第二十九話 閉ざされた熱帯雨林
部屋の中は緑でいっぱいだった。
観葉植物とかそういうレベルではない。
ジャングルと言っても過言ではないほどの大量の植物で埋め尽くされており、何千何万ものカブトムシの群れが天井近くを飛び回っていた。
室内とは思えないほど湿度が高く、じめじめしている。
「な、なんすかこれ……」
おかしな施設だとは思っていたが、こんな部屋があるとはさすがに想像もしていなかった。
「おかしい……以前はミニシアター風の部屋だったはずだ」
さすがのチャールズも動揺を隠せない。
飛んでくるカブトムシを必死に手で振り払いながら
「どこかにスクリーンがあるはずだから、進もう」と言う。
えええっ!? このジャングルを!?
樹や葉っぱが多すぎて前も見えないのに!?
つーかマジでカブトムシ多すぎ!
「とりあえずいったん部屋から出ませんか? こんなとこで教育ビデオ見たくないっすよ」
「まあ、それには私も同感だ。一度出よう……ぬおっ!?」
ドアノブに手をかけた時、カブトムシの大群が向かってくることに気づいた。
「やばいっ!」
まるで黒い霧だ。
ドアを開けると同時にカブトムシたちはスピードアップ。
あいつらを部屋から出したら基地内がパニックになってしまう。
俺は外に飛び出し、外からドアノブを掴んだ。
「早く!」
しかし、チャールズは来ない。
彼の足に不気味な植物のツルがからみついていた。
「くそっ!」
俺はチャールズを助けるため、部屋に戻りドアを閉めた。
「鈴木くん! 足が……!」
「わかってます!
彼の足に巻きついたツルをたどっていくと、巨大な植物に行き着いた。
樽のようなもの先端に毒々しいピンクの花びらが開いていた。
根元から伸びたツルは、獲物を探す触手のようにウネウネと動いていた。
(食虫……いや、食人植物か……!? キモッ!)
ドアが閉まったことで行き場を失ったカブトムシたちは編隊を組んで部屋の中を飛んでいた。
それに気づいた食虫植物は、その愚鈍そうな見た目から想像もつかない猛スピードで触手を伸ばす。
カブトムシは絶妙に旋回しそれらをかわしていく。
一瞬で数百匹が犠牲になると思ったのに。
(すげえ……!)
おっと、そんなことよりチャールズを助けなくては。
いつの間にかチャールズは両手両足を触手に捕らえられていた。
「す、鈴木くん助けてくれ……」
「わかってます!」
手近に落ちていた手ごろな枝を手にとった。
バットと同程度の太さだ。水浸しの床から拾い上げたので、微妙に湿っているのが気持ち悪いけどこれなら折れないだろ。
見てろよ!
「うおおおりゃああああ!!!!」
食虫植物の横っ腹を全力でフルスイング!
――硬っ!!!!
大木を殴りつけたようでびくともしない。
「もういっちょ!!」
思いっきり…………フルスイング!!!
バキッ!
枝は折れてしまった。
「鈴木くんっ!!」
俺は逃げることにした。
「本日の営業は終了しましたっ!」
「ええっ!? そりゃないだろ、鈴木くん!!」
「ごめんチャールズ!!」
「鈴木くううううん!!!」
腹ほどまである草をかきわけ、ドアにたどり着いた。
ノブに手をかけた瞬間、チャールズとの思い出が頭をよぎった。
喫茶店で出会った時のこと。
俺が稀能者だと教えてもらった時のこと。
……他には特に思い出はなかった。
今なら、見捨ててしまっても後悔の念は少なくて済むだろう。
良かった、付き合いが短くて。
俺はドアを開けた。
「鈴木くううううううううううん!!!!」
悲痛そうなチャールズの声が背中に刺さった。
――俺の心の中では天使と悪魔が懸命に戦っていた。
「チャールズなんて見捨てちまえよ。おまえが生き残ることが大事だろ」
と悪魔が言えば、天使が
「あんたは鬼よ! 困ってる人を見捨てて逃げるなんてできないわ!」
と返す。
「バカ天使が! チャールズを助けに行って二人ともやられちまったらどうすんだよ!」
「愚かなのはあなた。人としての心を失ってまで生き残る価値なんてないわ!」
「おまえチャールズにされたことを忘れたのか! エロゲ中にハッキングしてきたり、食い逃げに巻き込まれたり……ろくな目に遭わされてないだろ!?」
「そんなことないわっ! それ以上に彼は大きなものを与えてくれたでしょ!」
「具体的には?」
「えっ」
「具体的には何だよ。チャールズが何を与えてくれたってんだよ」
「……」
「言ってみろ。バカ天使!」
「……そういえば、おじいちゃんの法事だったの忘れてたわ。この続きはまた今度ね!」
二人のやり取りを見守っていたが、天使が早退したため悪魔が勝ちました。
よし、逃げよう!
その時、葵姫たんの寂しそうな横顔が頭をよぎった。
……!!
葵姫たんは背を向け、消えていった。
――いけない!!
チャールズがいなくなったら葵姫たんは悲しむはずだ。
そしてチャールズの消えた原因を探るに違いない。
もしも俺が見捨てたせいとバレたら……
絶対にフラれる!!!!!
ここでチャールズを見捨てて葵姫たんに嫌われるより、チャールズに恩を売って仲人になってもらったほうが俺にとってもメリットは大きいはずだ。
「チャールズぅぅ!!」
俺は叩きつけるようにドアを閉めた。
そして血なまぐさい戦場に、再び足を踏み入れた。
「鈴木くんっっ!!」
「言っておきますが、今のはドッキリっす。俺はチャールズを見捨てたりしない。だから……」
俺は彼の腕に絡みついた触手を強く握り締めた。
「だから葵姫たんには絶対内緒っすよオオオオオ!!!!!」
そして、強引に引きちぎった!
ブチブチブチィーーッ!
「おおっ!」
片腕が自由になったチャールズは、ライターを俺に投げた。
「これで焼ききってくれ!」
「うい!」
チリチリチリ……触手を焼き切るのは地味で時間のかかる作業だった。
「ぐわっ!」
新たに伸びてきた触手が俺の足首に巻きついた。
「鈴木くんっ!」
「ううああああああああ……!」
触手は見た目から想像のできない強さでグイグイと俺の足を締め付けてくる。
チャールズの両足と左手、俺の両足が触手にとらわれてしまった。
「万事休す……か!」
それは俺が一度言ってみたいセリフだったが、まさか本当に言う機会に恵まれるとは……!
全身を脂汗が流れる。
「このヤロー!」
チャールズは右手で必死に触手をちぎろうとしていた。
諦めちゃいけない……そうだ!
樹の根元に拳大の石が落ちているのを見つけた。
それを拾って力いっぱい触手を殴りつける。
何度も繰り返しているうち、ブチュッとした手ごたえを感じ、潰れた触手から白い体液が流れ出した。
するっと足首が触手から抜けた。
これだ!
「チャールズ! 石だ! 石を使うっす!」
「わかった!」
「うおおおおお!!!」
俺たちは身体を締め付ける触手を一本一本叩き潰した。
助かった……!
「鈴木くん、無事かっ!」
「俺は大丈夫っす。チャールズは?」
「大丈夫だ」
無事合流した俺たちは、近くにあった巨大な岩に目をつけた。
豚一頭分くらいのサイズはあった。
チャールズがちらりと俺を見て、言った。
「……鈴木くん、殺るかね?」
「……即効即決! スピード処刑です!」
俺はうなずいた。
「うおおりゃあああ!!」
二人がかりで岩を持ち上げる。
ミシッ、ミシッ……。
とてつもない重さだが、少しずつ床の土から剥がれていくのが感じられる。
「ぬおおおお!!!」
「むおおおおお!!!!」
「ッシャアーーーー!!」
何とか岩を持ち上げた俺たちは、じりじりと食虫植物ににじりよった。
「いいか? せーのでいくぞ」
「はい」
「……せーの!!!」
全体重を乗せて岩を投げ飛ばす。
岩は食虫植物の花弁めがけて、まっさかさま。
ブシャアッ!
嫌な音を立てて、食虫植物は岩の下敷きになった。
「乗るぞ!」
「うい!」
すぐさま岩に飛び乗って、その上で数度ジャンプ。
グシャッ、ブシャッ……グチュ、グチュ……!
悲鳴のような音を立てながら体液をまきちらかす食虫植物。
しばらくは触手の先が虚空を漂っていたが、やがてぴくりとも動かなくなった。
「……勝った!」
「やったな、鈴木くん」
食虫植物の体液にまみれながら、俺たちはガッチリと握手した。
さっきまでそこらを飛び回っていたカブトムシたちがあっという間に食虫植物の死骸にむらがった。
どうやらこの体液は甘いらしい。
俺たちに付着した体液目当てでカブトムシが飛んでくる。
怖っ!
チャールズは体液まみれのスーツを放り投げた。
「今だ!」
カブトムシがスーツに気をとられているうちに、俺たちは部屋の外に出た。
「はあっ、はあっ……」
「助かった……」
「ちょっと休憩させてくれ……」
チャールズは資料室の壁に寄りかかって煙草に火をつける。
「こらー! ここは禁煙よっ! ぷんぷんっ!」
奥からやってきた栗本さんはカンカンだ。
「栗本さん。この中はどうなってるんだね?」
「あっ!」
口に手を当て、ぶりっこ顔で驚いた仕草をする栗本さん。
「いっけなぁーい、チャールズは知らなかったのよねっ。『視聴覚室』は去年からカブトムシの養殖場にしてるの。隣が『視聴ルーム』だから、間違えちゃダメよ★ ちゅっ」
「……はあ?」
チャールズとは思えない、ドスのきいた声だった。
怒ってる。絶対怒ってる。
「どうしてカブトムシを養殖してるんすか?」
「あたしの小遣い稼ぎに決まってるじゃない! 結構高く売れるのよ。あ、まさか逃がしてないよねっ? 一匹でも逃がしたら罰金もらうからねーえ!」
悪ぶれる様子もない栗本さん。
顔を見合わせる俺たち。
「……チャールズ」
「ああ」
俺たちは拳を力いっぱい握り締めた。
「……せーの!!!!!!!」




