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終止符を打つとき

 翌日になっても気分は晴れず、気の向くままに家を出た。ふらふらとと歩いていると、携帯が鳴る。期待しメールを開くが、メールを送ってきてくれたのは岸川さんだった。彼が送ってきたのはわたしを気遣うものだった。


 返信しようと思ったが、答えが出てこずに作成しかけのメールを削除すると、宮野君の電話番号を表示する。


 宮野君に告白のことを告げたらどうするんだろう。

 だが、好きなようにしたらいいといわれることは分かっていた。彼のメールアドレスを眺めただけで携帯を閉じ、鞄の中に放り込む。


「何をやっているんだろう」


 今の自分に呆れ、苦笑いを浮かべたとき、今の目の前の景色がやっと目に入ってくる。見覚えのある町並みに、あたりを見渡し確信する。宮野君やののかちゃんの家の近くに来ていたのだ。


 彼と鉢合わせをしてしまう可能性に気づき、家に戻ろうとしたとき前方に見えた姿に思わず塀の陰に隠れていた。


 そこには大きめのバッグを持ったののかちゃんと宮野君が並んで歩いていた。宮野君の洋服は昨日のものと同じだったことから、あれから家に帰らなかったのかもしれない。ののかちゃんの目は赤くはれ、いつものような笑顔を浮かべることはなかった。宮野君はそんな彼女に優しく声をかけている


 彼女に何かがあって一緒にいたのだと分かっていても、親しげな二人を見ていると、複雑な気持ちが蘇ってくる。彼らと顔をあわせないように、近くの道を曲がると、できるだけこの場から離れることにした。


 遠ざかることのみを考え、足を進める。どこをどう歩いたのかははっきりと覚えていなかった。そして、町並みが変わったのを確認し、足を止め乱れた呼吸を整える。


「ばかみたい」


 わたしとののかちゃんでは彼との距離も違うことが分かっていた。だが、それでも彼と一緒にいたいという気持ちがあったのだ。嘘の関係でもまた学校が始まれば、一緒に登下校をしたりできる。そんなことにもしがみついていたかったのだ。


 唇をかみ締めたとき、背後で人の気配がした。名前を呼ばれ振り返ると、青のシャツを着た岸川さんが目を見張り、その場に立ち尽くしていた。


「どうして?」

「俺の家、この近くだから」


 彼は頭をかき、苦笑いを浮かべていた。彼はわたしを見て、顎に手を当て、考えるしぐさをすると言葉を続ける。


「今日、時間があるならデートしない?」

「デートって」


 その言葉に宮野君と一緒にすごした時間を思い出し、胸をつかれる思いだった。

 彼はわたしの気持ちを察したのか、両肩を一度あげると苦笑いを浮かべていた。


「冗談。時間があるなら遊びに行かない?」


 彼の申し出を受け入れることに決めた。きっとこのまま一人でいても、ののかちゃんと宮野君のことに嫉妬して、悶々と考え続けるだけなのはわかっていた。


「行こうか」


 彼はわたしが動くのを待って歩き出す。


「どこに行きたい?」

「わたしはどこでもいいかな」

「どこか適当に入って、決めようか」


 明るく言ってくれた彼の言葉に頷く。


 彼は昨日も言葉を失ったわたしに対して、優しく接してくれたことを思い出し、安らぎに似た気持ちを覚えていた。


 歩いている途中、洋風を思わせるつくりをしたお店が目に入る。そのショーウインドウにぬいぐるみが並んでいるのが見え、岸川さんと一緒にいることを忘れ、思わず足をとめ、お店の中をのぞいていた。買い物客はまばらだが、小物入れなど多くのものが置いてあった。その中に思いをはせたとき、ガラスに彼の影が映り一人ではなかったことを思い出した。


「ごめんなさい」

「好きなだけ見ていいよ。俺も買い物とか嫌いじゃないし」

「長くなったりするから、いいよ。行こうか」

「気にしない。予定も決めていないんないんだから、見たいなら見たほうがいいよ。中に入る?」


 彼の言葉に甘える形でお店の中に入る。ガラス戸をあけると、緩やかな音楽が聞こえてきた。

 岸川さんがわたしを先導するように歩き出す。彼のささやかな優しさを感じ、彼についていく。

 ぬいぐるみ売り場まで行くと、それに触れた。やわらかい毛並みがわたしの掌をくすぐる。


「たまに姉の買い物につきあったりもするんだよ。荷物持ちとかでさ。だからこういうお店に入るもの慣れているんだ。さすがに一人では入れないけどね」

「そうなの?」


 彼はうなずく。

 男兄弟のいないわたしには実感のない言葉だった。彼の姉がそうしたことを頼めるのは、彼の人柄の良さのせいもあるだろう。彼相手であれば、他愛ないわがままも気兼ねなく口にできそうな気がしたからだ。

 優しく笑う彼の表情に驚き、思わず問いかける。


「どうかした?」

「いや、うれしそうに見ているからほっとしたっていうか」


 はにかんだ笑みは彼の照れを伝えているような気がした。

 その言葉にためらいがちに彼を見る。


「ほっとしたって」

「昨日からずっと暗かったし。心配していたんだ。でも、よかったよ」


 理由は分かっていたが、それを口にするのは憚れて口を噤む。


「理由はわからないけど、何かあれば相談相手になるよ。弱みに付け込んだりもしないし」


 彼は理由を聞くことなく、言葉を寄せた。宮野君も優しいところはあったが、彼は言葉で表現してくれることは少ない。だからこそ直接的な優しさが新鮮だった。


「ありがとう」


 癒しに近い気持ちはののかちゃんと一緒にいるときの気持ちに似ていた。その安らぎの気持ちは宮野君と一緒にいたことで抱いてしまった苦痛を思い出させた。そして、いかに自分と彼が合っていないのかを思い知らされた気がした。



 太陽が完全に沈む前に、家に戻ってきた。送ってくれた彼に目を細める。あれから店に入り話をしてすごしただけだったが、人の話を最後まで聞いてくれる彼との時間は想像以上に楽しく、神経を使わないものだった。


「じゃあね」


 彼はそう言葉を残すと背を向け帰っていく。わたしはそんな彼を見送っていた。

 一緒にいるだけで、元気になれほっとできる関係。それがわたしのイメージする恋人関係だったのだ。

 家に入ると、鞄をリビングに置く。冷房をつけて、ソファに座る。今日一日のことを思い出し、ほっと心を和ませる。あんなシーンを見たのに泣かずに済んだのは彼が一緒にいてくれたからだったと思う。


 鞄の中から携帯の着信音が聞こえ、携帯を取り出した。だが、発信者の宮野君の名前を見て、ドキッとした。

 高鳴る鼓動を抑えながら、携帯を耳に当てる。


「昨日、無事に帰れたか気になって」

「大丈夫だよ」


 もう一日経っているのに。私にメールを送る時間くらいあるはずなのに。

 最初なら彼がそうしてくれたことで十分だった気がする。うれしくてたまらなかった。それどころか今は反発を覚えていた。

 彼と一緒にいることで、どんどん気持ちがよくばりになっていってしまっていた。



 彼もわたしの言葉から何かを感じ取ったのか会話が途切れる。

 どちらも何も言わず、沈黙の時間をすごすことになった。


 唇を噛み、時計の物音だけが響く時間に終止符を打つ。 

 彼に反発心を覚えながらも自分が望む言葉を言ってくれることを期待していたのだ。


「わたし、告白されたの」

「岸川?」


 彼があっさりと相手を言い当てたことに驚きを隠せなかった。


「断るなら断ればいいし。俺を理由に使ってもいいし。まあ、いいやつだし、つきあってもいいんじゃない? 別に俺に君を止める権利も、必要もないから」


 戸惑うわたしを気にしたそぶりもなく、彼はいつものように淡々と、冷めた言葉で言っていた。彼は他愛ない表情をし、淡々と言っているんだろう。彼はそう言うことは分かっていた。それが最初に交わした二人の約束だったからだ。


 自分が宮野君の立場であればと考えたときに、その思いの違いは対応さえも変えてしまう。だが、そのことで彼を責めることはできない。彼はずっと一貫していた。自分が一方的にその気持ちを膨らませていっただけのことだ。


「そうだよね。ゆっくり前向きに考えてみるよ」


 精一杯の明るい言葉を出す。だが、こんな曖昧な関係を続けていけば、いつか彼に同じ事を言われてしまうだろう。そのときに傷つきたくなかった。そしてわたし自身が宮野君のことで嫌な人間になることが耐えられなかった。そうするための方法が今のわたしには一つしか思い浮かばなかった。


「だから終わりにしようか。こんな無意味な関係」

「君がそうしたいならいいよ」


 間髪なく、彼から告げられた同意の言葉に返事をすると、自然に電話は切れる。通話時間の表示された携帯を手に、窓の外を見る。

 いつの間にか紫色の光が空を包み込んでいた。だが、それでも雲ひとつない宵の空に、星が瞬き始めていた。いつもは美しいと思う夜空もその日は霞んで、泣いているように見えた。


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