第十話 鍾乳洞
マイエンジェルに会いに行くしかない!
退屈な日々に刺激と喜びを!
アパートの階段を下り、駐輪場へ。
カバーを引っぺがすと、埃が舞い散る中、数か月ぶりに愛車が姿を現した。
――GSX250SSカタナ。美しい。ああ、魂を揺さぶる美しさだ。
世間にはスズキのバイクを変態呼ばわりするカスどもがいるようだが、俺から言わせてもらえばこの美しさがわからないほうがカスだ!
ああ、今からポルシェとでもバトルしに行こうかしら。
いかんいかん、久々の愛車に見惚れている場合ではない。
キーを回し、セルを押す。
ジジ、ジ……。
あれ? エンジンがかからない。
もう一丁……!
ジジ……ジ、ジ……。
ジィ…………。
…………。
なんてことだ。
バッテリーがあがってしまったようだ。
金欠でしばらくまたがらなかったから拗ねちゃったのね。かわいい子。
こうなったら押しがけするしかない。
バイクを道に出し、二速へギアを入れる。
クラッチレバーを握りバイクを押しながら走って、スピードが乗ってきたところでスパンとレバーと繋ぎ、アクセルを開ける!
ブオォ……ンスコン。
エンジンは一瞬だけ唸ったと思ったら、すぐに静かになってしまった。
惜しかった。もう少し頑張れば、エンジンかかりそうだな。
もう一回!
ブォ……ン。
「はぁっ、はぁっ」
何だよちくしょー! 機嫌悪くしてるんじゃねーぞ、機械の分際で人間様に逆らいやがって!
二五〇ccと言っても重いんだからな、こいつは。
もう一回!
もう一回!
もう一回!
「はあっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
汗だくだ。もう動きたくない……クソッ、ポンコツめ。
「ご主人様に逆らいやがってェーッ!!」
カタナに後ろ回し蹴りをぶち込もうとするも、運動不足の身体はバランスを崩して転倒してしまった。
「ちくしょう……イテテテ」
「……何やってんの?」
蔑むような声を見上げると、誰かが太陽を背に立っていた。
逆光でよく見えないがこのチャンスを逃すわけにはいかない。
パンツを覗くため、倒れたまま平行移動したら顔を踏まれた。
「うぎゃっ!」
鼻面を押さえながら身体を起こす。
視界に入ったのは、パンツをガードしながらしゃがみこむ凛夏の姿。
「リン……ポコ? おまえどうしてこんなところに? はっ!? ま、まさか俺をストーキングしたな!?」
「してねーよ! 私んちもこの先なんだけど……凡ちゃん、こんなとこに住んでたわけ?」
「ああ。大学入ってから二年くれーここに住んでるよ」
「嘘……最悪。私を追ってきたんじゃないでしょーね」
「知るかよ! おまえが世田谷区民だったことも今知ったわ!!」
「ふーん」
じろじろと目を細める凛夏。
こいつはどうして俺と話す時いつも高圧的というか、上から目線なんだろう。
値踏みするような目で見てくるのがちょっとイラつく。
「家、近くなんだろ? あっち行けよ、シッシッ」
「何よその言い方!? 言われなくても帰るわよ……ん?」
「……なんだよ?」
「バイク、乗ってるの?」
「悪いかよ」
凛夏はカタナのシートに手をついて、車体をジロジロ見ながら周囲をまわった。
また何か文句言ってくるんだろうな。クソ女が。
パンツも見せてくれないなら貴様に存在意義などないのに。
「……かっこいいね」
「えっ」
目を細めて微笑む凛夏。彼女の背後から後光が差している。
「凡ちゃんがバイク乗ってるなんて思わなかったな。ちょっと意外」
「も、もう一度オナシャス」
俺はすがるように言った。
「え? な、なんでよ。どうして二度も言わなきゃいけないのよ」
「お願い!」
「……か、かっこいいね、って言ったの」
うおおおおおおおおお!
何それ、生まれて初めての言葉!
痺れるうぅぅぅうぅぅ!!
「も、もう一回……はぁはぁ」
「な、なんで息が荒いの!? いやよ!?」
「お願いだから……はぁはぁ」
「嫌よ! 触んないでよ!」
「おねげえだぁぁー!!」
「キャー――ッ!!」
「ぐぼっ!?」
フルフェイスのメットで脳天をかち割られ、俺は倒れた。
「ご、ごめん、痛くなかった?」
「このアマ……痛くないわけねえだろ……おまえ次やったらひどい目にあわせてやるからな……性的な意味で」
「あはは……ごめんごめん。それは置いといて~、バイクの音聴きたいかも~」
それは置いといてじゃねえよ! 置くな!
……と思ったが、我が愛車カタナの音を聴きたいとは、リンポコにしてはなかなか良い心がけじゃないか。
よく聴くがいい! これがすべてを統べる者の咆哮だ!
セルスイッチをオン。
(しまった……バッテリー上がってるんだった)と思ったのもつかの間、カタナは唸り声を上げて蘇った。
「へえー、すごい! かっこいいんだね」
……女の前では一発でエンジンがかかるとは。
やはりスズキのバイクは変態だな。
「んじゃー、凛夏。俺は行くとこあっからよ、んじゃなー」
「どこ行くの?」
「たぶん桧原村か奥多摩かな?」
「えっ!? 私も行きたい!」
そうきたか。
マイエンジェル葵姫たんに会いに行こうと言うのに、この貧乳暴力女が同行するのはよろしくないな。
と思ったが、『女と二人乗り』という我が童貞人生で一度も経験のない行為にチャレンジする好機であることも事実……!
急ブレーキして乳の感触を楽しむという夢も叶えられる!
ぐぬぬ……葛藤してしまうのが、これを逃したら俺の人生では女を乗せるチャンスは二度とめぐってこないかもしれん。
背に腹は代えられん……もしも向こうで凛夏が邪魔になったら置き去りにしてしまえばいいだけのこと。
まずは女とタンデム! それが大事だ!
「わかった。じゃあ、すぐに出発したいからその格好のままでいいなら乗せてやる。メット持ってくるから待ってろ」
「うん! バイクに乗るの初めてだから、楽しみ!」
凛夏に半ヘルを被せ、俺たちは出発した。
「うわっ! 速ーい! 気持ちいー!!」
「国道二四六号に出たらスピード出すから、しっかり捕まってろよ」
「ど、どこ捕まればいいかな?」
「ここを握っておけば問題ないで」
凛夏の手を股間に誘導するも、「握るか!」と一蹴されてしまった。残念。
その後もブレーキで乳の感触を楽しもうにも貧乳相手には無意味だったことが発覚し、テンションがた落ちの中、俺たちは進んでいった。
「山だー! すごーいすごーい!」
えっと、テレビでやってた鍾乳洞はどこだったっけ。あれが武蔵五日市駅だろ? ここは左折でいいのか。
「凡ちゃーん! すごいよ山ー! 綺麗ー!」
あ、あの看板は……ここは右か。
「川だーー! 気っ持ちいいー!!」
凛夏がこんなことで喜ぶとは思わなかったな。
こいつも口を開かなければ(あとは胸があれば)可愛いのに、もったいないよな。
「おっ!?」
テレビで見た風景だ。間違いない。
俺は鍾乳洞の駐車場へバイクを停めた。
「ここ目的地?? 何があるのー?」
「知らん」
「?? 何か用事があって来たんじゃないの? あ、鍾乳洞だ! すごーい、初めてー!」
「ここにマイエンジェルが来てるはずなんだよ」
「……!」
凛夏の顔が曇った。
さっきまで、子供の頃のように笑顔でキャーキャー言っていたのに、般若のような恐ろしい顔つきになっている。
「……それって、葵姫さん?」
「そうだよ。何か文句あるのか?」
「どうしてそれを先に言ってくれなかったのよ!」
「おまえが聞きもしねーでついてきたんだろーが!」
「知ってたら来なかったわよ!」
「じゃあ帰る?」
「……」
「ここなら電波あるし、タクシーくれー呼べるだろ」
「……ついて行く」
「何でだよ?」
「うるっさいわねー! 行くったら行くの! ほら、とっとと降りて!」
「……チッ、何なんだよおまえ」
「うるさいっ! ブツクサ言うなっ!」
おまえだってブツクサ言ってるじゃねーか。
テレビに映ってた売店のようなところでチケットを買って、橋を渡った。
鍾乳洞の前に立つと、夏とは思えないひんやりとした冷気が流れ出していて何故だか身体が震えた。
「葵姫さんはこの中にいるの?」
「知らん。二時間くれー前にはいたと思うけどな」
「ふーん、そうなんだ」
意外と静かな反応だ。『なんであんたはそういい加減なのよ!』と怒るかと思ったのに。
「お金も払ったんだし、入ってみよ?」
「ああ。滑るから足元気をつけろよ」
「あら? 優しいじゃない」
「フツーだろ」
「ふーん」
鍾乳洞の中は静かだった。
アクセスが便利でないせいか、あまり流行っていないのだろうか。
ハイシーズンだというのに人っ子一人いやしない。
上へ下へ、右へ左へ……案内板がなかったら迷ってしまいそうだ。
しかも道が狭いので何かソワソワする。
きっとRPGのキャラもダンジョン内ではこんな気持ちなんだろうな。
早く外に出てセーブしたい感じっていうか。
順路の途中に、真っ暗な横穴がある。
立ち入り禁止の金網が張られていて奥は見えないが、風が奥から吹き込んでくる。
ちょっと叫んでみよう。
「ち●ぽーーっ!」
俺の声は『ち●ぽーち●ぽーち●ぽー……』と共鳴しながら奥へと消えていった。
やはり結構深そうだ。
「何よ、今の声。やめてよ」
数歩遅れて凛夏がやってきた。
「別にいーじゃん。他の人はいないんだし」
「へー? 葵姫さんに聞かれて嫌われても知らないよ?」
げげっ。それは困る。
「今のは間違いでーす!!」
『今のは間違いでーす違いでーす違いでーす……』これでよし、と。
さて、気を取り直して先に進もう。
順路は……この上か。
「ちょっと急坂だな。凛夏、気をつけ……ん?」
凛夏は金網の中を見ていた。
石になったように固まって動かない。
「何見てんだ?」
「あ…………あ……」
凛夏は目を見開いたままかすれ声を出していた。
芝居がかったことしやがって。
何見てんだ……?
凛夏のもとまで戻り、彼女の視線の先を見る。
そこにあるのは、どこまでも続く漆黒の闇のみ。
「何もねーぞ……えっ?」
首を戻すも、凛夏の姿はそこにない。
戻ったのか?
通路の少し奥を覗き込んでも、彼女はいなかった。
そもそも、どこかに隠れても足音くらいは聞こえたはず。
なんだ……どうなってるんだ?
言いようのない不安が胸の中で膨れ上がっていくのを、ただ感じていた。




