第十七話 いわゆるひとつのお風呂回
「……へ? いないのって……ミー?」
自分の顔を指差しながら聞くと、ビグザムさんは即座に返答した。
「イエス。ユーよ」
「またまたご冗談を。メッチャイケメンで優しくてモテモテの俺がこの世界のどっかにいるんじゃないの?」
「残念ながら卒業アルバムや免許証の写真などで照合する限りは容姿には恵まれていなそうだったわ」
「……つまり、どこかに姿を消したこの世界の鈴木凡太は、俺とは異なる容姿を持っていると……?」
「いえ、あなたと同じ顔よ」
「……まるで俺が容姿に恵まれていないような言い方っすね」
「いい意味で言ったのよ」
なんだ、いい意味で言ったのか。それなら安心だ。
それにしてもどうして俺だけいないんだろう。
やはり俺は特別な存在ってことか。
素晴らしい。
「あの……」
凛夏の母ちゃんが申し訳なさそうに手を上げた。
「なんでしょうか?」
「あなたたちが私とは異なる世界からいらしたのはわかりました。娘や徳川さんにも話してしまってよろしいですか?」
「ええ、二人とも我々の世界では事件の関係者ですし、既に上司の許可はとってありますので問題ありません。ただし、この世界の鈴木くんが行方不明であること
だけは秘密でお願いします」
「わかりました」
凛夏の母ちゃんが立ち上がったので、俺たちも続く。
居間に移動すると、喧嘩していたはずの二人の凛夏はすっかり仲良しになっており、困惑する葵姫たんの前で女子トークで盛り上がっていた。
「あ、お母さん。具合は良くなったの?」
「うん、ありがとう凛夏。それより今から大事なお話をするから、しっかり聞いてね」
「そういうことだったのね。電話した時に話してくれれば良かったのに」
俺たちの世界の凛夏は安堵したようにため息をついた。
「ごめんなさいね。まさか二人の葉月ちゃんが鉢合わせるとは思ってなかったから。あなたを拾ったらすぐに元の世界に帰すつもりだったのよ」
元の世界。
そっか、戻らないとまずいよな。
「つーか、どうしたら元の世界に帰れるんだ?」
俺が聞くと、
「安心して。夜が明けたら大茸鍾乳洞まで行きましょう。今日はどこかのビジネスホテルに泊まりましょう」
とビグザムさん。
「えー!? やだよー! もう一人の私ともっとお話したいんだけど!」
「だよね? ねーねー、お母さん、今夜だけでもこの人たち泊めちゃダメ? お父さん出張中だから怒られないでしょ?」
同じ顔の二人が揃ってキンキン声でまくしたてる。
「そうねえ。鬼頭さんと凡ちゃんが良いのなら、今夜は泊まっていってくださいな」
鬼頭さん? ああ、ビグザムさんの苗字か。鬼頭ビグザム――自分が面接官だったら履歴書見て即不合格にしたくなる名前だな。
「お気持ちは嬉しいのですが、鈴木くんは男性ですし何かありましては困りますので私たちはビジネスホテルに泊まろうと思います」
私『たち』って何だよ!
俺だってビグザムさんと何かあったら困るわ!!!
「……大丈夫ですよ。凡ちゃんは娘の幼馴染ですし、小さい頃はよく泊まっていましたから……ね、凡ちゃん?」
「そ、そうっすよビグザムさん。俺が凛夏に何かするわけないでしょう。小さい頃とナニも変わってませんから大丈夫」
ビグザムさんは腕組みをしながら俺を睨み付ける。
「鈴木くん本当に大丈夫? 申し訳ないけれど、私が見てきた君はかなり性的にだらしない子だと思うんだけど」
「だ、大丈夫っす。神に誓います」
「……わかったわ。もしどうしようもなくムラムラしてきたら私に相談してね。不本意だけど力になってあげられるかもしれないから」
俺のほうが不本意なんですが。勘弁してくれよバケモノが!
……と言ってやりたかったけれど、そこで人生が終わりそうなのでやめておいた。
「あっ。もうすぐ暗くなるから葵姫ちゃんを送ってあげないと」
この世界の凛夏が時計を見上げて声を上げた。
「あら、もうこんな時間? 急いで夕食の支度しなくちゃ」
凛夏の母ちゃんが立ち上がった。
「あの……今日、私もご一緒してはご迷惑でしょうか?」
葵姫たんはもじもじしながら口を開いた。
「えっ? 葵姫ちゃん家、門限早いし外泊なんてまずくない?」
意外そうな反応を凛夏が見せると、葵姫たんは俺を見た。
「お願いします! あなたの世界の『徳川葵姫」の話をもっと聞きたいんです!」
は?
「そんなこと言われてもなあ。美人で青い巫女みたいな変な格好してて、強い。男が苦手で触ると気絶したり仮死状態になったりする。そのくらいしか知らないん
だけど……」
「それでもいいんです。もっと詳しく聞きたいんです。私は引っ込み思案だし、オタク趣味ばかりにハマってて運動神経もないし、見た目も地味だし……鈴木さん
がおっしゃった私って、『私がなりたかった理想の私』なんです!」
なぬっ!
葵姫たん、割と厨二病入ってる系だったのか!
いやでも待てよ、俺の世界の葵姫たんも言われてみたら結構そっち系だよな。
「親には連絡して絶対に許可してもらいます! だから私も泊めてください」
今日一日ずっと控えめだった葵姫たんとは思えないほどの、強い意志。
俺は凛夏(たぶんこの世界)を見やる。
「お母さん、私も葵姫ちゃんとお泊まり会したいよ。いいでしょ?」
「……いいわよ。その代わり、必ずご両親に許可をとること。いいわね?」
「はいっ!」
葵姫たんと凛夏(二人とも?)の声が元気にハモった。
ククク、葵姫たんが泊まるとは嬉しい誤算だ。
寝てる凛夏を二人まとめてイタズラしてやろうとは思っていたけど、葵姫たんが来るのなら生意気な二匹には用はないわ!
下心が爆発した。
表情に出ないよう注意しながら、俺は心の中で高笑いした。
「ご馳走様でした」
ふいー、美味かったのう。
普段はカップラーメンとレトルトカレーしか食わない俺には新鮮な味でござった。
「おばさま、食器洗いお手伝いします」
「いいのよ葵姫ちゃんは気にしなくて。凛夏! あんたは手伝いなさい」
「ええーっ? もう一人の私とゲームしたいんだけど」
この世界の葵姫たんは俺の知ってる葵姫たんとは違うタイプだけど、家庭的でいい子だ。
それに比べて二匹の金髪はダメだな。
おや、携帯を見ていたビグザムさんが立ち上がって部屋を出たぞ。
あっちは玄関だぞ。どこ行くんだろう?
彼女は靴を履き、こそこそと外に出て行った。
コンビニか? コンビニ行くなら俺も同行してビールを買いたい。
彼女に続いて外に出た。
角を曲がったところで追いついた。
「ビグザムさん、どこ行くんすか?」
「え? ちょっと夕涼みに行くだけよ」
「何か用事できたんじゃないんすか?」
「そ、そんなことないわよ。『すぐに戻る』から葉月ちゃんたちにヘンなことしちゃダメよ」
ピンと来た。
――これは『しばらく戻らない』と。
「じゃあ俺もちょっとコンビニ行ってきますわ。異世界の新聞とか読んでみたいんで」
「あら、そう。すぐ戻るから気をつけてね。じゃあまたあとでね」
よっしゃ!
心の中でガッツポーズ。
邪魔者が消えるというわけだ。
このチャンスに何かやらなくては!
葵姫たんだ! 葵姫たんを『話がある』とムードあるとこに連れ出すんだ。
好感度あげまくってブッチュッチュー作戦発動だ!
HAHAHA! コンビニなんて行くわけねーだろ。
凛夏の家に直帰すると、居間が静かになっていた。
プレステが散らかったままになってる。おかしいな。
「あ、凡ちゃん。どこへ行ってたの?」
「ビグザムさんが出かけるというので立ち話していました。リンポ……凛夏たちは?」
「お風呂に入ってるわ。凡ちゃんもあとで入りなさいね。凛夏たちも入ったばかりだからもう少しかかると思うけれど」
ふ、風呂!?
胃液にまみれたこの俺を差し置いて!?
あいつら……!
「凡ちゃんが戻ってきて良かったわ。明日の朝ごはんの材料を買ってこなくちゃ。留守番してもらってもいいかしら?」
天がくれたチャンス!
「あ、もちろんです。すみませんね、急に三人も泊まったらご迷惑だったでしょう」
「気にしないで。それじゃちょっと行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
凛夏の母ちゃんはお辞儀して出て行った。
ヒャッホーイ!
さて、俺はどうしようか。
頭の中にすぐに浮かんだのは二つの選択肢だ。
A案。家の外から近づき窓を開ける。リスクは低いが全裸を高確率で味わえる。角度が制限されるのが欠点だ。
B案。脱衣所に忍び込んで下着を鑑賞、場合によっては拝借する。
A案はいかん。男らしくないし、やはり角度制限は大きい。
ではB案か? いや、A案以上に男らしくないのでは?
それに俺は下着フェチではない。布きれより中身のほうが良いに決まってる。
だいたい拝借したら当然バレるし、そんなことになったらビグザムさんが怖すぎる。
『そんなにムラムラしてたのなら私を頼りなさいと言ったでしょう?』なんてことになったら一生使い物にならなくなる恐れがある。
じゃあ、どうすればいいんだ。
どちらを選んでも後悔するような気がする。
だったら、A案とB案両方を組み合わせたものがベターなのではないだろうか?
まずはコソコソと脱衣所に忍び込んで葵姫たんがどんな下着を身に着けていたのか確認する。
(凛夏のと間違えないよう注意する)
そして、同時に聞き耳を立て、声の方向から葵姫たんのいる位置を確認。
速やかに玄関から外に出て、葵姫たんが見えるよう角度に気をつけながら風呂場の窓を開ける。
これだ! これしかない!
二十歳になっても女の裸も見たことがないなんて、そんな人生になるとは思っていなかった。
だが、それも今日終わる。
ごくんと唾を呑み込み、忍び足で廊下を進んだ。
ドクン、ドクン――バケモノウナギに襲われた時を上回る緊張。
突き当たりを曲がると、きゃっきゃと奥から声が聞こえてきた。
ここが脱衣所か。
ドアノブに手をかける。
音が鳴らないよう絶妙に力を加減し、ノブをまわした。
さらに高鳴る鼓動。
そっとドアを押すと、キィッときしんだ。
やばい!
息を止め、全身を石に変える。
「…………!」
浴室から聞こえてくる声に変化はない。
…………。
ふうっ。
静かに呼吸を再開。
まあこんな小さな音でバレるわけねーか。
俺としたことがビビりすぎていたらしい。
脱衣所の中に入ると、ドアから漏れる三人の声が妙に艶めかしい気持ちになる。
ドアの向こうで肌色の影がうごめくのを見て、再び唾を呑み込んだ。
脱衣かごは……あった。
くそっ、どれが葵姫たんのだ!?
そっちは水色。隣は白。右のは上下で色が違う。
三分の二の確率で凛夏か。当たりと外れの落差がひどすぎる!
くそっ。
ダメだ、下着に気をとられるのはやめやめ。B案終了。
当初のA案に戻そう。
擦りガラスの向こうを確認。
一人は浴槽に入っている。
二人が身体を洗っているようだが、肌色の影としかわからない。
あっ、頭を洗ってる影から金髪っぽい長い影が……じゃあ、少なくとも身体を洗っているうちの一人は凛夏だな。
……って、当たり前だろ。凛夏は二人いるんだから。
ちくしょー! 何の情報も得られん。
危険と隣り合わせに身を置いているのに、収穫を得られずイライラしてきた。
くそー、こんなところで時間をとられてる場合じゃないな。
ひとまず外に出て、先のことは覗いてから考えるか。
と、廊下を戻ろうとしたところで浴室のドアが開いた。
「じゃあ、私は先に出るね。タオルそれ使っていいんだよね?」
げっ!?
凛夏が脱衣所に出てきた。
後ろ手で浴室のドアを閉めた彼女は俺に背を向けてバスタオルに手を伸ばした。
やばい、やばいやばいやばい――!
凛夏がこちらに気づく前に出ないと!
どうしてさっき俺はドアを閉めちまったんだ!
こういう時にもう一度開けないと出られねーじゃねーか!
ちくしょー!
鼻歌を歌う凛夏。
鼻歌にまぎれてドアを開けようとしたが、音が立ってしまった。
「――っ! ぼっ……」
バレた!
こちらを向いた途端、一瞬で距離を詰めて凛夏の口を塞いだ。
「~~~!」
「すまん、声を出さないでくれ! 頼む! の、覗きじゃないんだ!」
右手で口を塞ぎ、左手は暴れないよう背中に回す。
葵姫たんに覗き野郎だと思われたら生きていけん。
しかもビグザムさんに殺される。
「~~~~~!」
「本当だって、マジマジ! 洗面所で服についた胃液を落としたかっただけなんだよ!」
「~~~!」
ガブッ。
手に激痛!
『んぎゃああああああああ!』
心の中で叫び声を上げる。
すごい形相の凛夏が裸のまま俺を引っ張って廊下に出た。
「お、おいちょっと」
そのまま押し倒され、腹の上に馬乗りされた。
やばい、胸が……こいつガチな貧乳かと思っていたが意外と……。
「見ないで!」
左手で目を隠される。
「だ、大丈夫! 見てねーよ! 俺覗きじゃねーし」
「わかったから、声を小さくして! 二人に聞こえちゃう」
「あ、ああ……」
「……落ち着いたら、答えて。本当に覗こうとしてたんじゃないの?」
「オ、オフコース」
「……ふうん。そっか、そうなんだね。葵姫ちゃんが一人だったら?」
「そりゃー覗くに決まってるだろ! ……へぶっ!?」
ビンタされた。
くそ、俺は視界を奪われてるんだ。不利すぎる。
……ん、でも、これって……。
視界は真っ暗だが、腹の上に凛夏の体重とほかほかの温もりを感じる。
彼女の濡れた脚や尻、髪から落ちた水分が俺のシャツを濡らしていく。
そのたびに密着度が上がっていくように感じられる。
「どうして? どうして葵姫さんがそんなにいいわけ?」
は? それ?
そんなこと聞かれるとは予想外だ。
「そりゃーあんな美人見たことねーもん。一目惚れってやつだな」
「そうなの? 確かに葵姫さんは綺麗だし、こっちの葵姫ちゃんも良い子だとは思うけど……一目惚れって本物の恋なの? 私は違うと思う!」
何言ってんだこいつは。
頭おかしーんじゃねーの。
「人って時間をかけて分かり合えてくものだと思うもん。凡ちゃんの言ってること、おかしいよ」
何かよくわからんが、覗き問題の話題をされるより好都合だ。
このままこのバカの話にあわせよう。
「そんなの人それぞれなんじゃねーの? 時間をかけても分かり合えねーことだってあるだろ」
真っ暗だから、感触をより強く意識してしまう。
ちょっと待て、俺。落ち着け、俺。
これは葵姫たんじゃないんだぞ、あのリンポコなんだぞ!?
俺は葵姫たん一筋なんだ。こんなのに喜んだら負けだ!
ふともものやわらかさに気づかぬふりをしながら続ける。
「現に俺たちだって子供の頃あわせたらそれなりに付き合い長いのに分かり合えてねーじゃん?」
「……っ!」
凛夏が息を呑むのがわかった。
やばい、ビンタが来る!?
反射的に顔をかばおうと腕を動かした。
急に俺が動いたので身体に乗っていた凛夏が後ろに倒れた。
真っ暗だった視界が開け、天井と驚いた顔で後ろに飛ぶ凛夏の顔が見えた。
ドスッ。
「いった~い!」
「わ、悪い! つい殴られるかと思っ……!?」
痛そうに頭をおさえる凛夏。
すべてが丸見えだ。
凛夏が目を開ける前にさっと背を向けた。
やばい、やばい……!
心臓がダートコースを駆け抜けるようにバクバクと弾む。
こんなに高鳴るのはこれまでの人生で初めてじゃないか。
いかん、言うことを聞けマイ心臓!
目の前にいたのは葵姫たんでも、エロゲの萌えキャラでもねーんだぞ!?
リンポコだぞ!
何度も自分に言い聞かせる。
「きゃー!」
数瞬遅れて、凛夏の悲鳴。
「よせ! 葵姫たんに聞こえるだろーがバカ!」
「見たでしょっ!? 何なのっっ!? ありえない!?」
「バカヤロー! 後ろ向いてんだろーが!」
「またスローモーションで見たんでしょ!?」
「命の危機じゃねーとスローにはならねーって言ってんだろ! 頭足りねーなクソ女が!」
「なんですって!?」
「大体テメー自意識過剰なんだよ! いつ俺が見せろつったんだよ! 目が腐るわ!」
「じゃー、どうして来たのよ!」
「服を洗いに行ったって言ってんだろ!」
「私たちがお風呂出るまで待ってもいいでしょ!? そういうとこ気が回らないの? 脳みそないの?」
「胸がないよりはいいわ!」
「あるし! あんた見たからわかるでしょ!?」
「あんなの胸のうちに入るか! アホか! ビグザムさんと同じ筋肉だろーが!」
「ほう」
……こ、この声は?
曲がり角の向こうからギシッと板が軋む音が聞こえた。
「私のことをそんな目で見ていてくれたんですね。鈴木くん」
ギシッ。
ま、まさか……。
言い争ってて気づかなかったが、帰ってきてたのか?
「ち、違うんです! 今のは売り言葉に買い言葉ってやつです! 俺、筋肉フェチですし! いい意味で言ったんすよ!?」
「なるほどねえ……」
ギシッ。
近づいてくる。
「り、凛夏! 助け……」
振り返ると一糸まとわぬ凛夏の姿。
「きゃーーー! また見たーーー!!」
「おまえどうしてまだ着てねーんだよ!」
「約束を破ってくれましたね。葉月ちゃんに何をしたのか、白状してもらわないと」
「ただいま。あっ、ビグザムさん帰ってらし……ぼ、凡ちゃん!? 凛夏!?」
凛夏の母ちゃんまで帰ってきやがった。
終わった、殺されるな……。
俺は、膝をついてうなだれた。




