本当の恋人
宮野君とののかちゃんの家は駅から近い。わたしの家はそこから少し離れているので、宮野君にとっては二度手間になるのは明らかだった。
「わたし、一人で帰るから大丈夫」
「くだらないことを気にしなくていいよ。二十分もかからないんだから」
彼はそう言うと、本心を見せずに背を向けて歩いていく。そのときののかちゃんがわたしの傍まで来る。
「ごめんなさい。気になって帰れなくて」
そっと囁いたののかちゃんの言葉に首を横に振る。
発端を作ってしまったのは自分だということは承知していたからだ。
彼との距離が徐々に遠ざかっていくのに気付きながらもののかちゃんは自分の歩くペースを速めることはしない。彼女は顎をあげ、右手の人差し指を口に当てる。
「さっきの話って変ですよね。まるで渉が先輩のことをなんとも思っていないみたいな話になっていたけど」
「わたしと宮野君は本当は付き合っていたわけじゃないんだ」
「え? でも、彼女だって言っていましたよね」
「別にののかに言わなくてもいいよ」
前を歩いていた宮野君は振り返らずにそう口にする。
ののかちゃんは頬を膨らませ、いじけたように宮野君を見る。
「どうして? わたしだって知りたい」
「いろいろ煩そうだし」
「そんなことないです。先輩と渉のことを一応応援しているんだよ」
「一応って応援してないんじゃない?」
「先輩が渉を好きなら応援しているの」
今までのことを洗いざらい話す気だったので、深呼吸して言葉を綴る。
「全部嘘だったの。だましていてごめんね」
「どうして?」
「宮野君から彼女の振りをしろって言われて、それでその振りをしていただけなんだ。でも、片思いだったんだよ。わたしのね」
彼女は怒るどころか、不思議そうな顔をしていた。
「どうして片思いなんですか? だって渉は先輩のことが好きだって言ってましたよ」
「ののかには言ってない」
「顔がそう言っていたから、言っていたのと同じです」
「まったく。都合いい頭だな」
宮野君はそういうと、無視すると決めたのか黙々と歩き出す。
彼にとっては面倒だっただけなのだろう。告白された女の子を断るのさえ、面倒に感じてしまうタイプなのだ。
以前通った大きい家の前で宮野君の足が止まる。ののかちゃんはわたしと宮野君に声をかけると、鉄製の扉の鍵を開ける。
金属音と共に扉が開き、ののかちゃんは肩越しに振り返ると笑顔でわたしと宮野君を交互に見る。
「楽しい時間を過ごしてくださいね」
柵を閉め軽い足取りで玄関まで行くと、わたしたちに手を振り家の中に消えていく。
彼女はこれから私たちが花火大会に行くとでも思っているんだろう。
玄関のライトが消えてから、宮野君が振り返る。彼はでわたしについてこいと目で言うと歩き出す。わたしはそんな彼の後を追った。彼が向かったのはわたしの家の方角で、駅とは逆方向だった。赤信号になり彼の足が止まる。
わたしは彼の隣に並ぶと、信号の色が変わるのを見つめていた。入れ替わりで青になった信号が一定感覚で点滅しだす。眼前の信号に再び目を向けたときだった。
「そんなに花火が見たかった?」
「花火?」
すぐには状況が理解できずに、思わず問い返す。
「今日、わざわざののかに呼び出されて出てくるなんてさ」
ここでそうだといえば、彼は一緒に花火を見てくれるだろうか。それは賭けだった。だが、ごまかし続けることで、彼との関係を固定化させる一因を築いてしまったことも分かっていたのだ。
ののかちゃんと待ち合わせたときに空の大部分を占めていた青は見当たらなくなり、紫色の空が辺りを包み込んでいた。じきに日が落ち、空に多彩な光に粒が打ちあがりだす。
「最初は知らなかったの。ののかちゃんちゃんに花火大会に誘われて、待ち合わせ場所に行ったんだ。そこでののかちゃんから宮野君と一緒に行けばいいって言われたの」
「あいつも早とちりなところがあるからな。謝っておくよ」
信号の色が変わり、彼は再び歩き出す。
わたしはそんな彼の後姿を目で追いながら、声を絞り出した。
「驚いたけど、今は迷惑じゃなければいっしょに見たいと思っているよ」
彼は横断歩道に踏み入れた足を止め、振り返った。
「そんなに見たいなら見に行ってもいいよ。今からだと遠くからしか見られないけど」
彼はわたしの傍まで戻ってくる。
だが、わたしの顔をじっと見たまま、身動きしない。
「君ってさ、本当に何を考えているのか分からないよね」
「え? わたしが?」
「分かりやすいけど、すごく分かりにくい。今回も、俺と別れたあと、君は岸川とつきあうんだと思っていた」
わたしは彼の言葉が理解できずに首を傾げる。
「そんなこと言ってないけど」
「君が振りをやめるって言い出したのはあいつが原因なのかなって思ったんだ。岸川から君に告白したとは聞いたから」
タイミングは一致する。だが、実際は違っていた。
「違うの。宮野君のことが好きだから、一緒にいるのが辛かったから、だから振りを辞めたかったの」
思わず飛び出した大きな声に口を噤み、反射的に辺りを見渡す。だが、人通りもまばらなこともあり、誰もわたしと宮野君を直視している人たちはいなかった。だが、恥ずかしいことには変わりない。
彼は呆れた視線をわたしに向ける。
「だから何でそう公衆の面前で好きだって言葉を連呼するんだか」
「ごめんなさい」
「君は俺といて、辛かった?」
わたしは首を縦に振る。
「俺は君といて意外と楽しかったよ」
彼が表情をほころばせるのに気づき、ただ驚きの声が漏れる。彼と過ごした時間は日常生活の一端にほんの少し加えたものでしかない。そんなささやかな時間を彼が楽しいと思ってくれていたことが嬉しかったのだ。
「本当に?」
「そんなうそを吐いても意味ない」
わたしをつかんでいる力が一瞬強くなる。
「だから、今度は本当につきあおうか」
わたしは話の意味が理解できずにぽかんと口を開け、彼を見つめていた。考えもしなかったことを言われて、頭が混乱してしまっていたのだ。
彼は手を解くと、わたしの肩を傍に寄せ、耳元で囁いた。
「好きだからだよ」
「好きって」
その言葉に戸惑い、思わず声をあげると、彼はわたしの口を押さえていた。
「だから、そうやってすぐに大声を出して。少しくらい落ち着いて物事を進められないのかと呆れるよ」
彼の手がやっと離れる。胸の高鳴りを抑えながら、今度は口を押さえられないように、声を殺し彼に問いかける。
「宮野君はわたしのこと好きじゃないから、だから振りをしろって言ったと思っていた」
「嫌いな子にそういうことを言うわけないし。そんなこと一言も言ってないけど」
「言ってないけど、ずっとそう思っていたの」
気持ちが昂ぶり、視界が滲んでくる。
「だいたい好きでもないやつにあんなことしたりしないし、そもそも振りでも一緒にいようと思わない」
わたしは岸川さんの言った言葉を思い出していた。
わたしだって同じだった。
宮野君以外から言われたら、逃げていたし、キスされた時点で絶対に会おうとしなかった。
わたしの目から大粒の涙が再びあふれ出し、宮野君は困ったような顔で頭を撫でた。
そして、わたしの頬の涙をぬぐう。
「これじゃ、花火大会は行けないな」
「ごめんなさい」
「来年、一緒に行こうか」
わたしは視界の霞んだ目で彼を見て、頷いた。




