第四十五話 <チャールズ番外編> 酒は心を語らせる 後編
「……なるほろねえ。鈴木くんって問題児なのねえ。切っちゃえばいいのに」
鎮鈴くんはおぼつかない手で、新しいボトルを開ける。
これ以上飲むつもりなのか。
「っ!」
よろけた鎮鈴くんをあわてて支える。
彼女の手を離れた瓶はごろごろと床を転がり、あっという間にあたりを酒浸しにしてしまった。
「ありゃあ……ごめんなひゃい」
やれやれ。
「私がやる」
イスを立とうとした彼女をカウンターに留めて、腕をまくる。
ええと、掃除用具は……ここか。
トイレ横の暗いスペースにバケツやモップを確認した私は、トイレのドアをノックした。
「マスター、借りますよ」
奥から聞こえるいびきをOKの返事とみなし、てきぱきと床掃除を始める。
――問題児、か。
確かに、鈴木くんの素行はお世辞にも良いものとは言えない。
葵姫くんに対する執拗な求愛行動。
モジャハイ大使への非礼。
タイニーズシアターを破壊した大喧嘩。
マフィア『BALD SKULL』とのトラブル――。
行く先々でトラブルを起こすのは、彼の浅はかさと無関係ではないだろう。
ベテランエージェントである鎮鈴くんが『切ってしまえ』という気持ちもわかる。
「……」
雑巾を水洗いして、強く絞る。
モップで床を拭き取り、私は一服することにした。
「ふう」
吐いた煙がゆらゆらと燻る。
鎮鈴くんはカウンターに突っ伏したまま寝息を立てている。
私は彼女をソファまで運ぶと毛布をかけてやった。
誰が聞いているわけでもないのに、私は蚊が鳴くほどの小さな声でつぶやいた。
「鈴木くんは、私たちの世界の謎を握る鍵なのだ」
これは最重要機密に抵触する。
不用意に知られたらどんな処分が私を待っているのか検討もつかないほどだ。
しかし、誰かに聞かれたいというのもまた本音だった。
ここにきてウンモ星人の行動が派手になってきた。
鈴木くんが彼らと接触したら、きっと何かが起こる。
その時、私――山田光宙という意識はこの世に残るのだろうか。
時空の果てに消えてしまうのだろうか。
何本目かの煙草に火をつけ、ここ数年のことを想いを巡らせる。
『我々の住んでいる世界は、まだ作られたばかりである』
異世界の存在が発見されてから、入念な調査が行われた。
二つの世界は、情報も歴史も、原子レベルまで完全に一致していることがわかった。
二〇一七年のあの日までは。
あの日の、英雄トトの書き込み。
トトは私たちの世界には現れたが、異世界には現れなかった。
そして、トトが現れた日に異世界から鈴木凡太が消えた。
トトの姿、声紋、指紋、彼の残したDNA情報まで鈴木凡太と全て一致している。
しかし鈴木くんがトトを演じていたわけではない。
鈴木くんとトトは同時に存在していたことが調査により明らかになっている。
(一時期ではあるが、鈴木くんは二人存在したのだ)
この事実が明らかになってから、我々は三つの世界が存在すると仮定した。
私が生まれ育った世界A。世界Aは英雄トトが現れてから混沌としてしまった。
十年後はどうなっているのか、想像もつかない。
いま私が滞在している世界B。世界Bはこれまでの数千年の歴史の延長にあると考えていい。
おかしなことといえば、ウンモ星人による歴史の介入だけだ。
英雄トトが魔王を討伐した世界C。トトの伝えた呪文で訪れることができるとされていたが、裏づけはない。
呪文を唱えた者は姿を消し、しばらくしてから異物として再び現世に現れる。
異物を倒すと人間の姿に戻るが、呪文を唱えてから救出されるまでの記憶を持っていた者は確認されていない。
世界Cを確認できた人物はただ一人しかいないのだ。
物証はトトの遺した剣だけ。
鈴木くんに接触する前、我々は数ヶ月かけて彼のことを調べ上げた。
そして、彼に近しい人物のことも。
その結果、稀能者は全て彼に接触したことのある人物であると裏がとれた。
彼の幼馴染である凛夏くん。彼と同じオタク系イベントを出入りしていた葵姫くん。
入院した小学生時代の彼を担当したビグザムくん。鈴木くんの幼稚園の近くに住む変質者だった近藤くん。
私は鎮鈴くんの寝姿に目をやった。
自覚はないかもしれないが、彼女も十年前、鈴木くんと夏休みの帰省先で出会っている。
私自身も六年前に新宿駅の公衆トイレで彼とすれ違っていたことが確認できた。
様々な情報を元に、組織が出した仮説は、こうだ。
『二〇一七年のあの日、世界は二つに分かれた。世界Bこそが本来の歴史であり、我々の住む世界Aは、鈴木凡太の見ている夢である』
世界Aは、そして住人たちは、私たちにとって不条理であり、彼にとっては都合が良すぎるのだ。
私も、凛夏くんも、みんな彼が見ている夢の登場人物に過ぎないというのだ。
私は自分の喉に触れた。
この身がすべて実在しないものだとしたら――と恐ろしくなる。
同時に、その恐怖すら本当に私が体感したものなのか疑ってしまう。
この疑念も、思い出も、全てが彼の夢の一処理に過ぎないのだとしたら。
私は頭を抱えた。
考え出したらきがないことは、この数年でいやというほどわかったはずだ。
考えないと決めていたのに。
「やはり酒はダメだ……」
虫を払うように、途切れ途切れの思考のピースを頭から振り払った。
「宿に戻ろう」
独り言を口に出して、自分に言い聞かせる。
「明日、十時にホテルまで来てくれ」
「……ん……」
鎮鈴くんの肩を揺らして言葉を投げる。
通じたのかわからない。が、彼女もプロだ。心配は無用だろう。
「マスター。邪魔したな」
三〇〇ドルをカウンターに置いて、バーを出た。
夜明け前のもっとも寒い時間だった。
吹きすさぶ風が心の芯まで凍てつかせる。
なんとか車にたどり着き、エンジンをかける。
手がかじかんでうまくハンドルを握れそうにない。
暖房をMAXでかけて、指先を解凍する。
「まるで冷凍食品だ」
つまらない言葉を口にする余裕ができてきたので、アクセルを踏んで車を発進させた。
駐車場から出た途端、パトカーが進路を塞いだ。
白人と黒人のごつい警官コンビが降りてきた。
パワーウインドウを開ける。
「何でしょう?」
「キサマ飲酒運転シタネ、チンポヤロー」
……しまった!
あまりに久々に飲んだので、飲酒運転という概念を忘れていた。
「降リテキナ」
言われるがままに車を降りる。
「キサマ、ドウシテフルチンネ?」
黒人警官の指摘を受けて私も下半身が裸であることに気がついた。
そういえばズボンはマスターに被せたままだ。
パンツはいつの間にかどこかにいってしまったらしい。
「すみません、気づきませんでした。どうりで寒かったわけですね」
「シャラップ!」
警官の警棒が私自身の警棒を直撃した。
痛い。
「ハハハ。家マデ我慢デキズ、車内デチンチンシュッシュカ?」
「コレガホントの『チンシュ運転』ッテカ? 笑エネーゾ。ニポンジン」
「ED治療中ノ俺ヘノアテツケッテワケカ。イイ度胸ダ」
「自由ノ国デモ、ヤッチャイケネーコトガアルンダッテ教エテヤルゼ」
ヤクでもキメているのか、目が普通じゃない。
「あの……見逃してもらえないでしょうか」
「アアン? ナメルナヨニポンジン。ソレトモ舐メルノ得意カ?」
警官は二人そろってポロリしやがった。
「……勘弁してもらえませんか?」
「キサマノ心ガケ次第ダヨ。チンポヤローガ」
走って逃げようとしたが、すぐに捕まってしまった。
「ヒヒヒ……嫌ガル姿ガカワイイゼ」
「マア、キサマハモウ袋ノネズミダケドナア」
「ワイノ玉袋モネズミサイズ。HAHAHAHA」
……終わった。
私はがっくりとうなだれた。
こんな世界、なくなってしまえばいいのに。
アルコールのせいか自暴自棄な気持ちになりながら、私は葵姫くんと鎮鈴くんにメールを入れた。
「不本意にも、大人の階段を上ることになりました。今日の作戦は夕方まで延期させてください」




