第七十五話 死のロングウォーク
翌日も晴天に恵まれた。
早朝の冷え込みの中、寝ぼけ半分で川に下りて冷たい水で顔を洗う。
一日の始まりは、完全にキャンプ気分だ。
昨日の残りの食材で腹を満たしてから、俺たちは出発した。
朝もやで霞んだ深い渓谷を車は進んでいく。
途中で一号車がパンクするトラブルを乗り越えながらも、誰ともすれ違わないまま数時間が過ぎた。
俺はソファで横になったまま運転席のピビーと話していた。
というか、バイト先や学校で起こった出来事を俺が一方的に話してただけなんだけど。
「……で、その客がおばあさんを突き飛ばしてレジにならんだんです。頭に来たからおばあさんを助けてからそいつにカンチョーしてやったんすよ」
「はははは。それは痛快だね。それでどうなったんだい?」
「ふざけたことにそいつ、店長にクレーム電話入れてきたんすよ」
「店長に怒られちゃったわけだ」
「メッチャ怒られましたよ。んで、その客が家まで謝罪に来いって言うんすよね」
「家を教えてくれたの?」
「そうそう。バカなヤツだと思いましたよ。自ら身元を明かすなんて」
「それで、君は謝りに行ったのかな?」
「行きましたよ。店長と二人でそいつん家に上がって、正座させられました」
「へえ、ちょっと意外だな。君にはそこで戦う反骨精神がありそうだけれど」
よくぞ聞いてくれました。
「もちろんやってやりましたよ! お菓子の箱にお札そっくりのメモ帳をたっぷり詰めて持ってったんです。で、『お詫びです』と言って渡したんすよ」
「なるほど。相手はそこで開けたの?」
「開けてスゲー嬉しそうな顔してましたよ。そん時俺は畳で土下座してたんすけど、相手の警戒が緩んだ瞬間にカナヅチで玉袋を殴打してやりましたよ」
「ワーオ!」
「あれはすごかったですね。すげえ叫び声をあげてぶっ倒れましたよ」
「やるねえ。店長さんは真っ青だったんじゃない?」
「いえ、店長も追撃してましたよ。相手のケツにチャッカマンをぶっ刺して着火してました」
「ファンタスティック!」
ピビーは指笛を吹いた。
「で、そいつチャッカマンが刺さったまま屁をこいたもんで屁に引火して爆発したんすよ。そいつん家の二階は屋根がなくなってましたね」
「ははははは」
「『お客様は神様』って言葉があるんすけど、サービスと代金でイーブンな取引じゃないすか。なのに勘違いして調子こくからそういう目に遭うんすよね」
「あははは。しかし店長さんもなかなかやるね」
「店長もその爆破事件で逮捕されちゃったんすけどね。『ムカつく客にはその場で復讐せず、相手の身元を調べてから殺れ』って言い残してました」
「サムライだね」
「そうなんすよ。俺も店長みたいな男になりたいっすね。逮捕されない程度に」
「鈴木くんなら、なれるよ。この戦いが終わったらカリスマ店員になれるよう祈ってるよ」
「どちらかというとバイトより単位のほう頑張らないといけないんすけどね」
「はは。間違いないね」
鎮鈴さんが寝室からずっと出てこないので、気を遣ってピビーの相手をしていたつもりだったけど、ピビーは気さくで聞き上手だし意外と気があうのかもしれない。
最初はいけ好かない野郎だと思ってたけれど、なかなかいいヤツじゃないか。肉を焼いてくれたしね。
今日は楽でいいなあ。
ソファに寝っ転がってるだけでどんどん進むし。
変なバトルも発生しないし。
「店長といえば、こんな武勇伝があるんすよ。店の中でタバコを吸ってた客に消火器で――」
運転席で無線が鳴った。
「すまない、鈴木くん。その話はまた後で……はい、こちら一号車。どうぞー」
『こちら二号車。予定通り車はここまでだ。なるべく北側で駐車できそうな場所に停めてほしい。どうぞ』
「一号車了解。どうぞー」
『おちんぽジュッポジュッポ。どうぞー』
「GPSと照らし合わせると…………あそこか」
チャールズの意味わからん発言をスルーしながらピビーはごにょごにょと独り言を言った。
「鈴木くん、揺れるぞ」
返事をする間もなくエンジンがうなり、車体がぐいっと押し出された。
「うおっ」
ジェットコースターの上りみたいな感覚だ。
カーテンをめくると、外には沼のような風景が広がっていた。
ぬかるんでいるのかタイヤは地面に噛まず、空転しながらじりじりと坂を上っていく。
エンジンがウンウンと悲鳴を上げていた。
「よっと」
ひっくり返らないかドキドキしていたが、小さな丘をなんとか上りきったところで車は停まった。
後ろの二号車もそれに続いた。
「じゃあ、鎮鈴を起こしてくれないか」
「了解っす」
車を降りた途端、ブニョッとした感覚が靴越しに伝わってきた。
足元は泥だらけのぬかるみだった。
「うわっ、汚え」
周囲は一面の沼だった。
よどんだ水には水草がびっしりと生えている。
湿地帯というやつか。
山奥の工事現場に大雨が降ったらこんな感じかもしれない。
空気こそうまいものの、ちょっと辛気臭い場所だった。
「ご苦労だった。車は置いて、ここからは徒歩だ」
チャールズの発言にびっくり。
「ってことは、修道院に着いたんすね?」
きょろきょろと見回してみるものの、沼と空と山だけで、修道院らしきものはない。
「いや、目的地はあの山にある」
そう言ってチャールズが指差したのは、地平の彼方にかすんで見える赤みのかかった山だった。
「ノーサンキュー」
俺は即答した。
馬鹿げてる。
「どう見ても数十キロ以上あるじゃないっすか。車で行きましょう、車で」
「そうもいかん。ここから先は車では通れないルートしかないんだ」
「なんでそんなところに修道院があるんすか」
「だから潰れたんだと言ってるだろう」
「……はあ」
改めて目的地を見る。
東京から見た富士山みたいな絶望感を感じる。
「安心してくれ。あの山は意外と小さいんだ。見た目よりは近いと思っていい」
「でも何日かかるんすか」
「明日には到着すると思うが」
時計を見ると、午後一時。
「……明日の何時すか?」
「ペースにもよる」
「明日の今頃には着いてますか?」
「着いてるんじゃないか? 多分」
投げやりだ。
「言っておくが、これからの戦いはもっとつらいんだ。自信がないなら帰っても構わない」
おっ!
その言葉を待ってました。
「よし凛夏。俺たちは帰ろう」
「えっ! 車もないのに!?」
「あそこまで行くよりはマシだろ。敵と戦うリスクもないし」
「で、でも……」
凛夏は困った様子でチャールズに救いを求める。
「鈴木くん。女性が二人も来るのに、君は逃げるのかね」
「はい!」
俺は小学生以来だというくらい元気に手をあげた。
「行くも地獄。帰るも地獄。それなら男として行こうとは思わないのかね」
「思いません!」
「途中で遭難するかもしれないぞ」
「無線でジュポジュポ言う大人と歩くよりは遭難したほうが良いかと思いまして」
「……なっ!」
「なあ、凛夏。聞いてただろ。チャールズはおまえとジュポジュポしようと考えてるぞ」
「ええっ!!?」
「す、鈴木くん! 誤解だ! 私はああいうことを言わないと間が持たないだけなんだ。他意はない!」
「食事中にうんこの話するおっさんと行くよりは、俺と一緒に日本に帰って葵姫たんに会いにいったほうがいいだろ」
「で、でも……」
「きっと今夜も学生時代のうんこの話をされるぞ。食事中に」
「そ、それはいやかも……」
「決まりだな。じゃあピビー、鎮鈴さん。お世話になりました。俺たちはヒッチハイクでもして帰ります」
さっき川沿いに家があったのを見たんだよな。
あそこまで戻るんなら一時間もあれば充分だろ、
踵を返して凛夏の肩を抱いた。
「ぼ、凡ちゃん。て、手がっ!」
そして数歩歩いたところで
「ま、待ってくれ!」
チャールズの言葉が背中にかけられた。
「なんすか? まだジュポジュポ言い足りないんすか?」
「い、いや……私が悪かった。君たちに抜けられては困るんだ。もうジュポジュポ言わないから私と一緒に来てくれないいか」
「『言いません』では?」
せっかくなので意地悪く返してみた。
「し、失礼しました。もうジュポジュポ言いません……私たちと一緒に来てくれ」
「だってさ。どうする、凛夏」
「私はみんなと行くつもりだったんだけど……」
「わかった。凛夏がそこまで言うなら仕方ない。じゃあ、チャールズ。二つ約束してください」
「な、なんだね?」
「ひとつ。テントなどの荷物は持ってください。もうひとつ。ジュポジュポ言うのは禁止」
「……」
チャールズの視線が車に向かう。
ショッピングセンターで買った荷物は大きかった。
昨日の椅子を抜きにしてもテントなどがあるはず。
「……わ、わかった。約束しよう。それでいいかね」
「オッケーDEATH」
話はまとまった。
というか、狙い通り。
テントとか持たせるはめになると思ってたんだよな。
たまにはごねてみるものだ。
「じゃあピビーも鎮鈴さんも、行きましょうか!」
「そうだね。みんな準備をしよう」
「頭痛い……飲みすぎた……」
ピビーの指示で長靴に履き替えてから、ドサドサと車の荷物をおろしていく。
俺の食糧、寝具、懐中電灯などもリュックサックに詰めてチャールズに持たせた。
「それじゃ重くてすみませんが、お願いします」
「う、うむ。鍛えているから心配は無用だ」
大きなリュックを二つ背負うチャールズは親指を立てて笑ってみせた。
うーむ。
タフだな。
「それでは気を取り直して出発だ。目的地はあの山にある。日が暮れるまでに五キロ先まで進むぞ」
「おー」
「ういー」
そして俺たちは歩き始めた。
チャールズ、鎮鈴さん、俺、凛夏、ピビーの順でドラクエのような隊列を組んだ。
五キロというと一時間くらいの散歩のように聞こえるが、実際はなかなか過酷だった。
歩きやすそうな場所を選んでいるというのに、歩くたびに足が泥に埋まってなかなか進めない。
後ろを見ると、丘の上にまだ車が見えていた。
しかも背の高い水草の向こうから「ピー」だの「ギャー」だのわけわからない生物の声が聞こえてくるたびにドキッとさせられる。
「あっ」
何かに気づいたのか、凛夏が声を上げた。
「どうしたんだい、凛夏ちゃん」
背後からピビーが尋ねると
「あれ、何ですか? 葉っぱの陰の」
「ああ、あれはビーバーじゃないかな」
「ビーバー」
こんな機会がなければ一生思い出すことのなさそうな動物だ。
野生のビーバーなんているのかと思っていたら、目の前を歩く鎮鈴さんの足元で何かが動いた。
「鎮鈴さん、何かいます」
「へ?」
「そこっす、右下」
濁っていてよくわからないが、泥がモコモコと動いている。
「ほんとだ。何かしら」
「ビーバーっすかね」
そのわりにはかなり大きそうだが。
と思っていたら、ザバァッと音がして目の前に巨大な影が飛び出した。
「っ!!」
鎮鈴さんはそれをかわし、目に見えない速度で二度三度手を動かした。
血しぶきが飛び散って、『それ』が地面に横たわった。
「離れて」
泥と血に塗れた『それ』はゴォゴォとうなりながら左右に体をくねらせた。
俺は両手で凛夏をかばいながら後ずさった。
ピビーが後ろから顔をのぞかせて言う。
「これはワニじゃないかな」
見ればわかる!
体長は四メートルくらいはあるだろう。
人を食うかどうかはともかく危険に違いないそれを鎮鈴さんはサバイバルナイフで斬りつけたのだった。
「昨日暴れられなかったから、フラストレーション溜まってたのよね」
ワニはシッポをばたつかせて暴れた。
鎮鈴さんは泥に足が漬かっているとは思えないほど軽やかにそれらをかわしていく。
「あーダメか。やっぱ単調でつまんないわ」
ワニの背中に飛び乗った――と思った直後に、硬そうなワニの背中が一文字に切り裂かれた。
痛みにのた打ち回るワニ。
血が混じった泥水が周囲に撒き散らされた。
ため息をつきながらナイフを構える鎮鈴さんを、ピビーが飛び出して制止した。
「あー、ストップストップ、これ以上は動物虐待になるから」
「ええー?」
「ストレスはウンモにぶつけてほしい」
「……わかったわよ」
「オーケー」
ピビーは何を思ったか服を脱ぎ捨て全裸になった。
気が触れたか!?
それとも性癖か!?
そして髪の毛をむしってワニに振りかけた。
「暴れなくて大丈夫。怖くないから」
外人仕様の巨大なのをぶらつかせながらワニの背中に手を乗せる。
凛夏は両手で顔を覆って後ろを向いていた。
「おい、すげえぞ、あれがアメリカ様だ」
凛夏の手を無理やり剥がして、目を開かせようとしていると
「終わった。さあお行き」
とフルチンのピビーがワニを水辺に送り帰すところだった。
ワニの傷は完全に塞がっていた。
なんだそりゃ!?
「何をしたんすか!? しかも全裸で」
「気功で傷を治してあげただけだよ」
服を着ながらピビーは笑う。
「どう見ても稀能なのに、本人は『気功』と言い張るのよね」
ふう、とため息をつく鎮鈴さん。
確かに気功ってレベルじゃねーぞ。
ドクトル近藤よりもすげーんじゃねえの!?
凛夏が俺にそっと耳打ちする。
「あのね、凡ちゃん。チャールズさんに聞いたんだけど、毛唖流裸っていう稀能なんだって」
「やはり稀能か。あれドクトル近藤よりすげーんじゃねーの?」
「ドクターの毛唖流はクラス1だけど、ピビーさんの毛唖流裸はクラス2みたい」
「なるほど」
「つまりケガをしたらピビーに治してもらえるってことか。こりゃ俺たちの勝利は確定じゃね」
「そういうわけにもいかないんだ。毛唖流裸は裸にならないと使えないという致命的な欠陥があるからね」
ピビーは苦笑いして言った。
「エリア5.1に着いたらずっと全裸でいればいいんじゃないすか?」
「ははは。そうはいかないよ。僕だけ裸なんてHENTAIじゃないか」
「全員で全裸になればいいんすよ。凛夏も脱ぐって言ってるし」
「なっ……! い、言ってませんから!」
「裸で過ごせば死ぬリスクが減るんだぞ。おまえは羞恥心と命、どっちが大切なんだよ」
「そ、それは……命、だけど……」
「決まりな。エリア5.1に着いたら凛夏とピビーは全裸で進むってことで」
「か、勝手に決めないでよ!」
「あたしは裸でもなんでもいいわよ。恥ずかしがる価値があるほどたいした男はいないみたいだし」
さりげなく鎮鈴さんにひどいこと言われた。
でも鎮鈴さんも裸なら目の保養はバッチリだな。葵姫たんがいないのが悔やまれる。
「というわけで、ラストダンジョンは全裸でどうっすか?」
振り返ってチャールズに提案しようとしたら、チャールズは五十メートルくらい先を歩いていた。
大きな荷物に覆いつくされた後姿が、儚げにトボトボと揺れていた。
どうやら今の戦闘にも気づかずに行ってしまったらしい。
「おーい、チャールズ!」
返事がない。
俺たちは顔を見合わせた。
「僕たちも行こう」
「裸の話はまた追々、な。凛夏」
「私に振らないでよ! っていうか脱がなくていいでしょ!」
「貧乳見られるのがイヤなんだろ」
「小さくないし!」
俺たちはわあわあと盛り上がりながら、チャールズの後姿を追った。




