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きづいた気持ち

 別にののかちゃんが嫌いなわけじゃない。むしろ、好きだし、優しくて本当にいい子だと思う。だから今の自分の気持ちが浅ましくて、醜くさをひしひしと感じる。さっきの行動への戒めと、キスをされたことを思い出し、この場に居続けることにさいなまれていた。笑うどころか、その場にとどまることもできなくなっていた。思わず立ち上がる。


「わたし、用事を思い出したから帰るね」


 ののかちゃんは戸惑ったようにわたしを見ていた。その彼女から目をそらす。

 彼女が声を漏らし、立ち上がり、わたしと宮野君にたいして頭を下げていた。


「わたし、友達と買い物に行く約束をしていたのを思い出したの。だから、二人でごゆっくり」


 彼女は机の上に置いていた本を手に取ると、振り返らずに慌ただしく部屋を出て行った。その間、わたしや宮野君を見ることもなかった。

 ドアが閉まり、階段をかけていく音で我に返る。

 宮野君を見るが、彼は涼しい顔をしたまま表情一つ崩さない。彼女の名前を出すことに罪悪感を覚えながらも、そう問いかけずにはいられないでいた。


「いいの? ののかちゃんのこと」

「用事があるって言っているんだからそのままでいいんじゃない?」


 そうあっさりとした返事をした宮野君の言葉を胸中で打ち消したが、それを口に出すことはできなかった。唇を噛み、軽くこぶしを握ろうとしたとき、冷めた声が響く。


「君は帰らないの?」

「帰る」


 その突き放された言葉に体が熱くなる。合わせる顔がなくなり、その場を去ろうとしたとき、彼の大きな手が伸びてきて、わたしの手をつかんでいた。


「帰るなら止めないけど、もっと早く言ってくれればよかったのに。母さんには俺から伝えておくよ」


 そうだ。今日はただ宮野君の家にいくのとは違う。

 彼のお母さんにお昼を作ってもらう約束になっていたのだ。


 彼の言葉に頷く。用事はなかったが、このままは居辛く、少し頭を冷やしてこようと思った。


「すぐ終わるから、昼前には戻ってくるから」

「いいよ。強引に誘ったのは俺だから」


 玄関先で彼に見送られながら、家を出ることにした。行くあてもなく、どこに何があるのかわからないので、近くをふらっとし、一時間ほどで戻ろうと決めたのだ。


 夏が直前に迫っていると告げるじめじめとした風が肌をかすめていく。肌をたたく風をよけるように、髪の毛を耳にかけた。


 人気のない住宅街で足を止め、がくりと肩を落とした。


「何をやっているんだろう。バカみたい」


 今まで憧れだと言い張っていたのがことが虚言でしかなかったと思い知らされたのだ。偽りの関係でしかないのは分かっている。それでも宮野君とののかちゃんを見ていたら、当たり前のように親しい関係を築く彼女に嫉妬してしまったのだ。


 わたしは宮野君のことが好きなのだ。ずっと遠くで見ていたときから。

 本当に情けない。

 宮野君も貴重な時間を割き、勉強を教えてくれまでしたのに関わらず、恩をあだで返してしまっていた。手にした荷物を握る手に力をこめる。考えるほど、宮野君にも合わせる顔がなくなっていた。


 目の前にある茶色の外壁の家の奥に緑がのぞいているのに気付いた。歩を進め奥を見ると、キャッチボールができる程度のグランドが備わっている公園があった。奥には網越しに誰も座っていない青で塗られたベンチがある。そこで時間をつぶそうと決める。だが、その奥で何気なく確認した姿に足が固まっていた。


 彼女が柔らかい髪質の髪を揺らしながら、わたしのもとへ駆け寄ってきた。彼女の手にはさっきの図鑑の入った袋が握られたままだった。まだ家に帰ってなかったことに、胸が痛んだ。


「どうかされたんですか?」


 真っ先に問いかけられた自分を気遣う言葉に胸の奥が抉られたように痛む。


「少し散歩をしていたの。気分転換」


 罪悪感を吐き出すこともできずに、差しさわりのない言葉を選び出す。

 彼女はわたしの言葉を素直に受け取り、目を細めていた。


「そうなんですか。体調が悪いのかなって心配になったけど、よかったです」


 なぜ彼女はこんなにいい子なのだろう。

 あの宮野君を好きな子みたいに敵対心を露わにしてくれたらすっきりするのに。


「さっきのことだけど」

「気にしないでください。わたしって少し無神経なところがあるから、気付かなかったんです。わたしのほうこそ二人の時間を邪魔してごめんなさい」


 一度も笑顔を崩さない彼女の態度はわたしの罪悪感を増大させていく。

 彼女から自分をのけものにしようとしたことをひどいと文句を言われたほうが気が楽だった。


「お時間があるなら、少しだけご一緒してもいいですか?」

「ありがとう」


 その言葉にはいろいろな気持ちをこめていた。彼女はその理由を聞くことなく笑顔で答えていた。

 二人で公園の中に入ると、親子連れなのか、小さな男の子と父親が遊んでいた。男の子の手には彼の体ほどありそうな大きなボールが握られていたのだ。父親らしき男性の言葉に耳を貸すことなく、頑なにボールを抱き続けている。そんな家族を見て、ののかちゃんは幸せそうに笑っていた。


 公園の入り口から小柄な女性が入ってきた。彼女はその親子連れのところまで行くと何か話をしていた。男の子はボールを父親に渡すと、その手で母親の手を握っていた。そんな男の子を見て苦笑いを浮かべる両親を見て、家に帰宅するのを男の子が渋っていたという状況が思い浮かぶ。三人は並んで公園を出ていく。

 一瞬ののかちゃんの表情がゆがむのに気付いていた。だが、数秒後にはいつもの穏やかな表情を浮かべていたことから、先ほどの違和感は心の中にとどめておく。


「行きましょうか」


 彼女についていき、奥にあるベンチに腰をおろす。背後は大通りに面し、網越しに車が排気音をまき散らしながら走っている。


 ののかちゃんはスカートの裾を押さえ、ゆっくりと座る。膝の上にさっきの紙袋を載せるようにして置いた。

 大きな目がわたしを捕らえ、促されるようにして座っていた。


「渉ったら何も教えてくれないから初めて聞いたときはびっくりしましたよ。武井先輩とつきあっているって」


 友達に言いふらしている彼がなぜかののかちゃんには彼女の話はしていなかった。その必要がないからか、彼女に知られたくないからかはわからなかった。だが、嘘を固めていくにはののかちゃんにも言っておいたほうがいいに決まってる。


 彼が半端に約束を遂行していたことに今更ながらに戸惑っていると、彼女は肩をすくめて目を細めていた。


「中学校のときから人気があったけど、はじめて彼女を作ったのが武井先輩だったんです。毎日送り迎えをしているって聞いてびっくりしちゃいました。昔から他の人には無関心なところがあったから先輩は特別なんだなって」


 少し寂しそうに笑う彼女の表情を見て、その本心を垣間見た気がした。

 そんな予感を振り払う。ののかちゃんが宮野君に幼馴染以上の感情を抱いているなら、敵わないと分かっていたからだ。


「渉は無神経なところもあるけど、よろしくお願いします」


 丁寧な彼女の言葉に、心が押しつぶされそうになっていると、車のクラクションが鳴る。

 至近距離で鳴った音に戸惑い、振り返ると黒の車が止まっていた。そこから穏やかな笑みを浮かべている見覚えのある女性の姿があった。宮野君の母親の奈々さんだった。彼女は車を公園側に寄せると、エンジンをかけたまま車の窓を開けた。


「待ち合わせ時刻って十時じゃなかったの?」


 その言葉に公園にある時計を見ると、十二時を指している。彼女の家でお昼をごちそうになる予定だったので、彼女が戸惑うのも当然だった。どう返事をしていいのかわからないでいると、隣にいるののかちゃんが一歩前に進む。


「勉強の息抜き中らしいです。偶然そこで会って」

「そうなの? よかったら家まで乗っていく?」

「いえ、少ししてから行きます」


 奈々さんはののかちゃんをちらっと見る。


「歩くのも気分転換になるわよね。よかったらののかちゃんも昼食を食べに来たら?」

「考えておきます」


 彼女はわたしたちに会釈をすると、車の窓を閉め、再び車を走らせる。その車が見えなくなってから、ののかちゃんは目を細めた。


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