第七十二話 脱出
周囲の客は避難を終え、フードコートに残されたのはおっさんと俺だけになっていた。
非常ベルが鳴り続け、頭上からはスプリンクラーが降り注ぐ。
滝に打たれた修行僧のようになりながら、俺たちは対峙する。
「あんたがホモかどうかなんて聞いてねーよ。何者か答えろよ」
「知る必要はない。おまえは俺のものになるのだ」
ダメだ。
話が通用しない。
しかし、伊達に俺もこれまで幾多の変態たちと戦ってきたわけじゃない。
こういう時は、こうすればいいのだ。
「そうか。よくわかったよ……くらえ!!」
近くにあった皿を拾って、思い切り投げつけた。
「ぐうっ!」
見事、おっさんの顔面に命中。
間髪入れずに後ろを振り返って駆け出した。
(このまま店内まで逃げ切る!)
こいつの体じゃ俺に追いつくことは不可能だろう。
そしてとっとと車でずらかれば……「うおっ!?」
悪寒を感じて身を翻す。
「あぶねっ!?」
左腕から薄皮一枚ギリギリのところを、おっさんの吐いたゲロのようなものが通り抜けていった。
そしてそれは後ろにあった柱に命中し、命中箇所をどろどろと溶かしていった。
強酸……胃液?
それにしても、放水車に近い勢いだった。
あんなものをくらったら跡形もなく全身が溶けてしまうだろう。
「ヒッヒヒヒヒヒ」
二十メートルくらい先でおっさんが腕を抱えて笑っていた。
「運が良い小僧だ。だが、逃げても無駄だ。私の『ゲゲン波』の射程は一〇〇メートル。背を向けた時が貴様の死ぬ時よ」
なんてこった。
ただのデブ&ホモじゃねー。
やはりこいつは、ウンモ星人側の人間だったのだ。
「凡ちゃん!」
どこからか、凛夏の声が聞こえた。
やばい。今俺の近くに来たら危険だ。
「凛夏! どこにいる!? 隠れてろ!」
「鈴木くん! そいつはクラス2の稀能者だ! 気をつけろ!」
チャールズの声まで……上か!
フードコートは吹き抜けになっていて、天井は三階の高さにあわせてある。
凛夏とチャールズは二階の手すりから俺たちを見下ろしていた。
「チャールズ! こいつは飛び道具を使う! 危険だからもっと奥へ!」
「わかった。君はそいつを始末してくれ。JJをやった君ならできる!」
凛夏たちが手すりを離れた途端、おっさんは二階に向けて口を開いた。
またあの胃液のを発射する気だ。
「やらせるかっての!」
近くのテーブルから何本かのフォークを取って、おっさんめがけて投げつけた。
「フォゴッ!」
一本がおっさんの頬に命中!
発射タイミングと重なったのか、体勢を崩したおっさんは胃液を周囲にぶちまけた。
おっさんの足元は自分の胃液で水浸しだ。
それが染み込んだ床は、少しずつ腐食していく。
ヤツ自身の足にも少しかかってしまったようだ。
自滅してくれないかと淡い期待を抱いたが、自分の稀能からはダメージを受けないのか、おっさんはけろりとしていた。
おっさんは口のまわりについた胃液を手で拭い、俺に向き直った。
「今のは痛かった……」
おっさんがぼそりとつぶやく。
「痛かったぞーーーゲボボボボ」
俺に向かって胃液が発射される。
絶対時間が発動した。
普段の俺は稀能者を倒す攻撃力を持っていない。
しかし、懐に入りさえすれば、強力な攻撃をぶち込めるはずだ。
JJの時のように。
だから俺は、胃液に向かって走り出した。
少しでも間合いを詰めなくては。
胃液の軌道がスローモーションになっている。
(あと三歩で避ける!)
胃液の中にはポテトと思しき物体やトウモロコシが混ざっていた。
攻撃力だけでなく、ビジュアル的にも最悪の稀能だ。
二歩、一歩――今だ!
胃液に接触する間際、ひらりと身を翻した。
「ぬぼ!?」
おっさんからは、突然俺の姿が消え、目の前に現れたように見えたはずだ。
このまま攻撃しても良かったが、少々間合いが足りなかった。
近くにあったトングをかっさらって、おっさんの懐にもぐりこむ。
そして、トングでチ●ポを挟み込んだ。もちろんズボンの上からね。
「お! おおお……う!?」
「油断したな! チ●ポつかんだぞ!」
トングは完全にヤツの急所を捉えていた。
ヤツが俺を殺そうとしたら、絶対時間を利用して力を込めれば、確実に破壊できるはずだ。
「き、貴様……い、いつの間に……!」
「ウンモ星人なら知ってるだろ? 俺の稀能の恐ろしさを」
「よ、よし! でかしたぞ鈴木くん! しっかりチ●ポを捕まえておけ! ピビーがバズーカを持ってくる」
階上からチャールズの声が聞こえた。
「す、鈴木とやら……貴様、たった一人のアニキの俺を殺す気か?」
アニキってなんだよ!
こいつとホモダチになった覚えはねーぞ。
ウンモがらみの連中はバカばかりと聞いていたが、このおっさんも例外ではないらしい。
「うるせえ! おめえみたいにひどいヤツはアニキじゃねえ!! 俺のことも殺そうとしたくせに、勝手なことを言うな!!」
トングに少し力を込めた。
「ホゲッ!」
身動きのとれないおっさんは脂汗を垂らしながら
「も、もうやめた……俺は心を入れ替えたぞ。おとなしくこの店から引き上げてやる……」
と言った。
強がってはいるが、声が震えている。
「騙されちゃダメよ! 鈴木くん! でまかせを言ってるだけよ!」
チャールズの横から鎮鈴さんが顔を出した。
こいつと戦える飛び道具系稀能を持っていないのはわかるけれど、みんなして二階の安全圏にいるのはどうなんだろう、とちょっと思った。
「そうだ! そいつがそんなことをするはずはない!」とチャールズも続ける。
ちょっと待てよ。
このままおっさんのチ●ポをつかんだら、感触が伝わってくるだろーが!
素手がイヤだからトングを使ってるのに。
俺も手を汚したくないから、こいつがこのまま降参してくれたほうが助かるんだが。
無責任な外野が好き放題言いやがって!
「た、頼む……信じてくれ鈴木よ。俺はひどいことをしてしまった……だ、だが、約束は必ず守る……」
ヤツは命乞いを始めている。
「シッポを放さないでっ!!! ヤツの作戦よっ!!」
俺は一秒でも早くこのトングから手を放したいんだよ!
もうちょいで説得できそうなんだから、外野から茶々を入れないでくれええ!!
「お、お願いだカカロット……信じてくれ~っ!!」
「誰がカカロットやねん!!」
ついつい右手でおっさんに突っ込みを入れてしまった。
「ひいっ!」
それを避けようとしたおっさんが体をずらしたはずみで、右の手刀はおっさんの首に当たってしまった。
……?
本来なら肉の感触がするはずだが、それがなかった。
空振りしたかのように、俺の手刀はそのまま宙を進んでいった。
妙に見通しが良いと思ったら、さっきまでおっさんの首があった場所にはフードコートの風景が映し出されている。
おっさんの首は、数メートル先を飛んでいくところだった。
そして噴き出す、おびただしい鮮血。
絶対時間が発動したわけでもないのに、全てがスローモーションのように鮮明に見えた。
「きゃあああああーーーっ!」
女の悲鳴がホールに響く。
おそらく凛夏だろう。
おっさんの首が地面に落ちる。そしてそのままごろごろと転がっていき、巨大な筆をのたうちまわらせたように赤い軌道を床に残していた。
俺の手刀から血液が滴り落ちた。
俺がヤツの首を吹っ飛ばしたと気づくまで、数秒の時間がかかった。
「どうなってんだこりゃ……」
ただの手刀でどうして……?
絶対時間で攻撃したのならわかる。
しかし、それならこんな鋭利に切れず、切ったというよりひきちぎった形になるはずだ。
「鈴木くん!」
いつの間に一階に下りたのか、チャールズたちが集まってきた。
「チャールズ」
「今の攻撃は何だ? どんな武器を使ったんだね?」
「いや、素手っすけど……?」
「バカな!」
チャールズは俺の手をとり、目を真ん丸にした。
「な、なんすか……」
「こ、これは……稀能か……」
「へ?」
真顔になったチャールズは、俺の肩に手を置いて言う。
「新しい稀能が身についているんだ。それもクラス2の」
「はあ?」
何で突然そんな話に?
「彼女から受け継いだのかもね」
遅れてやって来たピビーが言う。
「君の右手には何かが宿っていると感じたんだ」
そういや昨日ピビーは何かに気づいた様子だったな。
「つーか、彼女って?」
「葵姫さんのことじゃない?」と凛夏。
「葵姫さんの『村正』にそっくりだもん」
「!!」
そ、そうか!!
そう言われてみれば……。
葵姫たんの顔と胸と脚しか見てないからすっかり忘れてたよ。
「もしかして、葵姫たんと握手したから……?」
「そうかもしれないな。稀能は人の心が生むものだ。葵姫くんからの贈り物だったのかもしれん」
「稀能ってそういうもんなんすか?」
「私はそう思っている。根拠はないが」
さすがチャールズだ。適当なことを堂々と言いやがる。
自分の手のひらを見る。
見た目には何かが変わったようには見えないが、不思議な力で満ちているようだった。
俺の手に葵姫たんの力が宿ってるなんて、二重の意味で嬉しかった。
絶対時間は防御に特化した稀能であり、敵を倒すには敵の先制攻撃を待つ必要があった。
しかし、この稀能があれば積極的に攻撃できるようになる。
しかも葵姫たんとお揃い。
最強の矛と、最強の盾を同時に手に入れたようなものだ。
「さっすが葵姫たんだな! 愛の力ってやつか! そうだよな、凛夏!」
「……二度と凡ちゃんに会いたくないから稀能を譲ってくれたのかもよ?」
凛夏は意地悪そうに目を細めた。
「おまえはお子様だから俺たちの愛の大きさがわからないだけ……ぬおっ!?」
視界の隅に見えていた、おっさんの首無し死体が輝きだした。
「な、なんだありゃ!?」
ストロボみたいな強烈な光が二度三度瞬いたあと、おっさんは消えてしまった。
代わりにそこに残ったのは――四、五人の裸の男女だった。
「は、裸や!!」
ラッキー!
ケーキの横に倒れてる女、結構美人っぽくね!?
近くに行って観察せねば!
「待ちたまえ、鈴木くん」
「ぐえ」
急に引っ張られたので首が絞まって変な声が出てしまった。
「な、何するんすか。チャールズもどうすか? 男は好きにしていいっすから」
「そんな話ではない。あの男が倒れたら人間になってしまった。これがどういうことかわかるか?」
「おっぱい触っていいってことっすよね?」
「あの人は異物だったってことですか……?」
「さすが葉月くんは勘がいい。そう、こいつは異物だ」
マター?
「何のことっすか? ダークマターみたいな?」
「覚えていないのか。私と初めて会った日に見ただろう?」
「チャールズと会った日? いつでしたっけ」
「凡ちゃん、葵姫さんと初めて会った日だよ。私が職業体験してた病院で」
葵姫たんと……?
「あーーーーーーーーっっ!!」
思い出した!
病院で巨大なウナギに襲われたっけ。
あれも死んだら裸の人間になってたな、確か。
「おっけーおっけー。思い出したっすよ。ウナギの日ね。あの時も裸いっぱいいましたね」
「あれが異物だ」
「なるほどねー。そんな古い設定言われてもわからないっすよ。人が悪いんだから」
「設定ではない。まあ、君をこの戦いに巻き込むために仮説も少々交えて話したことは認めるがね」
仮説……?
「仮説って?」
「異物の正体などだ。まあ、報告書に書かれているヨタ話をそのまま君に話しただけだがね」
「ヨタ話?」
「全てが解明されたわけではない。あれはあの頃に立てられていた仮説を話したまでだ」
「それってずるくないっすか? 推理小説で後だしでトリックが追加されるようなものじゃないっすか」
「そんなことはない。それよりも今、重要なことは別にある」
「話をそらすのはずるいっすよ!」
「ずるくない!」
「ずるい!」
「ずるくない!」
「ずるい!!!!」
「ずるくないと言ってるだろうが!!」
「いい加減にしなさい!」
「いてっ」
言い合っていた俺とチャールズを、鎮鈴さんが小突いた。
「チャールズが言いたいことはこういうことでしょ。異物がここにいるってことは、二つの世界が近づいているってこと」
「さすが鎮鈴くんだ」
二つの世界が?
「異物は我々のいた世界にしか存在しないはずだ。しかしこの男は人間ではなく、異物だった。異物は異世界から帰還した人間が変化したものと考えられていたが……」
「それが仮説ね。実際は?」
「それがわからないから苦労しているのだ。あっ!」
驚き戸惑うチャールズにつられて振り返ると、たくさんいた裸の連中の姿が光の粒子になって消えてしまった。
「き、消えちゃったよ!?」とは凛夏。
「ゲームとかの感動シーンで幽霊が消えていく時のエフェクトみてーじゃなかった!!? すごくね!?」
俺はその美しさに感心した。
そして直後に
「しまった! せっかくまじまじと観察したりしようと思ってたのに、消えちゃったじゃないすか!?」
と、己の行動の遅さを悔やんだ。
「異物を構成していた彼らが消えてしまったのは、やはり彼らも実体を持たない存在だからか……ということは、いずれ我々も……」
チャールズはこちらに聞かせるように独り言をつぶやいた。
「実体を持たない!? どういうことっすか!?」
と聞きたいところだが、秘密主義のチャールズに質問するのは何となくしゃくなのであえて俺は黙っていた。
「……!」
チャールズを見ていた凛夏の表情が青ざめていくのがわかった。
「どうしたリンポコ」
「……」
あんなに真っ青になっているとは。
スプリンクラーの直撃をくらって腹を冷やし、下痢でも漏らしたのだろうか。
「違うってば!」
凛夏はむきになって怒った。
「まだ俺は何も言ってねーだろーが」
「う……そうだけど。どうせろくでもないこと考えてたんでしょ!?」
「決めつけるなよ」
「静かに!」
チャールズが突然声を張り上げた。
俺を含めた全員が口をつぐむ。
スプリンクラーが撒き散らす水の音だけが静かに聞こえている。
チャールズは目を閉じて、集中している。
「……むっ」
何かに気づいたらしく、顔をあげた。
「まずい。警察が来たようだ。諸君、ずらかるぞ」
マジか!
「ってか、どうして警察だってわかるんすか?」
「チャールズさんの稀能よ。凡ちゃん、早く!」
なんだって。
チャールズはフルチンで逮捕されたばかりだ。
連続で捕まるのはまずいだろう。
「わかった!」
最寄の出口のある方向へ駆け出そうとする俺をチャールズは引っ張った。
「そっちはいかん! こっちだ!」
そしてそのまま上りエスカレーターに向かって駆け出す。
の、上り?
「どうしてそっちに?」
「早く行って!」
エスカレーターを駆け上る俺たちに鎮鈴さんが言う。
「鎮鈴さんは!?」
「いいから!」
わけもわからずチャールズについていく。
凛夏とピビーも一緒だ。
二階。
三階。
「こっちだ!」
三階まで上りきったところで、チャールズは叫んだ。
スタッフ用バックルームに駆け込んで、平積みのダンボールを避けながら廊下を走り抜ける。
途中でピビーは立ち止まって
「僕は監視カメラのデータを破壊する。君たちは先へ!」
と、警備室へ入っていった。
俺たちはそのまま奥まで進み、とうとう突き当たりの部屋に到着した。




