第十四話 「『正義』ほど危険なものはない」と運ちゃんは言った
「あんたの言うこと全然わかんないんだけど。そんなこと信じられると思う?」
イスに背中を投げ出し、凛夏は言い放った。
「俺だって何を信じていいのかわからなくなってんだよ」
到着した救急隊員に謝罪キャンセルをした俺たちは、麓まで下りてファミレスにやって来た。
そこで俺はチャールズとの出会いから鍾乳洞で倒れるまでの話をしたのだが、話は噛み合わずに平行線のままだった。
「あんたが私の幼馴染だって言うのだけはわかったわよ。でも、あんたとは十年会ってないのよ?」
「そんなはずはない。おまえ自身が十一年と何ヶ月ぶりとか言ってたじゃねーかよ」
「言ってないわよ! それに病院で職業体験なんてやったこともないし、世田谷区にも住んでません!」
「おまえが暑さでやられたんじゃねーの? 記憶喪失ってやつ」
ストローを噛みながら吐き捨てるように言うと、凛夏は勢いよく立ち上がって叫んだ。
「おかしいのは『化け物と戦った』なんて言ってるあんたでしょっっ!!」
店内の客が一斉にこちらを振り向く。
痛いところを突かれた。俺が第三者だったらあいつの肩を持ってしまいそうだ。
「わかった、わかったからちょっと静かにしろ。恥ずかしいから」
つーか、どうしてこの店はこんな繁盛してんだよ。
ここ二、三年でこんなに混雑した店は見たことがない。
興奮している凛夏を座らせる。
だが、ここで負けるわけにはいかないのだ。
荒唐無稽な話だということは重々承知しながらも、俺は俺の記憶に確信を抱いているのだから。
「だからチャールズが電話に出てくれればわかるって。葵姫たんが組織の一員だってことも証明してくれるし」
アイスティーをすすっていた葵姫たんは、ビクッと肩をすくめた。かわいい。
スマホを取り出し、チャールズに電話をかける。
……しかしチャールズは出なかった。
さっきから何度もかけてるのに、留守電のアナウンスが無常に響いた。
チャールズは立場上、すぐに連絡がつく体制を整えているはずだ。
出ないということは、教えてもらった番号が間違っていたのだろうか。
「もうチャールズの話は聞き飽きたわ。どうせ作り話なんでしょ」
「いい加減にしろよ」
どこまでいっても平行線。
不愉快だ。やはり一人で帰るべきだった。
でも、それはそれで今後の人間関係にも影響が出てしまいそうだからな……。
なんでこんな凛夏なんかにに気を遣わなくてはならんのだ。
葵姫たんがいなかったらグーで殴りたかったところだ。……殴り合いになったら勝てる自信ないけど。
ピリリリリリ。
突然携帯のコール音が鳴り響いた。
チャールズ!? ……反射的にそう思ったが、音は凛夏のカバンから聴こえていた。
「お母さんからだ」
スマホを持って立ち上がる凛夏。
「もしもし? ――うん、友達といるけど。えっ? 何それ。帰ってないよ?」
不安そうに顔を歪ませる凛夏。
声のトーンも下がったように感じるのは気のせいか。
「ちょっと待って、周りがうるさくてよく聴こえないから、外に出るね」
マイクを指で塞いで立ち上がる凛夏。そして
「私が戻るまで葵姫ちゃんに話しかけちゃダメよ。触るのも厳禁! いいわね!? ……あ、もしもし?」
とこそこそと外に出ていった。
残された俺たちは顔を見合わせた。
残念ながら俺だってドクトルがいない状態で葵姫たんに触るつもりはない。死なれたら困るし。
でも、話しかけるのも禁止ってのはなあ。まあ、話しかけても返事してくれないだろうけど。
烏龍茶をおかわりしてきて、一気に喉に流し込んだ。
うう、冷たくて美味い。
「……」
「……」
あいかわらずの無言。
『無言でも気まずくならない』のが相性のいいカップルというけれど、正直気まずい。
クソ! 俺と葵姫たんの相性はよろしくないのか!
窓の外に視線をやると、植え込みのあたりをうろつきながら凛夏が電話している。
陽の光を浴びて金髪がキラッと輝いた。
黙ってると美人なんだよな。
小顔だし、綺麗な二重に長いまつ毛。
アニメキャラみたいな金髪ツインテールがマッチしてるんだかミスマッチなんだかわからんが。
あいつ、ガキの頃は結構おとなしいほうだったよな。
どうして金髪にしたんだろう。
ツインテールはオタク受けするかもしれねーけど、金髪は受けねーだろ。
どこの需要狙ってんだ、あいつは。
ぼけーっと外を見ながらそんなことを考えていると、
「あの……」
葵姫たんが静かに口を開いた。
「は、はいっ」
あまりに美しい声なのでついつい敬語になってしまった。
「その、あの……おかしなことを聞きますけど……」
視線をさまよわせる葵姫。
微妙に頬が紅潮しているような気がする。きゃわいい!
俺に惚れたか! 惚れたか!?
「なんでございますかな? お嬢さん」
俺の口調もわけわからなくなっている。
この緊張。これが恋なのかな……ドキドキ。
「鈴木さんが見たという『私』は、そんなに強かったんですか……?」
へ?
当事者らしからぬ他人事のような発言。
だけど葵姫たんは、自分に覚えがなくとも俺の話を信じようとしてくれるのか。
……うう、ええ子や。
「そりゃあ強かったよ。化け物を一瞬で切り裂いてたもん。白と青のヘンな服着てさ……」
「へんな服……?」
「あ、ヘンと言ってもいい意味だからな、いい意味。巫女さんを赤から青に塗り替えてミニスカートにした感じ。似合ってたよ」
「……あ、ありがとうございます。お礼を言うのもヘンかもしれませんけど……」
どう反応していいかわからないのか、葵姫たんは胸に手を当ててモジモジしていた。
同じ学部のスイーツ女が同じことをやったら
「ぶりっこしてんじゃねえ! このクソビッチが!」
と怒鳴りつけた上で、本気のカンチョーをぶち込むように心がけてきた俺だったが、葵姫たんがやるとこうにも美しいだなんて……ハァハァ。
「あの、し、しし、新撰組みたいな感じ、ですか?」
自分の発言に照れているのか、真っ赤な顔を両手で覆う葵姫たん。
いつもなら「ハア? 新撰組なんて関係ねーだろーが! 話聞いてんのかハゲ!」と言ってしまう俺であるが、今は違った。
葵姫たんカワユス……ひょっとして新撰組が好きなのかな? ハァハァ。
……ていうか質問に答えないと。
「いや、新撰組というか、武器は持ってなかったよ。素手だった」
「え? 素手だったんですか……」
驚いたようなガッカリしたような、深みのある表情を見せてくれた葵姫たん。これもまたかわいい! 頼むからメガネ外してくれええ!!
「なんでそんなこと聞くの? 心当たりでもあるの?」
俺が聞いた途端、葵姫たんの顔は燃え上がるように赤さMAXになった。
「いえ……私、その……歴史とか大好きで……鈴木さんの見た私が、その、ひ、土方さんみたいだったらいいな、と思って……」
葵姫たんの顔から湯気が出た。
「新撰組みたいかは置いといて、華麗に敵を切り捨ててたのは本当だよ。ていうか俺の愛車も『カタナ』って言うんだよね」
「そうなんだ……カッコイイですね、その『私』。そんな風になってみたいなぁ」
うーむ、やっぱ他人事みたいだな。戦う時の記憶はないってことか?
つーかバイクの話題は無視かよ。
「そんな風になりたいんだ?」
葵姫たんはコクンとうなずいた。
「その……凛夏ちゃんには言わないでくださいね……わ、私、結構オタクで……そういう非日常にずっと憧れててたんです」
「ほう」
「だから、鈴木さんの話をお聞きしてドキドキしちゃって……。ご迷惑でなければ文章にまとめて同人誌にしてもらいたいくらい」
「は、はあ……」
どうして俺が葵姫たんの二次創作同人誌みたいのを書かなあかんねん。
俺が話した内容は実話だっつーの。
それにしても、彼女がそっち系の人だったとは予想外だ。
確かに今はおっとりとした感じに見えるけれど、前回見た時はクールで静かな印象だったからなあ。
どっちが本当の姿なんだろう。
……そうだ!
明暗が浮かんだ。
凛夏が戻ってくる前に連絡先を交換しちまおう。
そしたらいつでも会えるじゃないか。
「なあ、葵姫たん。俺が見てきた戦いのこと詳しく話したいんだけど、凛夏が戻ってきたら面倒じゃん? ケータイ交換しない?」
「えっ」
「これ、俺のLIMEね」
「あの……その……こ、困ります」
「どうして?」
「も、もっとお互いのこと知ってからでないと……」
「じゃあ、知ろうよ。俺は鈴木凡太。慶包大学経済学部の二年生だけど学校行かずにゴロゴロしてる。趣味はゲームと発電。特技は覗きかな。どんな温泉でも六〇秒あれば覗きスポットを見つける自信がある」
「え? 慶包なんですか……? すごいですね」
定員割れしなかったら試験会場から追い出されて塩を撒かれるレベルの偏差値だけどな。
なあに、大学もポ●チンも、入ってしまえばこっちのものよ。
「次は葵姫たんの番だよ。名前は? 学校は? 趣味は?」
「え、えと……そんな」
「このくらいなら教えても大丈夫だろ? な、ちょっとだけ。先っちょだけだから」
ついつい下ネタが口から出てしまう悪癖はいい加減直さないとな……。
「……はい。徳川葵姫です。凛夏ちゃんと同じで高二です。趣味は読書。あとはゲームやアニメです」
「へえ、葵姫たんって『徳川』って言うんだ。徳川幕府の危機! って感じだね」
しまった! またつまらんことを言ってしまった……!
ところが、
「小学校の頃に散々言われました」
と苦笑まじりの笑顔で返してくれる葵姫たんマジ天使。
凛夏に言ったら多分『は? 何それ面白いつもり? 幕府の危機よりあんたの頭の危機を心配したら?』とか言われるに決まっている。
「へえ~、葵姫たん小学校に通ってたんだ? 奇遇だね、俺も昔小学校に通ってたんだ」
……またまたしまった! 葵姫たんがかわいすぎてまたわけわからんことを口走ってしまった!
「そうなんですか? 奇遇ですね」
にこっと笑う葵姫たん。
優しいのか天然なのかアホなのかわからないけど、天使すぎて涙が出そうだ。
凛夏だったら『あんたは幼女目当てで今でも小学校に通ってんだろーが!』と金的を入れられるに違いない。
うんうん。
腕組みしながらうなずく俺。
ああ、このまま金髪バカは戻ってこなければいいのに。
鈴木凡太二十歳童貞――まさか我が人生でJKとこんなデート気分を味わえる日が来ようとは……生きてて良かった。
「えと……こんなところでいいですか?」
「そうだな。うん、お互いのことがだいぶわかってきたよ。……あ、ちょっと待って! 部活とかやってたら教えてよ」
「……吹奏楽をやりたかったんですけど、やっていないんです。土日にバイトあるからコンクールも出られませんし」
バイト?
意外だな。バイトしているイメージはなかった。
「バイトって何やってるの? JKリフレ?」
「近所の神社で巫女をやっています」
巫女!
巫女!!?
巫女!!!!!!?
黒髪の美少女。
清純派。
巫女。
もうダメだ。わいの好みを全て押さえられてしまった。
俺の負けだ。
「わかった。結婚しよう」
「……へ?」
「凛夏が来る前に結婚しよう。オンラインで婚姻届って出せるのかな? 今ぐぐるから待ってて」
「あ、あの……?」
二分で婚姻完了、みたいなお手軽なサイトねーのかな。
ちくしょう。
「葵姫たん、ヌイッターの登録と同じくらい簡単に婚姻できるサイトないかな?」
「さ、さあ……? あの、け、結婚って?」
「もう十六歳過ぎてるよね?」
「は、はい。十七、ですけど……」
「オッケー。子供は何人ほしい?」
「わ、私、まだ高校生なんですけど……じ、自分のことでいっぱいいっぱいで子供なんて……」
「何人ほしい?」
「……ふ、二人でしょうか。上が女の子で下が男の子」
「いいねえ。俺もおな……ひでぶッ!!!」
目の前に火花が飛び散り、骨と木がぶつかる堅い音が店内に鳴り響いた。
「うぐ……ぐポッ!」
額の痛みに耐えつつ顔をあげると、すぐに頬に第二撃。
「あんたねっ! 何やってるのよ! もう!」
「リン……ポコか……油断した」
まさか店内に戻っていたとは。
しかも気配を消して俺の背後に……やられたぜ。
「せっかく葵姫たんと結婚しようと思ってたのに、邪魔すんじゃねえ!」
「結婚ってのは一方的に決めるものじゃないでしょ! ねえ、葵姫ちゃん」
「う、うん。あの、よくわからなかったんですけど、どなたか結婚なさるんですか?」
そんな……。
俺はがっくりとうなだれた。
「葵姫ちゃんと話すの禁止って言ったでしょ! それより、行くわよ!」
「え? どこに行くんだよ」
「私の家よ!」
「何でおまえん家なんかに行かなくちゃならねーんだよ」
「もう! 説明してる暇はないんだってば!」
伝票をとってレジへ歩いていく凛夏。
「二人とも、早く!」
「なあ、凛夏って葵姫たんに対してもあんなマイペースなの?」
「えと……たまに、ですね」
「はあ。面倒くせえヤツ」
俺は葵姫たんを連れてファミレスの外に出た。
ドサクサに紛れて会計は凛夏持ちでラッキー。
あいつのおごりならもっと食えば良かった。
「お待たせ、じゃあ行くわよ。タクシー拾って。凡太のおごりね」
呼び捨てかよ……。
返事も聞かずにタクシーを停める凛夏。
「鶴川まで」
全身から迫力のあるオーラが滲み出ていた。
こりゃ逆らわないほうが良さそうだ。
「おい、鶴川ってどこだよ」
「町田市よ」
ここから町田っていくらかかるんだよ、勘弁してくれよ……。
っていうかこいつ世田谷区民って言ってなかったっけ。
タクシーの中でも凛夏はそわそわしているようだった。
葵姫たんと隣に座りたかったのに、俺たちを引き裂いた挙句にシリアスでダークな雰囲気を作りやがって!
デート気分が台無しだ。
「で、何の用なんだよ。おまえのじいさんが俺のカンチョーを味わいたいって言ってたのか?」
「そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、何だよ」
ギロッと睨みやがった。
質問に答えず睨むなんて、何てヤローだ。
「こいつ態度悪いよな」
「えっ? り、凛夏ちゃんにも事情はあると思うからそういうこと言わないほうが……」
「そっか。葵姫たんは優しいなあ。誰かさんと違って」
誰かさんはスカートの上でぎゅっと拳を握り、何かを考えているようだ。
「……凡太。あんたの言うこと、本当だったのかもしれない」
「はあ? あれだけ信じなかったくせに、今さら何だよ。思い出したのか? おもらししたこと」
……狭い車内でも躊躇なくビンタするとは想定外だった。
「私はしてない! 『私』は……」
「もったいぶるんじゃねーよ! 何なんだよ、さっきから」
「私が……帰宅したの」
真っ直ぐと正面を見据えたまま、低い声で凛夏は言った。
「はあ? これから帰宅するんだろーが。この基地外が」
「違うのよっ!」
うおっ!
急にこっち向くからびっくりした。
だけどすぐに下を向いて、口をつぐんだ。
「……」
何だ、この鬼気迫る顔は。
怒ってるのか、泣いてるのか、困ってるのか、ようわからん。
雨が降る前の湿った空気のような、微妙な表情だ。
こいついつもエラそうでムカつくけど、泣きそうな顔はちょっと萌えるな。
いかんいかん! 俺は葵姫たん一筋と決めているんだった!
ぶんぶんと首を振って邪心を追い払う。
「凛夏ちゃん、どうしたの……?」
「……」
凛夏は答えない。
唇を噛んだまま、強く目をつぶっている。
何考えてんだこいつは。
「おい、葵姫たんが聞いてるだろうが。無視せず答えてさしあげろ、この貧乳が」
俺は凛夏の頭をぽんと叩いた。
「……ぐっ」
「具?」
「……えぐっ、えぐっ……」
スカートの上に雫が落ちる。
んんんん?
凛夏の顔は茹でダコみたいに真っ赤になっていて、大粒の涙がポタポタと落ちていう。
唇からは嗚咽がこぼれていた。
……泣いた!!?
なぜだ!
俺は何もしてねーぞ。
どうして泣くんだ!
「お客さん……盗み聞きしたようで申し訳ないんですけどね、ちょっとひどいんじゃありませんか?」
ルームミラー越しに運転手さんの鋭い目が光る。
「お、俺が悪いと言うんですか? 悪いのは乳量に恵まれなかったこの女ですよ!?」
「お客さん、ひょっとして中学の卒業アルバムのアンケートで『空気が読めない男子』『エロい男子』『自分が正しいと思ってる男子』で全てベスト1に輝いて三冠王を獲ったりしてたでしょう?」
図星だった!
「貴様、なぜそれを……!」
「見ていればわかりますよ。もっと相手の気持ちになってあげなくちゃ」
「し、しかしこの貧乳が俺を叩くのですよ。やられたらやり返す。俺は正義ですよ。先に手を出したこの女こそ、悪の権化!」
「あなたは正義を貫いたと言うんですね?」
「そりゃそうですよ! むしろ『正義』という言葉が俺ほど相応しい人間はおりまへんがな! ネット炎上だってちゃんと対象の息の根を止めるまで続けますし!」
「なるほど……」
「運転手さん、何が言いたいんですか?」
運転手は遠い目をしながら言った。(カッコつけてるだけだと思うけど)
「『正義』ほど性質が悪いものはありませんよ。『悪』は罪悪感にかられることだってあります。でも……」
「でも?」
「正義と信じ込んだ行為は、歯止めが利きませんから。大義名分の下にどんどん行動がエスカレートしていき、最後にはすべてを破壊してしまうものです」
……そんなに大げさな話をしていた覚えはないんですけど。
どうして運転手に人生を説かれなくてはならんのだ。生意気な。
まあ、確かにこの運転手の言うことに一理ないわけでもない。ちょっとだけね。
凛夏に殴られたから、俺も凛夏を傷つける。
これでは復讐の連鎖が続いて、お互い疲弊するだけだ。
このクソ女相手でも優しくすれば、こいつも俺に対する接し方が変わって良い友人になれるかもしれない。
俺たちが仲良くしたほうが、葵姫たんも喜ぶだろう。
よし、本当はこのまま聖戦を続けたいところだが、一時休戦。
どうして泣いているのか聞いてみよう。
「凛夏、ごめんな。運ちゃんの言う通りだ。俺は自分のことしか考えない悪いヤツだった。本当にごめん」
「……」
凛夏はシートの上でアルマジロのように丸まっている。
反応がないので、泣き止んだのかどうかもわからない。
「おまえが暴力をふるう理由だって、本当は俺が悪いのかもしれないしな。ごめん。許してくれ」
「……」
うーん。
「ごめん……貧乳とか言って。でも、本当はすごく綺麗だと思ってたんだ。空気抵抗も少ないし、体重も重くならなそうだし……痴漢に遭遇するリスクだって少な……ぐほっ!」
アルマジロ凛夏のパンチが飛んできて急所に直撃した。
見ないでここまで正確に撃ちぬくとは……あっぱれなり。
丸まっている凛夏を中心に、左右には股間をおさえてうずくまる俺と、オロオロしているであろう葵姫たん。
タクシーの中はまさに地獄絵図であった。
タマタマの痛みが癒えてきた頃、ようやく凛夏も顔を上げた。
「……二人とも、ごめん」
「いや、俺こそ悪かった。まさか泣かせちまうとは……」
「ううん、違うの。ちょっと混乱しちゃって……」
「混乱?」
「うん……。凡太の話もあったし、自分が幽霊なんじゃないかと思っちゃって」
何を言ってるのかさっぱりだ。
やはり夏はダメだな。
暑さは人を壊す。
「運転手さん、ちょっといいすか?」
「はいはい。何でしょう?」
「この辺りに精神科があったら寄ってもらえます?」
「わかりました。降りるのはお客さんですよね?」
「いや、俺じゃないっすよ! 俺は正常ですよ! 降りるのはこっちの女っす!」
「じゃあ、寄りません」
……なんてことだ。
運転手は凛夏の手先になってやがる。
クソッ! クソッ!
「……幽霊って?」
この声は葵姫たん!
数十分ぶりに聞く美声は、楽園に吹くそよ風のようだ。
美しい! ああ、本当に美しい!
「葵姫ちゃんもごめんね。ヘンなことばかり起こるから本当に頭が混乱しちゃって」
「わかったから早く続きを話してくれ」
「私……生きてるよね? ここにいるよね?」
「はいはい生きてる生きてる。ここにいるよー、っと。で、結論は?」
「どう説明すればいいのかな……あのね、すごいこと言うけど、引かないでね?」
照れたような様子で鼻の頭をかく凛夏。
「はいはい引きません。それで?」
長いんだよ。ファミレスから何時間も引っ張りやがって。
少年ジョ●プの長寿連載作品みたいに引き伸ばすんじゃねー。
「あと、凡太。ごめんね……さっきは疑って」
今度は一転、真面目な顔で俺の目を見てきた。
「お……おう」
さすがに俺も真っ直ぐに見つめ返す。
「とても信じられなかったけれど、不思議なことってあるんだね……」
「ああ……」
深く息を吸って凛夏は言った。
「あのね、『私がもう一人いる』――みたいなの」




