第四十四話 <チャールズ番外編> 酒は心を語らせる 前編
今回はチャールズ視点の話です。
「チャールズ、そこを右に入ってくれる?」
助手席の鎮鈴くんが指したのはスーパーマーケットだ。
私はウインカーを出し、駐車場に車を入れた。
深夜の駐車場は閑散としていて車はほとんど停まっていない。
それにしても、日本では大型ショッピングモールでしかお目にかかれないほど広大な敷地だ。
「看板の前で停めて」
彼女の指示に従って駐車場を横断し、大きな看板の前に車を停める。
車が完全に静止すると、鎮鈴くんはシートベルトを外した。
「ありがと。作戦に関しても大体理解したわ」
明るい声でそう言ってハンドバッグに手を伸ばす彼女。
反射的に横目で時計を見ると、時刻は午前一時を回っていた。
どうしてこんなところで降りようというのか。
周囲を確認してみたが、ホテルらしきものは見当たらない。
あるのは灯りの消えたスーパーと、マンションだけ。
ここから歩いてホテルまで行くつもりなのかもしれないが、こんな時間に女性を一人で歩かせて良いはずがない。
ここは安全な日本ではない。アメリカなのだ。
どんな事情があるのか知らないが、彼女がなんと言おうとホテルまで送るべきだろう。
そうこうしているうちに彼女はドアに手をかけていた。
「明日は十時にホテル・カリポールのロビーに向かうわね」
「ちょっと待ってくれ」
車から降りようとした鎮鈴くんを呼び止める。
「ホテルまで送る。案内してくれ」
「過保護なんだから。すぐそこだから、大丈夫よ」
鎮鈴くんは車から降りてドアを閉めた。
ふう、と溜息をついて私も降りる。
「君は大丈夫でも、私が大丈夫じゃないんだ」
私は助手席側に回り込んで、鎮鈴くんの顔を真っ直ぐに見つめる。
彼女もこちらを見つめ返す。
冷たい風が駐車場を吹き抜けた。
枯れ葉がカサカサと音を立てながら私の足元で踊る。
「……くしゅっ!」
彼女は両手で口を押さえ、小さなくしゃみをした。
「寒いのか?」
愚問だった。
タンクトップにカーディガンを羽織っただけの格好だ。
寒くないわけがない。
昔から私はこうだ。
すぐに上着をかけてやればいいのに、無駄な意思確認を挟んでしまう。
こんなだから私は『コミュ障の山田』略して『コミ山』などという不名誉なあだ名をつけられてしまうのだ。
「風邪を引かれたら作戦に支障をきたす。早く車に乗りたまえ」
私は助手席のドアを開いて、鎮鈴くんを押し込んだ。
運転席に戻ってエンジンをかける。
「ホテルの住所は?」
「えーと、その……」
鎮鈴くんは言葉に詰まった。
頬をかいて視線を泳がせている。
「言いたくない理由があるのなら、そう言ってくれていい。誰にも口外するつもりはない。しかし作戦に悪影響が出ては困るんだ」
半分本音で、もう半分は嘘だった。
作戦があろうとなかろうと、誰かが風邪を引くのは嬉しくない。
他人からは『優しい』『過保護だ』とよく言われるが、私自身はこの感情は歪んだ支配欲に近いものだと認識している。
友人も部下も、自分の管理下に置いておきたいのだ。
私に黙って風邪を引くことすら許さない。
優しい――か。私は優しいのか。それとも私は究極の自己中心的な人間なのか。
そんなことを久しぶりに考えてしまうほどの時間、彼女は黙っていた。
しかし、結果的に彼女の選んだ言葉は
「やっぱさ、ここでいいよ。すぐ近くだから」
というもの。
ここまで頑なな態度をとられては、鈍感な私でも彼女が何かを隠していることを確信できる。
そして、それを本気で隠そうとしているわけではないことも。
だから私は、彼女が何を隠しているのだとしても受け入れてやると心に誓って、彼女に問うた。
「……わかった。怒らないから言ってみたまえ。ホテルはとっていないのか」
彼女は少し意外そうな顔を見せたが、それが建前の演技だということもよくわかる。
「あはっ。その、ね……ホテルの部屋はとってないというか、なんというか……お金もったいないし」
いま、彼女は心の扉をひとつ開いたのだ。
私は『話のわかるクライアント』として彼女の中で一段階上にランクインし、彼女は私の支配欲を満たしてくれる『友人』枠に一歩踏み込んだことにままならない。
お互いの間に立ちはだかるベルリンの壁を一枚取り払う儀式は恙なく完了した。
こうなると話は早い。
「宿泊費は経費で落ちるだろう? 立て替える金もないのか?」
「違うってば。もったいないじゃん、ホテル代。領収書なんていくらでも偽造できるしさ」
彼女は悪びれた様子もない。
なるほど。ホテル代を着服していたのか。
私は溜息をついた。
同時に彼女の隠していた事実が大した問題ではなく、ほっとしたのも本音ではあるが。
「そういうことか……。まあ私は構わないが、まさか野宿はしていないだろうな? 体調管理も作戦のうちだぞ」
「大丈夫、大丈夫。見える? あそこに泊めてもらってるの」
彼女は数十メートル先の建物を指した。
スーパーの敷地から道を挟んだ向こう側。小汚いマンションが並んでいる。
「あれは?」
「友達がバーを経営してるの。だから大丈夫ってわけ」
バーか。
そういえば長いこと酒は飲んでいないな……。
最後に飲んだのはいつだったか、記憶の糸を手繰り寄せた……が、思い出せない。
良い職場に恵まれているとは思う。
しかし、頭の片隅をよぎった小さな思いが言葉となって頭の中にリフレインした。
(私は一人ぼっちなのではないか……)
「そんなわけだから……チャールズこそ寝坊しないようにね」
鎮鈴くんは笑いながら憎まれ口を叩いた。
「それじゃ、お疲れー」
と、再びドアを開いて車から降りる。
私は返事せず、そのまま助手席のドアが閉まるのを待っていた。
何かの行動を起こそうとしたものの勇気が出せず、待ちに徹することにしたのだ。
傷つきたくないがために、私はこういった手口をよく使う。
何秒か経ってもドアは閉まらず、冷たい冷気が車内を侵食する。
(ドアを開けたまま行ってしまったのか?)
不安を感じて横を向くと、鎮鈴くんはドアに手をかけたまま立っていた。
私と目が合うといたずらっぽい微笑を浮かべ、おそらく私が一番ほしかったであろう言葉を忠実に再生した。
「チャールズって飲めるの?」
『BAR BOO BEE BUBO BURIBURI』
マンションの一階に掲げられた看板には舌を噛みそうな名前が刻まれていた。
ドアを開く。薄暗い店内を見渡してみたが、客はいなかった。
久々に聴くアナログレコードが良質なジャズを奏でている。
「ただいまんもすー」
数段の階段を下り、鎮鈴くんはカウンターの奥から二番目に座った。そして隣に座るよう私に促す。
赤レンガがむき出しの壁に私がコートを掛けると同時に、眼光の鋭い男性が奥から現れた。
歳は私より少し上――五十台くらいのアジア系の男だ。
ドクトル近藤ほどではないが、真っ黒なヒゲが両耳とあごを繋いでいる。
清潔感のある黒いベストと、真っ白なブリーフのコントラストが映える。
ん?
……ブリーフ?
なぜこの男はブリーフ姿で接客しているのだ。
鎮鈴くんも間違いなくそれを認識しているはずだが、気にしている様子はない。
こちらの世界は我々の世界とよく似通ってはいるが、細部では文化や価値観に大きな違いがある。
私の目には非常識としか思えないが、こちらでの生活が長い鎮鈴くんからすればブリーフで接客することは他愛のないことなのかもしれない。
「あー……Could you bring me an ashtray?」
ブリーフを意識から追いやるように彼の顔を真っ直ぐ見て、灰皿を求めた。
ブリーフの男――店のマスターは、忍者漫画で手裏剣を投げる時のような仕草で灰皿を投げつけてきた。
顔面にぶつかる間際で灰皿をキャッチする。
「アイムソーリー、ヒゲソーリー。お客様」
マスターは悪びれた様子もなくそれだけ言うと、カウンターの中でウォッカをあおりはじめた。
正直少々いらっとしてしまったのは事実だが、アメリカでは喫煙者に対する風当たりが強いということだろう。
頭を冷やしながらマルボロに火をつける。
「あはは、日本語でいいって。英語で喋られたからムカついただけだと思うよ」
鎮鈴くんはボトルキープしたスコッチを持ってこさせ、私に継いだ。
「ありがとう」
「あ、お金はもらうから礼はいいよ」
けらけらと笑う彼女と乾杯し、数ヶ月ぶりのアルコールを喉に注ぐ。
……うまい。
熟成されたウイスキーの香りと味は、しっかり閉じたはずの私の心の扉にも、ゆっくりと染み込んでいった。
「確認しなくてもわかってるわよお。その博士から通行証をもらうだけでしょ? よゆうよゆう」
鎮鈴くんは乱暴にグラスを置く。中のウイスキーがグラスの縁をぐるりと回って零れ落ちる。
「相当酔ってきているようだが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「らいじょぶらいじょぶ。よゆうよゆう」
黙って話を聞いていたマスターも、いつの間にかブリーフから中身をポロリしていた。
顔には出ないが酔いやすいタイプのようだ。
たちが悪い。
しかし私自身もトイレから戻って以来ずっとポロリしていたことに気が付いたので、指摘するのはやめた。
今夜は無礼講。
私はズボンを脱いで、マスターの頭に被せた。
そのまま出入り口の階段を上り、ドアを施錠する。
擦りガラス越しにかかっている看板も裏返し、『CLOSED』に。
これで肉棒を出そうが振り回そうが誰にも迷惑はかかるまい。
アルコールは私の体内を駆け巡り、気持ちをハイにさせていった。
カウンターに戻ろうとするも、足がおぼつかない。
気づかないうちに、私にもずいぶん酒が回ってきていたようだ。
こうなってしまっては、翌日後悔することを知っていた。
作戦前夜にこんなことになってしまうとは、我ながら情けない。
しかし、久々のこの感覚は心地よくもあった。
何年も前から心配していたXデーが近づいているのだ。
うまくいけば、あと数日で鈴木くんはウンモ星人と接触するだろう。
そうなったら何が起こるかわからない。
ひょっとすると世界が消えてしまう可能性だってあるのだ。
だから……今日ぐらいは酔ってもいいのではないか。
「なあにまた気難しい顔してるのお。うふぇふぇふぇ」
鎮鈴は私の首に手を回してきた。
彼女もまた悪酔いしている。
「いや……明日のことを考えていただけだ」
「らいじょぶだって言ってるでしょー。エロ博士からもらうんれしょ」
「そんなに酔って本当に大丈夫なのか? 午後からにしても一向に構わないが」
「らいじょぶらいじょぶ」
「らいじょぶらいじょぶ」
マスターまで壁に寄りかかったまま鎮鈴の言葉を復唱する。
いつの間にやら彼は全裸だ。
正直な話、目障り・不愉快を通り越して殺意まで湧き上がってきた。
私は懐に手を入れて銃の撃鉄を起こした。
するとマスターは白鳥の湖を踊りながら奥へ引っ込んでいった。
酔っていても生存本能は残っていたらしい。
ああ、嫌な酒だ。
自制心が薄れると、私はここまで攻撃的になってしまうのか。
「ますひゃー、どこいくのお? ふふふ」
「彼は退場した。私もそろそろ戻ろうと思う」
「まってよう。もうすこしのも? 鈴木くんのはなしききたいなあ」
……。
鈴木くんの話、か。




