わたしの知らなかった秘密の話
わたしは帰ってきたテストを見て、深々とため息をつく。前の時間に手元に届いたのは一番出来がいいのではないかと思った化学のテストだった。だが、それでも宮野君の言っていた点数を軽く上回っただけで、足を引っ張っていた英語や数学の点数をカバーすることは出来なかった。
「でも、頑張ったよ。中間よりはよかったし」
あいはわたしのテストを見て、肩を寄せ、目を細める。
あいはわたしに勉強を教えてくれていただけあり、宮野君の言っていた八十という点数を全科目で上回っていた。彼女の点数だけをもらいたくなるが、現実逃避をしても仕方ないことは分かっていた。
期待に満ちていた夏休みの計画が一気に崩れ、思わず机に顔を寄せる。
「親は大喜びだろうけど、問題は宮野君だもん」
彼が平均七十を超えたテストを見て満足をしてくれるとは思えない。彼の点数は恐らくわたしの点数を軽く上回ってくるだろう。
本来は夏休みといえば、学校に行かないでいいことから、楽しい時間だが今年に限ってはそう一概には言えなかった。デートもせず、学校に行かないとなれば宮野君に合う時間は皆無に等しくなり、休みという絶好のロケーションを恨みたくもなってくる。
「でも、いいって言ってくれるかも知れないよ」
今この場所で仮定の話をしても無意味であることは分かっていた。あいの優しさだけを受け止め、やるせない気持ちは胸の奥に潜めておくことに決めた。
コーヒーから湯気が円を描くようにして天井まで伸びていく。だが、その湯気はわたしの目の高さまで来ると姿を消失する。
その湯気と空気の入り混じった向こう側では、宮野君がわたしの渡したテスト用紙に無言で視線を走らせていた。
何度も彼に対して条件を緩和してくれないかという問いかけをコーヒーで体内に押し込んだ。口には香ばしい香りが広がる。女々しい気持ちを振り払い、確認のために彼に問いかけることにしたのだ。
「点数、足りないよね」
宮野君の黒髪が風に揺れ、彼の目にわたしが移る。視線がテストに落ちてから、初めてわたしを視野に納めていた。彼は口元を緩ませると、指先でプリントを一枚ずつ弾いていく。
「七十五にも届いてないみたいだし。論外だな。でも、今までのテストの点数があまりにひどいことを考えると上出来かもな」
「なら」
最後に届いた優しい言葉に期待を込めて顔を上げたが、クールな宮野君の目を確認し、視線を延々と白い蒸気を出し続けるコーヒーに戻していた。
「そんなに俺とデートをしたい?」
どこか挑発するような言葉に、動揺を悟られないように言い聞かせる。
「ただ、夏休みに遊び相手がほしかったからで」
「まあ、そういうことでもいいよ。どうせこの点数だと無意味な話だから」
そんな冷たい言葉を浴びせる彼のテストが、わたしの座っているソファの隣に重ねてある。彼がどの程度の点数を取っているのか気になり、自分のテストを渡す前に見せてもらったのだ。
その点数は八十どころか、九十を割ったものさえ一枚もない。テスト問題もわたしが試験のときに勉強していた内容をややこしくしたような問題が並んでいた。
彼は言葉通りの優等生であり、欠点らしい欠点は見当たらない。運動も勉強もあまり得意でないわたしとは対極に位置する存在だ。
彼に少し負い目を感じていた。
彼は大きな指先を顎に当て、冷めた視線を送る。
「今までの成績が成績だし、君がどうしてもしたいというなら、一度か二度くらいならしてあげてもいいよ」
状況が飲み込めずに、眉をひそめ彼の表情を伺っていた。
彼はわざとらしいため息をつくと、再びもれてきたため息と共に言葉をつむぐ。
「デートの話」
「本当に?」
その言葉に驚き、思わず身を乗り出したわたしを見て、宮野君が口元を歪め、肩を落とす。その表情はばかにしているというよりはからかっているように見えた。自分が身を乗り出したことに気付くが既に手遅れと化していた。
「君次第だけどね。俺はどっちでもいいし」
結局、半強制的に宮野君にデートがしたいとの本心を言わされることになった。
だが、なぜ彼が八十点という点数を自分に課したかが分からなかった。親でもない彼にとってわたしがどんな点数を取ろうと関係なく、そこにあえて介入してくる本煮を図り損ねていた。
自分の彼女が悪い点を取ったら恥ずかしいというのもしっくりこない。
そもそもわたしを優等生と思っている人は誰もいないのに。
「どうして八十点なんて取れってそんな無謀なことを言ったの?」
彼の甘い言葉に助けられ問いかける。
「別に無謀じゃないし、来年受験なんだからだらだらしているよりは有意義だろう」
コーヒーカップを離し、そう言葉をつむいだ彼の返事は一見意味を成しているが、わたしの疑問を解決するには不十分なものだった。
夏休みの前に三者面談がある。今までのテストを並べられ、憂鬱になるのが当たり前と化していたが、今回だけはテストの点数も関係し、憂鬱なものではなかった。電話越しに三者面談とテストのことを母親に伝えておいたが、彼女はわたしの話を簡単には信じなかった。こともあろうか、三者面談のために戻ってきた日にテストを見せるよう要求してきた。テストの点数を確認した母親は呆気に取られた様子でテスト用紙を見ていた。
「優菜がこんな点数を取るのは高校一年の一学期以来ね。正直、中間とそんなに変わらない点数ばかり取ると思っていたけど。これで一人暮らしは大丈夫そうね」
聞き捨てならない言葉に母親を見た。彼女はわたしの心情に気付いたのか、大げさに肩をすくめていた。
「お父さんと相談してね、優菜の点数が中間と比べて著しく落ちるようであれば、二学期から転校をさせようかと相談していたの。でも、この点数なら合格点ね」
その言葉に目を見張る。鍵やガスといつた安全面に関することは口うるさく言われたが、勉強に関することは一言も触れてこなかったからだ。
「言ってくれないと分からないじゃない」
「あくまであなたの自主性を見てみようってことになったのよ。今までどんなに煩く言っても無駄だったでしょう。でも、自力で変わったなら大丈夫ね」
テスト前には寝る間を惜しんで勉強をしていたが、自力で勉強を始めたわけではなかった。宮野君にあのような条件を出されるまでは、テストなどいつもの延長戦上にし考えてなかっだ。だが、宮野君の突拍子もない発言と母親の言葉がつながっている気がした。
「そのことは宮野君は知っているの?」
「宮野君のお父さんは知っていたみたいよ。お父さんが何でも話をしてしまっていたから」
だから、彼はわたしに勉強を強いていたのだろうか。秘密裏に別の話が展開していることを知り、わたしに対して同情をしていたのか、彼自身が一緒にいることを望んでくれていたのだろうか。二つの考えを導き出し、後者だけは否定しておく。現実的に考え、それは思い込みでしかないと分かっていたからだ。




