二人きりの時間
彼は門を開け、家の敷地の中に入っていく。わたしは辺りを見渡しながら、門を通った。
その動きがぎこちないものになっていたのには自覚があった。
顔をあげると、笑いをかみ殺したような表情を浮かべている宮野君と目が合う。
「不審者みたいだな」
「そんなことないです」
とは思うが、いまいち自信はない。さすがに辺りを見渡すのは怪しいかもしれない。
彼は鞄から鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んだ。家の電気は完全に落ちているような気がした。
「家の人は?」
「買い物にでも行っているんじゃない?」
二人きりということを意識し、胸が高鳴る。
「入っていいよ」
彼はそういい残すと、一足早く家の中に入る。しまりかけたドアを手で支え、ドアの隙間から家の中を覗き込む。
宮野君は既に靴を脱ぎ、スリッパに足を通していた。
家の中は外から差し込む太陽の光だけが明かりとなっていた。
ぱちんと音が響き、彼の入ったリビングにあかりがともる。
玄関前でじっとしているのに気付き、扉の間を抜けると、扉を手で支えたまま家の中に入った。音をたてないように扉を閉めると、履いていた靴を脱ぐ。
「スリッパは適当なのを使って」
彼の言葉どおりに玄関先には青のチェックのもの、ピンクのもの、黄色のものなどいくつかスリッパが置いてある。適当といわれ逆に決め兼ねてしまい、わたしがじっとスリッパを見ていると、影が体を横断するように伸びてくる。
宮野君がわたしの脇に立ちあきれたような顔をしている。
「どれがいいかなって」
しどろもどろになりながら、やっとそう告げた。
「どうでもいいことで迷うなよ」
彼はそういうと、腕を伸ばし、ピンクのチェックのスリッパを持ち上げ、わたしの足元に置く。
「ありがとう」
彼はリビングに入る。今度はリビングにも明かりがともる。
「飲み物は何がいい?」
「コーヒー」
どこの家でもありそうな無難なものを選択した。スリッパに足を通す。
「ジュースじゃなくていいんだ。家にあったけど」
「何で?」
「お子様用のもの。この前、親戚が遊びに来てまだ残っていたんだよね」
「そんなに子供じゃありません」
わたしは頬を膨らませた。
宮野君は噴出すようにして笑い出す。
「そういうところが子供だって分かってんの?」
彼はからかっただけなのだ。余計に恥ずかしさが増す。
何でわたしはこうなんだろう。
普段からもっと大人っぽい振る舞いを学んでおけばよかった。
「とりあえずそこに突っ立ってないで、中に入れば?」
わたしはスリッパをはいただけで玄関に未だ立ち尽くしていたことに気付く。玄関を充満させるオレンジの明かりを消すと、リビングの中に入った。
以前入ったモデルルームのように完璧に整頓された客間とは違い、リビングは新聞や雑誌などがテレビの近くにおいてあったりと生活感に溢れていた。だが、散らかっているというほどではない。
宮野君は一度部屋を出て行くと、すぐに戻ってきた。今度はキッチンに行く。
その間、わたしは身動き一つできずにその場に立ち尽くしていた。
すぐにコーヒーをセットし、宮野君がわたしのもとに戻ってくる。
彼はテレビの前にあるソファに腰を下ろすと、首だけを動かし、わたしを見た。
「座っていいよ」
宮野君の隣と正面にソファがあり、どっちにすわっていいか迷ってしまっていた。
「ここに座ればいいと思うけど」
宮野君はわたしの迷いに気付いたのか、自分の隣をぽんと叩く。
宮野君がそう言ってくれたから隣に座っても大丈夫なはず。
さっきのファミレスでも隣に座ったのだから。
だが、宮野君の隣に行くまでに心臓がいつになくドキドキと高鳴り、結局彼と同じソファに人一人分の距離を開けて座る。それでも恥ずかしく、彼と目をあわせないようにしていた。
「しかし、意外とあっさりだな」
「何が?」
「彼女って言って引き下がったから。正直、もっとしつこく言われると思ったんだけど」
「それって少し派手な感じの髪の毛が短い子?」
わたしの正面にいた、一番鋭い視線を向けてきた子だった。
「一人だけじゃなかったけど、彼女が一番しつこくて困ってたんだよね」
宮野君はテレビをつけたが、チャンネルを回しすぐに消してしまった。
彼にとってはその程度の印象なのだろう。
さっきまで彼女に対して嫌な気持ちがほとんどだったが、そう言われているのを聞けば同情心が芽生えてくる。
本物の彼女であればここまで複雑な気分にはならなかったのかもしれない。
「でも、本当の彼女を作ればよかったんじゃないですか? そんな面倒なことしないで」
「どこにそんな奴がいるんだよ」
「宮野君が好きな子とか」
彼はじっとわたしを見る。
頬にあたたかいものが触れる。宮野君は手を伸ばしわたしの頬をつかむと顔全体を持ち上げていたのだ。
強制的にその整った顔を視野に収めることになり、ほんの少し体を傾ければキスできるほどの距離しか離れていなかった。そのことを意識し、余計に心拍数が高鳴っていく。頭がかっかし、今の状況を冷静に見極めるだけで必死な状態だ。
「宮野君?」
「君が本当の彼女になる?」
その言葉に顔が赤く染まる。彼のまっすぐな視線が肌に刺さるのを感じながら、必死に言葉を搾り出そうとした。だが、そうするたびに、喉がざらつき言葉を干上がらせる。何度もかき消された勇気をいきり立て、言葉をつむごうとしたときに、頬をつねられた。
「動揺するってことはその気があるんだ」
彼はからかうような笑みを浮かべる。
またからかわれたのだ。
先ほどまでの戸惑いを気付かれないために、頬を膨らませ、宮野君を睨む。
「そんなつもりなんてありません」
そうぴしゃりと言い放つ予定であったが、語尾が震え、逆効果になってしまっていた。
「顔赤いよ」
彼はわたしに触れていた手を離すと、そう肩を震わせ笑い出す。
今まで薄々感じていたことが一気に現実味を増す。
「宮野君って性格悪いよね」
「それって褒め言葉?」
「褒めてませんから」
何をどう考えて性格悪いが褒め言葉になるんだろうか。
「それは君のイメージと俺が違ったからだろう。それで性格悪いと言われるなんて心外だけど」
「確かにそうだけど。この前は優しかったからギャップがあって」
「初対面の人間にこういう態度で接するほうが少ないと思うよ」
彼はわたしを言いくるめるように言葉を返す。
確かに彼の言葉はあたっていた。だが、今まで思い込みにせよ宮野君というイメージを作り出してきたわたしにとって今の彼の姿には少なからず抵抗があった。
リビングが静まり返り、きまずい雰囲気になると思われた矢先、お腹のなる音が響く。その発生源はわたしだった。思わずお腹を押さえ、体を後方に仰け反らせる。
「昼だし、お腹すくか」
「さっき食べてきたらよかったね。あんなに急いで出てこなくてもよかったかも」
照れ隠しを含めて、そう口にしていた。
「誰のせいだよ」
宮野君がわたしの額を弾いた。
叩かれた部分を押さえながら、宮野君を見る。
「わたしのせいなの?」
「悪い。そうじゃないけど、泣きそうな顔をしていたし、あいつらもうるさかったし、ああいう場所ではゆっくり食べられないだろう」
宮野君が自分の意志のみで出てきたのだと思っていただけに素直に驚いていた。さっき口にした「性格が悪い」という言葉を恥じていた。
同時に胸がこれまで以上に高鳴る。
「出前でも取る? また食べに出かけてもいいけど」
彼は気にした素振りもなく、軽い口調で問いかける。
「食べに行きたいかな」
「どこかに店があったかな」
宮野君が眉をひそめ、顎に手を当てる。
このまま二人きりでいたら心臓がもたないと思ったためだ。
玄関が開く音が聞こえた。リビングの扉が開き、入り口に現れたのはふんわりと優しい髪の毛をした女性。宮野君の母親だった。彼女は目を見開き、わたしを食い入るように見ていた。
「渉」
彼女は駆け足で二人の座っているソファまで来る。
「何で急に連れてくるのよ。前もって連絡してもらわないと。こんなに散らかっているのに」
この前の落ち着いた様子とは一変し、目に見て取れるほど慌てていた。
驚くわたしとは違い、宮野君は驚いた様子もなく、淡々と話しかける。
「別に行きたいところもなかったから」
「まだ今日は掃除もしていないのに」
彼女は慌てた様子で辺りを見渡す。
「そんなのしょっちゅう」
そう言いかけた宮野君を睨む。宮野は言葉を飲み込んでいた。
「別に優菜ちゃんが来たのが悪いわけじゃないの。ただ、掃除をしていなくて」
「気にしていませんから」
「そうだ。渉の部屋に連れていきなさい。今から掃除するから」
指名された場所に驚きの声をあげる前に宮野君がその問いかけに答えていた。
「今からごはんを食べに行くから。それから帰ってくるよ。優菜はそれでいい?」
自分の母親の前であっさりと名前を言うことに驚きながらも、うなずく。横目で彼女を見たが、彼女はわたしを名前で呼んだことに驚いた様子もない。振りのことを知っているのだろうか。
宮野君はわたしの手を引くと歩き出す。お母さんの前でと思ったが、宮野君は表情一つ変えない。手が離れたのは玄関先でのことだった。彼はわたしより一足早く靴に足を通し、わたしをじっと見る。彼に促されるようにして、靴を履く。
彼がドアを開けてくれ、先に外に出る。遅れて彼が出てきた。