胸の鼓動
「今日は家に帰ろうか」
わたしは宮野君に手を引かれ、家に戻ることになった。
家についても泣き止まないわたしを放っておけなかったのか、彼は家の中までついてきてくれ、ジュースを出してくれた。
そのときには少し落ち着いてきて、宮野君の入れてくれたジュースを口に運ぶ。
「本当は言っていいか分からないけどさ、中間テストが終わったくらいにクラスメイト数人が話をしていたんだよ」
わたしは話の真意がつかめないながらもうなずいていた。
「誰が一番君を早く落とせるかって」
「え?」
わたしは動きを止める。一瞬理解できなかったが、少し考えて理解する。同じことを少し前に聞かされたからだ。だが、実際告白されたこともなかった。そのすぐあとに宮野君と付き合うことになったのだ。
「君って人がいいから、すぐにだまされそうな気がして、だから振りだって言ったんだよ。君に断らせないために。告白してしまえば振られたらもう君には近づけなくなる。けど、振りならそうならない。そうしてしまえばあいつらは君にそんなに強引に近づけないと思った。君がその中の誰かを好きだったら悪いとは思っていたけど」
「でも、わたし今まで告白されたこともなかったんだよ。そんな話はありえないと思うよ」
「そうやって自分を分かってないから余計に心配だったんだよね。告白されたら自分を好きになってくれたんだからと付き合おうとしたり、相手から強引に誘われれば強く断れないタイプに見えた」
それが理由だったんだろうか。
岸川さんはどこまで宮野君の言っていたことを知っていたんだろう。
宮野君がわたしのことをそこまで考えてくれているとは思いもしなかったし、戸惑いを隠せなかった。
「岸川さんの話をしたときはあっさり受け入れていたよね。その時期が過ぎたから?」
「あいつなら君を傷つけないと分かっていたからだよ。俺より優しいしいいやつだから、俺とつきあうより、いいんじゃないかって思った」
その言葉は嬉しかったけど、どこか悲しい。
そのときやっと岸川さんの言っていた意味を完全に理解していた。
わたしの気持ちを理解してくれないと宮野君をどこかで責めていたが、それは口に出さなかったからだ。付き合いが浅いわたしたちは、互いの感情が混じるほど互いの気持ちを見えにくくしてしまっていた。そのもとにある気持ちは似通っていたのもかかわらず、だ。
「宮野君はわたしを自分のことを分かっていないと言ったけど、宮野君も同じだね。わたしは宮野君だからいいって言ったんだよ。宮野君が最初、学校の友達にあわせたのはそういうことと関係あるの?」
「そうじゃないと君を学校の奴に会わせる理由もない。岸川以外に親しい人間はいないし。一人はそういうことを企てていた奴で、後は来たいって言った人をとりあえず呼んだ」
その中に宮野君を好きな女の子が混ざっていたのは、宮野君にとって予期せぬことだったのだろう。
彼がその子の気持ちに気づいているかは明確ではないが。
今までの疑問がひとつずつ消えていく。だが、一つ肝心なことを聞いていなかったことを思い出したのだ。
「いつからわたしのことを好きになってくれたの?
眉もひそめない。彼の表情はどちらとも取れる。
時期を連呼しようとした、わたしの声を掻き消すように大きな音が響く。その音に導かれるように室内から上空を仰ぐが、空にはその光の破片が見えない。
「始まっちゃった、ね」
花火越しに赤くなった宮野君の顔を確認し、肩を大げさに下げると舌を出す。
わたしは窓際に行くと、そのうち上がる花火の片りんを探そうとした。
だが、音は聞こえるが、ここからでは様々な障害物があり、花火を視界に収められない。
宮野君もわたしの斜め後ろに来ると空を眺めていた。
「ここからは無理だよ」
「そうだよね。残念だけど」
彼の表情をうかがうわたしの頬にそっと手を寄せる。さらりとした肌に彼女の顔を一掴みできるほどの大きな手が触れる。
思わぬことに息をのみ、目の前の宮野君を見つめていた。
彼がわずかに体を傾けたことで、以前キスされたことが頭を過ぎり、目を閉じていた。だが、いくら待っても唇に何かが触れることはなく、不審に思った直後頬を抓られる。反射的に目を開けると、いたずらっこのような宮野君の瞳がわたしを見つめていたのだ。
「キスされるとでも思った? 君がしてほしいというならすると言ったけど」
彼の言葉に顔が一気に熱を帯びる。目を閉じてしまった手前、素直にイエスと答えることはできずに、彼から顔を背け「バカ」とだけ告げた。
「悪かったって。そもそももう君の許可なんて必要ないだろうしね」
そういうと、彼は強引にわたしの顔を自分に向ける。宮野君を見上げた拍子に、窓ガラスが背中に当たる。
彼の顔が近づいてくるのを察し、わたしはゆっくりと目を閉じる。
わたしの唇に宮野君の唇が重ねられた。
わたしの心臓の鼓動がおのずと今まで以上に早くなる。
彼とキスをしたのは二度目だが、一度目のキスよりも冷静に今の時間を受け入れられた分、余計にドキドキしていた。
彼の唇が離れ、目を開けた。だが、心臓の音に飲み込まれそうなくらいドキドキしているわたしとは対照的に、宮野君は平然とした表情を崩さない。
わたしと彼の思いの大きさを感じた気がした。
いつか彼を動揺させられるように、彼にとって大きな存在になりたい。そう誓ったとき、背中にすっと手がまわされる。彼に抱き寄せられ、彼の胸の中にすっぽりと顔がおさまる。そして、思わず顔の表情を緩めていた。
いつもとは明らかに違う、大きく乱れた宮野君の胸の鼓動に気づいたからだった。
宮野君も顔には出さないけど、わたしと同じようにドキドキしてくれていたんだ。
あの最初のキスのときも、きっと。
「今年の夏はたくさんデートしようね」
そう宮野君の胸の中で言葉を口にする。
夏休みはかなりすぎてしまったが、今からたくさんの思い出を作りたい。
「そのことで聞きたかったんだけど、君、夏休みの宿題やった?」
「え?」
わたしは一気に冷静になり、顔をあげ宮野君を見つめる。
「だろうね。宿題ってどれだけあるんだっけ? ののかからかなり量が多いと聞いたけど」
「数学の問題集と、古典と、英語と」
冷静になって考えると、かなりの量の宿題がある気がする。
そもそもわたしの頭で終わるんだろうか。苦手の英語はかなりの量が出ていたのだ。
顔が血の気が引いていく。
そのわたしの様子に宮野君がにっこりと笑う。
「残りの予定はそれで終わりだろうな」
「でも、え? あの」
自分でも何を言いたいのか分からずにあいまいな単語を連発する。
「夏休み明けにはテストもあるし、期末テストがああだった君が遊んでいる暇はないだろうね」
もう返す言葉もなく、わたしはがくりと肩を落とした。
「毎日、来てあげるよ。本当に手がかかる」
そう宮野君は面倒そうに言う。
「ごめんなさい」
「君になら、少々迷惑をかけられてもかまわないけどね」
謝ったわたしに宮野君はそう耳元で囁いた。
わたしは顔が赤くなっていたと思う。
毎日ということは宮野君に毎日会えるということで、それはそれで悪くない気がした。




