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奪われた平凡と赤い鬼

7部構成、気が向いたらおまけ有りの予定です。

僕は、ただの一度足りとも自分が特別な人間だと思ったことはないし、なりたいとも思わない。

物語に登場する特別な役割を与えられた主人公たちは、いつでも苦しい想いをして長い旅路に役目を終える。でも、終えるだけだ。

そのあとで得られるのは、成したことに似合わない、気休め程度の小さな幸せだけ。それではあまりにも辛すぎる。

それなら、平凡な村人として生きる方がずっと気楽でいい。

そんなことを考えていると、考えていただけなのに、深いため息が前方から聞こえてくる。

「夢が無いわね」

友人である彼女はそう言った。

何故感想を述べたのか、実に不思議なことだ。彼女に心を読む力は無いため、思い当たることはただ一つだ。

「あ、声に出てた?」

友人は呆れた様子でもう一度ため息をつく。

「自覚無かったの……」

正解らしい。通りで顎が疲れるわけだ。

今は昼休み。その前の歴史の授業の疲れが残っていたのだろう。居眠りはするものじゃないね。

そう反省しつつ鞄からお弁当を取り出す。

食べ物に手をつける前に、僕は彼女の発言を思い出して意義を唱えた。

「それにしても、夢が無いとは失礼だな」

友人は意外なことを言われたかのように目を丸くする。そして、少し考えてから言葉を返した。

「誰にでもなれる夢なんて夢じゃないでしょ?」

彼女は当たり前と言わんばかりの態度を見せる。

あまりに堂々と言うものだから、僕もつい意地になる。

「努力を怠れば、どんなものにもなれないよ。甘くみたら、平凡なんていつでも崩れてしまうんだならね」

友人は頷きながら聞いている。これで納得してくれるなら良かったが、現実は厳しかった。

懸命な僕をからかうように、彼女は笑むを浮かべている。

「何もしなくても村に住めば村人でしょ?どんな努力が必要なのよ」

「えーと……それは……」

言葉に詰まった。言いづらいことではあるけど、戦いには犠牲が付き物だ。

「学校を卒業すること……」

学期末に返ってきた答案には、丸い数字一つだけ書き込まれていたこ。

このままでは、職業は『学生』で人生を終えてしまうかもしれない。

「ああ……うん。ごめんね」

思わず涙ぐむ僕を撫でながら、友人は申し訳なさそうに言う。

可哀想なものを見るような目で見ないでくれたまえ。ほんのちょっと、少しだけ全教科が不得意なだけだから、冗談だと思って笑ってほしい。

いや、笑われたら友情が終わるね。ダメだね。

僕は頭の上に置いてある手を退けた。

「そ、そういう君はどうなのさ」

僕もからかってやろうと尋ねる。しかし、これは失敗だった。明らかな地雷だ。僕の知りたくもない友人の一面を見る羽目になった。

「私はこれっ!」

友人はどこから出したのか、折り畳まれたビラを机の上にドカンと広げる。……普通に出してもいいんだよ?

稀に見る友人の剣幕に、引き下がれなくなった僕はそれを覗き見た。そこには、大きな文字で『王女選定祭』と書かれていた。

食べ物屋がある祭りは、全ての場所と日時を覚えているのだが、これは聞いたこともない。

友人が満面の笑み向けてくる。

仕方ないから、最後まで聞いてあげるとしよう。他ならぬ親友の夢だもんね。

僕はそーっと窓の方を見ながら、「……いやぁ~、今日もいい天気だね」と当たり障りのない話に切り替えを試みる。

……今聞くとは、言ってない。

「そうじゃないでしょ!」

もちろん許されなかった。曇りは好きじゃないらしい。

感情的になった友人は立ち上がる。引いた椅子がうるさく倒れた。

いつものことなので、僕も周りも気にせずに食事を続けている。誰も助けてはくれない。非情だね。

「今は昼食中なのだから、埃は立てないでくれたまえ」

お行儀が悪い女王様だね。

しかし、そんな注意も友人は意に介さない。輝きに満ちた目が狂喜染みているからだろうか。

教室の女王は声高らかに演説を始める。

「いい?ここに書かれているのは、つまらない平凡から抜け出す最大のチャンスなの!」

あからさまに聞き流しているが、説明を止める気配はない。こうなると友人は熱いのだ。嫌いではないけれど、しつこいのが欠点だ。

というか、僕の夢を全否定していないかい?

友人は顔を、僕のすぐ目の前まで近づけた。

「ここに書かれている通りなら、あたしでもお姫様になれるかもしれないでしょ」

「どうでもいいよぅ……」

特別は、彼女の昔からの夢なのは知っている。

何せ、僕に勇者やお姫様の物語を話してくれたのは友人だからだ。繰り返し行われたおままごとは、軽くトラウマになるくらいにはっきりと覚えている。

でも、僕はそんなものにはなりたくない。平凡でいたいのだ。

友人は腕を組み僕を見据え、諭すような口調で付け加える。

「どうでもよくは無いわよ?もしかしたら、あんたも選ばれるかもしれないんだから」

僕の手から箸が滑り落ちる。

冗談のつもりだったのかもしれないが、友人が選ばれるのなら僕にも可能性があることは事実だ。

夢が奪われるのは困る。

「ちょっと、それ見せて」

友人が広げたビラを手に取る。

内容と日時、選定条件が書かれていた。その内の一つの項目が目に止まる。

友人は文字が苦手だったかな?いや、たぶん喜びに躍り狂い、読むのを忘れたのだろう。僕の友人は愉快な人だから。

言葉を選びながら、僕は彼女に悲報を告げた。

「うーん……残念だけど、君も僕も選ばれないよ」

「な、ななんで!?」

友人がひどく戸惑う。夢を取り上げるようで気乗りしない。僕自身が嫌だからね。

でも、要らぬ期待をさせるのは平凡な友達のすることじゃない。

僕はあらためてビラを広げ、条項の一文を指で指し示す。友人はそれを見る。何度も見直し、やがて椅子の無い床へと座りこんだ。

その条件は『爵位を持っていること』というものだった。平凡な僕らには、手に入れることは難しい代物だ。

「君の夢を手伝いたいところだけど、僕は方法を知らない」

「いいわよ。……仕方ないもの」

力の無い笑顔で友人は答える。騒いだ分、疲れてしまったのだろう。

彼女の頭を撫でて慰めることにした。

こうして、昼休みは過ぎるのだった。……平凡に。



―――



帰り道、いつものように石畳を蹴って歩く。しかし、その音は響かない。周りがひどくうるさいのだ。

活気はある街とはいえ、掻き分けるほど人はいないはずだ。

お祭りでもあるのかと思い返すが、あいにく僕は聞いていない。

思い当たるとするなら『王女選定祭』だろうか。ビラに書かれた日付は確か今日だった気がする。

これくらいの人だかりとなると、選ばれたのはこの辺の人なのかもしれない。でも、貴族の家なんてあったかな?

僕の家は間違いなく平凡だ。両親は酒場を経営していて、その前の先祖は鍛冶屋、そのまた前は農場を営んでいるような平凡な生産職の家系だ。

つまり、この祭りは僕に関係ない。そのはずだ。

そんな考えに反して、人の群れはその数を増やす。少しずつ不安が増していく。

いつものように……とは行かないが、人混みを掻き分けながら家の近くまで着く。

そこで道が拓け、嫌な予感が的中する。

自宅の前に豪華な馬車が停まっていた。向かいの家は空き家。扉には兵士が付いている。

きっと道を間違えたのだ。居なくなってから、晩御飯までには帰ろう。そっと振り向き、人混みに身体を押し込む。

振り替えるとき、一瞬だけ兵士の一人と目が合った。急ぐが、すでに手遅れだった。

「居たぞ!お乗せしろ!」

平凡ではない声が響く。

後ろからいくつかの足音が迫ってくる。

僕には関係ない。僕には関係ない。と、心中で繰り返して走る。しかし、すぐに捕まる。

「放したまえっ。僕じゃないはずだぁ!」

「いやいや、君だよ!お前ら、早く乗せろ!減給はいやだろ!」

「「「はい!!!」」」

忠実なる兵士たちは、とても統率が取れた動きで僕を縛る。

お金の力なんて嫌いだ。平凡じゃない。

扉は閉められ、馬が走り出す。馬車は揺れ、不本意ながらも速やかに先に進んで行く。



―――



連れてこられた場所は、とても豪華な部屋だった。

床も柱も天井も、平凡とはかけ離れて広い。正面の少し高い床に豪奢な玉座が置かれている。ここは国王と会うための部屋なのだろう。

そこで尋ねたい。国王と謁見するような村人は平凡だろうか。僕が知る限りでは否である。

村人を目指す身としては回避したいことだ。しかし、王宮からから逃げ出すのは平凡と言えるだろうか。

そんなことを部屋の中央で座って考える。王の目の前で。

「そろそろ、いいかな?」

堪えかねたのか、国王が尋ねる。声のする方に手をかざし、急かす言葉を止める。

「もうちょっと待ってくれ。顔を合わせたら会ったことになる」

「……もう諦めてくれはしまいか?」

「いやだい!」

こんな感じで数十分、水際で平凡を保っていた。そろそろ限界だろう。僕のお腹が……。

その時、僕の足元に影が差す。

見上げるといつの間にか、黒いローブに杖を携えた、黒髪に赤目の男が僕の前に立っていた。魔導士だろうか。顔にかけた眼鏡がよく似合っていて、インテリ系のイケメンといった印象を思わせる。

「国王陛下は忙しいのです。早く始めましょう」

「い、嫌だ!国王と会ったら平凡じゃなくなる!」

僕は獣のように唸り、威嚇する。しかし、怯むことなく反論されてしまう。

「平凡ではなくなるのが嫌なのですか。それでは、国王陛下を前にして会わないのが平凡ですか?」

「ふぇっ!? い、いや、そうかもしれないけど……」

「国王陛下のお言葉を無視して、謁見を拒むことが平凡なのですか?」

的確な指摘にぐうの音もでない。

「分かったよ。でも、少しだけだからね」

仕方なく僕がそう言うと、魔導士は表情を変えずに僕の前から離れ、国王の隣に立った。偉い人なのだろうか。

国王はやれやれとため息をつき、急くように話を切り出した。

「君に来てもらったのは他でもない。『王女選定祭』の件だ。王子の妻に君が選ばれたため、今日から『姫』として生活をしてもらいたい」

形式めいた言葉は使われていない。それでも平凡な会話とは言えなかった。

答えに迷わず僕は首を横に振る。

「悪いけど、断らせてもらうよ」

確固たる意思を持って答える。王と言えど、平凡を望む子供の願いを無下には出来ないだろう。

絵本のような話で少しは残念だけれど、断るしかなかった。

しかし、話はそれで終わらなかった。

「そう言うだろうね、今の反応なら。しかし、始まってから一度も断られることがなかったから、その場合の規定がないのだよ。やり直しも出来ないし、どうにかお願い出来ないかね」

国王が手を組んで真面目な顔をする。断っても頼まれる不測の事態に、僕は困惑する。なんて王様だ。

「い、嫌だよ。やりたくないもん」

どうせなら、この状況を友人と変わってやりたいくらいだ。喜ぶだろうね。ああ、でも友人は……。

ふと、僕はあのビラに書かれていたことを思い出す。

「そうだった。僕に『爵位』はないよ。無効だよ」

期待を込めて言った。しかし、いつだって僕の期待はすぐに裏切られる。

「ありますよ」

そう言ったのは魔導士だ。淡々とした口調で続きを語り出した。

「あなたの曾祖父にあたる方は農場を営んでいましたね。ある日、家畜が逃げ出して、偶然にも逃走していた盗賊団の首領が、それに轢かれたところを捕らえられたそうです。その功績から、前国王は爵位を与えたそうです」

「そんなの聞いたこともないよ!?」

「そうでしょうね。栄誉を称えたもので、実質的な権利はありませんから」

まさか正式に選ばれているとは。

おのれ、祖父め。今度、遊びにいっても口を聞いてやらないからな。

しかし、それでも夢を捨てるわけにはいかない。

もう一度、大きな声で宣言する。

「それでもっ、僕は絶対に姫にならない!」

例え相手が国王だろうと、これだけは譲れない。意地でも貫き通してやる。そう心に決めた。

魔導士は僅かに眉を動かし、僕を見下ろす。

「ええ。構いませんよ」

「……ふぇ。いいの?」

思わず変な声が出てしまった。

もう一度決められないのにいいの?王子、一生独身になるの?僕のせいで?不憫じゃないかな。

「どうやら勘違いしているようですね」

戸惑う僕に彼は説明を始めた。

「この祭典はあくまで候補を決めるためのもの。王子が気に入らなければ、あなたの身分はすぐにでも元に戻ります」

「そうなのか……。じゃあ、もし気に入れば?」

万が一にでも、そんなことになって姫にされたら困る。

魔導師は目を細めて、僕を見る。

「長引くだけです。最大期間は一年。最後に両者の同意がなければ婚約は成立しません。王子を嫌う者を傍に置いたところで、上手くは行きませんから」

それなら早く帰れそうだ。嫌われる自信あるもん。僕はすぐさま立ち上がった。

「それなら早速嫌われて来る!どこに居るの!?」

好かれるよりも嫌われることは簡単だ。見つけて体当たりでもすれば帰れる。

張り切る僕を魔導士が阻む。

「急いだところで無駄ですよ」

「何で……?」

邪魔をするのだろうか、と思ったが違うようだった。彼が説明を続ける。

「最低でも一週間は続けなければいけない決まりです。互いのことをよく知らない内に止めることが出来ないように」

決まりなら守るしかない。しばらくは、この長いお見合いに付き合うしかないようだ。

「分かったよ」

仕方なく、僕は了承する。少し胡散臭いが、嘘だったら逃げればいいのだ。

「途中で逃げては行けませんよ」

「え……」

心を読まれたのかと驚く。しかし、違ったようだ。魔導士はそんな僕の考えを察したように言った。

「心配せずとも、あの王子はすぐに帰してくれますよ」

何故言い切れるのかと不思議に思い、僕は尋ねる。

「なんで?」

「今までに五人、それぞれ才覚ある方々と同じことをしましたが、八日以上続いたのは一人だけです」

「なるほど……」

よほどの人嫌いらしい。好都合だ。何もしなくても嫌われるなら、普段通り過ごすだけでいいということだ。

村人らしく、憧れの贅沢を満喫するべきだろう。矛盾してるかな?

「ご理解頂けましたか?」

「うん。問題ない」

「では、ご案内します。陛下、よろしいですか?」

「ああ、頼む」

なげやりに国王は言う。忙しいらしいから、疲れているのだろうか。

道が分からない僕は、魔導士が「こちらへ」と言う方に付いていく。廊下も無駄に長く、高過ぎる。我が家の廊下と低い天井が恋しくなってくる。

「王子について、どれほどご存知ですか?」

長い廊下の退屈しのぎなのか、唐突に尋ねられた。

とりあえず、よく知っているように装う。

「偉い人……」

「……」

「……の息子」

「フフッ。なるほど。とても詳しいですね」

誉めらた。これでアホの子とは思われないだろう。というか、この人って笑うんだ。

ロボットみたいに感情がないのかと思ってたよ。

「些細な補足ですが、あなたの相手はこの国の第二王子。次期国王の最有力候補です」

「へぇ~」

「先の戦では、たった一人で軍隊を壊滅させました」

新聞や授業でも言ってたような気はする。聞く分には、すごいヤツだ。

「彼には特別な才能があります。だから、よく見てあげてください」

特別か。やはり関わりたくはない。平凡とは相反する存在だ。気のない返事が出る。

「気が向いたらね」

「はい。……着きました。ここが彼の部屋です」

随分と古びた部屋だ。『第二図書室』と書かれている。王子は図書館に住むのが決まりだったのか。初めて知った。

「彼は人嫌いで使用人も寄せ付けません。なので、普段人通りの少ないこの部屋を使っています」

また見透かされた。魔導士はみんなこうなのだろうか。

しかし、筋金入りだね。そんなのでも王に成れるとは、大丈夫なのかな、この国。

魔導士は扉を叩く。一呼吸おいてから返事がする。

「誰だ?」

「私です。連れて参りました」

「…………入れ」

魔導士はノブに手をかける。錆び付いた金具が悲鳴を上げながら、扉は開いた。

部屋の中には無造作に並べられた本の山がいくつか。その中でも、とりわけ大きな山の上に彼は居た。

輝くような金髪と、空色の瞳が目立つ、まさしく王子様といった外見に、不釣り合いな大きな剣を背中に一振り刺していた。

彼は品定めするように僕を見た。そして、第一声にこう言った。

「今回の女は……やけにちんちくりんだな」

ぐっ!?突然の罵声に思わず拳を握る。

「背も低いし、顔も悪い。頭の悪そうな顔だ」

コイツ……。いや、抑えよう。暴力はいけない。

「おまけに胸もない」

最後に言ってはいけないことを言われ、堪忍袋の緒が切れる。

「なんだとコルァァ!!」

僕は積み上げられた本を崩しながら、偉そうに座る王子に飛びかかった。

なんて失礼なやつだ。こんなヤツには怒りの鉄槌をお見舞いしなくてはいけない。

しかし、魔導士に止められてしまった。首根っこを捕まれては殴れない。

「落ち着いてください。あなたでは勝てませんよ。絶対に」

彼は状況に合わない平静を見せる。僕は手足をブンブン振り回し抵抗する。

「放せ!ぶん殴るんだい!」

「例え殴ったとしても、傷ひとつ付きませんよ。そういう方です」

そんなのは関係ない。僕の怒りは燃え上がっている。

「グルルルゥ~。僕の胸は豊満なんだぁ!」

これだけは何があっても譲れない。どんな交渉にも応じる気はない。

魔導士は眼鏡をなおし、唐突に話題を変える。

「食後のデザートの件ですが、何がよろしいでしょうか?」

甘美な響きに拳は止まる。そして、ぐったりと重力に従って下ろす。

「うぅ……。ケーキでお願いします。イチゴのやつで」

怒りの炎はあっさりと欲望の渦に飲み込まれてしまった。

これは懐柔なんかではないのだ。お詫びに対しての寛容な答えだ。

動かなくなった僕を魔導士は下ろし、鋭い目付きで王子を睨んだ。

「では、私はこれで。くれぐれも……、お怪我などをさせないように」

冷たく言う魔導士を、王子も同じように鋭く睨み返した。

「言われなくてもしねぇよ。クソメガネ」

何だろう。彼らは仲が悪いのだろうか。

しかし、それ以外は特に何も言わず、僕を残して彼は去って行った。一体全体、何なのだろうか。

静かになった室内を見回した。本棚と机が並び、まるで小さな図書館のような作りだ。どれも古びているのに、王子だけが不自然に真新しい服装を身に付けていた。

……よく考えたら、王子と二人きりになってしまったのではないか?どうしよう。どうやって嫌われよう。

悩んでいると、本の上から王子が尋ねた。

「なあ、あんた。何が望みだ?」

何を聞かれたのか分からず、僕は首を傾げる。

「望み? 何の話だい?」

「あるだろ? 金とか権力とか。欲しいものはなんだ?」

彼は嘲笑うような調子で説明する。

なんだろう。プレゼントでもしてくれるのだろうか。でも、平凡な女の子にあげるものではない。

こういうのは雰囲気が大事なのに、王子は女性の扱いを知らないようだ。

「お金も権力はそんなに要らないよ。村人はそんなものを求めない」

そう答えると、王子は不機嫌な顔になる。

「じゃあ、戦か?駒を動かしたいのか?」

「村人は平和主義なんだ。起こすのも起こされるのも嫌だ」

王子のプレゼントとは、こんなにも平凡離れしているのだろうか。

「じゃあ、俺か?俺に惚れて――――」

「それはない。自惚れるな」

「んだと!」

つい本音が漏れてしまった。王子が呆れたような声を出す。

「……なら、何が目的なんだ」

「ないよ。連れてこられただけだもん」

「はっ!意地でも言わない気か」

この王子は何を言っているのだろう。僕が欲しがるものなど、王子は持っていない。

とりあえず、これだけ嫌われていれば難なく平凡を取り戻すことが出来る。

その間、何をしよう。一週間は長い。近くに落ちている本を拾う。

「この本借りるよ」

僕はその本を王子に見せた。題名を見て、彼は本を取り上げる。

「ダメに決まってるだろ」

「なんでだい?」

嫌われ過ぎたかな。

「それは言語が違うから、こっちにしろ」

そう言って、違う本を差し出す。きれいな装飾の本だ。

思ったより親切にしてくれる。もしかしたら優しい人なのだろうか?

見つめていると、「んだよ。こっち見んな」と睨まれた。

訂正。優しくない。



―――



「お食事のご用意が出来ました」

あれから数十分経った頃だ。魔導士が再び部屋を訪れ、至福の時間を告げた。僕は本を投げて駆け寄る。

「ごはん!」

「だぁ!投げんな!」

王子は投げられた本を受け止める。あれだけ散らかしていたのに何を言うか。僕は構わず進む。

目の前まで来た僕に、魔導士は丁寧に頭を下げる。まるで偉い人になったかのようだ。あ、姫は偉いのか。

彼は王子にも一礼した。

「随分と、仲睦まじいですね。決まりそうですか?」

どこかトゲのある口調に、王子は不機嫌に対応する。

「ハッ。テメェが気にするのか?」

「国王様に尋ねられたときのためです」

「何が『国王様』だ」

険悪だ。この二人に何があったのか、気にならないわけではない。あとで聞いてみようかな。

「……。姫、ご案内致します」

それよりも、ごはん。

僕は王子と魔導士の間を歩く。迷路のように入り組んだ廊下を進んだ。

着いた先は明らかに長すぎるテーブルがある部屋だ。テーブルの上には様々な料理が並んでいる。

「ご、ごはん!すごい!」

感動している僕の横で、王子は眉間に皺を寄せて嘆いた。

「あぁ……、やはりか。親父が一体何のようだよ」

見ると、国王がすでに席に付いて待っていた。

「あれ、国王居たんだ」

兵士たちも少し離れて待機している。すごい目で見てくるのは何故だろう。

国王は先程とは違う、動きやすそうな格好に変わっていた。こうなると、優しそうなおじさんにしか見えない。

「先程はろくに挨拶も出来ずに申し訳なかった。まあ、掛けたまえ」

「うん」

適当な……料理の一番たくさんあるところに座った。王子も向かいの席につく。

魔導士はすでに居なくなっていた。いつの間に……。さすが魔導士だね。

僕は並べられた豪華な食事に思わず見とれる。溢れそうな涎を我慢して、チラリと国王を見る。

「どうぞ。遠慮なく召し上がれ」

「頂きます!」

即座に食器を手に取り、料理を口一杯に頬張った。いくつかの料理に手を出したとき、国王が僕に尋ねた。

「美味しいかね?」

「うん!」

「それは良かった。あなたのことは知っている。だから、私の挨拶を食事のついでにでも聞いてくれ」

国王は自らの名前と身分を述べた。全部教科書に載っているから多分知っていた。……と思う。居眠りはするものではないね。

国王はちらりと王子を見た。

「どうだね。姫に成る気が出たかい?」

僕はコップを手に取り、口にあるものを流し込む。

「いいや。料理は旨いけど、村人の生活の方がいい。平凡の中でこそ、食べ物のありがたみは分かるからね」

そう言うと国王は少し驚く。そして、髭を撫でながら頷いた。

「そうか。それでは、息子は気に入ったかい?」

僕は少し反応に困る。好きも嫌いも想うほど、長くはいなかった。十数秒考えて、僕は思い出す。

「全然。嫌なやつだ」

僕は豊満だ。嘘言うやつは嫌いだ。

「それは残念だ」

残念じゃない。豊満だ。

憤りを感じながら次の料理を食べようとしたとき、ふと思い出す。

「あ、でも……本の趣味はいいよ」

手渡されたあの本は面白かった。

付け足し程度の褒め言葉に、国王は一瞬驚いた顔になり、そのあと満足そうに「そうか」とだけ呟いていた。

ぎこちない食事会の中、相変わらず王子だけは不機嫌そうに構えている。

ある程度食事を終えた時、デザートが運ばれてきた。注文通り。さすが魔導士!

「ショートケーキだぁ……!」

「まだ食えるのかよ」

王子は数十枚の空いた皿を眺める。彼は分かってない。僕はそーっと苺を端に退かす。

「デザートは別腹に決まっているだろ」

平凡な女の子の必須アイテムだ。

理解出来ないというように、王子はそっぽを向く。そんな王子を真面目な表情で国王は見た。

「第二王子よ。一週間後に催される国務会議のことだが……」

いいかけた所で間髪入れずに王子は答えた。

「俺はいつも通り欠席」

「そうはいかんな。今回限りは出てもらおう。政治に携わる者として、皆の意見を聞くべきだ」

王族って大変なんだなぁ。政治とかは分からない。これだけのごはんを食べるだけのことはしているようだ。

しかし、王子は不真面目に返す。

「どうでもいい。俺には関係ない」

僕は傍観を決め込んでケーキを切り崩してを口に運んだ。難しくてよく分からないし。

「そう言うな。東の村が飢饉に悩まされているんだ。場所が悪く、物資を運ぶのも困難だ。何とかせねば」

最後の苺を持ち上げた時、王子が鼻で笑う。

「ハッ。たかが辺境の村人だろ?使えない駒は捨て――」

ガタンッ、と大きな音ともに王子は椅子ごと倒れて、落ちた食器が金属音を床に打ち鳴らした。

周りではいくつかの足音が迫り、ある程度近づくと静止した。

気がつくと、僕は彼を押し倒していた。

「なっ……」

当惑する彼の口から声が漏れ、発する間もなく胸ぐらを掴んで僕は叫んだ。

「君がっ……!それを言ってはいけない……!」

信じられない様子で王子は目を見開いていた。

「僕の悪口は許そう!『胸が無いという嘘』も、今回に限り忘れてやる!だけど、村人を馬鹿にすることだけは絶対に許さない!」

彼は声を出すことを思い出し、震えるような唸り声を言葉するかのような口調で言う。

「おれは……俺は王族だぞ……!?村人風情をどう言おうと、勝手だろうが!」

王子が僕を睨み付ける。負けじと僕は声を張り上げた。愚かな王子に聞こえるように。

「統治する者は確かに偉大だ!だけどそれは背負った重責と、もたらした功績への正当な報酬だ!無条件で讃えられる者なんて居ないんだ!僕らだって馬鹿じゃない!君が見捨てるなら、僕らだって君を捨てる!」

「っ……」

王子の口から、声にならない言葉が漏れる。王宮に響くほどの大きな声で、さらに僕は叫んだ。

「君に与えられている大きな権力は、この王宮に付いた安っぽい付属品なんかじゃない!村人っ、舐めんなっ!」

僕と王子は息を荒らげて睨み会う。硬直したように、数秒の間は誰も動けないで居た。静寂を誤魔化すように、僕の体が宙に浮かぶ。

「何をしてるのですか?」

王子と僕を見比べて尋ねる。

「魔導士……」

そこに居たのは魔導師だった。猫の首を摘まむように、僕の服を杖の先に引っかけている。

王子はのっそりと、重々しく体を立ち上がらせる。そして、何も言わずに、立ち去ろうと足を動かした。

「待ってくれ」

僕はそう言うと、王子はその足を止めた。まだ聞くべきことを聞いていない。

「さっきの言葉を撤回してない」

それを聞くと、王子は振り替えった。悔しそうに歪めた顔は、おとぎ話の王子とはかけ離れている。その姿はまるで、ただの獣のようだった。

「……そうして欲しいなら、俺と勝負しろ」

少し掠れた声を震わせて、彼は言った。

「勝負?」

聞き返すと、何度も説明したことのようにスラスラと彼は説明をする。

「五秒間だ……。たったの五秒の間、俺に捕まらなかったらお前の勝ち。そのときは謝ってやるし、ついでに何でも願いを叶えてやる。悪くないだろ?」

鬼ごっこのことらしいけど、僕の方が圧倒的に有利な条件だ。断る理由はない。

元より、謝ってくれるのなら、僕は何でも構わなかった。

「いいさ。乗った」

「負けたときは……、そのときはお前が言うことを聞けよ?」

「いいともさ」

軽はずみな返答に、周囲の兵士達がざわつく。王子は不敵な笑みを浮かべている。

「契約成立だ。時間は明後日の夕方、それまでに準備して中庭に来い」

そう言い残して勝ち誇った顔で去っていった。そして、魔導士は僕をゆっくりと丁寧に下ろした。

僕は座っているもう一人の人物に謝罪する。

「ごめんよ。せっかくの家族水入らずを邪魔してしまったようだ」

終始、黙って見守ってくれていた国王は笑ってかぶりを振る。

「いいや。たまに叱られるのもいいことだ。こちらこそ、礼を言うよ」

彼がそう言うと、いつの間にか近づいていた兵士たちが、再び壁際に下がって行った。

その様子を見ていると声をかけられる。

「姫、お食事が済みでしたら、貴方の部屋にご案内致します。よろしいでしょうか?」

「ああ、うん。頼むよ」

もう食べる気分でもなくなって、先導されながら僕は歩きだした。

落ちた苺が名残惜しくて、思わず振り替える。遠くの方で「優しい子なのだがね」と、国王の声が聞こえた気がした。


―――


平凡を求める者として、僕は難題にぶつかる。目の前にモフモフのベッドがあったとして、飛び込むのが平凡か否か。

とりあえず、僕はベッドに腰をかけて考えることにした。

「来て早々、騒ぎを起こすのが得意なようですね」と、魔導士は僕を見ずにそう言う。

僕は口尖らせて言い訳をする。

「好きでやったわけじゃない」

魔導師はやれやれと呆れた様子で首をふる。自分から騒ぎを起こしたら、平凡ではないから本心だ。

「左様ですか……。それでは、第二王子との決闘に勝つ算段はございますか?」

彼は今思い付いたような口調で僕に尋ねた。

たった五秒の戦いに作戦なんて必要なのだろうか。魔導士を見るが、表情はやはり無感情だ。しかし、冗談を言っているとは思えない。

僕はベッドを降りて彼の方を向く。

「君は、勝てないと思うのかい?」

「ご存知ありませんでしたか」

魔導師は質問に答える前にそう呟く。しゃべり方は変わりないのに、何故か馬鹿にされたような気がする。

魔導士は整備状態を確認するように室内を見て回る。

「彼には『鬼神の恩恵』と呼ばれる能力があります。魔法の全てを使えない代わりに、剛腕俊足の筋力と鎧の皮膚を身に付けている。そんな彼にとっての五秒は、常人の数倍程と存じます」

作り話のような大袈裟な説明に戸惑った。そんな化け物のような人間が存在するのだろうか。

「……脚色した?」

彼は一瞬だけ僕を見る。そして、また忙しく目を動かす。

「いいえ」

これが冗談だとしたら恐ろしく愉快な人なのだけど、人を笑わせて喜ぶ姿が浮かばない。

……困った。そんなに強い奴だったとは。それで余裕の顔だったのか、あの野郎め。うぅ~、村人でも勝てるかな? いや、村人だからなぁ。

「どうしよう」

思考が溢れ出て、言葉になる。すでに予想していたのか、魔導士はすぐさま提案する。

「今からなら、無かったことに出来ますよ?」

全ての確認を終えたのか、彼は僕の方に向き直る。こんな会話に慣れているのだろう。嫌な慣れだね。

僕はまっすぐに彼の目を見て答えた。

「それは嫌だ。村人を馬鹿にすることは許さない」

これだけは譲れない。たとえ勝負に負けても、彼の発言を肯定するようなことはしたくなかった。

小さなため息のあとに「……そうですか」と魔導師は呟く。

そして、彼は眼鏡の蝶番に中指を当てて、一枚の紙を手渡してきた。見ると、時間と場所と色々な事が書かれている。

「こちらに明日の予定を書いておきました。決闘のために、戦闘訓練も組み込みました」

え、いつ?

「先程です」

口に出してもない心を読まれ過ぎて反応に疲れる。早々に会話を切り上げために僕は言った。

「この通りに過ごせばいいんだね?」

「はい。その通りでございます」

そう言うと、彼は部屋の外に出る。そして、僕に向かって深々と礼をする。背中がこそばゆい。

「それでは、明日からお忙しいと思いますので、今晩はごゆっくりお休みください」

「うん。おやすみ」

こうして、姫として長い長い最初の一日がようやく終わる。

静かになった部屋で、僕はそっとカーテンを捲る。王宮の高い部屋から見える町の景色は、あまりに綺麗過ぎて平凡とは程遠い場所を自覚した。



―――



「おはようございます。姫様」

朝起きたらメイドが居た。普段とは異なる景色に驚いて、眠たい頬をつねる。

痛い……。夢じゃないや。

ボーッとした頭を動かして、昨日のことを思い出す。朝食は食パンにバターを……じゃなくて、確か兵士達に連れ去られて、今は王宮で姫をやっているんだったっけ?

それなら彼女はここのメイドさんなのかな。

「おはようぅ~」

状況を大まかに把握した僕は、とりあえず挨拶をする。村人らしい平凡な習慣だね。それを終えると、ある重大なことを思い出した。

「朝ごはん!」

魔導士の予定表の一番最初に書いてあった。

「はい。ただいまご用意致しますね」

微笑みながら、メイドは慣れた手つきでお茶を淹れる。お姫様だから、いつもより沢山の砂糖を所望しちゃおうかな。

……あれ?でも、なんでメイドなのかな?

「魔導士は?」

てっきり、彼が来るものと思っていた。いや別に、心を読まれるから魔導師よりもメイドの方が嬉しいのだけれど。

彼女は不思議そうな表情を浮かべて、少し考えてから答える。

「ああ、あの方ですね。姫がいらっしゃる日は王と王子、そして一部の兵士たち以外はお立ち会い出来ないのです。なので、私の代わりにご案内して下さったのだと思います」

「へぇ~」

半分くらいは分かった。

僕はいい香りのする紅茶を飲む。ふむ、甘い。メイドは全てのカーテンを開けて僕に言う。

「それでは、朝食を持って参りますね」

「昨日の長いテーブルで皆で食べないの?」

彼女は少し困ったような表情を浮かべる

「長テーブルというと、大広間ですね。皆さんお忙しいようで、普段は誰も使っていません?」

暇だとは思わないが、あれだけ大きな部屋を誰も使わないとはおかしなものだ。

平凡に、豪華な生活を楽しむと決めたのだから、ここで食べるだけでは味気ない。

「それでも構わない。連れていってくれ」

「そう……ですか。かしこまりました。そちらにご用意致します」

戸惑いながらも、僕の頼みを聞いてくれる。メイドは良いね、素晴らしいね。

メイドが僕の着替えを手早く済ませ、大広間への道を先導する。ここまで広いと、すぐに迷ってしまうだろう。

大広間に着くとメイドが椅子を引いて、僕を座らせる。

「只今お食事をお運びしますね。少々お待ち下さい」

そう言ってどこかに出ていく。

手持ちぶさたに足をブラブラと揺らして待っていると、向こうに件の決闘相手が見える。

僕に気づくと、あからさまに嫌そうな顔をした。

「何でここに居るんだ?道にでも迷ったのか?」

「朝食だよ。メイドが持ってきてくれるんだ」

「一人でか?」

僕ら以外誰もいない部屋を見回す。確かに、少し寂しいものだ。家族とも友人とも離されて、一人で知らない場所に居るのだ。寂しくないはずがない。

でも、今はそんなでもないように思う。

僕は何気なしに呟く。

「君が居るから、今日は寂しくないかなぁ」

すると、みるみる王子は顔を赤く染める。

「バッ……俺は食わねえよ!」

そう言われて思い出す。

「あ、そうだったね。ここでは食べないんだ」

うっかり忘れていた。王子は落ち着かない様子で頭を掻く。そんなに嫌だったのかな。

そこにメイドが戻ってきた。少し驚いた様子で彼を見た。

「第二王子様……。どうなさいましたか?」

尋ねられると、王子は振り替えって顔を背ける。そして、やたら大きな声で用件を口にした。

「訓練するんだろ!庭園と俺の家庭教師を使え。どうせ勝てないだろうが、ハンデくらい与えないとな!」

そう言うと、足早に去っていく。……あ、足ぶつけて転んだ。

見送ってからしばらくして、朝食を並べ始めたメイドが浮かれた口調で尋ねた。

「王子様とどんなお話されていたのですか?」

目がきらきらと輝いている。隠すこともないので、僕はありのまま答える。

「迷子か聞かれたよ」

「…………それだけ、ですか?」

「それだけだよ?」

他は普通のことしか言っていないから、それだけのはずだ。

何かまだ言いたげなメイドを無視して、ようやく朝食にありついた。



―――



午後からは訓練になる。

綺麗な花が咲き誇る中庭で、打倒王子を掲げて剣を振るう。もう随分たくさん振ったから、腕が上がらない。汗が額を流れる。そろそろ一休みにするとしよう。

「ダメです!まだ五回しか振っていませんぞ!そんなことでは勝つことなど出来ませぬ!」

老師が厳しい現実を突き立てる。仕方ない。僕の本気を見せてやる。

「う、運動だけは苦手なんだい!」

本気の言葉である。

「勉強のお時間のときも言っていましたよね?」

ごめんなさい。見栄をはりました。

「うぅ……。こんなに剣が重いなんて」

「訓練用の一番軽い木剣を選んだのですがね」

あ、詰んだね?

老師も頭を抱える。それも仕方ないことだ。王子の家庭教師は十人居た。剣術、拳闘術、棒術……まあ色々。

今は『準備運動』の素振りだ。

「私どもすら王子に勝てた試しがありませぬ。故に、姫がこの勝負に勝てるとは思えませぬ」

たったの五秒でも難易度は高いらしい。困り果てた先生方は円をつくって会議を始める。戦いが始まっても無い内からお手上げのようだ。これも全部、王子のせいだよね、ねぇ?

木陰に寝転んで空を仰ぎ見る。芝生が気持ちよく、雲を眺めるだけで眠れそうだ。

「姫様、はしたないですよ」

メイドが顔をしかめる。

「いいじゃないか。少しだけ休ませてくれ」

「もう……」

風が気持ちよく、日差しが暖かい。眠ってしまいそうな日だ。

ウトウトしていると、木漏れ日に影が差す。目を開くと、いつの間にか魔導士が立っていた。さすが魔導士だね。

「昼寝は予定にいれた覚えはありませんよ」

「昼寝じゃない。休憩だよ」

僕は疲れた腕で体を起こす。

「鍛えたところで勝てはしないらしいのだよ」

「そのようですね」

傍らに落ちている木剣を見てそう答える。全てお見通しのようだ。

「魔法なら勝てるかな?」

ちょっとした考えを呟く。

「確かに、弱点ではあります。しかし、一朝一夕で身に付くような技術ではありません」

魔導士は淡々と答える。残された希望も微睡みに消えていく。

王子は化け物並みに強いらしいから、簡単な魔法で止められるとは思えない。

村人を目指していた僕が、急に剣士や魔法使いになろうとするのが間違いだったのだ。

急に自分は変えられるものではない。

空も見飽きて、僕は視線を落とす。木の葉がちらりと目の前を飛んでいく様子が、目に入る。

そして、僕は立ち上がる。

「閃いた!」

「どうされましたか!?」

メイドが駆け寄る。声のする方に顔を向けて、向き直ったときには、すでに魔導士はいなかった。さすがだね……。

忘れない内に、僕は思い付いたことを伝える。メイドは困ったような顔で答える。

「それについては私は何とも言えません。国王様の許可を取らねば……」

「秘密にしておいて。大丈夫。僕、今は姫だから」

丁度よく、王子から借りたものがある。先生方の方を向く。僕の顔を見ると、なにかを察したように顔を歪める。

「僕は、姫として命令する」



―――



黄昏時、僕は王子を待っていた。仮にも姫だ。それはもう、堂々とした姿だったと思う。

正確に言うと、午前中と午後の猛勉強のせいでぐっすりと、ある意味堂々とした格好で寝ながら待っていた。いい夢を見ていたのだ。

そこに王子が来る。何を期待していたのか、僕を確認すると怒られた。

「寝てんじゃねえよ!」

うるさい声で目が覚めた。

「あ、おはよう。何か用かい? 今ニンジンが上手く出来たところだよ」

大きな欠伸をしながら、夢うつつに返事をする。今いいところだから邪魔しないでほしかった。そろそろ収穫時なのだ。

「寝ぼけんな!決闘しに来たんだろうが!」

注文の多い王子だ。僕は自室から持ってきた、ふわふわ枕から頭を放す努力をする。頑張った。しかし、意識が途切れる。……さて収穫しようかな。

「寝んなっ!」

「姫様、早く支度をしてください」

促されて立ち上がる。体が重い。防具を着けているからだろう。

誘導に従って、庭園の広い場所に出る。風の気持ちいい綺麗な場所だ。

審判を任せたメイドを中心に、僕と王子は向かいあった。入念に準備運動をする僕とは違い、彼はとても退屈そうに伸びをする。

「なあ、逃げないのか?」

暇潰しのためなのか、僕を見ずに彼はそう尋ねた。

「何故そんなことを聞くんだい?」

自信に溢れた様子から、負けることを恐れたとは思えない。

彼は背に刺した剣を引き抜き、大きく振るった。その動作は空気を切り、離れた庭園の草木を揺らした。

紅く。燃えるような空の下、鬼を演じるかのように彼は言う。

「俺に逆らう奴は大概そうなるからだ。俺に説教をして、俺のことを知ると逃げ出す。よほどの馬鹿でなければ皆そうするのさ。誰も恥は掻きたくないからな」

それでも『鬼』には見えない。

「逃げるのがいいときもあるよ。相手が強ければ、戦わない方がいいときもある」

「じゃあ……」

「それでも譲れないときは戦うんだよ。馬鹿だと言われても、恥を掻いても、誇りを捨てるようなら後悔する。そんなの――」

僕は『王子』に言う。

「平凡じゃない」

風が凪ぐ。彼は黙って僕を見る。そして、手に持った大きな剣を地面に突き刺した。

同時に、僕の準備運動も終わる。

メイドがそれを確認し、右手を上げる。

「構え!」

練習用の軽い木剣を構える。心もとないけど、仕方ないね。あとは信じるだけ。

王子は身を屈める。

「始め!」

掛け声と共に彼は動いた。力が無い僕には、もう何も出来ることがない。やるべきことはすでにやった。

一度目にまばたきをしている間に彼は間合いの半分を詰めた。

五秒が何倍にも引き延ばされたようだ。

二度目にまばたきをしている間に彼の手がすぐそこまで迫っていた。

こんな人間が襲ってきたら、絶望するしかないのだろう。

三度目にまばたきをしている間に彼の姿は消えていた。

でも、相手が人間なら勝てないことはない。

大きな音ともに足下に穴が現れて、衝撃で地面が揺れた。僕はその場でよろけて膝を付く。

穴から出た砂煙が風に消える数秒間は静かになり、次に音が聞こえたのは勝利の合図だった。

「そこまで!姫様の勝ちです!」

メイドが満面の笑みで言う。

「ふわぁ……」

緊張の糸が切れて、情けない声が出る。慣れないことはするものじゃないね。

足を引きずるように前に進み、おそるおそる僕は目の前の穴を覗く。

「これは……『落とし穴』か? 無力な人間の使いそうな手だ」

穴の底で王子が無気力に呟く。砂や泥にまみれたその姿からは、王子らしさを感じることは出来ない。

魔導士に持ち上げられたとき、手足がつかず何も出来なかった。人は鳥じゃないのだ。魔法でも使わなければ空中で移動はすることは出来ない。

これは王子も同じだと思った。

だから、対戦の舞台に、家庭教師たちに協力してもらって掘ってもらった。プロの業は王子でも見抜けなかったようだ。

しかし、こんな勝ち方では誰も納得するはずがない。

素直に頭を下げて謝罪する。

「王子、ごめんね。君は強い人だから、こんな汚い手を使ってしまった。不服だと思う。君が望むなら、もう一度戦ってもいい」

次は負けるのだろうけど、それは仕方ない。

彼は口を僅かに開けて、なにかを言おうとしてつぐむ。気まずそうに目をそらし、あらためて彼は口を開く。

「いや、いい。俺が決めたルールで負けたんだ。穴を掘るな、なんて誰も言っていない。つまりは……あー、俺の敗けだ」

半ばなげやりに僕に勝ちを譲る。さすが王子だ。気前が良いね。

ここに来て初めて、彼が多少は優しいことに気がつくことが出来た。

「へへっ……。ありがとう!」

思わず笑みがこぼれる。

一瞬目が合って、また反らされる。夕焼けのせいか、顔が赤く見えた。

彼が立ち上がる。僕は穴を登る彼に手を差しのべた。二三度躊躇してから、彼は手を握る。

両手に持ち変え、思い切り後ろに引く。

「せーのっ……!わぁっ!!」

体重も筋力も足りないから、逆に穴の中に引き込まれてしまった。

「イテテ。大丈夫かい?」

思ったより痛くない。僕は目を開く。すると、すぐそこに彼の顔があった。どうやら、彼に庇ってもらったようだ。

彼も目を開けて、僕を確認する。

「ごめんよ。今――「は……」

王子は暗がりでも分かるくらいに顔を赤くしている。そして、城に響くような大きな声を張り上げた。

「早く退けっ! メイドっ、手を貸せっ! 至急だっ!」

「クスクス……。かしこまりました。ただいまロープと力のある者を手配します。少々お待ちください」

「は・や・く・しろ!!」

慌ただしく怒る王子と可笑しそうに笑うメイド。僕には理解出来ない平凡な時。

何も分からない村人には、ただ首を傾げることくらいしか出来ない。








次回は鬼と呼ばれた王子のお話

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