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第二十五話 危うきこと朝露の如し

「DO……DO UNMO……」


 ドクトルは股間を押さえ、泣きながらもがいていた。

 女性もののビキニ(上下黒)を着用した毛むくじゃらの中年。

 ある意味では雪男より恐ろしい風貌ふうぼうをしてやがる。


「ドクトル、どうしたんだよ。俺のこと忘れちまったのか?」


 しゃがみこんで顔を覗き込む。

 それにしてもひどいものだ。パーマのかかった体毛を全身にまとい、頭のテッペンはツルツル。ほとんどカッパと言って問題ない。

 毛が生えたカッパ。略して毛ガッパ。


「チャールズが外で待ってるぜ。多分あんたを連れ戻すのが俺の指令だったんだろ。ほら、立って」

「UNMO……DO DO DO」

「何言ってるのかわからねーよ。つーかいい年して泣くのもやめろって……あっ!?」


 そうだ、忘れてた。

 異世界こっちのせかいのドクトルと俺は初対面なんだっけ。

 俺は片膝をついて頭を下げた。


「悪い悪い、勘違いしてた。俺は鈴木凡太っていうんだ。あんた近藤さんだよな? 俺、あんたの敵じゃねーからさ。だから泣き止ん……」


 言いかけたところで後頭部にゴリッとした冷たい感触を感じた。


 ――銃!?


 両手を上げて、抵抗する気がないことをアピール。


「スズキ……何者だ? コンドーのことを知っているのか?」


 よく通る低い声。

 感情の抑揚よくようを感じない、ぞっとするような響きだった。


 ちくしょう。全然気配に気づかなかった。

 こいつは只者じゃねえ……プロだ。


 カチリと撃鉄げきてつを起こす音が耳元で聞こえた。

 おいおい、いきなり殺す気かよ……。

 ゼロ距離でも俺の絶対時間モラトリアムは対応できるのだろうか?


 背筋に冷たいものが走った。


「答えろ。貴様は何者だ?」


「こ、答えるから殺さないでくれるよな?」

「早く答えろ」


 ……ダメだ。本当に殺されそうだ。

 やむを得ん。助かるためにはチャールズを売るしかない。

 自分が助かってチャールズに復讐ふくしゅうもできる。一石二鳥じゃないか。

 よーし。


「は、はい。すべて話します。俺はNHJに利用された善良な一般市民です!」

 『利用された』を強調。


「NHJ? 外の警官隊を指揮しているのは日本秘密情報部の人間か?」


 背後の声の冷たさが少しだけ緩和されたような気がした。

 よし、いけるかも……!

 手を上げたまま、俺は続けることにした。(ちなみにドクトルは股間を押さえて泣いている)


「そ、そうです。責任者はチャールズ山田という血も涙もないクソ野郎です!」

「山田? ……まさか山田光宙か?」


 初めて声に驚きのようなニュアンスが加わった。


「ご、ご存知でしたか?」

「この業界で山田のことを知らぬ者などおらぬ」


 チャールズってそんなに有名人だったのか!


「なるほどな。貴様は山田の差し金というわけだな」


 銃がより強く頭に押し付けられた。


「ち。違いますって! むしろ山田は俺の敵です!」


 必死に無関係アピール!


「……」


 この沈黙が怖い。


「ほ、本当ですよ! あなたがどなたなのかも知りませんし、山田のことなら何でも話しますから! マジで! 許してちょんまげ!」


「……貴様が知っていることを話せ。生かすか殺すかその後決めてやる」


「あ、ありがたき幸せ! では、さっそくですね……」


 後頭部に銃を突きつけられたまま、俺はすべてを話した。

 共通の知人を介して山田と知り合い、モジャハイ大使館のテロを未然に防いだこと。

 そのまま次の任務に巻き込まれたはいいが、目的すら不明であること。

 愛する女性の前で恥をかかされた山田に復讐を遂げたいということ。


 もちろん俺が別の世界からやって来たことと、稀能パーソナリティに関する話題は触れていない。


「……それで全てか?」


 低い声が部屋に響き渡る。


「は、はい! 全てでござりまする!」


「山田はなぜ貴様を連れてきた?」

「なぜ、と言いますと……?」

「あの男が貴様のようなド素人を連れてくるはずがない。何を隠している?」

「か、隠してましぇん……!」


 凄まじい緊張感が全身を襲う。

 ビリビリと静電気のような感覚が全身を包む。

 これが『殺気』というものか……。


 俺はここで殺される。


 確信めいた予感を感じ、悲しくもないのに涙があふれてきた。


 稀能者インフェリオリティなんて言っても、結局ゼロ距離で銃を突きつけられちゃ何もできねえじゃねえか……。


「最後に言いたいことはあるか?」


 ――ああ、終わりが近づいてる。


 葵姫たんに性的いたずらのひとつやふたつもできずに死んでいくなんて……そんなの……いやだ!

 (ついでに、泣き疲れたドクトルが目の前で寝息を立て始めたのも許せん! 痛い目に遭わせてやりたい!)


 突破口はないのか……!?

 ひ、ひとまず時間稼ぎをしながら考えないと。


「あ、あのですね……じ、自分童貞でして……」


 状況を整理しろ。

 俺はしゃがんだまま後頭部に銃を突きつけられている。

 下手な動きをしたらズドンだろう。


「ケツなら貸さんぞ。言いたいことはそれだけだな?」


「あーっ! ちょっと待って! タンマタンマ! 違うんす、その、童貞でして……」


「……早く結論を言え」


 ゼロ距離射程では絶対時間モラトリアムも効果がない……と思う。

 いや、ひょっとしたら弾が銃身バレルの中を移動している一瞬が時間的猶予になるのかもしれない。

 しかし、俺自身が絶対時間モラトリアムの性能を一〇〇パーセント把握しているわけではない以上、危険な賭けになるだろう。


「あの、童貞なので、せめてですね、冥土の土産におっぱいを見たいというか……」


 本当はさっき凛夏のを拝見したけどな。しかももっと恥ずかしいところまで。

 ……いやいやいかん、凛夏の(くだらない)ことを考えてる暇はねー!

 生き残るすべを考えないと!


「冥土の土産がおっぱいだと? ふざけやがって!」


 ひぃぃぃぃ!

 語気が荒くなってらっしゃる!


 お、お怒りっすか!?


『すいません!』と思わず頭を下げそうになった瞬間、稲妻のように妙案が浮かび上がった。


「す、すみませんでしたッッ!」


 涙交じりの声で叫びながら、全速力で頭を下げた。


「ッ!?」


 男の殺意が大きくふくらみ、弾けとんだ。

 引き金を引く気配と、まばゆい光がドクトルの顔を照らすさまをはっきりと確認した。


 ……よし!


 ヤツは躊躇ちゅうちょなく俺を撃った。

 閃光マズルフラッシュがあれだけくっきり見えたということは、俺は絶対時間モラトリアムの真っ只中にいる!

 頭を下げたことで銃口と後頭部の間に数十センチの隙間が生まれ、それが時間的余裕に繋がった。


 すぐに身体をらして銃弾をかわすのもいいが、それじゃ意味がない。

 相手が油断している今のうちに活路を見出さなければ!


 俺は振り返った。

 銃弾は数十センチ前方に浮かんでいた。


 少し頭を逸らせば簡単にかわせるだろう。

 しかし、俺はかわさない!


 絶対時間モラトリアムは生命の危機を逃れた時に解除される。

 逆を言えば、『生命の危機にひんしている限り絶対時間モラトリアムは継続する』はずだ。

 さらに言い換えれば、『絶対時間モラトリアムを継続させたければ、危機に身を置く必要がある』。


 周囲にとっては一瞬の出来事なのだろう。

 まだ、一瞬の閃光はまだ消えていない。

 殺意に満ちたヤツの顔が、はっきりと見えた。


 俺は銃弾に向かって飛んだ。

 ギリギリでかわし、ヤツのふところへ飛び込めるように。


 銃弾は俺の髪の毛をかすめていった。

 直後に絶対時間モラトリアムが解け、発砲音が鳴り響く。


「ウボァー」


 ヤツの腹に頭から突っ込んだ俺は、そのまま全身のタックルにつなぐ。


 俺が頭を下げてからここまで、〇.一秒にも満たない時間だったに違いない。

 殺したと思った相手が目にも見えないスピードで体当たりしてきたら避けられる人間なんているはずがない。


 よし、狙い通りだ!


 そのまま俺とヤツは壁に激突し――と思ったら、壁をぶちやぶり廊下へ転がり出た。

 ワーオ、想像以上の破壊力だったな。俺ってあんなに瞬発力あったっけ?

 これが噂の火事場の馬鹿力ってやつだな。うん。

 自分でもびっくり。


 すぐに立ち上がり、ヤツの銃を回収。


 ヤツは腹を押さえたままうめいている。


 よし、形勢逆転だ。


「おい、さっきはよくもやってくれたな」

 銃を構えたまま俺はヤツに近づく。


「うぐぐ……貴、様……まさか、稀能者インフェリオリティか……? ぐぼっ」

 俺を睨みながらヤツは吐血した。


 !?


 何者だこいつ。

 異世界こっちのせかいには稀能者インフェリオリティなんて存在しないはずでは?


「おい、何でそれを知ってるんだよ? おまえら誰だ? ドクトル近藤とどんな関係だ?」


 心に余裕を取り戻したことで、ヤツの顔を観察する余裕が生まれた。

 二十代半ばくらいだろうか。

 ビジュアル系みたいな銀髪の色男。

 切れ長の目がいかにもモテそうで頭に来る。


 っていうか、見れば見るほど整った顔してやがんな。

 外人モデルみてーだ。

 ムカツク!


「ぐ……」


「答えたくないのならいい。貴様が死ぬだけだ」


 と、ヤツっぽい口調で真似てみた。

 しかしヤツは落ち着いた口調でこう返しやがった。


「……殺せ」


 いやちょっと待て!

 それはねーだろ。

 ていうか人殺しなんてしたくねーし!


「ちょ、ちょっと待て! やっぱ今のなし。殺すとか殺さねーとかそういうのやめようぜ。とりあえず名前を教えてくれよ」


「……殺せ」


 俺は銃を構えたまましゃがんでヤツと視線の高さをあわせた。


「だからそういう寒いこと言うのやめよーぜ。チャールズが共通の敵だって盛り上がった仲じゃねーか」

「……」

「名前、教えてくれよ。さっきも言ったけど俺は鈴木凡太。あんたの言う通り、稀能者インフェリオリティだ」

「……」

「あんた、何者なんだよ。それだけでも教えてくれよ」

「……」

「……」

「……」


 はあ。

 あきらめるか。

 とりあえずチャールズを呼んでこいつを逮捕してもらえばいいのかな?

 目的わからねーけど、多分あってるよな。


「……クシンカイよ」


 ん?


 口から血を垂らしながら、色男が何かをつぶやいた。


「あ、悪い悪い。教えてくれるの? なんだって?」


「俺の名は……チンポロスキー」


「ぶほっ!」


 思わず噴き出してしまった。

 今までの人生で一、二を争うほどのイケメンの名前がチンポロスキーだったのにはやられた。

 天は二物を与えず。

 急にこのイケメンに親近感がわいてきたぜ。


「……」


 あっ、やべ。噴き出したから、気を悪くされてらっしゃる?


「……いや、失礼。ここはホコリが多いからな。ついむせてしまっただけだ」


 ごまかせたかな? よし、ここでダメ押しを。


「チンポロスキー、いい名だな。こんな神々しい名前は初めてだよ」


 ちょっと白々しかったかな?

 ま、いっか。チンポロスキーなんて名で生活しているヤツに遠慮は無用。

 怒ったら『テメーは名乗るだけでセクハラなんだよ! DQNネームならともかく、チンポネームなんて初めてだわ!』って逆ギレすればいいだけだ。


 しかし、彼は怒らなかった。

 うつむいて、肩を震わせたのだ。


「うっ、うっ、うっ……」

「ん、どうした?」


「……そんな風に名を褒められたのは……初めて、だ……ううっ」


 チンポロスキーは泣いていた。


「ブフォッ!」


 やべっ! また噴き出しそうになっちまった。

 口を押さえて笑いをみ殺す。


「……」


 プルプルと震え、涙が出そうな俺。

 チ、チ、チンポロスキーが感動して泣いてらっしゃる!


 チ●ポから流れるしずく

 みずみずしいチ●ポウォーター。

 ティアーズ・オブ・ザ・チ●ポ――。


 俺の脳裏に次から次へとろくでもないキャッチコピーが浮かんでは消える。

 いかんいかん、そんなこと考えちゃいかん!

 俺の言葉に感動して泣いてくれてる人の名で笑っちゃダメだ!

 いくらなんでも失礼すぎる!


 こらえろ、俺……!


 耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ……!




 心を無にして、この危機を乗り越えるんだ……!



 無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無無!



 …………!!!



 よし、いま俺は悟りを開いた!


 これで大丈夫。

 それではヒアリングを続けよう。


「コホン。ではチンポロスキーくん。あんたは一体どうしてここに……」

「チンポロでいい」


「ブッ!!?」


 …………危なかった。

 また噴き出すところだった。


「チンポロでいいの?」

 口を押さえながら確認する俺。

(いいわけねーーだろ!! わざと言ってんのか貴様!!)


「ああ。おまえには心を打たれた。気兼ねなくチンポロと呼んでくれ」

「……わかった」


(気兼ねあるわこのボケ! 貴様は俺を笑い殺す気か!!!!)


 ……心の中で爆笑しながら必死にポーカーフェースを作る俺。

 声がプルプル震えてしまったけど。

 我ながら大人になったものだ。


「で、では改めて……チンポロ。あんたは何者だ? ここで一体何をしていた?」


 チンポロはうつむいた。


「……おまえには話そう。鈴木。俺は……俺たちは……」


 俺を見上げ、チンポロは続けた。


「お下劣爆芯会の会員だ」


「ブフォッ!!」


 消防車のポンプみたいに鼻水が噴き出した。


「ブヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!!! ブヒャーーッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」


 こいつこの顔とこの名前でそんな組織に所属してやがんの!

 アホだ! アホすぎる!


「うひゃーーーっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」


 満月が見守る中、俺の笑い声は廃墟の中にいつまでも鳴り響いた。

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