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昼ドラBL純愛物語

ネットに投稿するのは初めてです。少しでも多くの人に読んでほしくて思い切って投稿しました。

普通に縦書きで書いてたので、横書き表示されると読みにくい場面が多々あると思いますが、指導お願いします。

男の子同士の純愛なので、ボーイズラブが苦手な人にはオススメしません。

イメージとしては昼ドラです。

よかったらコメントよろしく願いします。

6【危険な罠と満月の夜・後編】



 拓弥は跡部(サングラスに(あご)ヒゲを生やした男)に連れられて見たこともない街を車で走っていた。

バックミラーに写るサングラスにマスクという怪しい自分の姿を眺める拓弥。そんなことは気にも留めず跡部は黙々と車を走らせた。

数分後、目的地についた。そこは、都会の賑わいの中、ひっそりとたたずむ古ぼけた赤レンガの店だった。

拓弥は車から降りると、一人店の中に入っていった。

店内は西部劇にでてきそうな雰囲気の店で、丸テーブルがいくつかある。奥にカウンターがあり店長と思しきバーテンダーが立っている。

拓弥が店内を見渡すと、首から真っ赤に光るネックレスをした男が目に付いた。涼子に言われた男だ。あの男から、カバンを預かり涼子に渡す・・・それが今回の仕事だった。

拓弥は恐る恐る男の前に立った。男は顔を上げ拓弥を睨みつけると、静かに言った。

「あんたが、水音(みづね)ブドさんか?」

「はい。」

拓弥が小さな声で言った。

水音ブドとは、こういう裏の仕事では必ず必要とされる僕の偽名だ。涼子がつけてくれた。水音ブド、みずねぶど、ミズネブド・・・逆から読めばドブネズミ。涼子の考えそうなことだ。

「付いて来い。バックはワイの車の中や。」

そう言って男は席を立って足早に店を出た。

拓弥もその後を追う。

そして、店を出たとたん両脇から見知らぬ男性2人が急に拓弥を抑えつけた。

「ちょっ。何するんだよ。」

赤ネックレスの男は正面で拓弥を見ながら言った。

「暴れるなさんな。もうあんたん所のお嬢さんとは話しついとるんや。いいからさっさと車に乗らんかい。」

騙された――。拓弥は思った。涼子の不気味に微笑む顔が脳裏に浮かぶ。

「やめて。・・・ヤダ。」

そう叫ぶ拓弥を無理やり車に押し込むと、車は急発進していった。

―拓海・・・助けて!―



「まったく、拓弥のやつどこにいるんだよ。」

拓海が呟いた。

すでに夜の7時を回っており、拓海をはじめ太一郎たちはリビングに座って食事をしていた。

すると、黒谷が急ぎ足で太一郎の下へ駆け寄り耳打ちをした。

「屋敷中くまなく探しました拓弥の姿はどこにもありません。現在、召使いたちに屋敷周辺を捜索せています。これはあくまで私の推測ではございますが、もしや脱走なされたのでは?」

その言葉に太一郎は顔を曇らせた。

「そうか・・・。まぁいい。どうせどこの家も、警察すらもかくまってはくれないんだからな。」

意味深なもの言いをした太一郎は食事を続けようと肉を口に運びかけ、チラッと拓海を見た。

「拓海、拓弥がどこに行ったか本当に知らないのか?」

「いえ・・・わかりません。」

拓海が答えた。

「ちょっとパパ、拓海は何も知らないわよ。これはあいつ一人の問題なんだから。だから嫌だったのよ。あんなやつをこの屋敷で働かせるのは。もしあいつが外で事件でも起こして私達にまで迷惑がかかったらどうするのよ。ほんといい迷惑なんだから。」

涼子は口を尖らせて言った。その様子を見つめる桃子と麻美。

「大丈夫だ。拓弥はそんな事はしない。それよりも、早く探しだして保護することが大切だ。」

「あの――」

突然拓海が真剣な声で割って入った。部屋中の視線が拓海に注がれる。

「どうしたのよ拓海?あなたは何も知らない・・・そうよね。」

涼子が焦ったように言った。

「なんだ、知っていることがあるなら言ってみなさい。」

太一郎が言う。

拓海は、当たりをキョロキョロ見渡し口ごもったが、やがて覚悟を決めて口を開いた。

「失礼は十分承知で申し上げます。拓弥の、その・・・腕とか腹にたまにアザのようなものができているんです。もしかしたら、今回のことと関係があるんじゃないかと思って。」

太一郎の目が一瞬するどく光った。

涼子は肩をなでおろし言った。

「な〜んだ、そんなことか。大方どっかで転んだんじゃないの?あの子ちょっとドジそうだし。」

涼子の言葉を最後に、部屋には沈黙が流れた。桃子がチラチラと太一郎の様子をうかがっている。

その沈黙に耐えられなくなった拓海がまた口を開いた。

「なんで黙ってるんですか?」

拓海は真っ直ぐに太一郎を見つめた。

しかし、なおも太一郎は黙ったままだった。

「もしかして、その・・・太一郎様が暴力を振るったとか。」

その言葉に涼子だけでなく、桃子や麻美、黒谷までもが驚いた表情をした。

「ちょっ、なに言ってるのよ拓海。いくら拓海でもパパを侮辱することは許さないわよ!」

涼子が声を荒げて言う。

「それしか・・・それしか考えられないんです。」

拓海は今自分がどれだけ危険な事をいっているのか自分でも分かっていた。だけど、真夜中アザが痛くて寝付けず苦しんでいる拓弥の姿を思い出すと、真実を知らずにはいれなかった。

太一郎は、ゆっくり口を開いた。

「確かに、私が拓弥に暴力をふるった――」

今度は全員、太一郎に目をやった。

「――と、言ったらどうするかね。」

「え?」

拓海が呆然(ぼうぜん)としていると、太一郎は肉を口に運びそれを味わった後、こう続けた。

「だから、もし仮に私が拓弥に暴力を振るっていたとして、それで拓海はどうするつもりなんだ?」

「どうするって、そんなの決まっています。やめてください。」

「拓海、この屋敷の主人は私だ。お前はただの召使いでしかない。それを忘れん事だな。」

拓海の瞳に絶望が写った。涼子は、拓海に見えないように顔をうつむけ・・・そして頬を緩ませた。

「さぁ、今夜の夕食はこれまでだ。後片付けは頼んだぞ。黒谷は引き続き拓弥を探してくれ。以上だ。」

そう言って太一郎は席を立った。

拓海は何も喋ることができなかった。



「涼子さん、待ってください。」

食事が終わり、廊下を歩いている涼子の後姿に麻美が言った。

「あの・・・話があるんですけど。」

「なぁに?」

涼子は振り向きもせずぶっきらぼうに言った。

「あの・・・失礼は重々承知でいいます。もしかして、涼子さんは拓弥くんの居場所を知っているのではないでしょうか?」

その言葉に涼子の片眉がピクリと動く。涼子は、そのまま廊下に立ち止まった。

「あの・・・実は私見てしまったんです。涼子さんと拓弥君がこっそり会っている所を。だから、もし拓弥君の居場所を知っているのであれば今すぐに教えてほしいんです。」

涼子の目は、怒りでギラつく。

「確かに――」

そう言って涼子は麻美に振り返った。そこには満面の笑みが。

「――私と拓弥は密会してた。だけど、それは拓海のことを相談されてたの。ほら、あの子あんまり人付き合いが得意ではないでしょう。だから、拓海に1番近い私にアドバイスをもらいに来たのよ。」

言いながら涼子は麻美に近づいてきた。そして、麻美の肩にそっと手をのせた。

「残念だけど、私はなんにも知らないわ♪」

麻美は肩に乗った涼子の手を振り払うと、涼子の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。

「嘘です。だって涼子さんは拓弥君のことをよくは思ってない。失礼ですけど、相談にのるはずがないです。

拓弥君甥場所を教えてください。涼子さんがやったってことは誰にもいいませんから。拓弥君は・・・拓海の唯一の友達でもあるんです。だから、だから・・・お願いします。」

そう言って頭を下げた。

涼子の顔が一瞬にして鬼の形相へと変わった。いつもの冷たい目で、自分に頭を下げる麻美を見下ろした。

「お願いします。」

しかし、麻美はそれにまだ気付いていない。

「麻美・・・」

「はい。」

麻美がそう言って顔を上げた瞬間、片手で顔を思いきり(つか)まれた。

「うぅ!!」

麻美は悲鳴を上げた。涼子はそのまま麻美の顔を自分の顔の前まで引き寄せた。

「ねぇ麻美、知ってる?この世の中には、知らなくてもいいことっていうのが山ほどあるのよ。麻美が今知っている事実は、本当は知らなくてもいいことなのよ。」

涼子はもう一方の手で自分のポケットを探った。右手はなおも麻美の顔を強く掴んで離そうとしない。

そして果物ナイフを取り出した。器用に片手で(やいば)を広げた。

銀色にギラつくナイフ。麻美の顔に恐怖が浮かぶ。涼子は、そのナイフを麻美の顔に軽く添える。

「これ以上私に逆らうと、あんたの醜い醜い顔が更に醜くなっちゃうけどそれでもいいのかしら?」

麻美は掴まれている顔を必死で横に振った。

それをみて涼子はニコリと笑い、顔から手を離した。

【ドゴ】

・・・手を離した瞬間、涼子の(ひざ)蹴りが麻美の腹に当たった。

「あぁ!!!」

麻美は悲鳴を上げて床にひざまずいた。

それを見て涼子はクスクス笑い声を立てる。そして、靴の裏で床についた麻美の手思いっきりを踏んづけた。

「きゃあ!」

またも麻美が悲鳴を上げる。涼子は足をどかそうともせず、そのまま冷たく言い放つ。

「ムカツクのよね、あんた。“拓弥君は・・・拓海の唯一の友達でもあるんです。だから、だから・・・お願いします”・・・って、何様のつまり?私ね、あんたのそう言うところが大嫌いなのよ!私はどうなってもいいから、拓海には辛い思いわさせたくないって考え、まだ直ってないのね。

それと、拓弥が今どうなってるのか教えてあげましょうか。あんたならもう知ってるはずよ。だって数年前に経験したじゃない。私の物を奪うとどうなるかって。あの時は偶然拓海が助けに来てくれたけど、今回はどうかしらねぇ。」

麻美の頬に涙が伝う。数年前、拓海のことを好きになった。だけど、そのことが涼子にバレてしまいあともう少しで海外に売り飛ばされる所だった。今考えただけでも、寒気がする。

涼子は、すぐそばにある窓を見つめた。窓外には貪欲に広がる暗闇と、無数の星屑が永遠(えいえん)と見える。

涼子は、はるか遠くにいる拓弥に向って言った。

「覚えときなさい。私の物は誰にも渡さない。それを奪おうとするなんて絶対に許さない。せいぜい、拓海に恋心を抱いたことを後悔するんだわ。」



その頃、拓海は1人部屋の中でベッドにもたれかかっていた。

拓弥のベッドを見る・・・そこにいるべきはずの拓弥がいない。なんだか、胸にぽっかり穴が開いた気分だった。外を見ると、今夜もきれいな月が輝いている。

「よし!」

拓海は気合を入れて立ち上がると、急いで部屋をでて行った。屋敷の玄関まで来ると、誰にも見つからないように部屋から持ってきた予備の靴を履いた。そして、ドアをこっそり開けて屋敷の外に出た。そして門を出ようとしたその時、前方から人の声が聞こえてきた。

ヤバイ・・・そう思い引き返そうとすると、後ろからも声が聞こえてくる。

絶体絶命のピンチ。もしこんな所が誰かに見つかったら――。その時、どこからか声がした。

「こっちだ。」

拓海はとっさに声がする方に飛んだ。

間もなく、前から数人の男達、後ろからは黒谷が現れた。

黒谷は、その場に立つと鋭い目で周囲を見回した。何度も何度も見回す。まるで鷹が獲物を探る時みたいに。しかし、やがて諦め召使いに新たな指示を与えてその場を離れた。

数秒たって、拓海が草の茂みから顔をだした。当たりに誰もいないことを確認する。

「どうして俺を助けたんですか?」

拓海が問いかける先には、夜なのにグラサンをかけて、やっぱりアゴヒゲを生やしている跡部がいた。

「ちょっとお前のダチについて、話しておきたいことがあってな。」

跡部が言った。

「なんですか?」

拓海が怪訝そうな顔で聞いた。跡部は上着のポケットからタバコを取り出すと、そのタバコに火をつけた。

「お前はもう分かってると思うけど、拓弥を屋敷から追い出した犯人はあのお嬢様だよ。」

犯人・・・拓弥を隠した犯人。それが、涼子さん。でも、なぜそれを跡部さんが。

「あいつに電話をもらってな。ある少年をカフェまで送り届けてほしいと。送り届けた後は、一人ですぐに戻って来いってな。」

「そのカフェってどこなんですか?」

拓海が跡部に聞く。跡部は、ゆっくりタバコの煙を吐くと、それを地面に落として足で踏みつけた。

「すぐそこにある車の後ろに乗れ。」

そう言って、跡部は車の方に向かった。拓海もついて行く。車は黒の外車で、拓海は仕事で何度か乗ったことある。

「これをかぶってろ。」

そう言って跡部は後部座席にいる拓海に毛布を渡した。

「俺がいいというまで、それをかぶって後部座席の下に潜り込んでおけ。」

拓海の姿がバックミラーから消えるのを確認すると、跡部は車にキーを指し込みエンジンを掛けた。車の前方がぱっと明るくなった。

「あら、どこに行くの?」

涼子が彼氏の所に行くために玄関を出たとき、車のヘッドライトが付いているのに気づき近寄ってきた。

「これから緊急の仕事なんです。」

跡部は、涼子に言った。

「ふ〜ん。」

涼子は訝しげな目で跡部を見つめる。

「もしかして、あいつを探しに行くっていう仕事じゃないでしょうね。」

「まさか。」

跡部は軽く愛想笑いをした。

「それよりお嬢様、時間は大丈夫なんですか。政志さんと約束してるんでしょう。」

涼子が気づいたように時計を見た。

「やばっ。・・・そうだ、この車で送ってってよ。すぐ近くだから。」

「申し訳ございません。あいにくこちらも急いでますので。」

跡部は涼子の提案を丁寧に断った。

「あっそ。じゃあいいも〜ん。」

涼子は口をとんがらせて言った。そして、門の外へと歩いていく。

「あの、跡部さん。」

車の後部座席の毛布の中に隠れていた拓海が呼びかける。

「いいんですか?もし跡部さん言う事がが本当だとしたら、涼子さんにすごく怒られるんじゃ。」

「バレなきゃいいんだよ。お前はダチを助けたいんだろ。それに、俺が(つか)えてるのはあくまで太一郎だ。あんなやつは知らないね。」

そういうと、車を発進させた。



「やだ。触らないで!」

拓弥が叫んだ。拓弥はワゴン車の後部座席に座らされ、手錠で手を後ろに縛られている。そして、その横で1人の男が拓弥を監視している。小太りで、メガネを掛けている。

「じっとさしときや。あんまり騒ぐようやったら多少のオイタも許すさかい。」

助手席にはネックレス男が車を座っていた。そして、運転席には背が高く金髪の男が運転をしていた。

後部席の窓ガラスには、両側ともカーテンが敷かれていて外の様子がまったく分からない。と言っても、すでに外は真っ暗で何も見えない。

「僕をどうするつもりなんですか?」

拓弥が、恐る恐る1番気になっていることを聞いた。

助手席のネックレス男は、バックミラー越しに拓弥を見ながら話す。

「新しいご主人様の所へ案内したるんや。そこの召使いとして一生仕えるんやな。これから行くそのご主人様は、わしらの所では鬼軍曹いうてな、必ず1ヶ月に1回、新しい召使いを買いにわしらん所にやって来る。その前の召使いがどうなったのかは誰にもわからへん。まぁ、せいぜい可愛がってもらうんやな。」

それを聞いて拓弥の体に寒気が走った。恐い・・・。拓弥が何とか逃げようと外を見ると、ネックレス男はすかさず言う。

「逃げようなんて考えんこっちゃ。こっちはお前を“生きて”連れて行けばそれで仕事は完了する。小指一本でも失いとうなかったら、お利口さんにしとるこっちゃ。わしらもいつまでも優しいお兄さんやないんやで。」

拓弥は、絶望したようにゆっくり目を閉じた。


拓海は跡部とともに、お昼に拓弥が来た店に入った。店の中では、昼とはまた違った空気が流れており、怪しい男達が各テーブルごとで雑談している。

跡部はカウンターの前に立つと、店長に胸ポケットからだした手帳を見せた。

「警察だ。ちょっと協力してもらう。」

そう言ったとたん、店内が静まり返り跡部へと視線が集中した。もちろん、手帳は跡部が作った偽者だ。

店長は、動揺したように視線をキョロキョロさせている。

「警察・・・ですか?警察がこの店に何の御用でしょうか?うちはちゃんと税金も払ってるし、違法なサービスなんかもやってませんよ。店違いじゃなですかねぇ。」

跡部は、淡々と話し始めた。

「今日の昼ごろ、ここに高校生くらいの男の子が来たはずだ。その子はこの店に入った後誰と会っていた。」

「・・・・確かに、昼ごろに高校生くらいの若い客が来たのは覚えてるよ。だけど、誰と会っていたかまでは教えらないね。こっちにも客の秘密を守る義務がありますから。だいたい、あなた本当に警察ですか?その格好。どう見ても暴力団関係者にしか――。」

店長が言いかけて、ゴクリと生唾をのんだ。拓海も思わず息をのんだ。

跡部はいつの間にか拳銃を取り出していた。店長の額には、映画でしか見たことがないような(いか)つい拳銃が押し当てられていた。

「もう一度言う。警察だ。昼来た少年が誰と会っていたか言え。」

店長の額に尋常じゃないほどの汗が溢れる。周りの客も、一心にそれ見つめる。

「わ、わかった。言うよ、言う。その少年ならよく覚えてるよ。ここに少年、しかもあんな垢抜(あかぬ)けてなさそうな客が来ることは滅多にないからね。その少年は、入ってきてすぐに紅いネックレスをかけた男と一緒に裏口から出て行ったよ。」

「その男は誰だ。」

「し、、、知らねぇよ。そこまで覚えてないよ。」

「言え!」

額の拳銃が更に強く押し付けられる。そして、リボルバーが下ろされた。ひぃ、と店長の口から小さく悲鳴が漏れた。

「わかった。いいます言います。」

そういって店長は瞳孔の開いた瞳で、店内を右から左へと流し見た。そして、再び視線を跡部へと戻した。

「田口だよ。あの(さく)(えい)グループに所属している。なんでも、グループとは別に個人でブローカーをしてるみたいだぜ。さぁ、私の知ってることはこれで全部です。だから、早くその物騒な拳銃を下ろしてくれ。頼むよ。」

跡部は、グラサンの奥から店長を見つめて、やがて拳銃を下ろした。

「動くな!」

次の瞬間、後ろから声がした。その声を合図に店長が素早くカウンターの奥に引っ込んだ。跡部と拓海は後ろを振り返る。そこには、1人の青年が拳銃をかまえていた。ターゲットは、跡部・・・ではなく拓海の額だった。

「まずは拳銃を床に置け。さもなくば、このガキの頭が吹っ飛ぶことになるぜ。へへっ。」

跡部は、顔色を変えることなくその男を見つめる。

「な・・・なんだよ。」

サングラス越しからでも伝わる、跡部の鋭い視線に男はたじろぐ。

「じゅ・・・銃を下ろせって言ってんだろ!」

男が焦ったように喋る。跡部は、ぱっと銃を離した。それを見た男の顔が緩む。しかし、跡部は顔色を変えず淡々と言う。

「撃てるもんなら撃てばいい。だけど、今お前が銃口を向けてるガキは、日本最大の暴力団、山田組の一人息子だがな。」

山田組・・・その言葉を聞いた瞬間、店内がざわめき始めた。

「ば・・ばかな。こいつが山田組の一人息子なわけねぇだろ。」

もちろん嘘だった。拓海は暴力団とは全然関係がない。しかし、跡部は鋭い視線で青年を見つめ、さらに言い寄る。

「なぜわかる?もしお前が誤って引き金をひいたその瞬間、お前は地獄よりも恐ろしい目にあうことになる。それでもいいのか、鷲尾(わしお)孝則(たかのり)さん。」

鷲尾は自分の名前を言い当てられたことに動揺して銃を落とした。

「行くぞ。」

跡部は床に落とした自分の拳銃を拾うと、腰が抜けて床に座り込んでいた拓海に言った。

店内を出て行く2人を止めるものはいなかった。

店の外に出ると、跡部は携帯を取り出しどこかに電話した。

「俺だ。あぁ・・・そうだ。朔栄グループの田口の現時地だ。あぁ・・・あぁ・・・そうか、わかった。」

行くぞ。と跡部は言うと、拓海が車に乗るのを確認して、車を急発進させた。



その頃、拓弥は港にある倉庫のひとつの中にいた。手錠をはずされた手首には真っ赤な跡が付いていたが、小太りの男はかまわず近くにあった柵に縄で両手首を縛り付けた。

「いま、何時くらいや。」

田口が聞いた。田口の横にいる金髪が時計に目をやる。

「現在10時15分です。引渡しまであと45分もあります。」

金髪が言うと、田口はタメ息をついた。

拓弥は辺りを見渡す。すぐ目の前には小太りの男が背中を向けて立っている。

逃げなきゃ・・・。そうだ、逃げなきゃ。

拓弥は思った。

拓弥を縛り付けてある鉄の柵はかなりサビついている。思いっきり引っ張れば柵を折る事が可能だろう。だけど、今やっても確実に捕まる。逃げるタイミングを作らなきゃ。

ふいに拓弥の右手が、小さな小石を掴んだ。

拓弥は前を見て誰も自分に目が向いてないことを確認すると、手首だけを使って小石を横に思いっきり投げた。

ガション!・・・小石が音を立てて機械に当たった。

3人は、一斉に小石が当たった方を向いた。

「誰だ。誰かいるのか?」

金髪が石の当たった所に近づきながら言う。小太りの男も、じりじりと近づいていく。

小太りの男が、拓弥から数メートル離れた。今だ。

拓弥は思いっきり腕を引っ張った。しかし、田口はそれに瞬時に気づく。

「ガキが逃げようとしてるで!」

バキ、と音を立てて鉄の柵は折れた。拓弥は、両手を思いっきり広げて縄をほどくと、自由になった手を使い起き上がる。そして、奥にあるドアに向って走った。

小太りの男が慌てて拓弥の後を追う。

「なにしとるんや!もし逃がしたら、タダじゃ済まさへんぞ!」

後ろから田口の激をうけ、小太りが急速に拓弥に近づく。

「まて、クソガキ。」

そういって小太りの男は腕を伸ばした。その手は拓弥の服をかすめた。だが、捕らえることはできなかった。

拓弥は急いで部屋の中に入ると、ドアを閉めた。

そして小太りの男がドアを押し開けようとする中、なんとか鍵をかった。

休んでいる暇はなかった。ドアの外からは、小太りの男の田口に許しをこう声・・・たったいま、それが悲鳴にかわった。それと、ドアを激しく叩く音がする。

拓弥が入った部屋は、小さな物置部屋だった。拓弥が辺りを見回すと、正面に小さな窓があった。拓弥は急いで窓を開き、外を見た。

外は真っ暗で、空には少し欠けた満月浮かんでいた。

拓弥は覚悟を決めると、窓を蹴破り外に出た。そして、全速力で走った。

はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。拓弥は数十メートル走った所で立ち止まり後ろを振り返った。大丈夫だ。まだ誰も追いかけてきてない。これなら、逃げ切れる。

拓弥は、ほっと胸をなでおろした。

その時、額に何か冷たいものを感じた。手をやると、微かに濡れている。まさか・・・。

空を見上げると、さっきまで浮かんでいた月がどこにも見当たらない。ヤバイ。

ぽつ・・・・・ぽつ・・・ぽつ・・。雨が降り始めた。

拓弥は、両手で頭を覆い走り出した。

雨宿りしてる暇はない。そんなことをしていたらまた捕まってしまう。そしたら今度こそ・・・。なんとしても逃げなきゃ!

しかし、雨は徐々に強さを増していく。そして、それに比例して拓弥の頭の中に雑音が鳴り響く。人の悲鳴、叫び声、俺の喘ぎ声、暗闇の中の雨――。

気がつくと、拓弥はその場に倒れこんでいた。かろうじて意識はあるものの、体の自由がきかない。まるで、鎖に縛られているようだ。

「あんさん、どこに行くきや。」

後ろから声がした。拓弥の背筋に冷や汗が溢れ出す。拓弥はしゃごみこんだまま、後ろを振り返る。

そこには、土砂降りの雨の中で全身ズブ濡れの田口が立っていた。その目は、怒りで満ちている。

田口は、無言のまま拓弥に近づいた。そして、図太い手の指で、拓弥のか細い首を掴んだ。

「あっ・・・かっ・・・。」

息が出来ず喘ぐ拓弥にかまわず、田口は体ごと拓弥を持ち上げる。

息が出来ない・・・。苦しい。前が歪む。嫌だ。ヤダ。やだ。

田口は強張った顔で、目の前で喘ぐ拓弥を見つめた。すでに、拓弥の足は地面から数センチも離れている。

―もうダメだ―

そう思った時、ズドンと銃声の音が響いた。それと同時に田口の片腕から血が噴出(ふきだ)した。

拓弥は、地面に落ちた。見上げると、田口が呆然と立ちほうける。

「それ以上そいつに近づくな!」

土砂降りの雨の中でもはっきり聞こえた。拓海の声だ。

拓弥は辺りを見回す・・・すると、こっちに拓弥が走ってくるのが見えた。

「大丈夫か?」

拓海が拓弥を抱きかかえた。

田口の頭には銃口が突きつけられる。

「動いたら撃つ。」

という跡部の言葉に、田口はすかさず逃げ出した。跡部は、拓弥と拓海を一瞥すると、田口を追っていった。

「大丈夫か?なんで・・・なんで俺に相談してくれなかったんだ。」

拓海が涙声になりながら言う。

「何が?」

拓弥は、朦朧とした意識の中、はっきりと映る拓海の顔に問いかけた。

「何がって・・・お金がいるんだろ。だから涼子さんに仕事を頼んで、それで騙されてこんな事に。」

「なにいってるの?お金が必要なのは、拓海の方でしょ。」

「は?」

拓弥の言葉に、拓海は顔をしかめた。

「涼子さんが言ってた。拓海は、あの屋敷から自由になるためにお金を集めてるんだって。」

それを聞き、拓海は奥歯を噛み締めた。涼子への怒りがこみ上げてくる。

「・・・違うんだ。」

拓海が小さな声で言う。しかし、拓弥の耳には届いていない。拓弥は、上着から15万円を取り出し拓海に差し出した。

「これ・・・使って。残りの15万は、屋敷に帰った時に涼子からもらうから。」

雨でグシャグシャに濡れた15枚の札束を見つめる拓海。

「ごめん、これは受け取れないよ。」

「なんで?」

「だってこれは、拓弥のだから。」

「そんなことない。これは拓海の為に稼いだんだ。拓海のものだよ。」

拓弥の表情は真剣だった。それを見て、拓海の胸がズキズキ痛む。おのずと声が小さくなる。

「違うんだ。拓弥は騙されたんだ。涼子さんに・・・。」

拓海の言葉と、表情でようやく拓弥は理解した。騙された。全部ウソだったんだ。100万円も、屋敷を抜け出すことも、何もかも・・・、あのヘビ女の作り話だったんだ。

「俺がお金を集めていたのは確かだ。だけど、それは何かが欲しいわけでも、あの屋敷から自由になるためでもない。それは、俺の生きる理由なんだ。」

「生きる理由?」

「そう。俺は、お金の為だけに生まれてきたんだ。」

拓海の言葉に、拓弥は顔をしかめた。

「そんなやついないだろ・・・って顔してるな。だけど、実際いるんだよ。俺の母親は、もともと貧乏な家に育って、お金に苦労したらしい。だから、人一倍金に執着してたし、金持ちの父さんに惹かれたんだと思う。だから父さんと結婚した。たけど、結婚して2,3年で夫婦仲は冷め切ってしまったんだ。母さんは何回も離婚しよと思ってたらしいけど、それじゃまた貧乏生活に逆戻り。だから、俺を生もうとしたんだって。毎晩、甘い誘惑を父さんに仕掛けて。いくら仲が悪くても、そういう誘惑に男は弱いって母さんは知ってたから。そして俺を自分の腹の中に授かると、毎晩毎晩ほくそ笑んでたんだ。そして俺が生まれて間もなく離婚した。理由は簡単。養育費が目当てだったんだ。そのために俺を利用したんだ。俺は中学に上がると同時に捨てられた。多分、母さんは今でも父さんを騙して養育費をとり続けてるんじゃないかな。」

それを言う拓海の口調は淡々としたものだったが、目にはうっすらと涙が見えた。そんな拓海を見てつられて目頭が熱くなった。

「――だから俺は、お金の為に生きる。」

「そんなのダメだよ。」

拓弥は言う。

「そんな・・・お金の為に生まれてきて、それでお金の為に生きるなんて。」

「でも、俺にはそれしかないんだ。」

その言葉を聞いて、拓弥の胸が熱くなる。拓弥は、雨にも負けないような力強い口調で言う。

「そんなことないよ!拓海は勘違いしてる。確かに拓海はお金のために生まれてきたのかもしれない。でも、それと生きる理由は全然違うよ!どんな理由で、どんな環境で、どんな運命で生まれてきても、生きてく理由っていうのは自分自身で見つけ出すものなんだよ。総理大臣になる為とか、社会の為に役に立つ為とか、そんな立派で大きな理由じゃなくてもいい。例えば、来週は好きな歌手のCD発売日だからとか、来月の期末テストまでは頑張ってみようとか、そういう小さな理由でいいと思う。そして、その理由を満たしたらまた新しい生きる理由って言うのを探せばいいんだよ。そういう小さな“生きる理由”の積み重ねや繰り返しで僕達は生きているんだから。

お金の為に生まれてきたから、お金の為に生きる・・・なんて考え方はやめよう。そんな大きな、立派な生きる理由はいらないんだから。」

拓弥は、拓海を見つめた。拓海は、雨でビショビショに濡れているが、今自分が話した事を真剣に聞いてくれて、真剣に考えてくれている。今なら、自分の気持ちを素直に言える。そして、素直に聞いてもらえる。

「拓海。俺の今の生きる理由を教えてあげようか。それは、新しい拓海を発見すること。そして、自分の(さび)れた感情をもう1度よみがえらせるため。

辛いこともあるけど、でも新しい拓海をもっともっと見たいし知りたいの。笑った時の拓海は、どんな顔をするとか。寝ている時には、どんな顔をしてるとか。本気で僕を心配してくれてる時は・・・そんな顔をしてくれるんだとか。それが楽しみなんだ。そして、そんな拓海を見るたびに僕の失いかけてた感情が一つ一つ色鮮やかによみがえってくる。それも嬉しい事だよ。

ねぇ、拓海。好き・・・。本当に大好きだよ。僕と付き合って。僕と、キスして。」

その言葉に拓海は驚いた。拓弥は雨で弱っていながらも、真剣なまなざしで拓海を見つめている。拓海の心で色んな感情、頭の中でいろんな考えが交差する。

「ごめん。」

雨はしだいに、雨脚を弱めていく。

拓海は、拓弥の目から視線をそらしてそう言った。


7【君だけは『悪』とは呼ばせない!】



「ごめん。」

拓海の言葉がよみがえる。だけど、そんなに悲しくはなかった。心の中では予想してたいた事だった。それに――

「拓弥、大丈夫か?」

拓海が優しく僕の肩を抱いてくれる。以前よりもっともっと拓海との距離が縮まったから。


拓弥と拓海が屋敷に戻ると涼子は幽霊でも見るかのように驚いた顔をした。拓弥は、涼子に騙された事など全てを包み隠さず太一郎に報告した。太一郎は何も言わず拓弥と拓海を屋敷の中に入れた。多分、涼子がなんらかの形で関わっているのだろうと薄々気付いていたんだと思う。

麻美が心配そうに駆け寄ってきた。

「だ・・・大丈夫?」

そう言ってビショビショに濡れた拓弥と拓海にタオルと温かいスープを差し出した。スープは、冷え切った二人の体を芯まで温めた。

「麻美、そのアザどうしたんだ。」

ふと拓海が気付いた。見ると、麻美の体に所々アザがあった。麻美は服でさっとそのアザを隠て。

「なんでもないの。」

と、苦笑いを浮かべて言った。

「もしかして。」

拓海の表情が強張った。すかさず麻美が言う。

「違うの。そうじゃない。これは本当に違うから。だから、もう大丈夫だよ。」

拓海は、チラッと横にいる拓弥を見た。拓弥には「もしかして」の意味がわからなかった。


部屋に戻ると、拓弥はベッドに寝転がった。疲れがたまって体が鉛のように重い。

拓海は、窓辺まで行き外をじっと眺めている。

「・・・なぁ、拓弥。」

不意に拓海が口を開いた。半分閉じかけたまぶたを拓弥は開けた。

「なに?」

拓海は、拓弥の方を見て微笑んだ。

「本当に、俺の事が好きなのか?」

「え?」

ドキッとした。心の中が、またドキドキと暴れだす。このドキドキが何よりも答えだ。

「うん。」

拓弥は拓海の目を見れず視線を床に泳がせながら言った。

「一緒に逃げよう。」

え!?今なんて・・・?

「一緒に逃げるんだ。」

拓弥は驚いてベッドから飛び起きた。拓海は真剣なまなざしで拓弥を見つめている。

「わかったんだよ。なんでそんなにもアザがついてるのか。全部、太一郎さんがやったんだろ。」

「なんでそれを!」

拓弥は驚いて聞いた。拓海は、質問は答えずに拓弥に近づき、両肩に両手をそっと置いた。

「逃げよう。このままじゃ、拓弥の心と体が限界だ。それに、拓弥が辛そうにしてる姿をもう見たくないんだ。」

「拓海。」

拓弥の心でまたも何かが疼く。今すぐ拓海を抱きたい。めちゃくちゃに抱いて自分の物にしてやりたい。そんな衝動に駆られた。

「拓弥の告白を断った俺にこんなこと言う資格はないのかもしれない、だけど・・・。決めるのは拓弥自身だ。」

“拓弥の告白を断った俺に――”。そうだ。僕の告白は断られたんだ。

拓弥は、拓海を抱きたいという衝動を必死に抑えて自分の手をギュッと握りしめた。そして言う。

「拓海とならどこへでも行ける。だって、拓海と一緒ならどこでだって幸せになれる自身があるから。」



2人は外の世界に出る決意をした。互いに微笑みあい、この牢獄(ろうごく)のような屋敷をでて行けば『幸せ』が待っていると信じていた。『拓海と一緒ならどこでだって幸せになれる自身があるから。』と拓弥は誓い、拓海もその言葉を信じた。



ソラの夜明け。拓弥と拓海はこっそり屋敷を飛び出した。まるで、駆け落ちをする恋人みたいだ。

拓弥は立ち止まり後ろを振り返り屋敷を眺めた。

この屋敷があったから、拓海と出会えたんだ。

「どうしたんだ?」

拓海が聞いた。

「なんでもない。」

拓弥が言い、歩き出そうとしたその時、目の前に見慣れた人物が立っていた。

「黒谷!」

思わず声が出た。

黒谷はいつものように無表情で、鋭い目つきで拓弥たちを睨んでいた。

「どうして?」

拓弥が呟いた。

「どうしてもこうしてもないでしょう。昨夜、あんな騒ぎがあったんですから太一郎様が2人を見張るように言いつけるのは当然のことです。」

拓海は素早く内ポケットから果物ナイフを取り出した。そして、刃を鞘からとりだし刃先を黒谷に向けた。

「そこをどけ!」

拓弥は驚いて拓海を見た。拓海は小さく呟く。

「大丈夫。これは護身用だ。本当に刺すことはしないから。」

黒谷は相変わらず無表情でナイフを見つめている。そして、フッと鼻で笑った。

「何がおかしい。」

拓海が動揺したように言う。拓弥も、黒谷が拓海を鼻で笑う姿に驚いた。だってこれまで一度もたりとも、無表情以外の表情を見たことがないのだから。

「――例えば、ペットショップで鳥かごに入った小鳥が一羽いるとします。その鳥を見て、ある人たちはいいます。

『こんな狭い所に閉じ込められて可愛そうだ。もっと自由に広い大空に放してあげるべきだ。』

と。しかし大空へと羽ばたいた小鳥は、一瞬の自由と引き換えにカラスなどの天敵に襲われ二度と起き上がることはありませんでした。」

「何が言いたいんだ。」

拓海が言った。黒谷は、いつもの淡々とした口調で話を進めていく。

「鳥かごは小鳥の自由を束縛する。しかし、鳥かごは外敵から身を守ってくれます。この社会だってそうです。わたくし達は法という鳥かごの中で生活しています。だからといって法のない国に行けば、法が自分を守ってくれる事はありません。一瞬の自由の為に、もしかしたら『生きる』というかけがいのない最大の自由を失うことになるかもしれない。その覚悟が拓海、貴方にはあるんですか?」

拓海は息をのんだ。

「あるさ。」

拓海は言った。黒谷は、チラッと拓弥を見た。目が合った。その瞳には、深い悲しみが宿っている。

「そうですか。ただ、そう聞いて「はい、そうですか。」とここを通すわけには行きません。わたくしも太一郎様から命令されてますので――」

黒谷が言い終わるか終わらないかくらいの所で拓海はポケットから丸いカラーボールを取り出し、黒谷めがけて思いっきり投げつけた。

ボン!・・・という音とともに玉が弾け赤色の液体が黒谷の顔にかかった。

「今だ、行こう。」

拓海は拓弥を連れ走り出した。

そして、門の前まで来た。後ろを振り返ると、黒谷の姿はなかった。この門から外に出れば、この屋敷から自由になれる。

拓海は拓弥を見て聞いた。

「どうする?俺はここから出る決心はついてる。でも、拓弥はどうする?さっきの黒谷の話を聞いて、もしやめたいんだったらいいんだよ。決めるのは拓弥だ。」

拓弥は少し考えた。だけど、心はもう決まっていた。

「行こう。」

「後で後悔するかもしれないぞ。」

拓弥は軽く首を振った。

「確かに、あとで万が一・・・いや、数億分の一の確率で後悔するかもしれない。だけど、あとで後悔するよりも今、後悔したくないんだ。だって、僕達は今を生きてるんだから。そう決心しとけば、例えどんな後悔や失敗があったとしても振り返らずに、頑張れると思うから。」

その答えに、拓海は微笑んだ。

「拓弥、強くなったんだな。」

そして、2人は一緒に門の外へと足を踏み出した。



太陽が空の頂上へと昇った頃、拓弥たちはホテルの一室で眠っていた。朝が早かったという事もあり、2人とも疲れていた。

ふと拓海が目を覚ました。ベッドから起き上がり窓から外を見る。そこには、いつも屋敷で見ていた景色はなく晴れやかに広がる空、下では大勢の車や人が行き来していた。

「拓弥?」

後ろから声がして振り返ると、拓海が起きていた。

「やっと・・・自由になれたんだね。」

拓弥が言った。

「あぁ。」

拓海が微笑む。

「そうだ!」

そう言って拓海はカバンの中から2台の携帯電話を取り出した。そして、その1台を拓弥に手渡した。

「これ、必要かと思って買っておいたんだ。これでもし、なにか事件に巻き込まれた時でもすぐに連絡できる。いつでも、繋がっていられる。2人の友情の証だよ。」

「2人の・・・友情の証。」

拓弥は呟き、携帯を握りしまた。

アドレス張を見てみると、そこには1件・・・拓海のアドレスが登録されていた。

今まで、手に届きそうで届かなかった幸せ。どこにでも転がっていそうな、でも手に取ることは許されなかった当たり前。それが、今ここにある。

拓弥はこの幸せを噛み締めた。例え、2人の関係が拓弥の望む恋人同士じゃなく、親友同士でも、この先拓海と一緒にいられるのならば、それでもいいかもしれない。


―一瞬の自由の為に、もしかしたら『生きる』というかけがいのない自由を失うことになるかもしれない。―


突然、黒谷の言葉が頭に浮かんだ。あの淡々とした声が耳の奥から競り上がってくる。

「どうしたんだ?」

拓海が心配そうに言った。

「え・・・な、なんでもない。大丈夫だよ。

そうだ、それよりも明日僕の家に行きたいんだけどいい?」

「あぁ、もちろんいいよ。この部屋だって、お金がいつまでもあるわけじゃないからいつかは出なくちゃいけないし。それに、ここだといつ屋敷の人たちに見つかるかもしれない。なるべく遠くに行った方がいいな」

「もちろん、拓海も一緒についてきてくれるよね。」

当たり前の事だけど、それでも聞かずにはいられなかった。

「あたりまえだろ。」

そう言って拓海は拓弥を抱き寄せた。

「たまになら・・・たまにこうやって人の温もりを感じるのもいいよな。俺は拓弥の気持ちにはまだこたえられない。だけど、こうやってたまに抱き締める(ハグしあう)くらいなら、いいよ。」

拓弥は目を閉じた。体全体に拓海の温もりを感じる。

「幸せだよ。」

拓弥は呟いた。さっきまで聞こえていた黒谷の声は、完全に頭の中から消え去っていた。かわりに拓弥の頭の中には、拓海の温かい声が響き渡っている。



雨季を越えた日本では、蒸し風呂状態が続いていた。7月でこの状態なら、8月はもっと暑いだろう。

拓弥と拓海は誰にも見られないように注意しながら、早朝の始発列車に乗り込んだ。

窓外には、素早く移り変わる景色が見える。拓弥はそれを眺めながらいろいろ思いをめぐらせた。


ことの始まりは高校の修学旅行でこの場所まで来た。行きの新幹線では、クラスメイト達の喧騒で目も開けていられない状態だった。前を向いても後ろを向いても敵だらけ。僕は空気になりすますしかなかった。だけど、今は違う。拓海と二人。確かに今、僕は存在する。拓海がそれを証明してくれている。拓海が僕を独りから救ってくれたんだ。


窓に映る自分の頬が緩んでいるのに気付いた。拓弥はそれを、幸せそうに見つめた。



新幹線を降りて電車で30分。電車は、通勤ラッシュの時間帯を過ぎていたので、割と空いていた。

「戻ってきた。」

バスから下り拓弥は呟いた。もうすでに太陽は頂上まで達している。

拓弥の瞳には見慣れた景色が映っていた。あのコンビにも、あの本屋も、あのファーストフード店も知っている。それらの景色を見るたびに、刻々と過去の思い出がよみがえってくる。

「ここが拓海のふるさとか。」

拓海が横で言った。

拓海は、ふるさとがない。というより、小さい時からあの屋敷の召使いとして雇われていた拓海には、あそこがふるさとと言っても過言ではない。

「行こう。」

拓弥は拓海の手を引いた。

胸が高鳴る。だけど、この胸の高鳴りはふるさとに戻って来たからじゃない。拓海と一緒にいるからなんだ。これからずっとずっと一緒にいられる。

「今日からは、ここが拓海のふるさとだよ。」

拓弥は嬉しそうに呟いた。



「おい、あれ。もしかしてあいつじゃね?」

「何かの間違いじゃねえか。あいつがここにいる訳ないし。いたら今頃・・・。」

「いや、でも確かにあれはあいつだよ。知らない男と歩いてた。」

「マジで!?じゃあ、やばいんじゃないの。とりあえず警察に――」

晴天だったはずの空に、所々黒い塊が見え始めていた。



「ただいま!」

そういって拓弥は玄関の扉を開いた。

「はい。」

奥から声がしてきた。そして、間もなく母親が現れた。

「母さん!」

拓弥が嬉しさのあまり声を上げた。やっと、やっと帰って来れたんだ。

「拓弥――」

母親は、まるで幽霊でも見るかのような顔をした。

「僕だよ。今まで心配かけてごめん。実は、いろいろとあって連絡が取れなかったんだ。」

母親の目から涙がこぼれる。

「かあさん?」

次の瞬間、母親は拓弥の前まで来るとギュッと拓弥を抱き締めた。

「今まで、どこにいってたのよ。」

強く、強く抱き締められた。

「痛いよ。」

拓弥が言う。心なしか、母は痩せた気がする。それだけ心配をかけてしまったんだなと思う。

「そうだ。ねぇ、母さん。紹介したい人がいるんだ。僕の命の恩人。今、外で待ってもらってるんだけど――」

「拓弥、逃げろ!!!」

いきなり、拓海の声が飛び込んできた。そして、それと同時に拓弥は腕を掴まれた。

「工藤拓弥さんですね。ちょっとよろしいでしょうか。」

「え?」

そこには一人の警官が立っていた。警官の後ろでは別の警官2人と拓海が争っていた

「さぁ、早く。」

今後は腕をつかまれ強引に引っ張られた。

しかし、反対から母親が拓弥の胸にしがみついた。

「待ってください。せめて、主人が帰ってきてから。それまで待ってください。」

「奥さん、気持ちはわかりますが・・・。」

「何かの間違いなんです。この子がそんなことするわけがありません。」

「そう思いたい気持ちはわかります。でも――」

なんだこの会話。まるで、ニュースで放送される犯人が身柄を拘束される場面みたいな。でも?でもって何?でもの続きは・・・

「――でも、この子は犯罪者なんです。クラスメイトを刺した。立派な傷害罪です。」

―嘘だ。

「やめてください。」

そう叫ぶ母親を後から来たもう一人の警官がなだめにかかった。

「さぁ、行くぞ。」

―いやだ。

「拓弥!!」

外で拓海の声が聞こえる。拓海は必死に警官を振り払おうとしてるが、2人がかりで制止されている。

―こんなことって。

「さぁ、署で事情を聞こうじゃないか。」

―よみがえるってくる。

「聞いてるのか?」

―あの日の事を。

「拓弥!」

―まだ拓海と出会っていないあの夜のこと。

「お前は友達を刺したんだ!」

―思い出した。



「おい。早く押さえろ。」

一人の狼が言った。

「さっさと歩けよ。」

もう一人の狼も言う。

「こいつ、ホントにキモイなぁ。」

僕の心が崩れ落ちる瞬間。

「さっさと立てよ、クズ。」

僕にならば、どんな言動も許される空間。

「見ろよ、こいつ泣いてるぜ。」

叫んでも届かない。当たり前か・・・自分でも何を叫んでいるのか分からない。

「おい。誰かナイフもってこいよ。」

僕の心のカケラを食べて喜ぶやつら。

「見ろよ!恐いか?恐いだろう。」

だったら、僕だって考えがあるんだ。

「うわ。こいつ立ち上がった。ちょ・・・なにすんだテメェ!」

絶対に許さない――

「やめろ。誰かこいつを押さえつけろ!」

「――僕の心を返せ!」

紅い血が舞う。人の叫び声が舞う。逃げる。逃げる。逃げる。僕は、一匹の狼を刺した。


『鳥かごは自由を束縛する。しかし、鳥かごは外敵から身を守ってくれます。』



また頭の奥底から競りあがってくる言葉。

真実は、恐ろしいほど残酷だった。



「拓弥!」

拓海は素早く拓弥の手をとり走り出した。

拓弥の足がよろめく。同時に、もう一方の腕を強く引っ張られた

「待ちなさい!」

そう言ったのと同時に警官の腕から血が噴きだした。

「行くぞ!」

もたつく拓弥を強引にひっぱった。見ると、拓海の手の中で光る銀色のナイフは、赤々と輝いていた。

横を見る。さきほどまで拓海を抑えていた警官2人が足を押さえている。

拓弥は拓海に言われるまま走った。

かなり走った所で、2人は止まり後ろを振り返った。後ろには人影一つない。

拓弥は息を整えた。

「大丈夫か?」

そう聞いた拓海を突き飛ばした。

「触らないで!もういい。もういや。」

「どうしたんだ?」

そう言って近づく拓海に「来ないで!」と怒鳴った。

「やっぱりそうだったんだ。どこかで思ってたんだ。僕は汚れてるって。僕はこの手で人を刺した。犯罪者なんだ!」

「何言ってるんだよ。」

拓海は不安げに拓弥の顔を覗き込む。あまりの拓弥の真剣な表情に言葉を失う。

「本当かよ・・・。」

拓海の顔から血の気が引いていく。

しばらくの間沈黙が続いた。いつの間にか日差しは閉ざされ、空には黒い雨雲が覆いかかっている。その雨雲が今にも2人めがけて落ちてきそうだ。

「やっぱり、一緒にはいられないよ。」

拓弥は消え入りそうな声で呟いた。その言葉を聞いて拓海ははっとした。

「なんでだよ。なんで拓弥が友達を刺したのかはわからない。でもそれがもし事実だとしても、ちゃんと訳があったんだろ?俺はお前を信じてるから。」

「やめてよ!そういうのが嫌なんだ。拓海はいつも僕に優しくしてくれる。本当に嬉しいし、そんな拓海が輝いて見える。だけど、それと同時に僕の汚れに気づかされる。拓海が僕の中で明るく輝けば輝くほど、自分の汚ない部分が目についてくる。そんな自分を見るのが・・・辛いんだよ。」

潤んだ目で拓弥は拓海に訴えかけた。唇は紫に変色し、目はキョロキョロと泳ぎ、肩が小刻みに震えている。

「心配するな。俺は汚れてるからって拓弥を嫌ったりはしない。もし拓弥が犯罪を起こしたのなら、償えばいいことだ。」

拓弥の息が次第に整ってきた。そして、さっきとは打って変わって驚くほど冷静になっていく。静かな口調で拓弥は言う。

「キレイごとばかり言わないでよ。今はそんな言葉聞きたくない。ねぇ拓海。じゃあ汚れて見せてよ。口でならなんとでも言える。」

そして、拓弥は拓海の手の中でまるで生き物のようにギラツクナイフを見据えて言った。

「そのナイフで僕を刺してよ!」

「何言ってるんだよ。冗談は辞めろよ。」

しかし、冗談でない事を拓弥の瞳はつげていた。

拓海の体に緊張が走る。急に、右手に持つナイフが重く感じる。

「そんなことできるわけがないだろ。」

「できるよ!本当に僕の事を思ってるんだったら出来る。お願い、拓海。恐いんだよ。拓海は輝いてる。僕は汚れている。拓海は今、手の届かない所にいる。拓海は気付いてないかもしれないけど、本当は拓海と一緒にいるとき、常に劣等感に似た感情があったんだよ。拓海は別世界の人間だって。だから、僕を刺して。そして、僕の手の届く所まで降りてきてほしいんだよぉー。」

すると拓弥が急に走り出した。拓海のナイフめがけて真っ直ぐに。

『シュン』、マンガならこんな効果音がバックに描かれだろう。

真っ赤な血が拓海の前に飛び散った・・・が、やがてその血は地面に吸い込まれて消えた。

拓海はナイフを地面に落とした。ナイフの先端には真新しい血痕が少量だけついている。

「もっと。もっと、そんなんじゃたりない!」

そう言って落ちたナイフを拾い上げようとする拓弥を拓海は優しく抱き寄せた。

拓弥の右腕には、さっきできたばかりの切り傷があった。

「どうして・・・。拓海は、僕の事が嫌いなの?」

胸の中から拓弥の消え入りそうな声が聞こえる。その言葉に、拓海の心が熱くなっていく。

「お前だけが汚れてるわけじゃない。お前だけが汚いわけじゃない。確かに、汚れてるかもしれない。だけどそれはみんな同じだから。」

拓弥の体が小刻みに震える。

「恐いんだよ。もしかしたら拓海をあの時みたいに刺しちゃうんじゃないかって。そしたら、僕はもう生きていけない。拓海のこと、心の底から好きだよ。大切だよ。だからこそ、本当に僕なんかと一緒にいてもいいのかって不安になるんだ。いっそ一人でいたほうが楽だよ。」

「そんなことない。俺はお前が思ってるほど弱くない。どんなワガママも、どんな悲しみも、どんな殺意だってちゃんと受け止めてやる。言葉でダメだったら行動してみせる。もし本当にそうなったら、これでもか!ってくらい抱いてやるよ。

俺も一緒なんだよ。あの暗い屋敷に閉じ込められていつも一人だった。だから本当は俺も拓弥と一緒にいてもいいのかって不安になる。知らず知らずに拓弥を傷つけてるんじゃないかって。でもお前を刺すことだけは勘弁して。もう、一人に戻りたくないんだよ。拓弥を失いたくないから。」

いつの間にか拓海の体も小刻みに震えていた。そして、なぜかそれが二人を安心させた。

突然『パン!』と何かがはじける音がした。同時に辺り一面に白い煙が噴出した。

その煙はあっという間に広がり何も見えなくなってしまった。

「なんだこれ!」

次の瞬間、拓弥が誰かに強引に連れさらわれた。

「拓海!」

その叫び声に拓弥の異変を感じた拓海。煙がなくなるのを待つ。すると、拓海の目に飛び込んだのはあの田口だった。

「ひさしぶりやなぁ。」

田口は黒塗りのベンツの横で仁王立ちしている。その隣には拓弥が押さえつけられていた。

「こいつはらっていくで。」

そう言うと田口は強引に拓弥を車に押し込んだ。

「待て!」

そう言って駆け寄ろうとした拓海の手を今度は他の誰かが掴んだ。

「確保しました!」

振り向くとそこにはさっきの警官が立っていた。今の爆発音で集まってきたのだろう。

突然、図太いエンジン音とともに目の前の拓弥を乗せたベンツが発進した。

「拓海!」

窓から拓弥が顔を出した。

拓海は後を追いかけようとするが、警官が邪魔をする。

「拓弥――」

拓海は大声で叫んだ。

「――必ず助け出してやる!だから待ってろ!俺を信じて待ってろ!」

車は瞬く間に拓海の視界から消えていった。


8【永遠の銀色】



暗い。

冷たい。

そして恐い。

拓弥が目覚めて最初に感じたことだ。


部屋には窓一つなく、山ずみのダンボールだけが散乱していた。天井には裸の豆電球が1つだけ。それ以外、暗闇から拓弥を照らしてくれるものはなかった。

拓弥の手首足首に冷たい感触が走る。両手は体の前で手錠を掛けられている。真ん中が10センチほどの鎖になっていて多少の自由は利くものの、ほとんど動かせない。足には片方ずつ鎖が結びつけられており、その1メートルもない先端には丸くて大きな鉄球が付いていた。実際に足を動かしてみるがびくりともしない。

誰もいない。拓海はもちろん、この6畳あまりの部屋にいるのは拓弥一人だけ。拓弥は恐怖に身を凍らせた。

すると、遠くから足音が聞こえてきた。それはだんだんと近づいてきて入口前で止まった。カチャン、と鍵が開く音がした。そして、ゆっくりと入ってきた人物はやはりあいつだった。

「久しぶりやのぉ。」

田口はそう言って近づいてきた。相変わらずシルバーのネックネスをして独特の喋り方をしている。優しそうな声とは裏腹に、顔はドラマでよく見る暴力団の、しかも組長クラスのイカツイ顔だった。

「どうして。なんでお前がここにいるんだよ!」

「どうして?」

田口はおかしそうに笑い出した。そして、上着を脱いだ。裸になった右腕には包帯が巻かれていた。

「こうみえてもわしは今までいろんな修羅場をかいくぐっとんのじゃ。あんな小僧の鉛玉でくたばるようなやわな体はしてへん。」

そして、思い出したように付け加えた。

「ただ、あのグラサンはさすがに恐かったわ。わしの部下を2人も警察に連れていってからに。わしももう少しで捕まる所やった。」

「僕に何の用があるだよ!」

拓弥は恐ろしさで震えながらも言った。

「おお、そうやったなぁ。実はな、前にも話したがお前が行く予定やった鬼軍曹な。取り逃がしてしもた、いうたらものすごく怒りおってから。まだ会ってもいないのに「そいつじゃないとダメだ。」いうて。仕方がないからお前ん所のお譲に電話したんや。そしたら脱走したいうやないか。まぁ、わしもあのお嬢が主人やったら確実に逃げてるな。だから、お前にはもう1回、ついてきてもらう。」

「いやだ!」

拓弥が言った。

「嫌やいわれてもなぁ。」

田口は困惑したような表情を浮かべた。

「絶対に、拓海が助けにきてくれる。僕は拓海とずっと一緒にいるって決めたんだ。」

拓弥が言う。

すると、田口は上着から携帯電話を取り出し床に落とした。

「それは!」

拓弥が慌てて拾おうとしたが、手が届かない。見かねた田口が拓弥の方に携帯を軽く蹴った。

拓弥は蹴られた携帯を大事そうに拾うと中のメモリーを確認した。これは僕の携帯だ。

「それ、お前のやろ。お前が寝てる間にちょっと確認させてもろたよ。なかなかやな。最新のGPS機能がついてる。それがあればネットで簡単に位置が検索できる。」

拓弥は画面を確認した。画面には『GPS作動中』という文字と、現在地らしい地図が映っている。知らなかった。拓海がこんな機能をつけていてくれたことを。そこまで僕のことを想っていてくれたのか。

拓弥は携帯を握り締めた。

「それと同じ画面がお友達の携帯にも転送されとるはずや。これで、お友達はお前の居場所がはっきりわかっとる。あとは、助けを待つだけやな。助けがくれば、の話やけど。」

拓弥は怪訝そうな顔で田口を見た。

―何を言ってるんだ、こいつ。

それを察したのか田口は口を開き喋り始めた。

「お前の行方を捜すのに住所を調べさせてもらったん。ついでに、他にもいろいろとな。そしたら驚いたよ。なんと指名手配中の犯人やったなんて。クラスメイトを刺して逃走中やったんやな。」

田口の言いたいことはだいたい分かる。拓海がわざわざリスクを犯してまで指名手配中の僕を助けに来るはずがないと思っているのだろう。だけど田口は知らない。僕達の間には、誰にも負けない友情があるということを。

田口はそんな拓弥の心を読んだのか、拓弥を見据えて言う。

「人の感情なんて常に変わっていくもんや。今日は信じ合える仲間であっても、明日には敵同士になっとる場合だってある。」

「あなたと拓海を一緒にしないでください!」

拓弥がつい、かっとなり大声で言った。

「お友達に何を言われたんか知らんけど、人間は常に自分の安全を第一に考えるもんやで。わざわざ火の粉をかぶるようなことはせぇへんよ。

考えてみ。お友達はお前が来る前、あの屋敷でなにか不自由していたのか?お前がいてもいなくても、お友達はあの屋敷の中で生きていける。」

「拓海はそんなやつじゃない!必ず・・・必ず助けに来る!」

拓弥は別れ際に言われた言葉を思い出していた。


『必ず助け出してやる!だから待ってろ!俺を信じて待ってろ!』


朦朧とする意識の中ではっきり聞こえた。僕は、こいつの言う事なんて信じない。僕は拓海だけを信じる。

「ならこうしようやないか。あいつが助けに来るまでお前はここで待っとけ。もし、お友達がお前を助けに来たときは、素直にお前を帰したる。」

拓弥の顔に笑みがこぼれた。

僕の携帯にGPSまで付けてくれた拓海だ。必ず助けに来る。

「ただし、その間の食事は一切なしや。何も食べれない。まぁ、病気をされたら困るから水だけは与えたる。お前が言うように、お友達が助けに来るならすぐにでも自由になれる。ただし、いつまでも来なんだら1週間でも1ヶ月でも空腹のままや。期限はお前がギブアップするか、意識がなくなるまで。それまでは1週間でも1ヶ月でも待っとらせたる。さぁ、どうする。今わしと一緒にいけば、少なくとも美味しい料理にはありつけるで。」

拓弥は一瞬、息をのんだ。

涼子との賭けを思い出す。あの時は、涼子の罠にまんまとはまって逆に拓海を困らせた。だけど、今回は違う。拓海からもらったこの携帯電話は絶対に嘘をつかない。拓海は絶対に助けに来てくれる。絶対に――。

「待ちます。1週間でも、1ヶ月でも1年でも、拓海を信じて待ち続ける。」

拓弥は答えた。

「そうか。じゃあ、水は定期的に入口の外に立っとるワシの部下にいってくれればいつでも持ってこさせる。部下はあくまで見張りで、お友達がきたら素直にどくようにいっとく。」

そう言うと田口は拓弥の前から去っていった。鍵を閉めた音はしない。どうやらこの賭けは本物らしい。

田口が出てくると入口で待機していた1人の男が声をかける。

「話は聞いてました。」

「おう。じゃあ悪いけど水の世話だけ頼むわ。」

そう言い歩き出そうとした田口を呼び止めた。

「本当にいいんですか。あんな約束をして。もし、本当にあいつの友達がむかえにきたら。それに、先方も出来るだけ早くと言ってますが。」

田口は鼻で笑うと、言った。

「大丈夫や。そこはあの束縛感の強いお嬢の出番や。そう簡単に戻ってきたおもちゃを離すとは思えん。そうやな、1週間。それだけあれば蹴りはつく。先方には1週間だけ待つようにいうといて。」

男は怪訝そうな顔をした。

「本当に1週間でけりがつきますかね?」

「あぁ。あいつみたいなやつ、五万とみてきてんねん。1人のやつを信じたら疑わんやつ。せやけどな、ああいうつやに限って壊れるのが早いねん。昔のわしがそうやったように・・・。」

そういい残すと田口は足早に立ち去った。

男は、何も言わずドアの前に座り込んだ。

部屋の中では、拓弥が携帯を握り締めている。田口がいなくなり、また部屋に1人きりとなった。だけど1人じゃない。この部屋では1人でも、外には拓海がいる。僕達は常に繋がっていて、常に一緒だ。大丈夫。必ず助けに来る。

「拓海、お願いだから早く来て。」

拓弥は携帯を握り締めながら祈った。拓海、拓海、拓海――



懐かしい匂い・・・ここはどこ?

拓海はゆっくりと目を覚ました。そして、一瞬にして自分が今どこにいるのか把握した。

「戻ってきたんだ。」

そこは、拓弥と一緒に過ごした屋敷内の部屋だった。唯一、拓弥だけと一緒にいれた部屋。

「うそだろ。」

拓海は辺りを見回した。それは“ほとんど”が前と変わらない景色だった。

窓に鉄格子が付けられている。

家具の所々が壊されている。

首に鎖が巻き付けられている。

そして、拓弥がいないこと以外は――。


急に扉が開く音がして拓海は前を向いた。

そこには麻美の姿があった。

「麻美。」

しかし麻美はいつもと違い無表情で拓海を見ようとはしない。

「お願いだ。ここから出してくれ。」

そう言って麻美に近づいた。後ろでは鎖がすりあう音が聞こえる。拓弥の首には鍵穴が付いた首輪がはめられ、その後方から伸びる鎖は部屋の奥に打ち付けられていた。長さは数メートルで、ちょうど部屋の端から端までの長さだ。

拓海が麻美に駆け寄ると、麻美は無表情のまま入口から下がった。そして、変わりに涼子が入ってきた。

拓海は思わず足を止めた。最後に見たときと変わらず、意地悪そうな顔立ちでそこに立っている。

「久しぶりね、拓海。」

涼子はわざと猫なで声を出した。

「あなたがいなかった間、すごく困ったのよ。いろいろ頼みたい事があったのに。まぁ、かわりに麻美が働いてくれたけどね。でもね、拓海。」

麻美は拓海に近づくと顎を持ち上げ、拓海の瞳と自分の瞳を結ばせた。

「あなたは私のものなの。もう黙ってどこにも行かないでね。あなたは一生、私に尽くす運命だから。」

その瞳にははっきりと怒りがみなぎっていた。拓海は視線をそらすことが出来ず息苦しくなる。

それを見て涼子はクスリと笑うと、上着のポケットから鍵を取り出した。それを拓海の目の前にちらつかす。

「いい子にしてないさい。そしたら、いつでも出してあ・げ・る♪それまではここで少し我慢しててね。」

そう言うと涼子はさっさと部屋を後にした。

拓海の額から汗がにじみ出る。すると、麻美が目の前に現れた。ゆっくりとドアを閉めていく。

「待ってくれ麻美。お願いだ。ここからだしてくれ。どうしても行かなきゃならないんだ。」

ご・め・ん

ドアが閉まる直前、麻美の口元が動いた。声は出ていなかったが、確かにそう読み取れた。顔は無表情を装っていたが、目からは悲しみが満ちている。

しかし、無常にもドアは閉められた。

「麻美・・・。」

拓海は力なく床に座り込んだ。

言葉にならない絶望感が襲う。

涼子は、二度と俺をこの屋敷からださないだろう。麻美も、多分涼子に脅されて行動してる。今は頼れない。どすうれば――。

その時、携帯が震えた。拓海はポケットから携帯電話をとりだした。メールが1件。もちろん拓弥からだった。焦る気持ちを抑えながら素早くメールを開いた。

『早く助けに来て。信じてるから。』

「拓弥・・・。」

思わず携帯を握り締める。思い出したかのように、GPSに繋いだ。数秒で画面に地図が現れた。そして中央に赤い星印がついている。これが、現在の拓弥の居場所だ。

拓海は、メールボックスに切り替えるとメールを返信しようとしたが、電池マークが2つから1つになるのに気付いた。確かGPSはかなり電池を消費すると説明書に書いてあった。急いで充電器を探したが、充電器を入れていたバッグはこの部屋にはなかった。拓海は迷った・・・。メールを送り返さないと。だけど、これ以上電池を使ったらいざという時にGPSが使えなくなってしまう。

拓海は携帯を折りたたむと、握り締めて必死に祈った。

「拓弥、待ってて。必ず俺が助けだしてやるから。それまで待っててくれ――」



拓弥は食い入るように携帯の画面を見つめていた。室内の気温はさっきより大分マシになったがまだ蒸し暑い。

『18時15分』

携帯の画面に表示されている。

窓のないこの部屋では、携帯電話だけが時間を知る唯一の手段だった。

急にドアが開き、一人の男が入ってきた。男は片手に持った茶碗を拓弥の前に置いた。そこには、水が入っていた。

「我慢できなくなったらいつでも言えよ。俺がすぐに田口さんに電話してやるから。」

男は意地悪そうに言うと、部屋を後にした。拓弥はその茶碗を見つめ手に取った。そして、お腹の空腹を紛らわそうと水を一気に飲み干した。



「しっかし、まさか拓海があんなへんぴな田舎町にいたとはねぇ。警察から連絡があった時は驚いたわ。警察に捜索願を出しておいてよかったわ。」

「はい。」

「このことはパパやママに知らせちゃダメよ。特にママはうるさいから。麻美は今、ママじゃなくて私の召使いなんだからね。」

「・・・はい。」

「顔に出しちゃダメよ。食事は他の子に運ばせるわ。別に麻美を疑ってるわけじゃないの。でも、辛いでしょ。前に好きだった人があんな風になっちゃってるの。それもこれも全部あのドブネスミのせいよ!」

「・・・はい。」

「あいつ、今頃どうなってるのかしらね(笑)」

「・・・はい。」

さっきから、適当な相槌を打つ麻美を怪訝そうに涼子は見つめた。

「ちょっと、ちゃんと聞いてるの?」

麻美は涼子の視線を感じて我にかえった。

「はい。ちゃんと聞いてます。」

ふ〜ん・・・。涼子は、何か疑う目で麻美を見つめる。涼子の口元が意地悪そうに笑う。

「今何考えてたのか言って見なさいよ。さぁ、早く。怒らないから。さぁ、白状しなさい。」

「な・・・なにも考えていません。」

麻美は思わず視線をそらした。それを見て涼子が確信したかのように笑う。

「拓海のことを考えてたんでしょう。いいのよ、考えるだけなら誰でも自由だから。だけどね、あいつみたいに私から拓海を奪おうとしてごらんなさい。ただじゃおかないわよ。麻美も、もちろん拓海もね♪」

麻美は全身に寒気が走り、足早に部屋を後にした。


涼子のあの微笑が忘れられず憂鬱な気持ちで廊下を歩いていると、遠くから自分を呼ぶ声がした。

「麻美さん大変です。拓海さんが――。」

それを聞くと麻美は急いで拓海の部屋に向った。

拓海の部屋に近づくにつれ、確かに見えてきた。そして、ドアの前に立つとそれははっきりとした。ドアが微弱ながらも振動している。

麻美は慌てて拓海に呼びかけた。

「何やってるの?」

部屋の中では拓海が必死にドアを蹴飛ばしていた。ドアは、以前いた時に比べてかなり頑丈に固定されていた。それでも拓海はかまわず蹴り続ける。一時でも早くここから出て、拓弥のところに行かないと。

「やめて!こんな所をもし涼子さんに見つかったら・・・。」

ドアの向こうから麻美の声が聞こえる。拓海はドアを蹴りながら話す。

「麻美、お願いだ。ここからだしてくれ。どうしても、どうしても行かなくちゃいけないんだ。」

扉の向こうから困惑した声が返ってくる。

「そんな・・・どうして。」

「頼む!ここから出してくれ!」

麻美は唇を噛み締めた。そして、呼びにきてくれた召使いに「何があっても開けないで。涼子さんにそう言われてるから。」と言い廊下を走り去った。



『7時30分』

携帯画面に表示されていた。監禁生活2日目だ。結局昨日は助けに来るどころか返信メールさえ来なかった。

「なんで?」

拓弥は空腹に襲われながらも、携帯を開いた。そして、拓海へとメールを送る。

「お願い拓海。せめて返信だけでもちょうだい。」

拓弥は空腹を我慢しながら送信ボタンを押した。



ヴーヴーヴー。

部屋にバイブの音が響く。

拓海は眼を覚ました。どうやら、ドアを蹴り続けた疲れで寝てしまったようだ。

新着メールを開くと拓弥からだった。

『早く助けに来て。拓海の顔が見たいよ。』

拓海は拓弥の顔を思い浮べた。

「俺も拓弥の顔が見たい。」

その時、突然扉が開いた。拓海は慌てて携帯をズボンのポケットに隠した。

「おはよう。拓海。」

涼子が笑顔で近づいてきた。手には御盆おぼんを持っていて、その上には食事がのせられていた。

「朝ごはん、持ってきてあげたわよ。」

「入ってこないでくれ!」

拓弥が怒鳴りつけた。

「ここは俺と拓弥の部屋だ。あんたなんかに入ってほしくない。」

しかし涼子はそれを無視してお盆を適当な所に置くと、拓海に近寄っていく。そして、優しく諭すように言う。

「ずいぶんな物言いね。主人に向ってその態度はどうかしらね。」

「お前なんかもう、主人でもなんでもない。俺はもうこの屋敷とは関係ないんだ!」

「あら、そう?だけどさっき、ここは俺と拓弥の部屋だって言ったわよね。てことは、本当は拓海はまだこの屋敷は自分の居場所だと思ってるんでしょ。」

「そんなことない!」

「そうかしら?拓海はこの部屋という戻ってこれる居場所があったから家出できたんでしょう。もし何かあってもここに戻ってこれるってね。家出少女と同じ考えね。いいじゃない。もう一度みんなで一緒に、ここで暮らしましょうよ。」

「そんなことない!俺は二度とここには戻ってこない。こんな所で暮らすのは真っ平ごめんだ。」

「拓弥も一緒にこの部屋で暮らしてもいいと言っても?」

「え?」

拓海は一瞬考えた。確かに、この屋敷で暮らすのは嫌だ。だけど、拓弥と一緒にいられるのなら――。

涼子はクスリと笑い拓海に背を向け、意地悪そうに言った。

「うそよ。」

拓海の心に素早く後悔がよぎる。

くそ。引っ掛けられた。もう絶対にここには戻らないと誓った。なのに、なのに・・・。

涼子は部屋をでようとすぐが、思うだしたように立ち止まった。

「それと、あの子にはもう会えないわよ。絶対に。ご愁傷様♪」

そう言ってドアを閉めた。

拓海は拳を握り締めた。ドアの向こうで、涼子のほくそ笑む顔が眼に浮かぶ。拓海はお盆を覗いた。味噌汁には、ふがいない自分の顔が映っている。

拓海は腕でそれを食器ごとぶちまけた。

「待ってろ拓弥。絶対に、絶対に助けるから。」



監禁生活3日目。

拓弥のお腹が絶え間なく鳴っている。

お腹が空いた・・・。

それしか頭に浮かばなくなってきた。

「拓海。」

拓弥は力なく呟いた。そして、携帯を開いて新着メールを問い合わせる。しかし、何回やっても何十回やっても結果は同じだ。

『新着メールはありません。』

不意に拓弥の頬を涙が伝う。

「どうして。なんでなんだよ!」

今度は心の底から怒りがこみ上げてきた。


『しょせん人間は、一人でしか生きられない。』


「だれ!?」

突然声がして拓弥は辺りを見回した。しかし、そこには誰もいない。

「もしかして、僕の声?」


『しょせん人間は、一人でしか生きられない。』


「やめてよ。」

拓弥は耳を塞いだ。

聞きたくない。やめて、やめて、やめて――


『しょせん人間は、一人でしか生きられない。』


しかし、どんなに耳を塞いでも聞こえてくる。外から聞こえてくるんじゃない。内側から聞えてくるんだ。

戻っていく。あの事の孤独だった自分に。どんどんどんどん戻っていく。誰もいない、僕を見つけてくれる存在が。一人ぼっちのかくれんぼ。誰かに見つけてほしくてたまらない。だけど結局誰からも見つけてもらえない。あの頃の僕に、あの頃の冷めた考えに戻っていく。せっかく拓海からいろいろ大切な事を教わったのに、その感情が今また色あせていくのを感じる。

「お願い拓海。早く僕を見つけてよ。」



居場所が分かっているのに、そこに駆けつけてやれない。これほどもどかしいことはない。

太陽はとっくに沈み、3日目の夜に突入した。

今日1日、ここから出る作戦を考えていたけど、とりあえず涼子を何とか出し抜くしかない。だけど、あの1枚も2枚も上手の涼子をうまく出し抜くことが出来るだろうか。

拓海が悩んでいると、ドアの外から声が聞こえてきた。

「拓海、夕食を食べてないって聞いたけど大丈夫?」

それは麻美の声だった。朝、昼、晩とまったく食事に手をつけなかった拓海を心配して、涼子の目を盗んで会いに来たのだ。

「ごめん、それどころじゃないんだ。」

拓海は言った。今の麻美は涼子によって支配されている。そう、俺と同じように。いくら頼んでも聞いてもらえない。

そう思った拓海だが、一応言って見ることにした。

「無理だと分かってる。だけど、ここから出してくれないか。お願いだ。」

ドアの向こうから声は返ってこなかった。拓海は諦めて、また頭の中で作戦を練る。

しばらくして、またドアの向こうから麻美の声が聞こえてきた。

「なんで?」

今度は少し涙ぐんでいるようだった。

「なんでこの屋敷から出て行ったの?」

麻美の声が虚しく拓海のいる部屋に響く。それは、とても悲しい声だった。

「あの頃は、確かに自由なんてないに等しかった。だけど、それでも平和だった。食べる物にも住む所にも困らなかった。あの頃、私は拓海を見てるだけで十分満足だった。なのに、なんで拓海は出て行ったの?」

「ごめん。なんの相談もなしに出て行ったのは謝るよ。だけど、仕方なかったんだ。このままじゃ――」

「拓弥君が可哀想だっていいたいの?確かに、拓弥君が太一郎さんに暴力を振るわれてた事実を知った時は可愛そうだと思ったよ。だけど、拓海には関係ないじゃない。」

「関係なくないよ。拓弥は大切な人だ・・・というよりも、俺にとって特別なやつなんだ。だから放ってはおけない。」

「だからって、拓海がこんな目にあうことない。わざわざ火の中に飛び込んでいくなんて。私がもし拓弥君だったらそんなことはさせない。自分お気持ちを我慢してでも、絶対に大切な人を危ない目に合わせたり巻き添えにはしないよ。」

拓海は黙り込んだ。そして、数秒してから口を開いた。

「拓弥も・・・俺に同じようなことを言ってた。『優しくしないで。優しくされても、僕はその優しさを返すことができないから』って。俺は別に優しさの見返りを求めてるわけじゃない。火の中に飛び込んだってかまわない。どんなに傷ついても、どんなに損をしても拓弥のためなら我慢できる。ただ、後悔だけはしたくないんだ。絶対に!」

麻美はそれを黙って聞いていた。

「だから、ここを開けてくれ!」

拓海はドアに向って懇願した。

「ごめん、拓海――」

ドアの向こうから麻美の返事が返ってきた。

「いま、ちょっとだけ涼子さんの気持ちが分かった。」

麻美はそう言うと、足早にドアの前から立ち去っていった。眼からはとめどなく涙が溢れ出ている。

「もう完全に拓海の心には拓弥君しかいないんだね。そんなの、涼子さんじゃなくても嫉妬するよ。『後悔だけは、したくない!』かぁ・・・。」

麻美は一人、呟くように言った。



「おい、入るぞ!」

男は言った。監禁生活は4日目に突入。

「おい、生きてるのか?」

男が水を片手に拓弥に話しかけた。

「な・・・んで、僕ばっかり。こ・・・んな、め・・・に。」

拓弥は力なく呟いた。

男は拓弥が生きている事を確認すると無言で水を置き、言った。

「もういいだろう。お前は十分耐えたよ。あとは俺が田口さんに連絡してやるから。なっ?」

拓弥は無言のままその男を見た。



おかしい!

拓海は携帯の画面を食い入るように見つめていた。昨日の夜から1時間おきの間隔で届いていた拓弥のメールが今日は1通も届いていない。

外はすでに暗黒の闇に包まれ、窓から入る月明りだけが拓海を照らしてくれる。

GPSモードにして見る。場所を移動している形跡はない。つまり拓弥がメールを打てない状況にあるわけじゃなく、拓弥がメールを打ってこないだけなのか。

拓海は何ともいえない胸騒ぎを覚えた。そして、メールを打つことを決意した。

『拓弥、大丈夫か。今から助けに行く。だから、もうすこし』

ピッ。という機械音とともに電池の最後に1つが消えるのが見えた。拓海は慌てて書きかけのメールの送信ボタンを押した。

『送信中』

と画面に表示された。拓海は祈る気持ちで画面を見つめた。

やけに時間がかかる。もしかして、送信されないんじゃないか・・・そう思ったとき『送信完了』と画面に表示された。

「よかった。」

拓海は心を落ち着かせた。だけど、すぐに緊張感を走らせる。

GPS機能は使えない。携帯を開いても、『電池不足です』と表示される。場所はだいたい覚えているが、どこからに書き記したい。

拓海が紙と鉛筆を探していると、鍵が開く音がした。

拓海はさっと身構えた。

ドアからは、麻美が入ってきた。

「麻美?」

拓弥が言った。麻美は無言のまま拓海の前に行くと、1本の鍵を取り出した。

「それってまさか。」

拓海が言うと、麻美は小さく頷いた。そして、首と足首についている鎖にその鍵を差し込んだ。

ガシャ、という音とともに拓海を縛っていた鎖はあっけなく外された。

拓海は麻美を見た。麻美は、ニッコリ微笑んで言う。

「涼子さんは寝てる。だから今のうちに行って。」

「・・・わかった。ありがとう。」

拓海は急いで部屋を出て行こうとしたが、ふと気付いたように振り向いて聞く。

「麻美。麻美も一緒に来るか?」

麻美は首を振った。

「私はいい。大丈夫だよ。この屋敷でもなんとかやっていける。私、こう見えても強いんだから。だから、行ってあげて。待ってると思うよ。」

拓海は思い出したかのように、自分の机の引き出しを開けた。

「これ。」

拓海は引き出しに入っていた小さな箱を3つ取り出した。それはキレイにラッピングされていた。

「これは?」

麻美が怪訝そうに聞く。

「明日、麻美の誕生日だろ。ちょっと早いけど。他の2つは渡せなかった年の分。麻美が・・・涼子さんにひどい目にあわされた年から渡すタイミングがなくて見つからないようずっとしまって持っていたんだ。」

「覚えててくれたんだ。」

麻美はそれを受け取ると、自分の胸に押し当てた。そして、満面の笑みを見せた。

「ありがとう。大事にする。」

「あぁ。」

拓海は麻美をみて思った。麻美の笑った顔を久しぶりに見た。もっとゆっくり見ていたい。

だけど、時間は限られている。拓海はもう一度麻美にお礼を言うと、部屋を出て行こうとした。

「頑張って。」

部屋を出る直前、麻美が言った。拓海は相づちを帰すことなく部屋を後にした。

拓弥と拓海の部屋に、麻美が一人座っている。麻美はたった今、拓海からもらった誕生日プレゼントの一つを開けてみた。そこには、シルバーの指輪が入っていた。麻美は、頬の緩む顔でそれを薬指に通した。

月の光で、銀色に光る指輪。それを嬉しそうに眺めた。

しかし、悪魔はそんな麻美を冷たく見つめていた。

バタン!

急にドアが閉まる音が聞こえ麻美は顔を上げた。ドアが完全に締め切っている。

麻美の心に不安がよぎる。

急いでドアに近づいて押してみる。しかし、ドアはビクリともしない。

「嘘でしょ。」

何度も押したり引いたりするが、ドアは頑として動かない。

そんな中、麻美はまたある異変に気づいた。

なんだか、水が流れる音がする。

麻美がふと下を見てみると、ドアの下の隙間から液体が流れ込んできている。それはゆっくりゆっくり部屋に浸透してゆく。と、次の瞬間その液体が急に眩いばかりの赤色に燃え上がった。

「きゃあ!」

麻美は思わず退いた。炎は、ドアを中心に部屋を囲うように燃え広がっていく。

「やだ。」

麻美は急いでドアの前まで行くと、体の下で燃え上がる炎に注意しながらドアをなんとか押し開けようとする。

「だけか、誰か助けて。」

ドアを叩いて叫ぶが誰の応答がない。

「誰か。だれかぁー。」

炎はゆっくり、しかし確実に部屋を飲み込んでいく。

「お願い、だれか。助けて、拓海。拓海!」

次の瞬間、いきなりドアが開いた・・・と同時に麻美は床に押し倒される。

「あんたなんかが気安く拓海って呼ぶんじゃないわよ。」

麻美は愕然とした。麻美の上に乗っているのは涼子だった。ドアを閉めたのも、部屋に火をつけたのも全て。

涼子は、麻美を床に押さえつけながら辺りを見回した。そして、さっき麻美が拓海からもらった小箱に目をつけた。

「触らないで!」

そう懇願する麻美の声を無視し、涼子はそれを拾うと中身を見た。2つの箱の中にはそれぞれ銀色のブローチとネックレスが入っていた。涼子はそれを手に取り、そして麻美を見据えていった。

「あんたが拓海からこんな物をもらうなんて100年早いわ。」

「やめてぇ!!!」

そう叫ぶ麻美を無視し、涼子はそれを炎の中に投げ捨てた。2つのプレゼントは、炎の中で異様な輝きを発している。

「きゃはははは」

涼子の高笑いが響く。

聞きたくない。麻美は耳の塞ごうとするが、手が押さえつけられている。自然と目から涙がこぼれ落ちた。

涼子は、麻美の指を見た。

「それもよこしなさい。」

涼子は、強引に麻美の指輪を外そうとする。

「いやぁ!」

麻美はあらん限りの力で涼子を突き飛ばした。

火が徐々に部屋全体を飲み込んでいく。

煙が部屋を包み込んでいく。

ちっ、涼子は毒づいて出口のドアに駆け出した。しかし、それより先に麻美が出口の前に立った。そして両手を広げた。

「邪魔よ!」

涼子が怒鳴った。しかし、麻美は頑として動こうとしない。

「今すぐどきなさい。これは命令よ!さぁ、早く。」

麻美は首を振った。

「それはできません。今ここを通したら、涼子さんは拓海を追いかけて連れ戻します。拓海の邪魔はさせない。」

涼子は鼻で笑った。そして、冷ややかなまなざしで麻美を刺すように見た。

「あんたに何が出来るっていうの?だいたい、あんただってついさっきまで私に怯え従ってたじゃない。私に恐れをなしてただ頭を下げ続けていた。そんなあんたが何をしようと無駄なのよ。諦めなさい。私には勝てないわ。さっさと逃げ出しなさいよ、この弱虫!」

涼子が怒鳴った。しかし、麻美は強いまなざしで涼子を見返した。

「確かに私は弱い。それは、この屋敷に来る以前から同じ。嫌なことには逃げて、強い人の言いなりになって、そして傷つくのがいやでいつも本当の自分の感情を押し殺していた。・・・ずっと弱い人間だった。だけど今は違う。今でもまだまだ弱い人間だけど、だけど拓海の前では強い人間になれる。

拓海が私を強くしてくれる。だから私は、そんな拓海を守りたい!」

麻美は薬指で輝く銀色の指輪を一瞥した。

「拓海の邪魔は絶対にさせない!」

その勢いに涼子は思わずたじろいだ。

数秒の沈黙を破って涼子が言う。

「だったら、こっちだって考えがあるわ。」

そう言ってポケットから果物ナイフを取り出した。刃先を取り出すと、炎に照らされ銀色に光り輝いた。麻美の指輪もまた、薬指の中で銀色に煌く。

涼子は無言のままそのナイフを手に麻美に突進してきた。麻美は涼子の手首をつかみ必死に反抗する。

涼子が力を入れた瞬間、麻美はひねり部屋の中央の床に倒れた。顔にはナイフのかすり傷が。

「痛い?」

涼子がせせら笑った。ナイフが銀色から赤色に染まった。

涼子はそのままナイフを振りかざした。・・・が、麻美の指輪のまぶしさに一瞬、目を細めた。麻美は素早く涼子の手にしがみつきナイフを叩き落とした。

涼子の顔が紅潮しているのがわかった。涼子は今までにないくらい強引な力で麻美を床に押し倒すと、全体重をかけて麻美の首を締め上げる。

「あぁ・・・あぅぅ。」

麻美が涼子の腕を叩く。しかし、涼子の力はまったく緩まない。

麻美の意識がだんだんと遠のいていく。

「これで最後よ。」

涼子が言ったその時、後ろからけたたましい音が響いた。

驚いて後ろを振り返ると、出口上の天井が炎に焼かれて落下している。

「嘘でしょ。」

残骸はドアの前で燃え上がり、出口を完全に塞いでいた。涼子は慌てて出口に駆け寄るが、火は轟々と上がっている。

「待って。そんな・・・。」

炎は完全に部屋全体を囲み、拓弥のベッドや拓海の机を燃やしていく。

「ちょっと、やめてよ。」

涼子は窓に駆け寄った。しかし、鉄格子は熱く熱されて触れる事すらできない。

「うそ、で・・しょ?」

涼子は絶望の表情で部屋の中央に立ち尽くした。

次の瞬間、涼子はあらん限りの声で叫びだした。

「誰か。誰か!パパ、ママ、黒谷、まーくん!誰かぁ〜。」

そんな涼子を尻目に麻美は銀色の指輪を指からはずすと、両手で握り締めて目を閉じた。

涼子はそんな麻美に気付くと、嫌悪感をこめながら言った。

「やめてよ。そんなことするの。縁起でもない。そんなことしてないで早く手伝ってよ。」

「私は今、幸せだよ。」

ふいに麻美が呟いた。静かに、澄んだ声で落ち着いて言う。

「涼子さんには分からないでしょうね。生まれたその時からなに不自由なく好きなものを与えてもらった。我慢することなく育ってきた。幸せをいっぱい与えてもらってきた。

だけど、涼子さん。私はずっと我慢してきた。ずっとずっと。そのおかげで今、いままでで1番素敵な幸せを手にする事ができた。例えそれが涼子さんにとって当たり前のことでも、私には何よりも幸せ。」

麻美はそう言うともう一度強く指輪を握り締めた。

「人は我慢をした分だけ幸せになれる。今までの我慢は無駄じゃなかったんだね・・・拓海。」

そう言うと麻美は涼子を見て微笑んだ。屈託のない、真っ直ぐな笑顔。

「あは・・・・あは・・・あははははは。」

涼子は壊れたかのように笑い出した。目からは涙がこぼれている。

「負け惜しみ言っちゃって。結局、あんたは拓海の1番になれなかったのよ?私達は拓海に捨てられたのよ!」

麻美はニッコリ微笑んだ。

「それでもいいわ。金メダル・金賞なんていう1位よりも、銀メダルの2位でいいの。たとえ永遠に1位になれなくても私の拓海への思いは変わらないから。それだけで十分よ。」

涼子はもはや聞いていなかった。狂ったように笑い、そして涙を流す。

「いやだ・・・。なんで私ばっかりこんな目に会わなきゃならないのよぉ!!!」

涼子の叫び声が、暗闇の中で響いて・・・消えた。



田口はドアを開けた。

「おぃ、迎えにきたで。」

田口は男に鍵を渡した。男は鍵を受け取ると拓弥の足かせをはずした。

「悪いな、逃げんように手錠だけは付けていてもらうよ。」

男が拓弥に言った。

「本当にいいんやろな。決心はついたんか。」

拓弥は軽く頷き、立ち上がった。

「ほな、行くで。」

田口は歩き出した。

それを追うように男も歩き出そうとするが、拓弥はその場でたたずんでいる。

「おい、どうしたんだよ。」

男が拓弥に怪訝そうに聞く。


―ねぇ、拓海。希望っていうのは、あったらあったで辛いんだね。最後に拓海に教えてもらったよ。


「僕は一人だ。もう誰も信じない。」

そう呟くと拓弥は携帯を地面に落とした。そして、力強く足で踏み潰した。

田口の後を追うように歩き出した。壊れた携帯を見ながら呆然としていた男も、つられて歩き出す。


もう、少しの希望も残したくない。



9【もう一人の独りの自分】


涙なんていらないのに。

愛なんていらないのに。

言葉なんていらない。

もう何も信じたくない。だけど、信じたい。


「なんや、泣いとるんか?」

隣に座る田口が言った。


いつもこうだ。辛いことや苦しいことから逃げて。だけど、結局最後には泣いているんだ。

心はどんなに殺しても、体は正直だ。涙が溢れてしょうがない。だけど、今の僕にはこの涙を救えない。


拓弥は服の袖で涙を拭った。


だけだ。今の僕に泣く資格なんかない。これは誰の責任でもない。僕自身の責任だ。だから、だから――

その時、微かに・・・だけどはっきり聞えた。僕のずっと求めていた声。

目を閉じるともっとはっきり聞える。そして、目を開くと光とともにバックミラーには拓海の姿が写っていた。


「どうなっとるんじゃ。」

拓弥の隣に座る田口が、運転席の礼二(れいじ)言った。礼二は車を運転しながら口ごもった。

「実は、そのガキを連れて車に乗り込もうとした時、ちょうどあいつが現れたんです。たぶん、そのガキが言ってた友達だと思います。」

「なんで早くし知らせんかったんや!」

田口が怒鳴った。

「まさかここまでついてくるとは・・・。」

礼二が口ごもりながら言った。

拓海は、車の後を自転車に乗って必死に追いかけてくる。

拓弥は、そんな拓海から目を離せないでいた。

「止めろ。」

急に田口が言った。キーーという甲高い音と共に拓弥の乗った車は急停車した。

「礼二、お前はこのガキを見張っとれ。絶対に逃がすなよ。ワシはちょっとあのガキを始末してくるわ。」

いつの間にか田口は黒い拳銃を持っていた。

拓弥は驚いて田口にしがみついた。

「邪魔や!」

田口は拓弥を突き飛ばすと車をゆっくり降りた。

拓海は流れ出る汗を手でゆぐいながら降りてきた田口を見つめた。

「久しぶりやな。あん時は、あんたんとこのグラサンにヒドイ目合わされたわ。」

田口が辺りを見回した。

「今日は、あのグラサンはおらんようやな。」

田口は右手を後ろに隠しながら言う。

「拓弥を返せ。」

拓海は自転車から降りると静かに言った。

「拓弥を返せ。」

もう1度繰り返し、そしてナイフを目の前に突き出した。

田口はナイフを見つめ鼻で笑った。

「それは無理な相談なや。」

背中に隠していた拳銃を前に出した。その銃口は、拓海の心臓に向いていた。


それを見ていた拓弥が慌てて車から降りようとするが、ドアが開かない。前を見ると、礼二がロックをかけていた。拓弥は車の後ろガラスに張り付き2人を見つめた。

「やめて。」


バン、という発砲音が早朝の河川敷に鳴り響く。隠れる所はなにもなく、ただ平原が広がっている。拓海はさっと身をそらした。そして、勢いよく田口に向っていった。腹の前には朝日で銀色に輝くナイフを両手でしっかりと持って。

「ちっ。」

舌打ちと共に田口はナイフをさっと避けた。しゅんという音と共に田口の頬から血が流れる。

田口は拳銃を思いっきり握り締め拓海の頬を殴った。拓海は勢いよく地面に飛ばされた。

「しまいや。」

そい言って田口が拳銃を構える・・・が、拓海は素早く起き上がり田口目掛けてナイフを振りかざす。

短い発砲音が鳴り響いた。それと共に拓海の足から血が噴出した。


「やめてよ。」

なおも立ち上がり田口に食いかかる拓海を見て拓弥は呟いた。

「僕の大切な人を傷つけないで。」

拓弥の頭に、体に、手に、足に熱い熱がほとばしる。

「やだ。見たくない。こんなことなならいっそ、大切な人なんていなくていい。」

田口と拓海は、なおも激しい攻防を繰り広げている。

拓弥はそっと目を閉じた。そこには喜びも、怒りも、辛さも、悲しみもない世界が広がる。

「・・・もう、なにもかも忘れたい。」


「バン。」

短い発砲音がまた鳴り響いた。拓海はギリギリでそれを避けた。

「あんさんも粘るなぁ。」

田口が頬から流れる血を気にしながら言った。

「なんでそこまで他人のために動けるんか、ワシには理解できひんわ。」

田口は拳銃の弾がきれたことに気付き拓海から距離を置いた。

拓海は自分の服を破ると、血が流れる足に縛り付けた。そしてナイフを持つと田口を見据えた。

「拓弥は誰にも渡さない。俺が守る。」

拓海はもう1度、ナイフを強く握り締めた。

これで最後だ。この壁さえ乗り越えれば、あとは幸せが待ってる。もう少し、もう少しでゴールにたどり着けるから。

弾をつめ終えた田口が拳銃をかまえた。

「あんさんはようやった。だから、あの世でいっぱい楽しい思いしいや。さいなら。」

バン。

短い発砲音。それと同時に拓海は横に羽飛び体を伏せた。そして顔を上げて――。

次の瞬間、田口がうつ伏せに倒れた。

拓海は何が起きたのかわからず、ただ呆然としていた。

次第に田口の脇腹から血が(にじ)みでてくる。

拓海がただただそれを見つめていると、車のドアが開く音がした。そこには、拓弥が立っていた。

「拓弥?」

その手には拳銃が握られている。

「もしかして・・・」

拓海は慌てて拓弥の元に駆けつけた。

車の中を見ると、運転席でも1人の男がグッタリとして動いていない。

「拓弥!」

拓海は拓弥から拳銃を取り上げると、地面に投げ捨てた。そして、拓弥の肩を掴んだ。

「拓弥大丈夫か?それより、銃を打ったのはお前なのか?」

拓弥は静かに首を立てに振った。

「もしかして、俺を助けようとして?」

拓海が恐る恐る聞いた。拓海の問いかけに、今度は首を横に振った。そして、ゆっくりと微笑んだ。

次の瞬間、拓海の体に激痛が走った。視界がぼやけ、自由がきかなくなった。そしてそのまま地面に倒れこんだ。

何が起こったかわからずただ頭の中が真っ白になる。そっと自分の体を触ってみた。すると、腹にナイフが突き刺さっていた。

拓海は恐る恐る自分のポケットに手を当てた。さっきまであったナイフがなくなっている。今、自分の体に刺さっているのは紛れもなく自分のナイフだった。

拓海は顔を上げた。

拓弥はじっとこちらを見下ろしている。

拓海は恐る恐る口を開いた。

「お前は誰だ?」

「ボク?ボクは拓弥だよ。」

確かに顔、体、どこをどうみても拓弥だった。だけど、もし人にオーラがあるのなら、いつも感じる拓弥のオーラではなかった。

「ウソだ。」

「本当ですよ。」

拓弥は意味深に微笑んだ。

「ただし、ボクは拓弥であって拓弥ではない。もう一人の拓弥ですけどね。」

「もう一人の・・・拓弥?」

「そうです。僕を作った拓弥・・・僕の(あるじ)は今、深い深い所で眠っています。誰にも邪魔されることなく一人で。

今の主が何を考えているか教えてあげましょうか。

『何もかも忘れたい。』

この意味が分かるかい?つまり自分がクラスメイトを刺したことも、田口に拉致された事も、そしてなにより拓海の全てを後悔している。拓海と出会わなければよかったと思っているのです。」

拓海は懸命に歯を食いしばった。ナイフで刺された所がズキズキ痛む。クラクラする頭を働かせて拓弥・・・もう一人の拓弥が言っている事を理解しようとする。

次第に雲行きが怪しくなり、あたり一面厚い雲に覆われた。

拓弥は空を見上げてた。

「一雨きそうですね。」

そう呟くと、さっき拓海が投げ捨てた拳銃を静かに拾い上げさまざまな角度からから見回す。やがて拓弥は手の動きを止め、拓海を見据えた。もちろん、拳銃も一緒に拓海の顔を一進に見据える。

「そろそろさよならです。ボクの主の為に消えてください。」

体が凍りついた。足も腕も体も、目玉でさえも硬直している。しかし心の中は熱く燃えていた。拓弥は、俺と出会ったこと全てを後悔している。そう思うと涙が流れてくる。だけど今は泣いている場合じゃない。それより先にやらなければならいないことがある。

拓海は歯を食いしばりあらん限りの力を振り絞った。一瞬でいい、一瞬でいいから動いてくれ。そう願った。そして、冷たく見据える拓弥に飛び掛った。

バン。今日だけで何回目かの発砲音が鳴り響いた。と同時に、拓海は拓弥を押し倒した。

銃弾は拓海の頭上を追い越し空に向かっていった。

地面に倒れた衝撃で脇腹に今世紀最大の痛みが襲った。目が眩む。頭が割れそうなくらいの激痛が。だけど倒れるのはまだ早い。

拓海は右拳を思いっきり握り締め、拓海の頬を思いっきり殴った。

「目を覚ませ!」

その呼びかけに拓弥は無表情のまま拓海を睨みつけた。

「拓弥、お前はまた一人に戻りたいのか。恐い、寂しいって言ってた一人に戻りたいのか?それじゃあいつまでたっても変われないよ。」

「うるさいですね。うるさい、うるさい!主に逆らうやつらは全員消えればいい。貴方(あなた)や、さっき二人。それに主をいじめるやつら。全員消えればいい。」

「待てよ。」

拓海は息をのんだ。

「もしかして、拓弥のクラスメイトを刺したのもお前か。」

拓海の問いかけにもうもう一人拓弥は笑った。

「そうですよ。あれはボクがやったんだ。

聞えたんですよ。主の声が。助けて、助けてってね。だからボクが代わりがやってあげたです。

別にいいでしょ。どうせあんなやつら、生きててもしょうがない。悪いのはイジメなんかするあいつらです。田口たちだって同じだよ。不法な取引をして、こんなクズたちを刺して何が悪――」

「ばかやろう。」

そう言って今度は左手で頬を思いっきり殴った。

「さっきの分は拓海へ。そして今のはお前の分だ。」

拓海は息がきれる中、必死に声を絞り出した。

「確かに自分と折り合いが付かない、そういうやつはいるよ。どうしようもない悪人だっている。だけど、お前はそいつらを片っ端から消してくつもりなのかよ!そんなやつら世の中に出ればいくらでもいる。問題は、そいつらから逃げ出さないこと。

俺、後悔してる。あの時、逃げ出さずきちんと太一郎と向き合っていればこんな事にはならなかったから。

だから、拓弥も逃げないで言いたいことがあるならはっきり言えよ。自分の気持ちを叫んでみろよ。

いくら神様にお願いした所で、結局最後は直接本人に叫ばないと何も伝わらないんだよ!」

すると、拓弥の瞳から涙が零れ落ちた。

「戻って来い!」

拓海の呼びかけに、拓弥が目を覚ます。

「拓海・・・」

拓弥の瞳から涙が溢れ出す。

「俺、大切な人を作るのが恐かったんだ。その人がもしいなくなったら・・・そう考えると――」

「俺はどこにもいかないよ。」

拓海は優しくささやいた。

その時、空から大量の雨粒が降ってきた。

拓弥の腹からは血が流れ出て止まらない。

それを見て拓弥は震えながら言った。

「でも・・・もう無理だよ。」

「何言ってるんだよ。」

拓海が言う。そんな拓海を悲しげな表情で見つめた。

「だって、血が・・・。血がでてる。僕がやったんだ。僕がっ、僕がっ。」

その時、拓海が拓弥を抱き寄せた。

「どう?俺の心臓、まだこんなに鼓動が早い。本当は田口と戦ってる時、ずっと恐かった。

体だって、こんなに温かいよ。拓弥の体が温かいように、俺の体も温かいでしょ。

涙だってちゃんと流れてる。拓弥が無事でよかったって心から思ってるから。」

拓海は

拓弥は

互いに顔を上げた。

「ねっ。俺は生きてる。だから心配しないで。安心して。ちゃんと、拓弥の前にいるから。」

拓海が微笑む。しかし、まだ拓弥には不安が浮かぶ。

「でも、もしかしたら数年、数十年会えなくなるかもしれない。そんなの、我慢できない。辛いよ。」

そんな拓弥の手を握り締め拓海は言った。

「人生は長い。1度や2度の失敗や挫折で諦めるな。

当たって砕けてまた当たれ!

生きてさえいれば何回でもチャレンジできる。遅すぎることなんて何もないし、過ちだって修正できる。

世の中は俺らがいなくても周っていくけど、何も変わることはない。」

雨が二人を包む。雨の音が重なり、拓弥と拓海の声しか聞こえない。二人だけの世界――。

「自分だけが辛いだなんて思うな。みんな、何かしらの重りを背負って生きている。だけど、ちょっとの発想の転換でいいんだ。それさえ出来れば重りが想いに変わるから。

だから――」

拓海は拓弥を見つめ、はっきりと言う。

「もう、大丈夫だよ。」

拓弥の胸が熱くなる。

『大丈夫』。そういってくれる人が、今僕の目の前にいる。



ずっと求めていた言葉が、拓弥に生きる勇気をくれる。



「幸せになりたい。」

二人は薄れゆく意識の中でそう願ったのだった。


エピローグ【〜雨の中の二人〜】


「走ると危ないぞ。」

拓海が言った。

「大丈夫だって。・・・ぎゃっ!」

拓弥が滑った。

「ほら言っただろ。雨だから滑りやすいの。」

拓海が言った。

「せっかく買った服がビショビショだ。もう、雨なんて大嫌い。」

拓弥が怒った。

「ははっ(笑)」

拓海が笑った。

「だけど、実は好きなんだよね。」

拓弥が言った。

「そうなの?」

拓海が聞いた。

「うん。確かに嫌な思い出もあるけど、だけどいい思いでもあるもん。何より、拓海と出会わせてくれたし。」

拓弥が言った。

「実は俺も、雨は好きだな。」

拓海が言った。

「ねぇねぇ、キスしない?」

唐突に拓弥が言った。

「ダメだよ。みんな見てる。」

拓海が言った。

「大丈夫。今日は雨だから、みんな傘をさして足元ばっかり見てるから。」

拓弥が言った。

「・・・・しょうがないな。」

拓海が照れくさそうに言った。

そして、二人は唇を重ねた。


雨はいつでもそうだ。僕の敵でもあり、また味方でもある。


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