第五十五話 新撰組
「凛夏、おまえは待ってろ」
「えっ」
もしも、部屋の中に男がいたら俺はどんな反応をしてしまうのか。
奇声を上げて号泣する可能性すらある。
そんな姿を見られたら一生こいつにおちょくられるに決まってる。
だから俺は一人で行く。
「誰か通るかもしれないから、博士にレジ袋をかぶせとけよ」
「いやよ、かわいそうでしょ! ってか、ご飯食べに行こ? お願いだから!」
こいつ、中に誰がいるのか知っていやがる。
「メシはお前一人で行ってろ。そこのエロ博士もオプションでつけてやるから、二人で楽しんでこい」
博士は白目を剥いていた。
口の端からぶくぶくと吹き出る細かい泡がカニみたいで妙におかしかった。
普段の俺なら爆笑するところだが、今は楽しんでいる場合じゃない。
「それじゃ、俺は行ってくる。博士を頼んだ」
「あああああ! わ、私お手洗いに……!」
「おい!」
逃げるように凛夏は廊下を駆けていった。
あの野郎……博士を置いていきやがって!
仕方ない。
博士を連れていくのも面倒なので、その辺りに置いておくか……。
顔を見られても問題ないように、二重にしたレジ袋を博士の頭にしっかりかぶせて首元をベルトで縛る。
そして壁に設置された黄金のポコチン像に抱きつくかたちに博士を安置。
うん、これならオブジェの一部と考えても違和感ないな。
名づけて『血塗られし抱っこちゃん』ってとこか。
さて――。
ごくんとつばを飲み込み、カードキーをセンサーにかざす。
カチャリ、と静かな音がして錠が外れた。
「……」
そっとドアを開ける。
さすが高級ホテル。軋んだりせず、静かに開く。
忍者になったつもりで気配を殺し、足を踏み入れた。
部屋の中も広い。
ってか、部屋の中に廊下があった。
両側にあるドアはバスとトイレだろう。
突き当たりのキッチンはキッチンになっており、三つのドアがある。
葵姫たんはどの部屋に……?
そっと耳をすませる。
「……もう刀の時代は終わったのかもしれない」
右奥のドアだ。
男の声、だと思う。少し高めで、澄んだ声だ。
この甘い響きは、イケメンに違いない。
(くっそー! 刀の時代なんてとっくに終わってるっつーの!)
このドアの向こうで葵姫たんが時代錯誤の基地外と過ごしているというのか?
くそっ! くそっ!
状況確認すら終わっていないというのに、涙が出てきそうだ。
(男と二人きりで過ごすなんて……葵姫たんの純潔は失われた! ちくしょう!)
ここに来て自分がハードな処女厨であることを知った。
(処女厨なんて頭のおかしい童貞しかいないと思ってたのに……まさかこの俺が……)
拳を握り締める。
強く、強く、強く……!
爪が食い込み、血がにじんだ。
(まさか葵姫たんは基地外野郎とベッドの中でピロートークをかわしているんじゃ……)
ということは、葵姫たんは全裸……?
そう思うとちょっと情熱がムクムクと育ってきた。
なんてことだ……処女厨だと自覚した途端にNTR(寝取られ)属性に目覚めてしまうとは!
自分を憎んでいると、中から葵姫たんの荒い息遣いが聞こえてくることに気づいた。
(あああああああああ……やっぱり何かやってらっしゃる! 大人のスポーツを!)
水分なんてさっきのカフェでしか飲んでいないのに、大量の汗が流れ落ちた。
足元に水溜まりを作ってしまいそうなほどに。
こうなったら、もう現実から目を背けるわけにはいかない。
こっそり覗いて網膜に焼き付けて元を取るしかない。
それが負け犬の俺に残された唯一の生きる道。
深呼吸してから、ドアノブに手を載せた。
黄金色に輝くそれのひんやりとした感触が伝わってくる。
意を決して、音も立てずにドアを開いた。
(お邪魔しまんもす)
心の中でつぶやいた。
ドアの隙間から部屋の中が視界に入る。
そこには、意外な光景が広がっていた――。
「……えっ!?」
俺が危惧していた男の存在はない。
ただ、部屋の中央に葵姫たんが一人で立っていた。
彼女は浅葱色の着物をまとって日本刀を振り回していた。
踏み込みながら抜刀、すぐに刀身を翻してもう一撃。
今度は下段。
「はっ!」
「……(訓練? じゃあ、さっきの会話は?)」
声も出さずに見守り続けてしまった。
葵姫たんは俺の存在に気づかないまま、それを続ける。
「ふっ!」
納刀したままの状態から、腰をひねり、猛烈な速度で刀を抜く。
空を切り裂く音は、まるで空気の上げた悲鳴だ。
(かっけー! さすが葵姫たん……)
やばい。惚れ直す。
そう思いながら見とれていると、葵姫たんの深い瞳がこちらを向く。
気づかれてしまったか?
「あっ……」
「ただいま戻ったよ、葵姫たん! 居合いもやってたんだ。すごいね、かっこよ……」
拍手しながら彼女に近づくと、
「きゃああああああああああああ!!!!!」
ビクッ!
生まれて初めて聞くすごい悲鳴を上げて、葵姫たんはその場に倒れてしまった。
そこに凛夏が入ってくる。
床で気絶している葵姫たんと、おろおろしている俺。
「――っ!」
凛夏は変な形で口を結び、こちらを見ている。
俺が葵姫たんを襲う。
抵抗されるも、無理やり体に触れる。
葵姫たんショックで仮死。
……まさか、こんな風に誤解されてるんじゃねーだろうな?
「い、言っとくけど触ってないぞ、まだ」
言い訳じみた言葉を発した俺の横をすり抜けて、凛夏は葵姫たんを抱きかかえた。
「葵姫さん! 葵姫さん、しっかりして!」
「ふう」
部屋の片付けを終えてソファに腰をかけると、凛夏が入ってきた。
「葵姫たんは?」
「ベッドに寝かせたけど、うなされてるかな。ちょっと熱っぽい」
「風邪かな? 毎日寒いもんな」
「う……んと、ちょっと違う、と思う」
凛夏は、ひきつった顔で頬をかいている。
「風邪じゃないなら、何だよ?」
「えっ、えーと……」
「あっ! そういえばすげー悲鳴を上げてたな。わかった。刀を操る稀能だろ。好きな男に見られたら気絶してしまう制限つきの」
そっかそっか。
そうに違いない。
なるほど! 葵姫たんも俺に惚れていたのか。ヒャッホーイ!
「そんなわけないでしょ」
「じゃあ、何だよ? おまえ何か知ってんだろ」
「っ!!? し、知らない、よ……?」
「嘘つけ」
こいつ、絶対知ってやがる。
どうして葵姫たんがあんな格好をしていたのか。
どうして葵姫たんが独り言を言っていたのか。
どうして葵姫たんが気絶したのか。
絶対知ってやがる。
「おい」
「ち、チャールズと鎮鈴さん遅いね。先にご飯食べちゃおっか?」
「凛夏」
「あれっ! 博士は?」
「どっか出かけたよ! 話をそらすな!」
そそくさと部屋を出ようとする凛夏を通せんぼする。
「ちょっと、通してよ!」
口調は荒っぽいが、声に勢いがない。
顔を覗き込んでも、俺と目をあわせないよう視線を泳がせる。
「……凛夏」
「な、何よ」
「仲間だろ? 俺も、おまえも、葵姫たんも」
「……!」
はっとした様子で凛夏がこちらを向いた。
深く大きな瞳の中に俺が映り込んでいる。
彼女の肩に両手を置いてさらに続けた。
「仲間のこと心配して何が悪い? 『男が触る』以外にも葵姫たんが倒れてしまう条件があるのなら、知っておく必要がある。仲間として」
「……」
「戦闘中にこんなことが起こったら取り返しがつかないことになるかもしれねーんだ。教えてくれ」
「でも……」
「知ってるんだろ?」
「…………」
凛夏はくるりと後ろを向いて、勢いよくソファに座った。
はあっ、とため息をついて頭を押さえてる。
「凡ちゃんの言う通りだよね。……でも、葵姫さんきっとすごい気にするから……」
俺も隣のソファに腰掛けて言った。
「それでも、葵姫たんにもしものことがあるよりはいい。聞かれたくない内容なら、絶対に内緒にする。だから、話してくれ」
「……」
凛夏は葵姫たんの寝ている部屋のドアを見ながら、もじもじしていた。
「わかったわ。絶対に内緒よ」
「約束する」
「あのね……なんていうか、葵姫さんって意外とシャイというか……そういうことなの」
「はあ?」
全く意味がわからん。
話が噛み合ってないんだけど。
「ちょっと待て。いきなり話が飛躍しすぎだろ。意味わかんねーから落ち着いて話せ」
「えっ? そ、そっか。じゃあ、どこから話せばいいの?」
「そうだな……まず、葵姫たんのあの格好は何だ?」
「あれは――その……新撰組、だよね?」
「……はあ?」
新撰組?
何言ってんだ、こいつ。
「おまえ、頭大丈夫か?」
「むかっ! 凡ちゃんに言われたくないよ! どう見たって新撰組でしょ、あれ!」
「なんで葵姫たんが新撰組の格好しなきゃならねーんだよ!」
「それはその……こ、コスプレ、とか?」
はあ?
「葵姫たんが、コスプレ?」
マジで何言ってんだ、こいつ。
俺はスマホを取り出した。
検索サイトに繋いで『アメリカ 救急車 電話番号』と入力。
「ちょっと待ってよ! 何調べてんの! 私は正常だから!」
「どう見てもアウトだろーが! 意味わからねーこと抜かしやがって」
「真面目に聞いてよ!」
「一〇二四歩くらい譲って、あれがコスプレだったとしよう。どうして葵姫たんがコスプレするんだよ」
「……それは、その……好きだから、だと思う」
その時、こっちの世界の葵姫たんの姿が脳裏によぎった。
そういえば彼女は新撰組が好きとかほざいてたような気が――。
「んじゃおまえアレか? 葵姫たんはぱっと見では寡黙だけど、実は割とハイテンションで、誰もいないところでは新撰組のコスプレして独り言を言いながら剣術の稽古をしてるって言うのか?」
「……そ、そうだね。ストレートに言えばそんな感じかな」
「マジで言ってんの?」
凛夏はこくんとうなずいた。
「ほ、ほんとに内緒だからね! 彼女すっごい照れ屋なんだから!」
照れ屋ってのも想像できん。
最近ろくに会話も交わしてないし、無口なイメージしかないからなあ。
……でも超可愛い!!(主に顔が)
「男の人に触ったら死んじゃうのだって、度が過ぎる照れ屋のせいだっていうし、今回気絶したのも恥ずかしかったからだと思う……」
うーん。
筋は通ってるように聞こえるけど、そこまで照れ屋の人間の秘密をどうして凛夏が知ってるのか。
「葵姫たんはおまえにはそれ話したの?」
「えっ? ……ちょ、ちょっとだけ、ね」
「ちょっとってどのくらい?」
「え、その……コスプレが好きとか、照れ屋だとか……」
「それだけ?」
「それで十分でしょ!?」
「……本当かな。おまえもっと隠し事してるような気がするんだけど」
「本当よ! さっき聞こえてきたのも新撰組のドラマの台詞でしょ? だから、あんま立ち入っちゃいけない時間なのかな~って思って」
……あやしい。
暑くもない部屋なのに汗を浮かべてやがるし。
妙に饒舌になってやがるしな。
でも、葵姫たんに触ったら死んでしまうというのも照れ屋が原因なのだとしたら、いつか俺も触れるようになる日が来るかも。
ドクトルが触っても死なないのは付き合いが長いからだと思っていたが、不細工すぎて照れる要素がなかっただけかもしれねーな。
ってことは、俺が触っちゃアウトってのは葵姫たんが俺を『異性』として意識しているって証拠か……。
「よし、乗った!」
「えっ?」
「おまえの言うことを信じることにした! うん、葵姫たんがコスプレ好きの歴女。それでも俺にとっては全然問題ねー。むしろギャップ萌え!」
「そ、そう……よかったね」
「うむ。よかった!」
「鈴木くん!!」
突然ドアが開いた。
鎮鈴さんが青い顔している。チャイナドレスからすらっとした長い脚が伸びていてエロい。
「お、鎮鈴さん新しい服買ったんすか。いいっすねそれ」
「そんなことより、博士は……どうしたの!? 誰に殺られたの!?」
「へっ?」
博士が殺られた――?
いつ? どこで? 誰に?
っていうか、さっきまで博士と一緒にいたような気がするが、どこ行ったんだっけ。
「…………あっ!!」
しまった、忘れてた――廊下のポコチン像と一緒にしたままだった。
「ち、鎮鈴さん。念のため聞きますが、博士はどこで殺られたんすかね……?」
「すぐそこよ! 今チャールズが見てるわ。顔にビニール袋を被せられて、ひどいものだったわ」
サーッ。
全身から血の気が引く音が聞こえたような気がした。
(……どうしよう)




