第十五話 ふえるリンカ。
車内が沈黙に包まれた。
何を言ってるんだこいつは?
俺の話は真面目に聞いてくれないくせに、『私がもう一人いる』だぁ?
わけのわからんことほざきやがって。
葵姫たんはオロオロしている。
たぶんどう取り繕おうか迷ってるのだろう。
ルームミラー越しに運転手と目があったけど、すぐに逸らされた。
沈黙を破いたのは凛夏。
「やっぱナシ! この話題、やめよ?」
照れくさそうに笑いながら頭をかく。
「あはっ。私、おかしくなっちゃったのかな? おかしいよね? 何言ってるの、って感じだよね?」
〇.一秒で作り笑いとわかる無理な笑顔。
少し声は震えていた。
そんな態度をとられると罪悪感を感じてしまう。
だって、本当は俺、少しほっとしたんだから。
何をほっとしたのだろう。
色々な感情が脳内をよぎった。
まずは俺の話を真剣に聞いてくれなかったことに対する仕返しができて嬉しかったこと。
でも、そんな悪趣味な嬉しさは一瞬で終わりだ。
葵姫たんの可憐さに気を奪われたふりを装っていたけれど、本当は不安だったんだ。
先日のあの出来事がすべて幻覚や錯覚だったのではないか、って。
凛夏が言っていることの意味はわからない。
だけど、彼女の身に何か不思議なことが起こっている。
それが俺の体験とどこかで繋がっているんじゃないかという確信めいた予感。
それにほっとしたんだろう。
はい、自己分析終わり。
ここからは貧乳娘の発言にも耳を傾けてやろうではないか。
「うむ。おまえの頭はおかしいし、『何言ってるの?』って感じだ。だが――」
軽く咳払いしてから、凛夏の目をじっと見つめた。
「――俺は信じる。話してくれ」
うーん。決まった。
これは名台詞だな。
多分こんなかっこいいのもう一生言えないから――と思いながら。
「……きもっ」
凛夏は心底嫌そうな顔でつぶやいた。
でも、すぐに優しく目を細め、運転手に聞こえない程度の小さな声で
「ありがと。ひどいこと言ったのに……ごめんね」
と言った。
少し照れくさかったので茶化そうかとも思ったが、話が進まないので黙って聞くことにしよう。
凛夏が胸に手を置いて深呼吸をした。
「お母さんがね、さっき『私が帰ってきた』んだって言うの――」
「……? もうちょい整理してくれ」
「あー、うん、えっと……。よくわかんないから整理できないよ」
「わかった。続けてくれ」
「今日ね、『葵姫ちゃんとハイキングとお祭りに行くから帰りは遅くなる』って伝えて出てきたの」
ほうほう。
「でもね、さっき私が帰ってきたんだって。私がもう一人いて、お母さんと話したんだって」
……???
「もう一人の自分……ドッペルゲンガーってやつ?」
「わかんない。で、お母さんが会った私は様子がおかしかったんだって」
「おまえはいつも様子おかしいだろ。挙動不審な貧乳とか、マジありえねーわ」
「何よそれ! あんた人のこと言えんの!?」
「お客さん。痴話げんかもいいですが、そろそろ着きますが」
「あっ、すみません! そこを曲がったとこに停めてください」
全財産の大半がタクシーで飛んでしまった。
仕送りまでどうやって過ごせばええんや。
涼しかったタクシーを降りると、照りつける夏の陽射しが直撃した。
「暑ぃなクソッ! んで、おまえん家はどこだよ」
「こっち」
はぁ?
坂を上るの!?
体育の授業とってねー大学生には坂なんて無理だっつーの。
坂の上でタクシー降りろや。
凛夏と葵姫たんの数メートル後ろを上っていく。
自分の今の目的がわからねえな。
整理しよう。
まず、俺は家でゴロゴロしていた。
あれからチャールズから連絡もなかったし、暇だったからな。
えーと……そんでテレビで偶然マイエンジェル葵姫たんを見かけたんだ。
で、ストーキングしようと思ったら凛夏に見つかって、一緒に行くことになったんだよな。
そんで鍾乳洞の中で凛夏が消えて、俺も気を失って――。
ここまでは良し。
で、気絶してから色々とおかしいんだよな。
まず、俺を介抱してたのは葵姫たん。
でもメガネかけてるし髪型も性格も違うし、まるで別人。
ただその可愛さは健在!
すっぴんで服装も地味だけど、それでも磨けば世界一美しいダイヤモンドの……いや、オリハルコンの原石!
いつの間に着替えたのか?
どうしてイメチェンしているのか?
ついでに俺に関する記憶を失っているように見えるのはなぜか?
まあ可愛いは正義!
問題なし、ということにしよう。
ここまでも良し!
最後に凛夏か……。
こいつは鍾乳洞で消えてから、急に人が変わっちまったんだよな。
いつの間にか葵姫たんと仲良しになってるし、その割にはチャールズや稀能者の話題になるとしらばっくれる。
それは一体なぜなのか。
おまけに俺のことを呼び捨てするようになった。
『凡ちゃん』→『凡太』は好感度上がってるのか? 下がってるのか?
どっちともとれるから悩みどころだ。
おまけに鍾乳洞に行く前は『俺ん家の近くに住んでいる』と言ってたのに、現在地は俺ん家とはまるで遠い。
田園都市線沿いから小田急線沿いに変わってやがるからな。
俺の近所というのは嘘だったのか?
あやしい。あやしすぎる。
で、俺は何してるんだっけ?
葵姫たんをストーキングしようとしてたのに、凛夏の家に向かうことになってるのはなぜ?
ああ、『もう一人の凛夏』についてヤツの母ちゃんに聞くんだっけ。
面倒くせえ。
こんだけ暑けりゃ幻覚のひとつやふたつ珍しいもんじゃねーだろっつーの。
そもそも俺の頭がすでにやられてる説も濃厚だしな。
あー、帰ってエアコンつけた部屋でゴロゴロしてえ。
と、顔を上げると数メートル先で凛夏と葵姫たんが誰かと話して……いや、言い争っていた。
「だから急いでるって言ってるでしょ!」
「いいから遊ぼうよ、海でも見に行こうぜ?」
「一人で遊べば? つーか、そこ駐停車禁止だから」
凛夏がチャラ男みてーのと揉めてやがる。
何やってんだ、あいつは。
「あー怖。じゃあ、そっちの姉ちゃんでいいや。おまえは断んねーよな? カラオケ行くべ?」
「えっ……その……あ。わ、私は……」
あっ!! あ、あの野郎!
葵姫たんだとカラオケだと……!?
ふざけやがって!
気づけば俺は駆け出していた。
「どもども、こんちわー」
ヤツと葵姫たんの間に入る俺。
「あー、何だオメェは?」
「いやいや、たいしたモンじゃないっすよ。JKとカラオケ行くなら自分も混ぜてもらえないかなーと思いまして」
手もみしながらにこやかな笑顔を作る。
「失せろ」
「そこを何とかご一緒させてもらえないっスかね、兄貴」
俺のスマイルは〇円じゃねーからな、クソ野郎。
横目でヤツのハイ●ースを確認。
足立ナンバーか。地元じゃねーな。
それならここで揉めても凛夏が復讐されるリスクは低いか。
よーし。
「泣かされたくなかったら消えろっつってんだよ! 童貞野郎が!」
ヤツが怒鳴った。
ここから逆転開始だ。
「童貞野郎だぁ? 昼間からハイ●ースにJK連れ込むカスに言われたくねーなあ?」
「あぁっ!!?」
動揺してやがるな。
ここで一発ハッタリをかまして……。
「優しく言ってるうちに失せろ。三秒以内に消えたら許……ふごっ!」
宙を飛びました。ぼく。
ジェットコースターみたいでした。
「うがぁっ!」
な、なんてこった……急坂というのがあかんかった……ただでさえ怪我だらけなのに、いい感じに背中打った。
「調子こいてんじゃねーぞ、俺を誰だと思ってんだ。俺を恋地獄屁臭の特攻隊長とわかって上等こいてんのか、コラァ」
やばい、こいつただのチャラ男じゃなかった。
すごく偏差値低そうな組織に所属していらっしゃる!
腕を鳴らしながらヤツが歩いてくる。
トドメを刺そうと言うのか。
葵姫たんを逃がさないと……!
「き、葵姫たん!」
地面に倒れたまま、俺は力を振り絞って叫んだ。
「は、はい……?」
「愛してるぜ……」
「え……?」
もう満足だ。思い残すことはない。
「それがテメェの辞世の句はそれでお終いか!? コラァ!!」
やだ、倒れてるってのにゲシゲシと足蹴にしてきやがる。
何なのこの人。ってか、痛い! マジで痛い!
「オラァ! さっきまでの威勢はどうしたんだコラ!!」
「うげぶっ!」
腹を蹴られ、胃液が逆流する。
さ、さっき食ったカルボナーラが……出る……。
ちくしょう、ガチで厄日だ……あっ!?
ヤツに蹴られながら、凛夏と葵姫たんが走って逃げるのが見えた。
……なんてことだ!! 凛夏のヤツ、ふざけやがって!
あいつのせいで絡まれたのに自分だけ殴られずにうまいこと逃げやがって!!
葵姫たんは逃げてほしいけど。
「おい! 何とか言えコラ!!」
蹴られるたびにカルボナーラが口から吹き出す。
ダイエットにいいのではないかとポジティブシンキングになりそうな勢いだ。
というか、それを楽しんでいるのか、ヤツも元にやけてるし。
どいつもこいつもふざけやがって。
「あ、あの……ちょっとタンマ、いいですか?」
「あん!!? 何だ」
「お、女が逃げましたよ……金髪のほう、生意気だから差し上げましょうか?」
「っせェーんだコラ!! もう女なんてどうでもいいわ!!」
えっ!?
ま、まさかこのお方……。
「俺ゃあ男でも女でも関係ねーんだよ。車乗れやコラ。二人で楽しいドライブしようや」
マジか!!!
こ、こいつ……悪魔だ!!
「ちょ、ちょっと待ってください! 絶対女のほうがいいですって!」
「うるせえ。俺は女遊びにゃ満足してんだよ。気の強ぇ女よりはおまえのほうが楽しませてくれそうだ……」
いやすぎる!!!!
「や、やめてください! マジで!! あの金髪の子、本当にオススメなんですって!! 好きにしてくださって構いませんから!」
泣きながら命乞いするも、
「嫌がるところがたまらねえなあ……フフ」
と、かえって喜んでいらっしゃる。
「オラ! もっと泣けや!!!」
と、ヤツの攻撃が再開。
あ、ありえへん……こんな痛いの初めてやで(ヘンな意味じゃなく)。
「勘弁してくだせえお代官様……」
「フヘヘ。これだけ痛めつけりゃ逃げ出すこともできねーべよ。あの女が警察呼んだら面倒だから、車乗れや!」
「いやあああああ!!」
神様お助けえええええ!!
「うぐっ!」
その時、何かが飛んできてヤツのケツに直撃した。
「痛ぇな!!! 誰だコラァーー!!」
「そこまでよ!」
声とともに木陰から現れたのは、凛夏だった。
何だこいつ、逃げたはずじゃ……警察呼べよ! 使えねえなマジで!!
自分勝手なことは重々承知ながらも、俺の怒りの矛先は凛夏に向かいつつあった。
「テメェ!! 石投げやがったな!? ふざけやがって!」
「ふざけてるのはどっちよ! 昼間っから人の地元で何してくれんのよ!」
「おい姉ちゃん。俺は女相手でも容赦しねえからな。それが恋地獄屁臭だコラァ!!」
ヤツは何かを取り出し、凛夏に飛びかかった。
「凛夏っ!!」
思わず叫んだ直後、大きな影が飛び出し凛夏の前に立ちはだかった。
「うおっ!?」
ヤツが手に持っていたのはバタフライナイフだった。
躊躇なく凛夏を刺そうとしやがったのだ。俺のことも挿そうとしやがったが、何てクレイジーなヤツだ。
しかし、俺は凛夏を心配する必要はなかった。
ヤツのバタフライナイフは、凛夏に届いていなかったから。
「な、なんだテメェは!?」
ビグザム婦長がヤツの右腕を掴んでいたのだ。
「こ、この野郎!」
ヤツはビグザムさんを蹴ろうとしたが、ビグザムさんは片腕で軽々とヤツの全身を持ち上げた。
そして、ハンマー投げの要領でヤツを投げ飛ばす。
「がはっ!」
ヤツはハイ●ースに激突し、血を吐いた。
「て、テメェ……恋地獄屁臭をなめるんじゃねえぞ……俺が一声かけりゃ、五〇人のチームがてめぇを殺すまでつけねらうからな……!」
負け惜しみを言ってやがる。
こりゃウケる。ざまあみろーアホー!
「バーカ! ビグザムさんが量産の暁には恋地獄屁臭なぞあっという間に潰してみせるわ」
と、挑発してみた。
「ああ!!? 本当に殺るぞ! 殺されてえのか!!?」
ヤツはイカれた目つきで毒づいた。
怖っ!
……ん?
パトカーが来た。
「やべっ! 警察か……ずらかんねえと……ぐうっ!」
どうやらヤツも立てないらしい。
「HAHAHA! パクられちまえバーカ!」
「……てめぇ、弱ぇくせに……くそ!」
「弱いのは君たちの頭だよ。恋地獄屁臭くん」
血まみれゲロまみれで倒れてるヤツにバカにされて心底悔しそうだ。
優勢になったらとことん言うよ、俺は。
弱いヤツにだけは強い『ぬちゃんねら』をなめるなよ!
路肩に停まったパトカーから次々と警官が降りてくる。
そしてそれに対応するビグザムさん。マジ素敵。
あ、ヤツも警官に取り囲まれてるな。ワロス。
「大丈夫? 凡ちゃん」
凛夏が俺を起こしてくれた。
「ああ。汚ぇから近寄らなくていいよ」
「そんなことできるわけないでしょ」
お漏らしといいゲロといい、こいつにはメッチャ迷惑かけたな、とちょっと反省。
「……さんきゅ。ってか、いつビグザムさんを連れてきたんだ? 葵姫たんは?」
「葵姫さん? 葵姫さんも近くにいるの?」
凛夏はきょとんとした様子。
「おまえと一緒にいただろーが。頭打ったんじゃねーの?」
「それはあんたでしょ。怪我を見せなさい。ドクターは来てないから手当てしないと大変よ」
「そりゃ助かる……あのハゲに治療されるのは気分悪いからな」
……あれ?
「おい! おまえ、思い出したのか! ドクトルのこと」
「え?」
「毛むくじゃらのハゲだよ! 毛蟹みてーな変態だ! 思い出したんだな。チャールズのことは?」
「ちゃ、チャールズさんがどうしたの?」
「おまえ忘れてたじゃねーか!」
「?? 何言ってんの? お母さんといい凡ちゃんといい、どうしちゃったの?」
「……はあ?」
俺の頭は正常なはず。多分。
頭は打ってないし。
凛夏は……ダメだなこりゃ。
「やっぱりおまえ運ちゃんに病院連れてってもらえばよかったかもな?」
痛みが引いてきたので、何とか立ち上がる。
はー、それにしても最悪な一日だった。
「巡査長! トランクからこんなものが詰まった米俵が出てきました……!」
「ペロッ。これは麻薬……! 貴様ーっ! 逮捕だぁー!」
おっ。
恋地獄屁臭がパクられたみたいだな。
つーか米俵いっぱいの麻薬ってどんだけやねん。ユニオン・テオーペかよ、恋地獄屁臭ってのは。
これでヤツも一生刑務所の中だろうから、凛夏が復讐される危険もなくなったわけだな。
説明っぽくなっちまったが安心安心。
「おっと」
よろめいて凛夏の胸の中に倒れ込んでしまった。
ん……思っていたより柔らかい。
やべっ。殴られる!
反射的に脱出しようとしたが、やはりふらついたところを凛夏が抱きとめてくれた。
「無理しちゃダメよ」
ん? 何か優しいぞ。
葵姫たんも見てないし、今のうちにもう少し甘えておこう。
うへへへへ、やわこいのう。
「凡太! 大丈夫!?」
んん?
背後から悲壮感漂う声が……と思ったら、凛夏の腕がするりと抜けて、受身もできないまま俺は倒れた。
「何すんだこの野郎!」
顔を上げたら、驚きの表情のまま固まっている凛夏。
その視線の方向にも……凛夏が同じように立ち尽くしていた。
凛夏が……二人!?
ふえるリンカ。
『ふえるワカメ』のようなフレーズが頭の中をぐるぐるとリフレインしていた。




