初めてのデート
直毛の髪が円を描いている姿が鏡に映し出される。
その背後には満足げに微笑むあいの姿があった。
土曜日の夕方家にやってきたあいはわたしの髪の毛を少し巻いてみたらどうかと提案してきたのだ。
そして、彼女に夜の間にセットしてもらい、朝起きて髪の毛を解いたところだ。
ただ、ハンドミラーで見るよりは大きな鏡台のほうが見やすいだろうということで、母親の部屋を少しだけ拝借することにした。
あいはわたしの肩を軽くたたく。
「似合っているよ」
「変じゃないかな」
いつもと違う自分が鏡に映っているような気がし、胸が高鳴っていた。髪形を変えただけでこんなに顔の印象が変わるのが驚きだ。だからこそ、似合っているのか、そうでないのかもよく分からない。鏡の中に映る自らの姿を睨むように見つめていた。
「大丈夫。可愛い。自信持って」
そういわれても自分のことなのでいまいちよく分からない。
洋服は春先の誕生日に両親から買ってもらった白のレースのワンピースだ。
袖も五分までのもので、この時期のあたたかい気候には最適だった。靴は薄いピンクのサンダルに決めていた。
どこに行くかもあいと相談したが決められず、、迷ったら「映画に行きたい」と言えばいいと言われたのだ。
約束の三十分前に白い帽子と黒のショルダーを手にあいと一緒に家を出ることにした。
まばゆいほどの光を手で遮る。
仮の彼女とはいえ、宮野君とデートできるなんていまだに実感がない。
長い時間一緒にいるのは、今までとはわけが違う。
会話に詰まったり、気まずい雰囲気にならなければいいという不安もある。
「大丈夫だよ。頑張ってね」
わたしはあいと宮野君と約束をしている公園の前で別れた。
ちょうど約束の五分前となったのを確認し、彼と待ち合わせをしている噴水までいく。宮野君はまだ来てないだろうというわたしの予想に反し、背丈の高い男性が足元に目線を合わせ立っている。
この前の失敗を生かし、彼の傍までいくと深呼吸をし、間をあけずに声をかける。
「遅くなってごめんね」
彼はわたしをじっと見る。その目がいつもの冷淡な表情と違っていたことから、いつもとは違う甘い言葉をささやいてくれるのではないかと期待し、胸を高鳴らせていた。
だが、彼はすぐに背を向け声をかけることなく歩き出してしまった。ついてこいということなのだろう。一言くらい声をかけてくれてもいいのではないかとも思うがそんなことを言えるわけもなく、彼についていく。
彼の足取りも思ったよりすぐに止まる。彼が足を止めたのは公園から歩いて五分ほどの場所にあるファミレスの前だった。
「ごはんでも食べるの?」
「高校の友達が君に合わせろってさ。嫌なら断るけど」
彼がさそったのはわたしの期待するようなデートではなく、このためだったのだ。
落胆する気持ちはあるが、妙に腑に落ちてしまったのが悔しい。
そもそも宮野君はそのためにわたしと付き合うと言い出したのだ。
店内では高校生らしい集団が窓際の席に陣取っていた。男の子二人と女の子四人という一見ちぐはぐに見えるグループだ。
わたしがそこを指差すと、宮野君はうなずく。
男の子は二人いる。宮野君と一緒にいるのを見たことがある人もいた。
女の子は見たことがないが、メイクをしっかりと決め、着飾った姿からその目的にうすうす気づく。
「あとたまに君は敬語を使うけど、ため口でいいよ。同じ年なんだし」
「頑張ります」
課題が一つ増え、敬語を使わないようにと言い聞かせながら店内に入ると、二人ほどがこちらを見る。
二人は隣にいる子に声をかけ、わたし達への視線の数が増える。
宮野君のあとをついていく形でその場所まで行くことになった。
彼らとの場所が縮まるにつれ、わたしに刺さる視線が増す。男女ともにわたしを見ていたが、その視線の種類は全く違う。男子は興味本位に近い視線だが、女の人は敵意を丸出しの視線をわたしに投げかける。
「今日は悪かったな」
髪の毛を短くそった男性がわたしと宮野君に声をかける。彼は宮野君とよく一緒にいる人だった。わたしはとりあえず会釈で返事をしていた。
彼らは六人掛けのテーブルに座っていたため、空いている席に座るというわけにはいかずに隣の人のいないテーブルを六人のテーブルにつけることになった。宮野君は先ほど声をかけてくれた男性の隣に座った。
わたしは宮野君の隣か、興味と嫉妬で満ちた視線を向けてくる女の人達の隣か迷っていた。女の人の隣に座ったほうがおさまりがいいだろうと思ったとき、突然腕を引かれた。腕をつかんだのは誰でもない宮野君だった。
「俺の隣に座れよ」
彼は笑顔を浮かべると、自分の隣にすわっている男に声をかける。
宮野君と二人の男子が一つずつ場所をすらして座り、わたしは宮野君の隣に座ることになった。
鋭い視線を浴びながら、宮野君の差し出したメニューに目線を落とす。
敵意のある視線に胸がいつもより早い鼓動を刻み、メニューを見る目が滑る。
「コーヒーは飲める?」
なかなか注文を決められないわたしに優しく声をかけたのは宮野君だった。
わたしは耳元で囁かれたことに顔が赤くなりながらも、何度もうなずく。
「じゃあ、それにしようか」
彼はわたしの持っていたメニューを手際よく回収すると、机の端に立てる。お店の人を呼ぶと二人分のコーヒーを注文していた。
そのとき、不意に目の前の女の子と目が合い、彼女は据わった目で笑みを浮かべていた。
「確かに可愛いね。宮野君ってこういう子が好みだったんだ」
台詞とは裏腹に針のような視線が体に刺さる。見世物と化してしまったことに嫌な気分はしながらも、それを口に出すことはしなかった。
「まあね」
宮野君はそう笑顔で答えると、彼女は一度息を吸い込む。わたしを再び睨んだ。槍のような言葉を覚悟するが、彼女はコーヒーを飲むと六人のほうを見る。
「二年だよね。君ってさ」
宮野君の隣にいる人がわたしに何か話しかけてきた。
だが、その声にさっきの女性が声を重ねた。
「さっき数学の田上先生を見たんだ。一緒に綺麗な人といたんだけど、彼女だと思う?」
六人はその先生の話題で盛り上がってしまっていた。
わたしはその先生のことは何も知らないので、手元に目線を写す。
わたしたちのもとに香ばしい薫りを放つ、二人分のコーヒーが届く。
宮野君はそれをわたしと自分の前に置くと、その会話に加担することなく、黙々とコーヒーを飲んでいた。
「ねえ、宮野君もびっくりしない? その人って先生の彼女かな? 田上先生と付き合うって趣味悪いよね」
彼女はその話に宮野君を加えたいのか、彼を会話に誘い込もうとする。
「人の好みなんてそれぞれでいいんじゃない?」
宮野君は初対面のときに見せたような隙のない笑顔を浮かべ、会話を打ち切る。
彼女は言葉を飲み込み、頬を膨らませてしまっていた。
「宮野はあまり他人のそういうのには興味ないからね。優菜ちゃんは一人暮らしなんだっけ?」
「そうですけど、どうして知っているんですか?」
そう声をかけてきたのは、宮野の隣に座っている人だった。
「こっちの学校で優菜ちゃんって結構有名だから。優菜ちゃんの学校の子に聞いたんだ」
「有名?」
「そんなことよりさ」
思いがけない話に驚いていると、彼女は男の人の話を振り切り、強引に話を切り替えてきた。どこかのクラスの生徒が付き合っているらしいとのことで、宮野君以外の人は身を乗り出して聞いていた。彼女はわたしとは話をしたくないどころか、その話題になることも好ましく思っていないらしい。
居心地の悪さを覚え始めたころ、コーヒーが底をついた。そのタイミングを見計らったように、鞄から携帯の振動音が聞こえる。とびつくように確認すると、あいの名前が表示されていた。
「外に出るね。電話かかってきたから」
わたしは誰に対してか分からない声をかけると、その足で外に出る。
お店の前の階段を下り、駐車場の端で電話を受けた。
「ごめんね。デート中に」
「いいよ。どうかした?」
「明日の数学のテストって範囲がどこまでだったか覚えている? この前のテスト悪かったからやばくてさ」
わたしは覚えている試験範囲を伝えた。
彼女はデート中だと思い込んでいるのか、お礼を言うとすぐに電話を切ってしまった。
通話時間の表示された電話を見て、ため息をつく。
戻りたくない。だが、そういうわけにもいかないだろう。
意を決してさっきの建物の中に戻ろうとしたとき、わたしの名前を呼ぶ宮野君の声が聞こえる。彼はお店を出ると、わたしに駆け寄ってきた。
「そろそろ移動しようか」
「え? でも」
「いいよ。あわせたら満足だろうし。帰るって言って出てきた」
彼はわたしの鞄を手渡した。
「コーヒーの料金」
「俺が払ってきたから大丈夫」
「いくら? 自分の分は払う」
「いいよ。今日は俺がおごる。こんなくだらないことにつき合わせてしまったお詫び。言いそびれてしまって悪かったな」
「気にしてない」
彼の言葉に先ほどまで胸中に渦巻いていた嫌な気持ちが解消されていく。
もうこれ以上この話を引っ張りたくなかったのだ。
宮野君は優しく微笑む。
「どこか行きたいところはある? 今日は俺がおごるよ」
彼にデートに誘われたときに言われた言葉だが、結局決められずにあいに言われたままを告げる。
「映画とかはどうかな」
「今、何やっていたんだっけ?」
調べておいた映画の名前を言うが、彼はしっくり来ないような表情を浮かべている。
時刻を確認すると十二時を回ったところだった。急いでいっても次の上映には間に合いそうもない。そうなるとかなり時間があく。
それを宮野君に告げると、彼は困ったような顔をする。
「映画に行こうか。でも、時間があくならどこかで時間を潰さないとな。ここから近いし、俺の家にでも来る?」
「行く」
特に見たいものでもなかったため、映画より宮野君の家に行くほうが数百倍楽しみだ。
思わず大きな声で返事したわたしに彼は笑っていた。