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第六話 葵姫

「凡ちゃん! 凡ちゃん! しっかりして!」


 ――誰かが、俺のことを呼んでいる。小さい頃の、ひどく懐かしい呼び名だ。


 ゆっくり目を開けると、白い天井がぼんやりと見えてきた。


「あっ! ドクター! 凡ちゃんが目を開けました! 来てください!」

 俺は目を閉じた。

 よくわからんけど、俺は眠いんだよ。そっとしておいてくれ。

 もうちょい寝かせてよ、もうちょ……うわっ!?


 脳を激しくシェイクされ、最悪なお目覚め。

 フキゲンな気分のまま視界に入った風景にピントをあわせる。

 ベッド脇から俺を覗き込んでいた凛夏は、目が合うとプイッと顔を逸らした。

 こいつが俺の頭を揺らしてたのか。

「遅いお目覚めね」

「リンポコ、ここはどこだ?」

 蚊を潰すような音がして、目の前に火花が飛び散った。

「その呼び名はやめてって言ったでしょ。凡ちゃんほんとデリカシーないよね」

 上体を起こして、伸びをする。

 うん、体は動くな。

 思ったより怪我も痛くない。

 脇腹に手をやる。あれだけ出血していたのに、傷口らしきものが見当たらない。

 体感的には一日くらいなんだけど、もしかして何ヶ月も入院してたんだろうか。

 入院費ないぞ。マジで。

「懐かしいな、そのあだ名。それより、俺はどんくらい寝てたんだ?」


 尻を基点にくるりと下半身をひねって、ベッドに腰掛けた。

 体はなまってなさそうだ。

 何だよこのTシャツは。俺の一張羅のスーツをどこにやったんだ。

 高かったんだぞ……ってか、何だ、ここ?

 たくさんの計器が並んだ狭い部屋……いや、部屋じゃないな。この感じは車だ。

 バカ長い車の中だ。テレビの中継車っていうか。

 中継車を改造した車、ってところか?

 どうしてこんなところに……?


「目覚めたか。鈴木凡太」

 白衣をまとった中年の男がドアを開け、入ってきた。

「あ、ドクター」

 立ち上がった凛夏は一歩後ろへ下がる。

 ドクターと呼ばれた男の白衣は前のボタンが開いていて、中からは毛むくじゃらの肉体と上下黒のビキニが覗いていた。

 ヤツは俺の横で中腰になると、シャツをめくってきた。

「なんだテメェ! 触るな」

 女装趣味しかも水着に白衣って変態的な格好の上、そっちのケまであるのか!

 おまけにヒゲモジャ、頭頂部まで禿げ上がった頭には、綿菓子のように薄い毛が未練がましく載っている。

 ヤバそうな男だ。

「やめろよ!」

 俺はドクターの手を払った。

 ドクターは悲しそうな目で俺をにらんだあと、「えーんえーん」と声をあげて泣き出した。

 ――この男、いよいよ危険だ。


「何してるのよ! 凡ちゃんを助けてくれたんだよ?」

 凛夏に怒られた。

 助けてくれた? こいつが?

「すみませんドクター」

 と、ぺこぺこと頭を下げる。

「どうしてこんな変態ヤローに頭を下げるんだよ!? おまえの病院の医師か? こいつは」

「ち、違うわよ。こんな人が中央病院にいるわけないでしょ!」

「おまえんとこにはビグザムだっていたじゃねーか! 変態病院!」

「婦長は本名よ! 失礼ね、あんたなんかよりいい人なんだから!」

「びええええ~ん! ええええ~ん!」

 俺と凛夏との言い合いがヒートアップすると、座り込んだドクターもより大きな声で泣き始めた。

「うるせー! 大の大人が泣いてるんじゃねー!」

「びえええーん!」

「あんたの命の恩人を泣かせるんじゃないわよ!」

「なんだとこのアマ! テメーだって俺に救われただろーが! 命の恩人に逆らうんじゃねー!」

「私のパンツ見たでしょ!? あれで帳消しだから!」

「あーん!? おまえの命はアレか!? パンツと同価値なのか? だったら命をくれてやったんだから、パンツは俺によこせや!」

「きゃーーーっ!? や、やめてよ! 外にはお巡りさんがいるんだからね! 呼ぶわよ!」

「ぴぎゃあああーん! えーんえーん!」

「だからうるせーって言ってんだろ変態が! いい加減泣き止め!」


 そんな地獄絵図に、一人の天使が舞い降りた。

「なるほど。確かに稀能者インフェリオリティのようだな」

 入り口から例の青い服の美少女がこちらを見ている。

 川のせせらぎを思わせる、流れるような黒髪。宝石みたいに輝く瞳は、冷めた表情すら美しく彩っている。

 真っ白な肌。巫女装束の赤い部分を青にしたような衣服。

 こんなに美しい少女が世の中にいたとは。この世も捨てたもんではないのう。


 どれ、もっと顔を見せてくれ。

 俺が顔を上げると、眉ひとつ動かさずに少女は横を向いた。

 うれいを帯びた表情もええのう。たまらん。

 しかしヘンな服だな。青い巫女? 巫女装束の2コンカラーかな? そうに違いない。

 ウヘヘヘ……。

 こんな人から言われるのなら「ダメ人間」と言われても褒め言葉だぜ。


 それより正面から顔を見ようと画策かくさくするも、俺が視線を向けると顔を背ける。何度やっても同じだ。

 ちくしょう。

 でも、それもまたかわいいじゃねえか。どぅふふ。


「何ジロジロ見てんのよ?」

 いぶかしげな表情の凛夏。

 俺は凛夏の顔をじっと見つめた。

「な、何よ……」

「はあ、やっぱダメだな。あのガキんちょがまあまあ美少女になったとは思ったが、あのお方と比べるとチンパンジーだな」

 深くため息をつく。

「は、ハア!? 何であんたみたいなクズ野郎にそんなこと言われなくちゃいけないのよ!!?」

 顔を真っ赤にして手を上げる凛夏。

「顔もダメ。乳もダメ。おまけに暴力ふるう。あだ名はリンポコ。四重苦だな、かわいそうに」

「……っ!」

 凛夏の身体がくるりと回転する。

 何だ?

「ばかーーーーーッッッッッ!」

 腰をひねって全体重を乗せたパンチが俺に直撃した。

「ぐっっっはあッ!!」

 ベッドから吹っ飛ばされ、例の青い美少女を下敷きに倒れてしまった。

 ま、マイエンジェルがっ!

「ご、ごめんっ!」

 すぐにどいて、彼女に謝るも、返事がない。

「……あっ!」

 彼女は気絶していた。

「お、おまえ何てことすんだよ!! おまえのせいで、マイエンジェルが気絶しちまったじゃねーか! バーカ! リンポコのバーカ!」

 俺は彼女に向き直って肩を揺すった。

 返事がない。

 幸い、俺の背中に隠れて凛夏からは死角だ。起こすふりをして乳を触ってやろうかのう。フシャシャシャ……。

「大丈夫っすか?」


 俺は右手を胸にあてがった。

 や、やわらかい!

 神の奇跡と言っていいやわらかさ!

 寝起きのモーニングムスコ。には刺激が強い感触だ。

 いかんいかん、そんなこと気にしてる場合じゃなかった。

「おーい、大丈夫っすかー?」

 と声をかけながら揺すってみるが、反応しない。


「だいじょ……うっ!!!?」

 ……心臓が動いていない。


 き、気のせいだよな?

 な、なんで!? 俺が触ったから?

「おい! しっかりしろ!」

 凛夏が「どうしたの?」と後ろから覗き込んできた。

「あ、あんたどこ触ってんのよ!?」

「ばか! 違えって! 心臓が動いてねーんだよ!」

「うそ……」

 口を押さえながら顔色がみるみる青ざめていく。

「ここは俺が心臓マッサージするから救急車呼んでくれ」

「え、あ、あの、ここが救急車なんだけど……あ、『移動医務室』だったかな?」

「ここの名称なんてどーでもいい。専門家を呼んでくれ。急げ!」

「ドクター! 助けてください」

 凛夏はベッドに伏せて泣き続ける変態に駆け寄った。

「お、おい。そいつじゃ話にならねーよ。専門家を呼べ!」

 と思ったら、立ち上がった変態の顔つきは、精悍(せいかん)そのものに変わっていた。

「私は医療の専門家だ。私に任せてくれたまえ」

 黒ビキニを隠すように白衣を閉じると、凛々しい顔つきで歩いてきた。

「すまないが、君は少しどいてくれないか」

「あ、ああ……」

 変態の迫力に押され、俺はベッドのあたりまで下がった。

 この変態、本物の医者なのか? 剛毛ハゲ黒ビキニが……?


「安心したまえ。私の名はドクトル近藤。私に治せない症状など存在ない」

 ドクトルと名乗った変態は、髪の毛をプツリと抜くと、マイエンジェルの左胸に乗せた。

 汚えハゲだな。何する気だ。

 まさかおかしな儀式とか始める気じゃねーだろーな。

 このハゲの茶番に付き合ってて間に合わなくなったらどうしよう。

 今からでも外に出て医者を呼んだほうがいいんじゃ?


 ……外? 外ってどこだ?

 そういえば俺はどこにいるんだっけ?

 あれからどれだけ経ったんだ? 何日? 何ヶ月?

 焦りのせいか、頭が混乱してくる。

「ハアアアアアアァァァァァ……!」

 ドクトルの体が白く光った。まぶしい光に包まれていく間際、頭の中洲に残るわずかな毛が逆立つのが見えた。

 何だこいつ、超能力者か? トリックだよな?

 白い光はドクトルの右腕に集束し、マイエンジェルの胸へと流れ込んでいった。


「うわっ」

 閃光が瞬き、直後にあたりは静かになった。

 マイエンジェルがゆっくりと目を開いた。

「おおおっ!」

 き、奇跡だ。確かに心臓が停まっていたのに。

 俺はエンジェルに駆け寄ろうとした……が、

「ならぬ!」

 勢い良く立ち上がったドクトルに制止されてしまった。

 邪魔するのかこのハゲ。

「彼女は極度の男性恐怖症なのだ。不用意に触るとショック死する危険がある」

 ドクトルは厳しい表情で言った。

「え……マジなの?」

 俺はマイエンジェルに聞こうとしたが、顔を背けられてしまった。

「……」

「嘘だろ? 俺の容態を心配して来てくれたんじゃねーの?」

「……」

 小学校時代から女子に「バイキン」「変態」「ハウスダスト」と呼ばれてきた俺でも、世界一かもしれない美少女に無視されるとこたえる。

「あの時だって助けてくれたじゃん? 恐怖症なら俺を助けるのなんて嫌だろ?」

 すがるように言うと、後ろから凛夏が言いにくそうに口を挟んできた。

「あのね……彼女、凡ちゃんを助けたあとにも倒れちゃったのよ。今みたいに」

 は? 何言ってんだ?

「凛夏殿の発言は真だ。葵姫きき殿は命がけで君を助けたのだよ」

「きき?」

「彼女の名だ」

 まあ素敵。


「鈴木殿。君は煮えたぎる溶岩に手を入れる勇気はあるか?」

 ドクトルは俺を試すような声で言った。

「何だよそれ、あるわけねーだろ」

 またわけわからんこと抜かしやがる。

 だからハゲるんだよ。

「彼女にとって、初対面の男性に手を触れるのはそのくらいの決意が必要なのだよ」

 んんん?

「どういうことだ? 俺に触ったせいでショックで心臓が停まっちゃったってこと?」

 ドクトルは大真面目な顔でうなずいた。

 葵姫さんをちらっと見るが、やはり黙ったまま顔を背けてしまう。

「な、なんつーか……すいません、助けてくれてありがとうございます」

 葵姫さんにペコリとお辞儀する。

「……礼には及ばない。組織からの命令で動いただけだ」

「あとね、ドクターにもお礼を言わなきゃ。凡ちゃんも危うく死ぬところだったんだから」と凛夏。

「マジで? あの、ドクトル、俺のこともさっきみたいに治してくれたんすか?」

「まあ、な……だが、葵姫殿と違って君は肉体的な損傷も大きかった。お陰で私は髪を数千本失ったよ」

 ドクトルが頭をさすると、絡まった糸のような毛の後ろから荒廃した頭皮が(のぞ)いた。

「ど、どういうことっすか?」

「ドクターは自分の髪を治癒力に変えるんだって。凡ちゃんは重傷だったからすごい量の髪の毛を抜いたんだよ」


 な、なんだって!?

 ドクトル、あんたは俺のために……?


「……ドクトルの薄毛は人々を救った証。私が知り合った頃はロン毛だった」

 葵姫さんまで! ……っていうか、声もかわいいな。

 俺はドクトルを見た。


「ドクトル。ありが……」

 礼を言おうとした俺をドクトルはさえぎる。

「葵姫殿ではないが、私にも礼は不要だ。代わりに、君にはやってもらわなくてはならないことがある」

「な、なんでしょう。俺も女物のビキニを着ろ、とかはいやですよ?」

「フッ」

 ドクトルは目を閉じて笑った。

「そんなことは頼まんさ。男性恐怖症の葵姫殿のために女装しているだけだ。それに私自身の趣味も兼ねている。君には強制せんよ」

 このハゲ絶対頭おかしい。

「そ、そうすか……じゃあ、頼みたいことって?」


「そこから先は、私が話そう」


 ドアのところに誰かが立っていた。

 逆光で姿はよく見えないが、背の高い中年の男だろう。

 おいおい、また新キャラの登場かよ。計器の並ぶ車内に大人四人は窮屈(きゅうくつ)だ。


「大佐。わざわざいらっしゃらなくても、我々が彼を連れて参りましたのに」

 無表情な葵姫さんらしからぬ、少し恐縮したような声。

 何者なんだ、その大佐ってのは。

 ウナギの化け物といい、魔法みたいな治療法といい、大佐なんて肩書きの人物といい……俺は夢でも見てるのか?


「現場の処理は終わった。救出者は八〇〇人を超えたようだ。なかなかの大物だな」

「おめでとうございます」とはドクトル。


 マジで何を話してるんだ?

 内輪ネタはやめろよ。

 何がなんだかわからない。凛夏を見ても、首を振る。

 そこにいるのはあいつも知らないヤツってことか。


 葵姫さんが車を降りてスペースを空けた。

 彼女が立ち去る際、いい香りが車内に舞った。

 あああー! マイエンジェル、カムバーック!


「……凡ちゃん!」

 ん、凛夏がこっちを睨んでる。

 この俺様に嫉妬しっとしたのか? ククク、俺も罪深い男よ。

 しかし天使を見てしまった俺にとって貴様などチンパンジー同然。

 ツインテールのチンパンジーに需要などないのだよ。


 そして、天使の代わりに『大佐』が車に乗ってきた。


「すまないが、君のことを調べさせてもらった。稀能者インフェリオリティとして、我々に力を貸してもらいたい」

 いんふぇりおりてぃ?

 何だって? イ●ポの正式名称? 違うぞ俺は。

 そんなことより、マイエンジェルを返せよ!

 邪魔なんだよ、おっさ……「ん!?」


 お、おっさん……。

 ま、まさか……あんたは……!


「チャールズ!!?」

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