第五十六話 地獄のアーティフィシャル・レスピレーション
「は、博士が……? まさか凡ちゃん……!」
あー、聞こえない聞こえない聞こえないいいいい!
俺は知らない俺は知らない俺は知らない!
「あばばばばばばばばばばばばば!」
耳を塞ぎ叫びながら部屋を飛び出す。
廊下を駆けて例のポコチン像に到着すると、博士は絨毯の上に寝かせられ、チャールズが肩膝をついて博士の瞳を調べていた。
「チャールズ! 博士は?」
「鈴木くんか。遅くなってすまんな……残念だが……」
チャールズは首を横に振る。
「ど、どど……どうして?」
「私は医師ではないのではっきりとはわからんが……後頭部を殴打されているようだ」
後頭部を殴打?
「それはマジで!? マジで!!?」
「……おそらく」
「信じていいんすね!?」
「断言はできないがね……何か心当たりでもあるのか?」
ギクッ。
「……い、いや。その……何つーか、レジ袋を被せられていたとかいう噂があったもので、窒息とかじゃないかな~って」
「それはないと思う。レジ袋の内側にも血痕があった。これも後頭部にダメージを受けた時についたものだと思われる」
「じゃあ、やはり誰かに殴られて……」
「いまスーパー・フリーメーソンのスタッフを呼んでいる。そろそろ来ても良い頃だが」
チャールズは立ち上がってスマホを手に取った。
ふう。
ほっとした。
窒息だったら後味が悪いところだった……いや待て、俺!
何ほっとしてやがるんだ!
博士が殺られたのに安心してる場合じゃねーだろ!
と、自分にツッコミを入れる。
アメリカに来てから人の死に対しての衝撃が薄れてきた気がする。
こんなことに慣れちゃまずいよな。
うん、慣れって怖い。
戒めないと…………でも、窒息死じゃなくて良かったぜ。
「しかし誰がいつ博士を……ん?」
いま一瞬博士が動いたような?
手をとり脈を測る。
(……動いてる!)
「チャールズ!」
俺の呼びかけにスマホを操作しながらチャールズは振り向く。
「どうした、鈴木くん」
「生きてるっすよ、博士! 生きてる!」
「ぬおっ、本当か! 鈴木くん」
「マジっす!」
……ああ、良かった。
俺がここに博士を放置したせいで賊に襲われたのなら、直接的でないにせよやはり目覚めが悪くなるところだった。
「博士……しっかりしてください、博士!」
俺は博士を起こすため、ぺちぺちと頬を叩いた。
「こら、鈴木くん、叩いちゃいかん」
「でも……」
何もせずにそのまま三途の川を渡られては困る。
少しでもショックを与えてこちらに引き寄せなくては。
「博士ーーーっ! 起きてください! ……起きろ!」
両側からぺちぺちと平手を連打していたら、ズゴッといい音と感触がして博士の首がガクリと曲がった。
「げげっ!? ……な、何すか!?」
「今のは『会心の一撃』だよ! なんてことをするんだ!」
「マジすか!?」
なんてことだ……会心の一撃って……。
俺にとっちゃ痛恨の一撃だ。
「博士ーーっ!!」
「アヘ……アヘ……」
良かった、かろうじて生きてる。
「チャールズ、大丈夫です! 生きてます!」
「そうか、でかした! しかし彼は虫の息だ。スタッフと連絡がついたのだが、免税店で買い物しているため到着が遅くなるらしい。彼らが到着するまで博士の容態が持つか……」
「なんでアメリカ在住のヤツが免税店で買い物してるんすか!? こうしてる間にも博士の命が……!」
俺は逆ギレ気味にチャールズの胸倉をつかんだ。
「……くっ」
チャールズは悲痛な表情を浮かべ、俺の手首をそっとはずす。
「こうなったら……アレを試すしかない……」
「……アレ?」
何か秘策があるというのか。
「アレって……何すか?」
「決まっているだろう……アレといったら、アレしかあるまい」
「何もったいつけてるんすか!? 人の命がかかってるのに!」
とりあえずこうやって責めまくっておけば自分の過失をごまかせるような気がして、早口でまくし立てた。
「……ひどく気が進まんものでな。アレだけは避けたかったが……」
「何すか? ひょっとして、チャールズもドクトルみたいな稀能が使えるとか?」
髪の毛を抜いて稀能を発動させるのだとすれば、確かに気が進まないのもわからないでもないが。
チャールズは下を向き、低い声で搾り出すように言った。
「……『人工呼吸』だよ」
人工呼吸!!
「……ま、まさか……そ、それは……」
「うむ……この口の臭いじいさん相手にマウス・トゥ・マウスをするというわけだ」
そ、そんな馬鹿な……!?
生き地獄じゃないか!
チャールズは脂汗を浮かべながら横目でちらちらと俺を見ている。
(俺にやらせようとしてやがるな……!? そうはさせるか!)
「さ、さすがチャールズ! さすが責任者は強いっすね。とてもじゃないっすけど俺にはできないっすからね。マジで尊敬します! 心の底から!! ささっ、お願いします!」
一気にまくし立てて、チャールズに場所を譲った。
「す、鈴木くん。何を言うんだね? 君の会心の一撃でやってしまったんだから、君がやるべきだろう! 博士に濃厚なチューを!」
らしくない強い口調でチャールズは俺を責め立てた。
(このおっさん……本気だ!)
「いやー、俺だって責任とってやりたいっすよ。でもね、俺は人工呼吸なんてやったことがないんす。ついでに童貞歴二十年のベテランでね……ファーストキスは葵姫たんに捧げるって決めてるんす! だから、お願いします!」
「馬鹿者! 私だって人工呼吸なんてしたことないわ! ついでに私は君と違って童貞歴四十年のプロだ! 半世紀弱も純潔を守ってきたんだから、素敵なファーストキスをしたいに決まっているだろう!! 君がやりたまえ!」
な、なんだと……!
チャールズが童貞? しかも四十年も?
それが事実ならば確かにチャールズには乙女ちっくなファーストキスを体験させてあげたいような気もする。
彼が四十年も清らかでいたのは、こんなじじいにチューするためじゃない。
説得力はある……が!
俺だって負けてはいられない。
「いくら俺がアマチュア童貞とはいえ、こんなじじいで勃つわけないっしょ!? 勘弁してくださいよ! 俺と違って未来のないチャールズがやるべきっす!」
「鈴木くん! 勃たせる必要なんてないんだ! いいからチューしたまえ!」
しまった、墓穴を掘った――!
確かにチャールズの言う通り全くもって下半身は無関係であった……まずい。分が悪いぞ。
「早くキスしたまえ。舌を入れてアツアツのチューで博士を蘇らせるんだ」
……舌を!?
「ちょっと待ってください。舌入れてどうするんすか? 人工呼吸ってそういうもんじゃないでしょ? 面白がってないっすか?」
「なっ、何を言う!!?」
おおっと。
明らかに動揺していますな。
「私は博士の無事を祈ってだな……なんて不謹慎なことを言うんだ!」
「パワハラ……いや、セクハラっすよそれ!」
「むう……」
いい感じだ。
このまま押し切ろう。
(ここでちょっと視線を下げて、低い声で寂しそうにしゃべる……)
「正直、ちょっとがっかりしましたよ……チャールズはそういう人ではないと思っていました……俺、部屋に戻ります」
くるりと回れ右して、心の中でガッツポーズ!
(最高のタイミングをものにした! これで俺は責任から逃……)
目の前に、凛夏がいた。
眉をハの字にして、瞳をうるませている。
「り、リンポコ……」
「……凡ちゃん……どうして……」
やばい!
俺のせいで虫の息になったとバレてる!!
これは非常によろしくない!!
葵姫たんの耳に入ったらおしまいだ!
「……というのは冗談で」
俺はチャールズたちに向き直った。
「こんな汚いじじいにチューするのは人として最悪の行為。地獄の業火に焼かれるようなことです。チャールズが嫌がるのもわかる」
チャールズは腕を組んで目をそらす。
「だけど、人命には代えられません。四十年童貞だったことは気の毒ですが、チャールズはそのまま純潔を守ってください」
「す、鈴木くん! それは人に言ってはいかん!」
「俺は、人命を優先します。腰抜けはそこで見ていてください」
「……凡ちゃん」
「凛夏。俺は自分よりも他人の命が大切な紳士なんだ。葵姫たんにもそう伝えておいてくれ」
「は、はあ……」
俺は博士の前にひざまずいた。
そして博士に覆いかぶさるようにして顔を近づけ……。
(ここで人工呼吸のフリをする、と)
「凡ちゃん、フリじゃダメだよ」
ギクッ。
バレてる!?
「ふ、フリじゃねーよ!? お、俺は博士の人命を第一にだな……」
「鈴木くん。君はフリをするような『腰抜け』ではないよな? 私がしっかり確認してやるから、熱いチューをしたまえ」
「ぐっ……!」
チャールズの逆襲が始まった。
腰抜けは言い過ぎたか……まさか自分に返ってくるとは……!
「どうした、鈴木くん。腰抜けの私には無理だが、君にはできるのだろう? やってみたまえ」
腕組したままこちらを見下ろすチャールズが、巨大な悪魔のような笑みを浮かべた。
(やられた……さっきの失言でチャールズを優位に立たせてしまった)
力いっぱい拳を握り締める。
――そうだ。いつもそうだ。
(俺はいらんところで調子に乗りやすいから、こんな目に遭ってしまうんだ――!)
――思い返せば幼い頃からそうだった。
あれは小学校低学年の頃だったか。
友達と路上でキャッチボールをしていると、たまにコントロールを失ったボールが他人の家の敷地に入ってしまうことがった。
俺たちは昭和時代の子どものように「ボールとらせてくださーい」と元気な声を出して庭に上がらせてもらっていたのだが、あの家だけは違った。
その日、俺は幼馴染の源太とキャッチボールをしていた。
しかし、ノーコンな俺とキャッチボールが成立するはずがない。
俺の投げたボールは源太の頭上を越えて、とある家の窓から中に入ってしまったのだ。
「ボールとらせてくださーい」
源太は元気に声をあげてその家に入っていった。
あ、敷地内じゃなく、家の中ね。
退屈しながら源太の帰りを外で待っていると、家の中から悲鳴が!
やがて源太が泣きながら飛び出してきたので話を聞くと、恐ろしい事実が明らかになる。
どうやら、変なオヤジが下半身を丸出しにして「ボールとバット、どっちがええんや?」と迫ってきたという。
「そいつあれだ! ショタコンってやつだ! 変態だぞ! 警察に行くっかねーべ」
俺は必死に源太を説得したが、彼はびびって泣き寝入りしてしまった。
そこで俺は源太の敵討ちをするため、学級会に『対策委員会』を設置した。
オヤジは金田玉男という名だった。
俺たちはオヤジを『キンボール』と名づけ、キンボール殲滅作戦を開始した。
最初はキンボール家のポストに犬の糞を詰めたり、家の壁にスプレーで『性犯罪者参上! 夜露死苦』と描くなど、子供らしいイタズラから始まった。
しかし正義の名の下に行為はだんだんエスカレート。
ペットボトルで作った火炎瓶を投げ込んだり、改造エアガンで実弾を撃ちこんだりと子供の遊びを逸脱する行為に発展していく。
普通ならば、キンボールの家が全焼し、気が触れたキンボールが全裸で「アイ・アム・ア・キンボール!」と叫ぶようになった辺りで攻撃を中断するものだろう。
実弾提供者だった担任教師も「これ以上は犯罪だからやめような」と皆を諌めていた。
しかし、調子に乗った俺だけはそれ以降もソロでテロ行為を続けることを決意。
念入りな聞き込み調査の結果、夜逃げしたキンボールが橋の下に移住してJKに露出行為を繰り返していることを把握。
睡眠中のキンボールのタマタマを石斧で殴打して逃げたり、下剤を混ぜた食料をオヤジの住処に置いてきて、下痢に苦しむオヤジをホモ専用の動画サイトにアップしたりと攻撃を続行した。
色々あって最終的にキンボールは逮捕され、俺も先生や親からこっぴどく叱られるという悲惨な終わりが待っていた。
(――あの時も、調子に乗ってあそこまでやらなければ俺は叱られずに済んだのに!)
俺は自分の性格を呪った。
(くそ……どうしても人工呼吸しなくてはならないのか)
俺は膝をついた。
(葵姫たんのために守ってきた純潔が……脅かされている)
なんてことだ。
博士とファーストキスをするくらいなら、凛夏か鎮鈴さんあたりに無理やりやっておくべきだった。
葵姫たんは汚したくないけど、あいつらなら……。
「いてっ!」
後ろから蹴りをくらう。
「何かヘンなこと考えたでしょ?」
凛夏が鬼の形相を見せた。
「か、考えてないって!」
こいつは妙なところが鋭いから嫌だ。
さて……。
気を取り直して、博士の顔を見る。
カサカサに乾いた唇からは生ゴミを思わせる臭気が放たれていた。
「ちゃ、チャールズ」
「何だね?」
「何か新宿駅のトイレみたいな匂いがするんすけど……」
「そんなこと言われても私は知らん。なんたって腰抜けだからな」
口元には笑みを浮かべている。
俺を見下ろすチャールズと凛夏が巨大な壁のようにそびえたっていた。
(ちくしょう!)
「や、やらなくちゃダメすか……?」
「腰抜けの私にはできないからな」
「私も無理かな……凡ちゃんが責任とってやってよね」
くそっ!
凛夏のヤツ、常識人アピールすることが多いくせに、こんな冷たい女だったとは!
クソから生まれたクソ女だ!
「……凡ちゃん、また私の悪口考えてない?」
「か、考えてないって! ほんと! 神に誓いますから!」
ふう。
もう俺には逃げ場はない。
やるしかないのか……。
肺の中の空気の全てが、ため息となってこぼれ出た。
再び博士の唇を注視する。
……ん、何かついてる。
「どうしたんだね、鈴木くん」
「あ、青のりがついてるんすけど……」
「カップ焼きそばでも食べたのだろう。ペヤンゴは博士の大好物だ」
「そ、そうすか……あ、あの……青のりがあるから無理というか、明日じゃダメっすか?」
「明日になったらどう変わるんだね?」
「青のりがなくなってるかも……なんて……」
「その頃には博士の生命もなくなっているだろうけどな」
「で、ですよね……ははは」
ダメだ。
とてもじゃないが、取り合ってもらえない。
「さあ、鈴木くん。タイムリミットは近い。やりたまえ」
「……はい」
どうしてこんなことになってしまったんだ。
そもそも、チャールズが外出してたせいで博士を迎えに行くはめになって、めぐりめぐってこんなことに……ん?
そういえば、チャールズはどこに行ってたのだ?
心の中に引っかかりを感じた。
魚の小骨のような小さなものが、引っかかっている。
もう少しで何かに気づけそうだというのに、わからない。
(この感じ……何だ?)
チャールズは……そうだ、警察署に行っていたんだ。
どうして警察なんかに?
――待てよ!
頭の中でパズルがはまったような気がした。
(辻褄があう。引っかかりの正体は、これか――!)
俺は立ち上がった。
「チャールズ」
「何だね? 腰抜けの私には何もできないぞ。それでもよければ用件を言いたまえ」
「チャールズは警察署にいたんすよね?」
「うむ。そうだが?」
「どうして警察署に?」
「調べものがあってな。それと、昨日壊滅したマフィアの件でもちょっとな」
「へえー」
わざとらしい声を上げてみる。
よく見ると、微妙に視線が泳いでいる。やましい証拠だ。
「さっき、一階でおっさんが新聞読んでたんすよ」
「ほう。そういえばロスでは試験的に紙液晶の新聞に統一されているんだったな」
「ですよね? 珍しいから、俺もちょっと目を凝らしてみたんす」
「なるほど。それで?」
「あれって便利っすね。チャールズによく似た男の写真があったから、目を凝らしてみたんすよ。すると見出しが自動翻訳されて――」
「ちょっと待て!」
チャールズは俺の言葉を遮った。
「何すか?」
「長話はまた後で聞こう。今は博士への人工呼吸が優先だ」
「その記事によると、今朝未明に日系人が全裸で車を――」
「わあーーーーっ!!!」
突然叫ぶので驚いてしまった。
「鈴木くん、ちょっと待ってくれ。後でな! 後で聞くから!」
(――やはり!)
さっきは部屋に行くことに夢中だったから流してしまったけど、やはりあれはチャールズを報道した記事だったのか。
ていうかどうして全裸で車を運転してたんだろう?
ま、そんなことどうでもいい。
このことが凛夏や葵姫たんに知られたら威厳ゼロだ。
一気に俺が有利になったな。
「チャールズ」
「な、何だね。鈴木くん……」
「今日は気が乗らないので、人工呼吸はお任せします」
「なん……だと?」
「全裸で運転していた男性はパトロール中の警官に逮捕され――」
「わかった! わかったから! そんな私に関係のないニュースなんて忘れたまえ!」
「うーん……暗記って難しいけれど、忘れるのってもっと難しいっすよね? つい口走っちゃうかも……」
「わかった! わかりました。鈴木くん、すまなかった。私が悪かった」
オッシャ!!!
勝利や!!!
「じゃあ、チャールズ、人工呼吸どうぞー」
「……」
チャールズはしゃがみこんで、博士の頭に触れた。
「博士、もういいですよ、起きてください」
「ずるいっすよ、人工呼吸してくださ――」
博士はパチリと目を開いた。
「んんん……ふう」
そして上体を起こして体を伸ばす。
……は?
「……ど、どうなってんだ?」
「ごめんね凡ちゃん、私もさっき鎮鈴さんから聞いて知ってたんだ」
??
な、何を?
「ははは。驚かせてすまんな、鈴木くん。人にレジ袋を被せてはいかんぞ。命の大切さを教えるために一芝居打たせてもらっただけなんだ」
汗をぬぐいながらチャールズは苦笑いを浮かべた。
「は、博士……死んだふり、してたんすか?」
「うむ。彼の言う通り。驚いたかね?」
「つまり……俺をハメるためのドッキリだった、と?」
「ま、まあそういうことになるな」
「……」
怒りのエネルギーが血液に乗って全身を駆け巡る。
「た、戦いばかりの毎日ではストレスが溜まるだろう? だ、だからたまにはこうしてレクリエーションをだな……」
チャールズはそう言いながら一歩下がった。
「うおおおおおお!!!!!」
俺は雄たけびをあげ、チャールズと博士の顔面を連打した。




