第二十三話 天国への階段
大勢の視線を背中に受けながら進んでいく。
建物の壁面に金属でできた巨大な文字プレートが確認できた。
半分以上が崩れていたが、かろうじて読める文字もありそうだ。
え、と……丘、病……院……。
病院? 病院だったのかこれ。
凛夏と再会した中央病院に匹敵する広さだ。
へえー、これほどの大病院でも潰れたりするもんなんだな。
建物とは一定の距離を保ちつつ、左側面に向かっていく。
正面玄関のドアにはほとんどガラスが残っておらず、奥には吸い込まれるような闇が広がっている。
空洞だらけの建物を通り抜ける隙間風が、時々低い唸り声を上げる。
無人の建造物とは、どうしてこうも不気味なのか。
人が造り上げたものなのに、人の気配や温もりを残していないから?
在りし日を生前の姿とするならば、廃墟とは肉も腐り朽ち果てた骸骨のような状態なのかも。
壁面は年季の入ったブロックアートだらけ。
いかにも暴走族らしい骸骨のイラストとか、SEXの文字は理解できる。定番だもの。
しかし、中には『お下劣爆芯会』という文字が描いてあったりして、その美的センスが一ミリも理解できない。
しかもなかなかクールなデザインのロゴだったりするのでますますわけがわからない。
暴走族の名前にしては程度が低すぎる。
一体どんな悪趣味な組織のメンバーがこんなものを描いていくのだろう。
落書きの上に別の落書き、それを塗り潰すようにさらに新しい落書き……と、何重も重なった落書きは歴史を感じさせた。
病院が潰れてから何十年も経ってるんだろうなあ。
そうこう思っているうちに正面の棟の角を曲がった。
百メートルくらい先に勝手口のようなものが見えた。
チャールズはあそこから入れと言ってたのか。
勘弁してくれよ。
後ろを振り返り、パトカー周辺からの死角になっていることを確認。
よし、オーケー。俺がどこに行こうと、もう奴らからはわからないはずだ。
次はこの敷地から出るルートを確保せねば。
手入れがされていないせいか品種のせいかはわからないが、敷地の周囲の森はジャングルのように鬱蒼としていた。
夜だし、森の中に身を隠せば簡単に逃げられるはず。
周囲を確認し、森に駆け込む。
木陰に隠れて後ろを確認。よし、誰も見ていないな。
あっさりと脱出準備が整った。
よし、チャールズには悪いが俺はここでお暇させていただきます。
森の奥へ進もうとしたら、誰かに肩をつかまれた。
「へぎゃっ!」
後ろにはビグザムさん。
そういえば彼女は左手に回り込んでいたっけ。
今の情けない声を聞かれてしまったけど、葵姫たんでなくて良かった。
「ど、どうしたんすか?」
「こちらのセリフよ。あなたはあそこの入口から中に入るはずよね。
どうしてここに?」
それは、作戦を聞いていなかったのと廃墟が怖かったからです。
正直に言うと本当に怒られそうなので言えない。
目的もわからないのに、こんな建物に入りたくないっつーの。
「ちょ、ちょっと立小便しようと思っただけっすよ」と誤魔化す。
「いい、鈴木くん。ヤツら、仲間が逮捕されたことで焦ってる可能性があるわ。生理現象も大事だけれど、作戦は速やかに行うこと。いいわね」
だから、ヤツらって誰だよ!
でも、ここは話をあわせておこう。
「わ、わかったっすよ。そこで小便したらすぐに向かうっす」
最悪の気分だ。
俺の自由意志はどこにいったんだろう。
「じゃあ、行きますよ、行けばいいんでしょ」
「気をつけてね」
茂みで用を足したふりをしてから森を出た。
近くで見る勝手口は正面玄関とはまた違った不気味さをかもし出していた。
アスファルトのヒビからは腰よりも高い雑草が生えていて、ドアの失われた入口を月光が静かに照らす。
こちらの壁もド派手なブロックアートでいっぱいだ。
……出た、こちらにも『お下劣爆芯会』のロゴ。しかも(R)マークが添えられている。
商標登録してあるのかよ!
気持ち悪い落書きだな。
そうこうしているうちに勝手口に着いてしまった。
中は真っ暗で数メートル先も見えない。
唾を呑み込む。
警察官や機動隊員がいたこと。チャールズから拳銃を渡されたこと。ビグザムさんの『ヤツら』という発言。
以上のことから、この建物の中には危険な存在が潜んでいることはわかった。しかも複数。
俺は相手の人数も、目的も何も知らない。
勝手口に入った瞬間に襲われる可能性も否定できないわけだ。
いざという時には絶対時間を使えば、銃で撃たれても即死することはないだろう。
しかし昼間のヤンキーのことを俺は思い出す。
致命傷に達しない程度の攻撃・拷問を受けたらどうしよう。
絶対時間が発動しない攻撃が俺にとって一番厄介なのだ。
やべ、怖くなってきちまった。
でもビグザムさんの視線が背中に突き刺さってるような気がする。
仕方ない、やるしかないか……。
生まれてからもっともやる気の萎えた状態で、俺は勝手口へと入っていった。
ジャリッ。
気配を殺して歩こうと心がけているのに、散乱したガラスを踏むたびに音が立つ。
窓から吹き込んだのか、床には砂が積もっている。
倒れた戸棚、ベコベコに凹んだアルミのシンク、床に散らばる壁の破片……。
屋外に負けないくらいのジャングルっぷりだ。
暗闇に目が慣れてきたといってもスムーズに歩くのは困難だ。
おっと!
ロッカーにつまずくところだった。
くそっ、こんなところで一体何をしろってんだ。
少し進むと、左手にエレベーター、その奥に階段が確認できた。
といっても、当然のことながらエレベーターは動かない。
電気が通っているはずもないし、そもそも扉が破られて中が丸見えだ。
ったく、気色悪いったらありゃしねえ。
……となると、どうするべきかな。
階段を上るか、奥に進むか……。
暗闇に目を凝らす。
闇の中へすらっと伸びていく廊下。
よく見ると通路の左側の数ヶ所がぼうっと光っている。
……なるほど、左側にはいくつか部屋があるんだな。
あれは窓から差し込んだ月光か。
よく見ると右側にも部屋は並んでいるようだが、建物の内側なのでドアの形の闇がぽっかりと空いている。
廊下は百メートルくらいで突き当たってるようだ。
頭の中に地図を描く。
右に曲がっているということは――あっちは正面玄関の方角か。
チャールズは正面から俺を入れず勝手口を使わせた。
わざわざそんなことをさせるってことは、正面玄関には行ってもしょうがないだろう。
っつーことは……消去法で俺の目的地は、この階段の上か。
あー、嫌だな。
何がいるんだよ一体……。
ベルトに挿した拳銃に念のため手をかける。
こんなの撃ったことねえっつーの。
……でも、ちょっとだけ冷たい感触にドキドキワクワク。
厨二心に火をつけやがるな。
うへへへ。悪くないかも。
やばい。撃ちたい! 撃ってみたい!
急に気持ちが切り替わった。
よーし、何者か知らねーが、俺の邪魔をしたらズドンやで。
さっきまでの陰鬱な気分はどこにいったのか、俺はワクワクを抑えながら一段ずつ階段を上っていった。




