第十二話 メガネはずし
真っ暗だ。
光も何もない、闇の世界。
ただただ冷たく、寒い……どうやら鍾乳洞の中ではない。
ああ、俺は死んだのか……。
観光用の鍾乳洞で遭難死とか情けなすぎるだろ……。
例の異世界転移の呪文、覚えておけば良かった。
そうすれば脱出不能になった時点で呪文を唱えて異世界に逃げたのになあ。
今さら悔やんでも遅いけれど、一時期は呪文を覚えてたはずなんだけどな。
ていうかどんな呪文だったっけ……。
……あ、温かい。
手に何かが触れたような気がする。
何だろう、このぬくもりは。
触りたい……逃がしたくない。逃がすものか!
俺は、ぬくもりを強く握り締めた。
「ひゃっ!?」
細い声が聞こえ、手のひらから何かがするりと抜けていった。
まぶた越しに光を感じ、目を開けた。
鮮やかな緑が風に揺られながら夏の陽射しを隠していた。
意識のピントがあうにつれ、蝉の鳴き声や川のせせらぎが広がっていく。
夢だった……?
それとも生き返った……?
よくわからない。
しかしあの暗黒の世界からはおさらばできたことは間違いなかった。
ゆっくりと上体を起こす。
うん、身体は動くな……てか、ここはどこだ。
……あ、鍾乳洞を出たところか。おや?
一人の女の子が怯えた顔つきで俺を見ていた。
メガネをかけた少し控えめ、悪く言えばちょっと地味な子だ。
白いブラウスに淡い赤色のキュロット。
「あんたは……?」
返事はない。
厳密には彼女も何かを話そうとしているそぶりは見せるのだが、しどろもどろとしていて言葉になっていない。
話すのが苦手なのかな。年齢は高校生くらいか。
この子が俺を助けてくれたのだろうか。だったらお礼を言わないと。
その前に、とりあえず立つか。
片手で身体を支え、立ち上が……れませんでした。
「いてっ」
まぬけな格好で転んでしまった。
よく見るとあちこちから出血している。
さっきは暗くてわからなかったけど、擦り傷というより切り傷だな、こりゃあ。
「あ、あのっ、わ、私……伝えて、きますっ」
どもりながら女の子は走っていった。
無造作に束ねた長い黒髪が揺れていた。
伝えるって、誰に? 何を?
彼女はチケット売り場の小屋に入っていった。
あー、あの兄ちゃんが助けてくれたのかな。
悪いことしちゃったな。
身体の怪我を確認をする。
出血のせいで派手に見えたけど、どうやらたいした怪我はなさそうだ。
冷え切った身体も夏の熱気で調子を取り戻してきた。
救急車を呼ばれたら面倒だな。
これなら自力で帰れそうだし、事情を話して少し休ませてもらうか。
っていうか、凛夏は?
あいつを置いて帰ったらやべーな。
あとでチャールズに電話して調べてもらうか。
そんなことを考えていたら、さっきの女の子は誰かを連れ小走りでこちらへ向かってきた。
金髪に長いツインテール……っていうか、凛夏じゃねーか。
なんだ、あいつも無事だったのか。良かった。色々な意味で。
「よう、凛夏ー!」
地べたに座ったまま手を振る。
「おまえも無事だったのか。心配したんだぜ」
「!?」
急ブレーキする二人。
片手でメガネの子を制止しながら、凛夏は訝しげな表情を浮かべた。
「なんで!?」
なんで、って……こっちの台詞だよ。
何を言ってるんだこのバカは。
俺の無事を喜んで胸を揉み揉みさせてくれる場面じゃねーの? ここは。
膝を立て、立ち上がる。うん、なんとかいけそうだ。
一歩下がる二人。何すかそれ。ちょっと傷つくんですけど。
「なんでよ!?」
「俺の台詞だよ。ひでえ目に遭ったんだぜ。あ、助けてくれたのはおまえか? 売り場の兄ちゃんか?」
「こ、こっち来ないでよっ!?」
声に凛夏の瞳に攻撃色が宿った。
「何だよ、そのバイキンを見るような目つきは。そんな目で俺を見ていいのはマイエンジェル、葵姫たんだけだぞ」
「えっ!?」
小さな声をあげて、メガネの子は身体をすくめた。
「あ、あんたどうして私の名前を知ってるのよ!? 葵姫ちゃんの名前まで……!」
「はあ? おまえ頭でも打ったのか? 俺が葵姫たんの名前を忘れるわけねーだろーが。リンポコは忘れるかもしれねーけど」
「っ!」
目の前には火花。
空が回って、背中を打ち付ける。
「イテテ……得意のビンタかよ。おまえを探して怪我したんだから、手加減しろよな」
「……なんであんたが私を探すのよっ!?」
「『なんで』『どうして』しか言えねーのかおまえは。おまえこそどこ行ってたんだよ。急に消えやがって」
「はあ?」
話が噛み合わない。
というか、だんだんムカついてきた。
小学生並のストレス体制しか持ち合わせていない俺に対してこの態度はねーだろ。
「あっそ、わかったよ」
俺はあいつらに背を向けた。
「ちょっと待ってよ、どこ行くのよ?」
凛夏の攻撃的な声が背中に突き刺さる。
「知るかよ。今さら謝っても連れて帰ってやらねーからな」
と毒づいても
「はあ? さっきから何なのあんた!? あんたこそ頭打ってんじゃないの?」
やっぱり話が噛み合わない。
確かに俺は頭がおかしい人間だ。しかし今のこいつは俺を遥かに凌ぐキチっぷりだ。
「はいはい、それもこっちの台詞。お友達と仲良く帰ってください」
二人を置き去りに坂を上る。
ったく、意味わかんねー。マイエンジェルも見つからなかったし死にかけるし散々だったわ。
えーとカタナカタナ……あれ?
駐車場に停まっているはずのカタナがない。
んなバカな!
ポケットを探る……あった。
カタナのキーは、千手観音のキーホルダーにしっかりとくくりつけられている。
じゃあ、どうして……あんなもんパクるヤツはいないだろ!?
二五〇ccの車体に一一〇〇みてーなタンクにカウル。
ほとんど鉛を載せて走っているような実用的とはほど遠い外装。
しかも水冷! カタナ好きってのは空冷じゃねーと満足しねー体じゃねーのかよ!
どこの物好きだよ!?
なんてこった……あんなひどい目に遭って、さらに愛車までなくなるなんて……。
思わず涙がこみ上げそうになったが、凛夏たちがやってきたから堪える。
「なんだよ。まだ何か用かよ」
「ん……ちょっと、あの……叩いちゃってごめんなさい」
「あ? ああ」
珍しくしおらしいな。こいつにも良心があったとは意外だ。
「あんたがどうして私たちの名前を知ってたのかわからないけど……あの、病院、行ったほうがいいと思う」
「大丈夫だよ。血が出てるから大怪我に見えるけどたいしたことねー」
「違うの。あのね、その……あんたの脈、停まってたって葵姫ちゃんが言うから……」
「えっ」
マイエンジェル!?
俺は凛夏の両肩をつかんだ。
「凛夏! おまえマイエンジェルと会ったのか!?」
「ちょっと、放してよ! マイエンジェルってやめてよキモいから」
「答えてくれ! どこにいるんだよマイエンジェルは! カタナをなくした俺には葵姫たんしか生き甲斐がねえんだよおおおぉぉ!!」
「放してっ!」
俺の腕を振りほどいた凛夏は、左手でまたあの子をかばって叫んだ。
「寝ぼけないでよ! 葵姫ちゃんを困らせて何がしたいのよ! 私たちの名前をどこで知ったの!?」
……。
もしかするとひょっとすると……。
俺は犯人を突き止めた探偵のようにメガネの女の子を指差す。
「……葵姫たん?」
「当たり前でしょ。ってか人に指を向けるんじゃないわよ!」
「……」
「ちょっと失礼。いやほんとに、変質者ではないので一瞬、一瞬ね」
凛夏のビンタの間合いに入らないよう迂回しながらその子に近づき、一瞬だけメガネを額にずらし、戻した。
「この変態ッ!」
横から飛んできたビンタをかわす。
一瞬見ただけでわかったよ。
うん、間違いない。間違えるもんか。
この子はマイエンジェル。
葵姫たん本人だ。




