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大好きだからこそ

 夏の肌を焼くような暑さは一日ごとに増していく。わたしはガラス越しに差し込む太陽光に天を仰いだ。


 彼の家に泊まり、一週間が経過した。

 あれから彼から電話をしたり、メールをすることもなく、会うこともなかった。

 デートには行ってくれると行ったが、毎日電話をしないといけないと約束したわけでもなく彼の言葉は当たり前だと分かりながらも、複雑な気持ちでいっぱいだ。


 せめて体調を気にしてくれてもいいのに。

 宮野君のお母さんが翌日心配して電話をしてきてくれたこともあって、その差をひしひしと感じていた。

 自分で電話をかければ彼はそれなりの対応をしてくれるだろう。

 それが分かっていても、彼から心配してもらいたいという気持ちが電話をかけようとする決意を削いでしまった。自分から電話して元気になったとアピールするのと、電話をかけてきてもらうのはやっぱり気持ちが違うのだ。


 着々と減っていく夏休みの日数に、もどかしさとやるせない気持ちで過ごしていた。

 わたしはまた、宮野君のことを考えてしまっていたのに気付き、気持ちを入れ替えるために自分の頬をつねった。


「気持でも入れなおそうかな」


 携帯をリビングのソファに置いていたバッグに放り込むと、家を出ることにした。


 玄関を開けると、痛みを感じるほどの日差しが肌を焼く。


 だらだら過ごして、学校に行かなくていい最高の夏のはずなのに、その現状を一言で表せば物足りない時間だ。


 その理由は宮野君に会えないからだ。一年の春先に彼を見て、そのたびに彼に会えない長期休暇をすごしてきたが、今年の夏休みは今までのものとわけが違っていた。こんなことならもっと勉強をし、毎日でも彼を誘えるようにしておけばよかったと反省するのが日課のようになっていた。


 曲がり角を曲がったとき、わたしの目の前に長い髪の毛が飛び込んできた。小柄な彼女は一瞬身を震わせると、大きな目を見開き、口元を緩める。背筋を伸ばすと、深々と頭を下げていた。


「久しぶりです。お出かけですか?」


 彼女に会ったのはあの試験勉強のとき以来で、一ヶ月振りだ。

 彼女は両脇にスーパーのビニール袋を抱えていた。彼女の細腕に錘のような荷物が付着しているように見え、心配になっていた。


「散歩。することなくて暇だったから」

「この前、体調を崩していたと聞いたんですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ」

「そうなんですね。よかった。心配だったけど、先輩に連絡を取るのも迷惑かなって思って」


 彼女の優しさを感じ、口元がほころぶのが分かった。


「迷惑なんてことないよ。毎日暇しているから。ののかちゃんは買い物?」


 彼女は目を輝かせ、勢いをつけうなずく。


「久々にお父さんが帰ってくるらしくて、買い物をして出迎えようかなって思って」

「久々って」

「今、単身赴任をしていて一人暮らしなんです。先輩と似たようなものですよ」

「一人ってお母さんも一緒なの?」


 今、自分の置かれている状況を思い描きながら、そうたずねていた。だが、彼女は首を横に振る。


「わたしのお母さんは小学生のときに離婚しました。今はもう会っていません」


 先ほど自分の口にした軽々しい言葉を恥じていた。謝ると、彼女は嫌な顔をせずに目を細めていた。


「気にしていませんよ。わたしもいっていなかったから、気を遣わせてしまってごめんなさい。よかったらわたしの家に来ませんか? わたしも暇していて」


 ののかちゃんはわたしに気遣わせないためか、さらっとそう口にする。

 彼女はこういう子なんだと改めて実感する。

 彼女のやさしさに乗るのと、彼女の家を見てみたいという好奇心からその誘いに乗ることにした。


「ののかちゃんの家、行ってみたいな」

「ありがとうございます」

「荷物を持つよ」

「いいですよ。大丈夫です。家までもう少しですから」


 少しでも両脇に重い荷物を持っている彼女の助けになればと思ったが、ののかちゃんは頑なに荷物を渡そうとはしなかった。自分よりも小柄な彼女が大きな荷物を抱えている一方で、財布と携帯しか入っていないショルダーを持っているだけのは居心地が悪かった。


 彼女の黒いスニーカーが止まる。目の前にそびえていたのはあたりの家よりもひときわ大きな家だった。里崎と書かれた表札を掲げた茶色の外壁の間を埋めるように黒い鉄製の柵が一定感覚で並んでいる。その奥には緑が茂っているが、よく手入れされているとは言いがたく、草は太陽に向かい奔放に背を伸ばしていた。


「広い家だね」


 おもわず出てきてしまった言葉に、ののかちゃんは寂しそうに目を細める。その表情を見て、口にした言葉を恥じていた。一人暮らしを満喫しているわたしとは違い、ののかちゃんにとってはそうでなかったと気づいたからだ。


「ごめんね」

「気にしないでください」


 彼女は柵の中に手を忍ばすと、柵をあける。わたしに声をかけ、招き入れた。柵を閉めると、奥に行く。玄関まで来ると、持っていた鍵を差込んでいた。


 外観を見たときから想像がついていたが、玄関は十人ほどが同時に入れるのではないかと思うほど広々としていた。広い空間と対照的に白いヒールのないサンダルと、学校にはいて行く黒のローファーがぽつりと置いてある。


 単身赴任をしているという父親の存在さえ感じることができなかった。それが彼女の独りでいた時間の長さを暗に伝えているような気がしてならなかったのだ。目だった塵一つない廊下を横切り、リビングに通された。そこも目を見張るような広さがある。テレビやいダイニングテーブルといったどこの家でもあるようなものが置いてあるが存在感はあまりない。モデルルームのような家というのが率直な感想だった。


 彼女に促され、ソファに座る。

 彼女はビニール袋を床に置き、流し台の奥に入っていく。しばらく経ち、鼻腔に強い香りが届く。顔をあげると、ののかちゃんがテーブルに紅茶とクッキーを並べていた。


「よかったらどうぞ」


 彼女に促され、紅茶を口に含む。苦さはあるが、のどに不快感は与えずすっと体の中に入ってくる。


「おいしい」


 その言葉に彼女は目を細めていた。


「クッキーもよかったら食べてください。お口に合うかわかりませんが」


 お礼を言うと、白いお皿に乗せられたバタークッキーを一枚手に取り、口に運ぶ。口の中に入れるとすぐにクッキーが割れ、さくっとした歯ごたえを楽しむことができた。


「おいしい。ありがとう」


 ののかちゃんは肩を寄せると、屈託のない笑顔を浮かべていた。


「よかったです。渉のお母さんにもらったんです。多めにかったからって」


 まだ付き合いが浅いからか、彼女は暗い顔をしたりすることはほとんどない。以前、宮野君が必要以上にののかちゃんにかまっていたことを思い出し、彼の気持ちが理解できるような気がした。それが幼馴染であれば、その気持ちはより強くてもおかしくはないだろう。


 わたしは彼女の力になりたい一心でそう口にしていた。


「たまにわたしの家にでも遊びに来てよ。わたしも一人暮らしだし。あまり料理は上手ではないけど、よかったらごはんでも食べに来てね」


 一度目を見張るが、すぐに首をわずかにかしげて目を細める。


「先輩もよかったら遊びに来てくださいね。お父さんは少しいて、またすぐに戻るみたいですから」

「どこかに出かけたりするの?」


 彼女は首を横に振る。


「忙しい中、無理に帰ってきてくれるのを知っているから、家でゆっくりしてほしいなって思っているから、出かける予定はないですね」

 

 彼女の言葉の節々に、彼女の父親への想いが含まれているような気がした。


「お父さんと仲がいいんだね」


「あまり会えないから喧嘩をすることもなかったし。わがままを言って困らせたくないから」


 彼女がしっかりしているのはそんなところがあったのかもしれない。



「小さいころは大変だった?」


 彼女は首を横に振る。


「離婚後は渉や、渉のお母さんがわたしの面倒を見てくれるということになったから、渉の家で暮らしていたんです。渉の家族はみんな優しくて、そんなに大変ではなかったかな。中学三年からここで一人で暮らすようになりましたけど」


 彼の家族との距離が必要以上に近いと感じたのもそうした事情があったからなのだろう。


「ついでに英語の勉強もしていたのも、中学生のときに一緒に行くかって話になっていたから、小学生のころから念のため英会話に通っていたんです。わたしも一緒に暮らしたくて、必死に勉強をしていたんです。結局、わたしをひとりにしておくのは心配だけど、連れて行くのが心配だからって一緒には暮らせなかったんだけど。渉も一緒に勉強をしてくれたりして」


 二人の幼いときの様子を想像し、胸を痛めた自分の狭い心に気づかない振りをする。

 彼にとってののかちゃんは言葉通り妹なんだろう。

 その気持ちが恋愛に変わったことはなかったのだろうか。


 彼女は屈託なく笑うと、紅茶のカップに手を伸ばす。


「宮野君は優しかった?」


 わたしの問いかけに彼女はゆっくりとうなずいていた。


「いつもそばにいてくれて。お兄さんみたいだったかな。一緒に花火を見に行ったり、海に行ったり」


 ののかちゃんは懐かしそうに語ってくれた。

 彼女には宮野君との多くの思い出があり、細かく語りつくせば、その思い出は一日や二日で語れないものだろう。だが、わたしは違っていた。


 彼女が聞かせてくれる思い出話にはわたしの知らない宮野君がいたからだ。彼女はそんな二人の関係を示すために話をしたわけでないことは分かっていたが、言いようのない距離感を感じていたのだ。


 彼女の家で夕刻まで過ごし、家をでることにした。ののかちゃんの家にいるのは楽しかったが、二人の深い絆を想像以上に思い知らされる結果となった。そして、同時にののかちゃんが大好きなお父さんと暮らすために、いろいろ頑張っていたことに気付かされた。


 ののかちゃんと単純に比較するのもどうかと思うが、わたしはどうだったんだろう。

 宮野君のことが好きで一緒にいたいと思ったのにも関わらず、テストの点も不十分で、彼の好意でデートをしてもらっても熱を出し、その後も連絡を取ろうとはしなかった。

 わたしは何を頑張ってきたんだろう。


 クラクションの音に我に返る。わたしがわきによけると、車がすり抜けて行った。

 どうやら想像以上にぼうっとしていたようだ。

 家に帰ろう。

 そう思ったとき、ブラウンの外壁が目に飛び込んでくる。思わず表札を確認すると、そこには宮野と記されている。


 予期せぬ場所に来てしまったことに戸惑い、宮野君の家族に家に戻ろうと踵を返したとき、眼前にスーパーのビニール袋を手にした宮野君の姿があった。


 彼はわたしがいたことに驚いたのか目を見張るが、すぐにいつもの顔に戻る。

 わたしの背中には冷たいものが流れ落ちる。


 まるで宮野君の家に押しかけてしまったみたいだ。

 ののかちゃんのことを言えばいいのにも関わらず、わたしの頭の中はいっぱいいっぱいで、今の状況をどうやってごまかそうかと考えていた。


 わたしが動けないでいると、彼は大げさに肩をすくめた。


「何か用だった?」


 今まで感じていた緊張や焦りがすっと消える。

 優しい笑顔に後押しされるように口を開いていた。


「明日一緒に出かけない?」


 

 ののかちゃんと宮野君の関係は想像以上に深く、本物だった。

 わたしと宮野君の関係は偽物で、それがずっと悲しかった。それを本物にしたいのなら、二人の距離を少しでも縮めたいと思うなら、自分がもっと頑張らないといけないと気づいたのだ。


 勇気を振り絞り、彼が唇をふるわせるまでの時間が、いつもと同じ時間が流れているのが疑わしく感じるほど長く、それでいて重く感じていた。


「いいよ。どこに行く?」


 彼の問いかけに驚きの言葉で返す。どこかに行きたいと抽象的に考えていたが、具体的には何一つ考えていなかった。


 昨日、ネットを見ていて水族館の広告が出ていたのをふっと思い出す。

 この近くにも電車で通える距離に水族館があった。


「水族館はどう?」


 彼は涼しい顔で受け入れてくれる。


「いつがいい?」

「明日でいい?」


 それが今日の経験がわたしに出させた答えだった。

 彼は唐突な誘いを受け入れてくれた。

 待ち合わせ場所と時間を決めると、彼とその場で別れることになった。


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