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デートのはずだった日

 手を伸ばし、さすように突き出してくる日差しをさえぎった。だが、手の表面積など体に比べると狭く、その輪郭から針のような日差しがつきささる。

 七月に入ると、日を重ねるごとに、気温が上昇してくる。夏休みに入ると、それは加速する一方だった。その湿気に満ちた空気は体に不快感を与えるだけではなく、水分を奪い、体自体を弱らせていく。


 わたしはその暑さに飲まれないように何度も深呼吸をしていた。体がだるく、気を抜けば意識が消えてしまうのではないかと思ってしまうほどだった。


 何で今日はこんなに暑くてだるいんだろう。

 このまま家に帰って眠ってしまいたい。

 宮野君とのデートの日に何を考えているんだろう。

 宮野君が来たら笑顔で、挨拶をしよう。


 そんな迷いを振り切るように、グレーのサテン地のワンピースの裾を握るが、力が十分に入らない。帽子を持ってくるどころか、髪の毛もほとんど寝起きの状態で、なんとか前日から準備していたワンピースを着て、目に付いた黒のサンダルを履いて待ち合わせ場所の家の近くにある大きめの公園にやってきただけだ。


 名前を呼ばれ、振り返ると、白いシャツを着た宮野君の姿がある。

 挨拶を返す前に、彼は無言でわたしとの距離をつめてきた。わたしの額に右手を伸ばす。体はその戸惑いを受け入れずにその場に立ち尽くしていた。彼の触れた部分は氷水に浸したような心地よさを与えていた。


 もっとこうしていてほしい。


 そんな感触も眉根を寄せた彼の表情を視野に納め、取り払われる。


「家まで送るよ」

「どうして」


 間の抜けた声のせいなのか、反応のせいなのか、宮野君はあきれたような表情でわたしを見ていた。


「熱があるなら家で大人しくしてろよ」

「熱なんてない」

「自覚あったんだよな。測ってなくても」


 彼の言ったことは当たっていたのだ。

 朝起きたときに普段感じることもないふらつきを覚え、熱があることは分かっていたのだ。だが、彼と一緒に一日を過ごしたいという気持ちから熱も測らず、気付かなかったという言い訳をし、ここまでやってきていたのだ。


 黙っているわたしに宮野君は追い討ちをかけるように言葉をつむぐ。


「だいたい、そんな体でうろつかれたら、他の人にも迷惑だろう。風邪もうつるかもしれないし」


 彼はわたしを逃さないかのように腕をつかむ。


「ごめんなさい」


 声にならない声をだし、歩き出した彼にやっとの思いで謝っていた。

 無言の彼に導かれ歩き出す。サンダルのかかとを地面につけようとしたが、その自分が足をつけようとした場所がいつもの平坦なコンクリートではなく、山の赤土の上を歩いているような違和感を覚え、思わず足を止める。


 宮野君も後ろを歩くわたしの異変に気付いたのか、足を止め、肩越しに振り返る。彼の視線がわたしからそれ、辺りをさまよう。その彼の視線がわたしの後方で止まり、わたしの持っていたバッグを奪う。


「とりあえず座ろうか」


 彼はわたしの返事も聞かずに、引きずるようにして五歩ほど離れた場所にある青色に塗り替えられたベンチまで連れて行く。そこに座らせると、自分は立ったまま黒の鞄から携帯を取り出し、どこかに電話をかけていた。難しい顔をしていた宮野君が息を吸い込む。


「車を出して欲しいんだけど」


 二言ほど言葉をかけと電話を切りわたしを見ていた。


「今から母さんが迎えに来るってさ」

「いいよ。悪いし。歩いて帰れる」

「さっきの状態を見ていたら無理だって分かるよ。途中で倒れられたら迷惑だから、大人しくしていろよ」


 彼の整然とした話はわたしの胸を打ち砕く。同時に、自分へのふがいない気持ちで打ちひしがれていた。

 宮野君はわたしの隣に座ったが、さっきの言葉を象徴するように、わたしと目を合わせることさえしない。


 しばらくたつと、宮野君の携帯が雑踏にかき消されそうな小さな音を奏でていた。宮野君は携帯を耳に当てると、言葉を交わす。彼の視線が背後を泳ぎ、わたしに戻った。


 何かを言おうとした宮野君の言葉を、彼よりも一オクターブほど高い声があっさりと打ち消していた。同時にわたしの視界に艶やかな黒髪が映り、まつげの長い女性が心配そうに眉を寄せていた。彼女は白い手でわたしの額にすくうように触れると、小刻みに息を呑む。


「こんなに体調悪いなら、無理したらだめじゃない。病院まで送ろうか?」

「大丈夫です。眠れば大丈夫だと思うし」


 彼女の優しい言葉に胸を痛めると同時に、遠巻きに二人を見ていた宮野君の表情が視界に映る。奈々さんが自分を心配してくれているからこそ、宮野君がいかに冷めた目で見ているかに気付いてしまったのだ。その気持ちのぶれに気付かれないように、唇を軽く噛んだ。


「歩ける?」


 わたしが頷くと、彼女は持っていた車のキーを宮野君に渡す。宮野君は車のある場所の確認を済ませるとそこから離れていた。

 彼が去ったことに息をついたのもつかの間、奈々さんが手を差し伸べてきた。


「ゆっくりでいいから歩こうか。歩けないなら、渉におぶってもらってもいいけど、女の子だし嫌よね」


 彼女の言葉に精一杯うなずいていた。宮野君が嫌だったわけではない。わたしをどうでもいいと思っている彼に触れられるのが嫌だったのと、彼にこれ以上迷惑はかけたくないという気持ちからだった。


 足を踏み出したわたしに寄り添うように奈々さんがいてくれた。まずは目的地を確認する。公園を取り囲む樹木の向こうに公園の専用の駐車場があり、そこに見覚えのある車がとめてある。距離に換算すると五十メートルほどであろうか。


 足を踏み出すが、硬い地面の上を歩いている感触もなく、重心が不安定になる。そのふらついた感触に意識さえも奪い去られてしまいそうになっていた。熱もあがっているのか、体の各所に冷気が宿ったように身震いする。弱気な気持ちを押さえつけ、乱れる呼吸を必死に整えようとしたわたしの腕が掴まれる。

 わたしの腕をつかんだのは車のところにいったと思っていた宮野君だ。


「俺が連れていくから母さんは先に車のところに戻っていて」

「でも」

「何かあったら俺には車を動かせないから」

「分かった」


 彼女はカギと二人分の荷物を受け取ると、車のほうに歩いていく。


「歩くの辛いみたいだから、抱えるよ」


 そういうと宮野君はひょいとわたしの体を持ち上げ、横抱きにした。


「宮野君?」

「文句なら治ってから聞いてやるよ」


 文句なんていうわけないのに。


 彼はそういうとわたしの意見を聞かずに車のところまで連れていく。奈々さんが車の助手席の後方の扉を開け、わたしは車に座ると、背もたれに持たれる。すぐに奈々さんが前方の運転席に座り、冷房を入れてくれた。


 宮野君はそのまま扉を閉めると、宮野君が運転席の窓越しに何かをはなしかけているのが見えたが、朦朧とする意識では、どんな話をしているか聞き取ることもできなかった。彼はそのまま車の前方を横切り、助手席に座るのかと思っていたが、運転席の背後の扉を開け、熱気とともに車内に入ってきた。


 わたしの手をひんやりとした感触が包む。反射的に自分の右手を見ると、宮野君の手がわたしの手の上に重ねられていたのだ。予想外の行動に体を棒のように硬直させていると、彼が顔を寄せ、耳元でささやく。


「家についたら起こすから、きつかったら眠っていてもいいよ。もたれかかったほうが楽ならそれでもいいから」


 その言葉に緊張が極限に達していた体から、芯が抜けるのがわかった。わたしは宮野君にもたれかかると、安堵感に浸るように目を閉じていた。


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