霊界人
呆然と男が膝を折っている。自分の状況が飲みこめず、思考が回らないようだ。ぼんやりと虚空を見つめている。
「オレは一体…?」
自分の両手を見つめながら狼狽する。静かに片手で顔を覆う。精神的に脆くなっている様だった。
「?」
突如、轟音のようなものが響きわたる。男は顔をあげる。辺りを見渡すが、特に変わった様子は見受けられない。ただ森の中に男がいる。それだけだった。しかし、音は段々と大きくなってくる。
「どおおおおけぇ!」
突然、女が出現した。それもバイクに乗っている。女はバイクの運転に慣れていないのか、顔が真っ青だ。女の乗っているバイクの色は黒。男は見覚えのあるそのバイクに顔を顰める。しかし、それも一瞬。なぜなら、女がバイクごとこちらに向かってきてるからだ。
「あっ! それ、オレのバイ」
男は言葉を最後まで発せなかった。男の顔面にバイクのタイヤがめり込んだからだ。つまり、轢かれた。男の意識は暗転した。
顔に何か冷たいものがかかる感覚で目が覚める。瞼を開いても、視界は薄暗い。それは自分がいる場所のせいでもあった。オレがいるのは薄気味悪い森。異様に木の数が多い。
「ああ、起きましたか? というか、生きていましたか?」
逆さまの状態になっているバイクに座っている女が見下してくる。というか、そんな状態でよくバランスが保っていられると変に感心してしまう。
「…? 誰だ、アンタ?」
「はぁ? そんなこと気にしますか」
女は呆れたように、頬杖をつく。馬鹿にしたような視線をオレに寄越す。その視線に思わず苛立つ。
「なんだよ!! 何様のつもりだ!?」
声を荒らげる。どうにも腹が立って仕方がない。この女の表情も態度も。自分がなんでも知ってるかのような態度が気に食わない。
「……」
女は冷淡な目つきでこちらを見遣る。さっきのように腹は立たなかった。代わりに恐れのようなものを覚える。体を動かそうにもどうにもならなかった。自分の物じゃないように動かない。
「…まぁ、落ち着け。こんな矮小な小僧に気を取られるな」
掠れた低い声が響く。声音からして男のようだ。でも、ここには自分と目の前にいる女以外には誰もいない。不思議に思って、辺りを見渡すが、やっぱり誰もいない。
「そんなところに愚生はいない。貴様の目の前にいるだろう」
そう言われ、素直に目の前を見るが女しかいない。女をよく見ると、袴と呼ばれる衣服を着ていた。今時珍しいな…。でも、合わせが左前になっている。これじゃあ、死装束だな…。
「ん? お面?」
女の頭に白いお面があるのに気付く。凝視していると、目が合ったような気がした。奇妙なデザインのお面だ。人の顔がデザインだが、目は閉じているし、表情がない。それに、何故か憂いをおびたような顔だ。
「愚生の顔に何かついているかな?」
「ん?」
今、お面の口が動いたような。というか、喋ったような。え?はぁ? 事態が飲みこめず呆けてしまう。
「貴方、頭悪いでしょう?」
冷眼な目つきがオレを射抜く。いや、こんなの信じ難いだろ、普通。ありえないだろ。
「自分の目を信じられないなら、貴方は何を信じられるのですか?」
自分を信じられない貴方はいったい何を信じているのですか、と女の台詞は続いた。相変わらず、バイクの上でこちらを見下ろしながら女は言った。
「私に名はありません。あえて言うなら、霊界人…とでも名乗っておきましょうか。で、こちらのお面は十三。貴方は?」
鋭い目つきで、そう尋ねてくる。気付けば、勝手に口が動いていた。
「前島龍…。二十五歳で、す…」
名乗ったというか、名乗らされたというべきか微妙だった。それでも女――霊界人は満足げに目を細めた。
「そう、前島龍ですか。でも、年齢のところは少し違いますけどね」
独り言のように呟くので、首を傾げた。霊界人は特に何も言わなかった。
「前島龍。悪いですが、貴方には手伝っていただきます」
霊界人は言いながら立ち上がった。そして、バイクの上から降りた。その拍子にバイクは地面に伏した。
「手伝うってなにを?」
そう尋ねると女はオレの前で急に止まった。さっきと違いオレを見上げる形でこちらをじっと見てくる。呆れているように見えるのは気のせいか。
「ひだる神の元まで私を連れていけばいい。わかりました?」
首を回転させたいくらい、理解できなかった。霊界人はさっさと目の前を通り過ぎて行くので追いかけるしかなかった。
「ひだる神。人間に空腹感をもたらす憑き物で、行逢神または餓鬼憑きの一種。これに憑かれると激しい空腹感、飢餓感、疲労を覚え、手足が痺れて動けなくなり、ひどい時には死にます。ひだる神に憑かれる場所は大抵決まっています。山道、峠、四辻、行き倒れのあった場所など。ちなみにひだる神は元人間です。餓死者や変死者が怨霊となり、自分と同じような目に合わせようとするのです。つまり、ひだる神は増加し続けるものです。理解しました?」
早口で教えられても、頭は追いつかない。置いていかれている感がすごい。どうせ聞いても、無言の威圧を受けるだけだと思う。
「別に放っておいてもいいのですけど、最近、派手にやらかしているみたいなので、灸を据えにきたわけです」
「…ああ、それでオレのバイクか」
今は亡き、自分のバイクを思い出し、悲しくなった。勝手に乗られて破壊されたんだよな…。あと一回くらい乗りたかった…。それにしても、霊界人が乗ってたオレのバイク、異様に傷だらけじゃなかったか?気のせいだろうか。
「壊れる前に乗りたかった…」
愚痴をこぼすように言うと、霊界人は哀れんだような目でオレを見る。
「もう貴方には無理です」
「?」
なにが、とは思ったが口にはしなかった。何故か聞いてはいけないような不思議な感覚に襲われた。
「それにしても、貴方はバイクがお好きなようですね」
「ん、ああ! イケメンのオレにぴったりだろ!!」
「恐らく、自称がつくでしょうね」
含み笑いをする霊界人。あまりにも、はっきりと言われて、言い返せなかった。少なくともショックを受けている自分がいた。
「さて、そろそろですかね」
霊界人は静かに言った。その顔には、特になんの感情も見受けられなかった。何が起こるかわからない。ただ恐怖を感じるしかなかった。
「というか、ここまでオレの案内でよかったのかよ?」
そうなのだ。あの後、オレの好きなように歩けと言われ、適当に歩いた。大丈夫なのか?コレ、と思いながら。
「いいんですよ、貴方でなければ見つけられません」
タイミングよく言われるので、唖然としてしまう。今の自分の顔は間抜けだと思う。
「読心術でも使えんの?」
「貴方が分かり易いだけです」
無表情でそう言われる。腹は立つが言い返す言葉が見つからない。何も言えないまま、口を噤む。
「…きましたよ」
そう言われ、霊界人が見ている方向を追うように見る。そこにはよく分からない光景があった。ひだる神だと思うものが十五体くらいいる。そいつらは円形を作り、五、六人の子供を包囲している。
「なんだ? コレ」
思わず出た言葉。ひだる神と呼ばれるそれはみすぼらしい格好をしている。顔は頭巾で見えない。着物からのぞく腕はか細いもので、見るに耐えない。
「ひだる神が憑こうとしている瞬間ですね」
霊界人は冷静に言うと、袖口をあさりだす。あまりにも静かに言うので、信じられなくなる。
「はぁ!? だったら! はやく助けないと!!」
「助けますよ。大声出さないでください」
袖から手を抜き、右手には十五枚ほどの御札を持っている。御札には何か文字が書かれているが、オレには解読できない。
「弱小妖怪ですからね。この程度で十分です」
そう言って、御札を放つ。それらは引き寄せられるようにひだる神の額へと貼り付く。その瞬間、ひだる神から青い炎のようなものが沸き上がる。そうかと思ったら、静かに消えていった。
「なんだ…?」
「だから言ったでしょう。弱小だって」
霊界人は早足で子供に近付く。子供達は全員、気絶しているようだ。霊界人は子供たちの額に手を置き、なにかを呟いている。茂みから出て、霊界人に近付く。
「なにやってんだ?」
「記憶抹消中」
なんでもないように言うので、本当に理解が追いつかない。ここまで適当な奴もいないだろうな。ムカつく。
「さて、と…もういいでしょう? 心残りはないはずです」
突然、告げられたことに首を傾げる。何を言ってるんだ?こいつ。しかし、霊界人の表情は真剣そのものだった。額に手をやり、熟考する。言葉の意味を。
「ああ、そうか…そういうことか」
額から手を離し、ぼんやりと虚空を見つめる。見出してしまった答えに目眩を覚える。しかし、単純な答えに納得している自分もいる。
「オレは死んだのか…」
声に出したことにより、更にその事実を受け止めることになる。
そうだよなぁ。だって、オレのバイクはあんなにボロボロじゃなかった。あれってオレがカーブを曲がりきれず、落ちた時にできた傷だよなぁ。しかも、その後、ひだる神に憑かれて死んだんだよなぁ。むなしいなぁ。
「はい、死んでいます。しかし、貴方の魂はひだる神にならなかった。貴方は死ぬ間際、これ以上、ひだる神によって人が死なないように願って死んだのです。その思いが強く、貴方は残ってしまった。だから、貴方はひだる神を見つけられる。そこを利用させてもらいました。ご協力感謝します」
言い終えると霊界人は頭を下げた。
驚いて思わず固まってしまった。やたらと態度がでかかった霊界人が初めてみせた下手かもしれない。そんな霊界人になんと言えばいいのかわからず、押し黙ってしまう。
霊界人は頭をあげて、後ろを指さした。その表情は穏やかだ。
「お迎えですよ」
煌々とした光がぱらぱらと降ってくる。すると、光は一つに集まって、箸の形へと変化した。橋の先はどこに繋がっているのかはわからない。
「これであの世に逝けますよ」
柔らかい笑みを浮かべる霊界人に鳥肌が立つ。こればっかりは本当にどうしようもない。条件反射だと思う。
橋に足をかけて、霊界人の方を向く。
「まぁ…色々とありがとな。これで成仏できるし…」
なんだか照れくさくなって、視線を逸らす。
「礼には及びません。それと早くしないと橋が消えますよ?」
穏やかな物言いに焦る。成仏できねぇ!
駆けるように橋を渡っていく。橋の中盤辺りでもう一度、振り返る。
「じゃあな!!」
今度こそ、オレは振り返ることはなかった。だから、霊界人が薄暗い笑みを浮かべていることに気付かなかった。
「ええ、またあとで」
その声はオレに届くことはなかった。
「ふざけんな」
オレの不機嫌丸出しの声が響く。しかし、霊界人はにんまり笑うだけだった。腹が立つ。確実に嵌められた。
「光栄でしょう?」
そう言われて、頭の血管が切れると思った。切れたら死ぬか。
「残念ですが、死んでいるのでもう死にませんよ」
「うるさい、黙れ」
心を読むな。ムカつく。
結局、あの後にあの世に来たら、天国に行くでもなく別室に連れて行かれた。部屋のプレートには少輔と書かれていた。しばらく部屋に放置されていたら、霊界人が来た。
「ここどこなんだよ!?」
食いかかると、霊界人は気にせず胡座をかいた。面倒そうにこちらを見ている。
「ここは私の仕事部屋です。少輔とは私の役職です」
そう言って、袖口から一枚の紙を取り出す。そして、それを俺の目の前に差し出す。とりあえず、その紙に目を通す。
「前島龍を正式に少輔霊界人の部下と任命する…」
読み上げた内容に驚く。取り上げるように紙を奪う。そして、食い入るように読み直す。そんなことしたって内容は変わらないが、やらずにはいられない。
数十分経ったところで、先程の一言を発した。
「ふざけんな」
霊界人は意地悪い笑みを浮かべるだけだった。絶望的な状況に泣きそうになる。受け入れ難い事実だ。
「これからよろしくお願いしますね、龍」
いい笑顔でそう言われて、沸々と怒りが生まれる。
そして、オレは決めた。
いつか、こいつを殴ろう、と。
オレの苦労だらけの第二の人生が幕上げされた。
End.
この話に続きはございませんw