第五十二話 トレボー博士
ガソリンスタンドによってからおよそ二時間。
俺たちを乗せたタクシーはロサンゼルス郊外の荒野を走っていた。
北海道で見た地平線ともまた違う、広大な大地が地平線の彼方まで続いていた。
その素晴らしい景色を最初に見た時は心打たれたが、数分も走ればあっさり飽きる。
俺はスマホをいじりながら大きくあくびした。
「ちょっと鈴木くん、あくび連発するのやめてくれる? どうしてそう緊張感がないのよ」
鎮鈴さんが助手席からこちらを振り返って文句を言ってきた。
「俺はアメリカ在住じゃないからこんな長時間車に座ることは滅多にないんすよ。じっとしてたらエコノミークラス症候群になっちまいますよ」
「……ふん。あ、運転手さん。そこのモーテルを右じゃない?」
「了解シタヨ、チンポヤロー」
ああ、退屈だ。
再び大きなあくびをすると、凛夏から着信があった。
またか。
「あいよ、どうした?」
『もしもし? さっき言ってたゴルフ場を通過したんだけど、どこにいるの?』
「だからついてこなくていいっての。葵姫たん一緒じゃねーんだろ?」
『いいから、今どの辺にいるのか教えてよ!』
「はいはい、面倒くせーなあ。えーと……あ、LAKEって看板が見えたわ。湖の近くじゃねーの?」
『えっと……この近くだと……多分マシューズ湖、かな? もしかしてゴルフ場越えてから右に曲がった?』
「知らん」
『どうして覚えてないのよ! 鎮鈴さんに代わってよ!』
「別にいいよ、おまえはホテルでごろごろしてればいーじゃん」
あいつが来たって役立つわけじゃじゃないのに。
……はあ。
「何、また凛夏ちゃんから?」
「そーなんすけどね……まあ、いいっすよ」
「かわいそうじゃない? もうすぐ着くし、教えてあげたら。近くにいるんでしょ?」
「……まあ、ね。凛夏のやつ、さっきのゴルフ場越えたって。ここ、どこなんすかね?」
「エルシノア湖の先のカウパーブッカケル・ヒルって伝えて」
「……はいはい。おい凛夏聞こえるか」
『うん。どこに行けばいい?』
「カウパーぶっかけるヒラリー・クリントンだってよ」
『はあ?』
「だからそういう地名なんだって」
『本当に?』
「多分」
『運転手さん、カウパーブッカケルヒラリー・クリントンってわかりますか? あ、はい、そこにお願いします』
あるのかよ!?
『ありがと、じゃあそこで合流しよ。またねー』
電話は切れた。
「どう、通じた?」
「……た、多分」
大丈夫かな。
別の場所に着いちゃったりして。まあ、いっか。
「そこに停めてくれる?」
「アイヨ、チンポヤロー」
タクシーは小高い丘の麓に停まった。
「ふう、疲れちゃったわね。そこのカフェで凛夏ちゃん待とっか」
鎮鈴さんが指す先には小さなカフェがあった。
西部劇に出てきそうな趣のある建物だ。
ドアを開くとカランとベルが鳴り響く。
店内には他の客はいない。
「イラッシャイ」
奥からスーパーマリオみたいな親父が現れた。
帽子にMと書いてあるし、この店のマスターだろう。多分。
「鈴木くんもアイスティーでいい?」
「うす」
「マスター、アイスティーを二つ」
「アイヨ」
ようやく一息つけた。
車の中でじっとしているのは、俺には無理だ。暇すぎる。
「オマタセダヨ」
しばらくしてマスターが持ってきたのは二杯のアイスティーと、ホットサンドだった。
「えっ、あたしたち頼んでないけど?」
「店カラノサービスデス。チンポヤロー」
マジか!
ほかほかで美味そう!
「ありがとう。遠慮なくいただくわ」
「いただきまんもす!」
マスターは嬉しそうに目を細め、カウンターの正面でスネ毛を剃り始めた。
「あ、あの。できればメシ食ってるところでそういうのはやめてもらえると助かるんですが」
さすがの俺も引くレベルだったので、恐る恐る指摘する。
「HAHAHA! スマンナ。ニッポンジンガココニ来ルノハ、ヒサシブリデ嬉シクテヨ」
『嬉しいから人前でスネ毛を剃る』という価値観がいまいち理解できないが。
「へえ、マスターは日本人びいきなの? あたしは中国人だけどね」
「アア。俺ハ若イ頃、忍者ニ憧レテタカラナ。東京ニ行ッタコトモアルゼ」
「そうなんすか? 東京のどこに?」
「水戸ダ。水戸黄門大好キザンス」
水戸?
どうりでホットサンドの中に納豆が詰められていたわけだ。
東京ではないが、まあよしとしよう。
「マスター、ちょっと聞きたいんだけどさ、トレボー博士と会ったことある?」
鎮鈴さんが名前を出したとたん、マスターの眉がぴくりと動くのがわかった。
「……オ嬢チャン。トレボーニ用カ?」
「そうなの。住所すぐそこだよね? アポをとってないんだけど、この時間でも会えるかな?」
マスターはスネ毛剃りをやめて、カウンターから出てきた。
俺たちの前を素通りして店の入り口まで行くと、ドアを少し開いて顔を出した。
(何してるんだ?)
外に誰もいないことを確認すると、彼はドアを閉め厳重に鍵をかける。
それからカウンターまで戻ってきて、ひそひそとささやいた。
「……悪イコトハ言ワネェ。トレボートハ関ワルナ」
俺と鎮鈴さんは顔を見合わせた。
「そうもいかないわ。あたしたち、雑誌記者なの。取材するまでは日本に帰れないわ」
「オー、ソウダッタノカ。ダケド、天才ト馬鹿ハ紙一重ネ。トレボーニ会ウノハヤメテ帰リナ」
「どうして?」
「会エバワカルガ、アイツハ本物ノ基地外……」
マスターがそう言いかけた瞬間、店のドアが激しく叩かれた。
ドンドン。
「ヒッ」
マスターは小さな悲鳴を上げた。
「?」
俺たちは顔を見合わせた。
「お客さん、来たみたいっすよ」
「奴ガ来タ……」
マスターは顔を青くしてそうつぶやくと、カウンターにしゃがみこんで体を震わせた。
……奴?
「誰が来たの?」
「…………トレボー、ガ」
マスターは頭を抱えたままそう小さくつぶやいた。
「うそ、マジで? ラッキー。向こうから来てくれるなんて超絶ラッキーじゃん、あたしたち。鈴木くん、失礼がないようにね」
「う、うす。わかりました」
ドンドンドン。
「はいはーい、今開けるわ」
「ヤメロ! 開ケルンジャナイ!」
鎮鈴さんはマスターには耳を傾けず小走りで入り口まで行き、鍵を開けた。
そこにいたのは、鋭い目つきをした老人だった。
ぼさぼさに伸びた白髪と、物乞いのようなぼろぼろのジャケットがいやでも目に付く。
これが、トレボー博士。
「はろー! トレボー博士ですね? 呉鎮鈴と言います。あなたに用事が……」
「……」
右手を差し出した鎮鈴さんの脇を通り抜けて、トレボー博士はカウンターまでやって来た。
手には秤を二つ持っていた。
「マスター。計測の時間だ」
低くしゃがれた声で、そうつぶやく。
「ヒイッ! ヤ、ヤメテクダサイ!」
「抵抗するな」
トレボー博士はずかずかとカウンターの中に入り込んで、ひどく怯えるマスターの手をとった。
「早く出せ」
「ヤメテエエエ」
見ていられなくなった俺は立ち上がって、トレボー博士の腕を引っ張った。
「やめろよ! いやがってんじゃねーか!」
「……誰だ、おまえは。研究の邪魔をするんじゃない」
「俺は鈴木凡太。ウンモ星人の野望を止めるために日本からやって来たヒーローよ」
「……なんだと? 小僧。ウンモ星人を知っているのか?」
「ちょっと鈴木くん!? それは言っちゃ……」
「鎮鈴さんは黙っててください。俺は筋が通らないことが嫌いでね。何の研究か知らねーけど、嫌がる人間を無理やりつき合わせるのは悪趣味だぜ。おっさん」
俺は博士をにらみつける。
何を思っているのか、博士も無言で俺に視線を返した。
「……」
「……」
博士は持っていた秤をカウンターに置いて、ようやく口を開いた。
「……玉袋の質量の研究より、おまえのほうが面白そうだな。小僧」
そして俺と鎮鈴さんを店の奥に行くようアゴでしゃくった。
俺たちはそれに従って、四人がけの席に座ることにした。
「そちらでいいかな? 入り口が見えないと落ち着かなくてな」
博士は俺たちの返事を待たずに壁際の席に腰掛ける。
彼は胸ポケットからタバコを取り出すとマスターを呼んだ。
「マスター。熱いコーヒーを頼む、三人分だ」
「ア、アイ。ワカリマシタ、チンポヤロー」
「……で? ウンモ星人に関して興味があるようだが?」
そう言って、俺には目もあわせずにタバコに火をつける博士。
「エリア5.1にウンモ……もがっ」
鎮鈴さんが手で俺の口を塞いだ。
――余計なことは言わないで、彼女は目はそう言っていた。
「博士。あなたは二〇〇六年から二〇一八年までエリア5.1に勤めていた。間違いないですね?」
鎮鈴さんは博士を真っ直ぐに見据えたまま、凛とした声で語りだす。
トレボー博士は何も言わずに白い煙を吐き出した。
「しらばっくれても無駄ですよ。あなたの給与明細のコピーを入手していますから」
彼女はバッグからA4の用紙を取り出してテーブルに置いた。
英語とたくさんの数値が並んでいた。
こんなものまで入手していたとは。
チャールズがやったのかな? なかなかやるな。
「……確かにこれは私の給与明細のようだが。どこでこれを入手したんだね?」
「それは言えません。まずはあなたが我々の質問に答える番です。エリア5.1に勤めていたのは間違いないですね?」
「……」
勤めていたかどうかくらいは答えてくれてもいいのに。
期待を裏切られた気分だ。
しかし博士はさっきまでとは違ってしきりに灰皿に灰を落とし、落ち着かない様子で視線を周囲に泳がせていた。
(バレバレなんだから正直に吐けっつーの。面倒なじいさんだな)
腕を組んで博士の様子を観察する。
「我々はNHJ、米軍、スーパー・フリーメーソンの合同チームの者です。あなたからご提供いただいた情報はどこにも漏らさないことをお約束します」
「……ぬう。わ、私はエリア5.1など知らぬ!」
「ここでは話しにくい内容でしたら、いったん退店し、後ほどご自宅をうかがいます。それでいかがです?」
「だから、知らんのだ! エリア5.1とは何だ?」
トレボー博士は根元まで吸い尽くしたタバコを灰皿に押し付けた。
――動揺している。
よし、鎮鈴さん、もうすぐだ!
がんばれー!
「オマタセシタヨ。コーヒー三人前ダヨ」
コーヒーテーブルに並べられ、張り詰めた空気がやわらかくなった。
「マスター。悪いけど、奥に行っててもらえる? 現金で悪いんだけど」
鎮鈴さんは百ドル札を数枚、マスターに握らせた。
「アリガトゴザマース! ゴユックリドゾー。チンポヤロー」
マスターは鼻歌を歌いながらカウンターのほうへ歩いていった。
そしてこちらを振り向いてウインクすると、奥へと消えていった。
よく見るとカウンターの足元に、彼が剃ったスネ毛が落ちていて背筋がぞっとした。
「さて、話はここで良いですか? 博士」
「ううう……私はエリア5.1など知らぬ……」
「では、この給与明細は何でしょう? この期間、あなたはどこに勤めていたというのです?」
「…………大学で研究をしておった」
「どちらの大学ですか?」
「……」
「大学名は?」
「……」
まるで教師に怒られる小学生のようだ。
見た目は老人だけど。
はたから見ていてもレベルの低いやり取りである。
鎮鈴さんは切り札を温存せず、ストレートに博士を追い立てている。
博士は完全に口をつぐむモードに切り替わっている。
……と言いたいところだが、博士は博士でどうしてこんなにオドオドしているのか。
国家機密に携わっていたのならば、このような尋問だってとっくに想定済みだろうし、スマートな回答も用意しておくのが普通だろう。
そして俺だって屁の役にも立たない。
相手を否定することだけは得意だが、代替案のひとつだって提案できない、典型的な『ぬちゃんねらー』思考。
自分で言っていてアレだが、チンカスみたいなものである。
そして奥に消えたマスターも立派な社会不適合者である。
今ここに、四人のクズが集結したのだ。
これからどれだけレベルの低いやり取りが繰り広げられるのか、俺自身も想像がつかないほどだ。
「本当はエリア5.1に勤めていたんでしょう? 誰にも言いませんから教えてください」
「わ、私は……」
全然話が進まないので、隣の席の椅子を並べて俺は横になることにした。
「ちょっと、鈴木くん。何してんのよ」
「寝ます」
「はあ?」
「話が進んだら起こしてくれないすか?」
「調子に乗らないで!」
鎮鈴さんが俺に突っかかってきた瞬間、大きな音を立てて窓ガラスが割れた。
「!? ……伏せてっ!!」
俺はあわてて床に突っ伏した。
鎮鈴さんも、博士も同じだ。
外から銃声が響き、次々とガラスが割れていく。
砕け散ったガラスが雨のように店内に降り注いだ。
奥の壁に掛けられた絵画は蜂の巣になり、何の絵なのかわからなくなった。
テーブルの上の食器が割れる気配を、床にへばりつきながら感じ取っていた。
「ひいぃ!!」
博士は頭を抱えて泣きそうな声をあげている。
テーブルからこぼれてきたコーヒーが背中に入った。
「あちちちっ!! 鎮鈴さん、どうなってんすか、これ」
「わからない! 怖いの!?」
「……怖くないっすけど」
「じゃあ、攻撃が止んだら、襲撃者を確かめるわよ。やれそうなら、捕らえる!」
「了解」
俺は上を見上げた。
「俺は絶対時間があるので、窓から行きます。鎮鈴さんは、あっちから」
「おっけ」
鎮鈴さんは匍匐で店の入り口に向かう。
俺は窓枠の下に背をつけて、機会をうかがった。
攻撃は止まない。
撃ち抜かれたハト時計が床に転がり落ちる。
天井の電灯や、壁紙の一部が崩れて落ちてきた。
(どんだけだよ! 無茶苦茶やりやがって!)
静かに息を潜める。
度重なるトラブルで修羅場に慣れてきたのか、不思議と落ち着いている自分がいる。
(……やれる。必ずやっつけてやる)
……今だ!
やがて訪れた攻撃の切れ目を狙って、俺は窓から外に飛び出した。




