねーか。
あいつら全員異世界に逃げちまったけど、逮捕状が出てたはずだ。
つまり、犯罪に直結するくらい強い酒ってことだ。
あれさえあれば……。
睨みあう二人に気づかれないよう棚まで近づき、スピリタスの瓶を手に取る。
よしっ!
婦長が攻撃に移ろうとした瞬間「婦長!」と叫び、瓶をぶん投げた。
「えっ?」
婦長の腕に当たって割れる瓶。
「今だ!」
すかさず火のついたジッポを投げつける。
ボワッ!
婦長の腕は炎に包まれ、
「熱ぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!」
奇声を上げながら猛スピードで両拳を繰り出す。
「婦長のファイアーパムチをくらいやがれ!」
俺は指を鳴らした。
炎をまとった太い腕が、ゴリラの身体に叩き込まれていく。
胸、腹、金、鳩尾、金、金、腹、顎……!
「アパッ、アパッ、アフッ、アパッ、アフッ、アフッ、アパッ、アッパァァッ!」
巨体が宙に舞う。
テレビスタンドを粉々に破壊し倒れるゴリラ。
「フグゥ……リ」
しばらくの間ヤツは体毛に燃え移った炎に身を焼かれながらピクピクと痙攣していたが、やがて大量の血液を吐き出し絶命した。
「やったぜ! ……ていうか、火を消さねーと。婦長、水道はどこ……ぶわっ!?」
視界が真っ白に包まれ、シュゴオオという音だけが鳴り響く。
やがて視界が回復すると、消火器を手に凛夏が立っていた。
「警報鳴るから火事かと思ったら……あんた何やってるのよ!?」
「鈴木くん……今度からは人の腕をファイヤーパンチに使わないように」
婦長の額がピクピクと震えている。
怒ってらっしゃる。
「あ、あのお言葉ですが……ファイ『ヤ』ーパ『ン』チではなく、ファイ『ア』ーパ『ム』チです。某『なんちゃらエムブレム』みたいな要領でお呼びください」
イテッ!
「もー! わけわからないこと言ってる場合じゃないわよ! 婦長、火傷しちゃったんだからね! ちゃんと謝りなさいよ」
「……申し訳ございませんでした」
二人とも怖い顔してるので額を地面につけて土下座しといた。
せっかく俺がバフをかけてやったのに。
やはりPUNCHでパムチとは読まないのか……。
「それより、異物を見なさい」
婦長にうながせてテレビのほうに目をやると、驚くような光景が広がっていた。
身の丈三メートルはあったであろうゴリラの姿は消滅しており、代わりに十数人の男女が倒れていた。裸で。
「な、なんじゃこりゃ!?」
「それが異物の正体よ」
「ほ、本物の人間っすか? 連れて帰ってもいいっすか?」
「言い訳ないでしょ!」
「おまえにゃ聞いてねーよ。婦長に聞いてるんだっつの! あの、カーテンの下あたりに倒れてるポニーテールの子、もらってもいいすか?」
「ダメです」
うわ……やっぱ怒ってらっしゃる?
さっきから俺に冷たいな。そんなにファイアーパムチが熱かったのかな?
でも、あたいこんなことでめげない!
「お願いします! じゃあ、そこのお尻をこっちに向けてる子で我慢しますから!」」
「ダメです!」
「やです! 俺だって最大の譲歩してるんです! まだ顔を確認してないんですよ……あぶッ!?」
凛夏のハイキックが顎にクリーンヒット。
俺はよろめいて倒れてしまった。
あいつ……運動神経悪かったはずなのに……ハイキックとは。
「葉月ちゃん、彼らにはこれを被せてあげて」
「はい」
婦長は乱暴に引きちぎったカーテンを凛夏に渡した。
「息はあるから、顔に被せちゃダメよ」
「はいっ」
テキパキと働いてやがる。
一方で脳震盪を起こしたのか、ぐわんぐわんと揺れる風景を見ながら横たわっている俺を構ってくれる気配はない。
「……はい。こちらにも一体現れましたが、始末しました。救出できたのは十六人程度です。救護班の出動要請を願います。はい、承知致しました」
婦長は誰と電話してるんだろう。
「鈴木くん、葉月ちゃん。ここは私が面倒見るから、C病棟の屋上へ向かって。そこにチャールズがいるわ」
「C病棟?」
「隣の棟よ。私はわかるから、行こ?」
「あ、ああ」
なんだかよくわからないまま、凛夏に手を引かれて隣の棟へ向かった。
C病棟に入るなり驚いたのは、大量のスタッフで混雑していたことだ。
どこにいたんだ? こんなにたくさんの人が。
これだけ広い病院なのに、あまりにも人がいないことに驚いていたのに……。
異世界ブームで患者さんもほとんどいなくなったと思ってたんだけど。
「エレベーターはダメね。どれもいっぱいみたい。非常階段はこっち」
「はあ」
非常階段でも時々白衣のスタッフがどこかに電話している姿を見かける。
……ってか、何階まであるんだ。
運動不足の足にはもう限界ですわい……。
「おい、リンポコ……ちょっとタンマ。休ませてちょんまげ」
「何言ってんの? 体力なさすぎじゃない?」
「うるせーなー」
「あと二階で屋上だから、早く」
「先行け、先」
「だーめ」
クソッ。休みつつパンツを見上げる作戦がパーだ。
屋上に出る。
……ここもスタッフだらけじゃねーか。
「どいてください!」
「はあ、さーせん」
ストレッチャーに載せられた人が運ばれてく。
すぐにピンと来た。
ウナギが死んだ後、たくさんの裸がいた。
ゴリラもそう。
ここでも何か化け物が倒されて裸になったんだ!
「うひょひょひょひょ……ぐえっ」
何度目だ、首を引っ張られてコケるのは。
「凡ちゃん!? 変態なのは仕方ないけど、緊急事態くらいしっかりしてよ!」
「その必要はない!」
背後から声がした。
「言ったはずだ。ダメなパワーが稀能者としての素質になるのだと」
「チャールズさん」
「彼のダメなところはそのままにしておいてくれないか」
「で、でも……」
「なんかひっかかるけど、チャールズもこう言ってんだからよ。ちょっと倒れている人たちの視察をさせてもらいますわ」
「それはいかん」
「なんでだよ」
「君のようなクズに生の女体など一万年と二千年早いわ」
「ひどい言われようっすね……あっ!」
あそこにいるのは、マイエンジェル!
「おーいおーい!」
……返事しない。だろうと思ったけどな。
むしろその冷たさにゾクゾクしてきたわ。
この俺に新たな悦びを与えてくれるなんて、さすがマイエンジェルだ。
後姿も美しい。うんうん。
「どこ見てんの?」
「……別に」
ったく。何でこいつ一日中ピリピリしてるかなあ。
久しぶりに会ったらもっと優しくするのが普通だよな。
「チャールズさん。私たち、ビグザム婦長に言われてここに来たんですが」
「ああ。この状態を見て、何を思う?」
「何って――?」
屋上の広さは百メートル四方ってところか。
あちこちが無残に破壊されている。
あれは給水塔、かな……あっちは何だ。電気設備?
「……すっげーな、どうしたらこんなにぶっ壊れるんだ? ていうか、向こう崩れてね?」
マイエンジェルが立っている辺りは床ごと崩れ落ちている。
まるで大巨人がスプーンで掬ったかのように、ビルがえぐれていた。
そして、あちこちにスタッフが走り回っている。
何十人もいるよな。エレベーターで運ばれていた人もカウントすれば、数百人単位だろうか。
「ひょっとして、これ全部あの化け物が……?」
「ああ」
「あの人たちは? スタッフみたいな」
「救護班だ。救護対象が数百人単位に及んでいるので警察も手伝ってくれている」
「す、数百人の裸のお姉ちゃんが!?」
「男の人もいたでしょ。あんた目悪いの? それとも頭?」
ほんといちいちうるせーな、この女は。
「鈴木くん。これが我々、稀能者の仕事だ」
『我々』って思い切り俺も含まれてそうな言い方だな。
まあいっか。マイエンジェルと一緒なら。
つーかNHJとやらに所属したら、来年就活しなくていいんじゃねーの?
オッシャー!
心の中でガッツポーズ。これで田中たちを見返せるぞ!
……あ、でもあいつら異世界に行っちまったから自慢できねーか。ちくしょう。
「わかりました。NHJに就職します。あそこの青い彼女と同じ部署にしてください。土日は出勤しません。有休は全部使います」
「そういうことを言いたいんじゃない。この国を、救ってみたいと思わんか?」
うーん。
「どちらかと言うと私を救ってもらいたい感じなんですが。大学生とは言っても実質ニートっすよ? 俺。趣味はエロ。特技は自己発電」
不快感を露にして凛夏が後ずさった。
「……裸を見たくないかね?」
ピクッ。
「裸と言われても……男はノーサンキューっすよ?」
「女性の裸だ」
「ビグザム婦長みたいな必殺技がレバー回転系のキャラもダメっすよ?」
「わかってる。君好みのJKから人妻まで揃えられるだろう」
「なるほど。JCは?」
「……やむを得ん」
「ほほう。詳しくお伺いしましょう」
チャールズは懐からタバコを取り出し、火をつけた。
「倒した異物は人間に姿を変える。それはわかったかな?」
「しかも裸。誰なんすか?」
「……」
チャールズはタバコを深く吸い、ゆっくりと煙を吐き出した。
こういうもったいつけ方、イライラするなー。
「……あれは、異世界に飛ばされた人間たちの成れの果てなのだ」