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5話

 前任者が残していった趣味の悪い華美な座椅子。

 そこに腰掛け、新しく部下になる者から報告を聴く。


 執務室には窓があるのだが、街のならず者たちの報復を恐れ窓掛けが閉じられていた。

 

 光源として灯る燭台の火に映しだされた男は、細い眉を神経質に歪め、前任者とその部下の手際の悪さを罵った。

 部下の男は彼よりも年嵩が上だが、恐縮し媚びへつらう。

 果ては、前任者である上司の悪口まで飛び出す始末。

 呆れ、手を振り退室するように命じる。

 


 ――あの男は使えないな。

 

 新しい土地に任官する際には、連れてくる部下の数は限られる。

 領主からの賃金と己の懐具合、そして得られる利益を天秤にかけて選ぶのだ。


 今部屋を出て行ったあの愚鈍な男が使えないとなると、貴族との繋がりを作るための資金から余計に金を使わなければならない。

 新しく雇うべき、人員とその出費に、眉を歪めた。


 この屋敷の主の椅子に座る男――ブルーノは、この街での己の役割と、それにかかる期間と予算が増えたことに軽い苛立ちを覚える。

 眉間にしわを寄せる癖が出来たために取れにくくなった皺を、指でほぐす。

 壁に背をついて待機していた男に視線をやる。

 傭兵であり、ブルーノの子飼いの部下である。

 分厚い唇。その口元に残る傷跡が特徴的な男――ボーマンは、先ほどの部下が出て行った扉をにやけた顔で見ていた。

 だが、ブルーノの視線に気づいたのだろう、慌てて口元を引き締める。


「何だい、私の新しい部下が愚かだと君に得でもあるのかね? それとも、私と彼の遣り取りは見ていて笑みが溢れるほどに滑稽なものだったのかな?」


 刺を含んだブルーノの言葉を苦笑で流し、ボーマンは言い訳を始めた。


「いえね、たしかに旦那の部下が不出来だと、その分、俺の活躍の機会が増えて報酬も跳ね上がるわけだが、それは別にして奴の露骨なごますりに堪えきれなくなってしまったんですわ」


 あんまりな弁明と、悪びれないボーマンに怒るのも疲れ、彼の報告を待つ。

 ボーマンとその部下である傭兵隊には、この街の裏の顔役であるカンランの組織の動向を監視させていた。


「ああ、先ごろの襲撃であらかたの武闘派とそのまとめ役は牢屋行き。奴ら、抵抗らしい抵抗も出来ないんじゃないですかね。後は適当な罪状をでっち上げてカンランを引っ張てくれば、組織の解体も時間の問題です」


 概ね満足の行く結果だった。

 気を落ち着け、執務机に置かれたカップに手を伸ばした。

 そして紅茶が入っていないことに気付く。


 昨日の夜からそのままのカップに、今日は一度も紅茶を飲んでいなかったことを思い出す。

 ブルーノの使用人は、すべて妻と一緒に王都の本邸に送り返した。

 

 今はもとからこの屋敷に仕える二人のメイドしか残っていない。

 手元に幾人か残しておきたかった。

 だが、カンランに対する囮に使ったことが妻にばれたため、使用人を一人も残してくれなかった。

 その内に折を見て、愛する美しい妻と話す必要がある。

 防備は完璧で一切の危険がなかったことを弁解し、こちらに戻ってきてもらわねばならない。

 その苦労を思い、この執務室の椅子について以来一番大きな溜息をついた。

 領主などの権力者と付き合うちに、紅茶に対して舌が肥えてしまった。


 しかし、ブルーノの舌を満足させてくれる茶葉は、残念なことにこの場所では手に入れられなかった。

 それでも染み付いてしまった習慣から二杯目の紅茶が欲しくなる。

 ブルーノは呼び出し用のベルを鳴らす。

 

 報告がまだ残っているのか、ボーマンは退室しない。

 

 埃でも吸ったのか、咳をし、じっと立っていた。


 この屋敷の老メイドによれば、任官する以前に屋敷中を大掃除したとのこと。

 だが、目に見えない部分には手抜かりがあるのだろう。

 

 ブルーノが数日過ごした限り、目の前を埃が舞うようなことはなかった。

 今日に限って、いや先程から頻繁に埃が宙に浮かぶのが目に入る。

 

 ――まるで誰かが、慌ただしく、埃を払っているかのような。

 

 変に思い、首をかしげる。

 まあ、ここまで埃が舞うのなら、メイドの怠慢なのだろう。


 注意をと思ったが、それより先にボーマンが眼で報告の続きを促している。


「――ってなんか、今日はやけに埃が多いですね? 使用人の躾は確りした方がいいですぜ。では報告の続きをいいですかい? 部下に組織の男達がここ数日、頻繁に出入りを繰り返している建物を監視させているんですが、そこで妙な人物を見たって言ってるんですよ。黒い外套に老人を模した面の男。背中には刀剣の類が入りそうな袋を背負っているってな奴がって。で俺は一つの噂を思い出した。部下から聞いた時には、こんな街の一介のチンピラごときが殺し屋を雇うなんてだいそれたことはあるはずがないって無視してたんですが。今はちょっと確信があるんですよ。カンランが東方から殺し屋を迎え入れたってことにね」


 たしかにそのような物騒かつ、怪しい身なりの男が出入りしていたとなると、信憑性が増してくる。

 それで屋敷の警備の人員がいつもより増えているのだろう。

 だが、来るとわかっていれば、殺し屋にそこまでの脅威を感じない。

 そこまで広くないこの屋敷を私兵でみっちり固めている。

 この状況で、主たるブルーノを殺すなど不可能に思える。

 しかし、ボーマンは渋い顔で念を押してくる。


「いいですかい、確信があるって言ったのは殺し屋が雇われたってことじゃなく、その殺し屋が『東方』の殺し屋ってことなんですわ。旦那はご存じないでしょうが、東方の事情に詳しい俺の部下によると、東方出身の殺し屋はこっちの大陸のやつのような常識的な存在と、噂話から飛び出したような尋常ではない一握りの連中にわかれるそうです。まあ、そいつから聞いた限りじゃちょっと尾ひれが付き過ぎなんじゃないかといった印象なんですがね」


 ボーマンの語った殺し屋はなんともまあ荒唐無稽のものだった。

 曰く、百以上の殺しを成功させなお姿を見たものはいない。


 曰く、断崖絶壁に囲まれた要塞の中、その城主のみを獲物とし、城の兵士の誰一人に気づかれること無く命を奪った。


 曰く、すべての鍵が閉じた密室の中、がたがたと震える獲物。翌朝、唯一予備の鍵を持つ使用人が扉を開けるとそこには転がる主の死体が。


 など、様々な流言を聞かされた。

 常人にはとても出来ない信じがたいものもあれば、どう考えても第一発見者が殺人を犯したとしか思えないものまである。


「ふむ、話は分かった。しかし、その男がよしんば東方の殺し屋だとしても、その一握りとは限らないだろう。目撃したのはその部下一人なんだろう? ならば、その男の主観的なものが多分に含まれる。それこそ、殺し屋ですらない可能性もあるのではないのかね?」


 納得の出来ないブルーノが放った言葉。

 ボーマンは困ったように顎を掻く。そして奇妙なことを吐き出した。


「ええ、それこそが問題なんです。目撃した奴の話だと、ちょうど監視の交代の時間。監視は二人組で行っていたんです。つまり、その場には交代の人員を含め四人の人間がいたわけなんですがね。そのお面の男を目撃したのは四人の部下の『たった一人』だけなんですよ――これってちょっとおかしくないですかね」


 部下の奇妙な報告に、屋敷の主の顔がこわばった。



  ●


 脅すような発言の後、真剣な顔で、カンランを捕縛し実状がわかるまで屋敷の外には極力でるなと釘を刺し、ボーマンは屋敷の警備に戻った。

 彼がいなくなったことで急に心細くなったブルーノは、気を紛らわせるため湯気を立てている紅茶を口に吹くんで顔をしかめる。

 ベルを鳴らし、大声で年若い女性の使用人を呼びつけた。


「はい、旦那様! 何か御用でしょうか? 紅茶を指さされて何か――あっ、おかわりですね!」


 ブルーノの意図を誤解し、手を打ち合わせ部屋を引き返そうとする、少女と言って差し支えない年齢の茶髪のメイド――ハンナに質問する。


「君はあれかね、紅茶の一つも満足に入れられないのかね! どうやったらここまで上手に苦く、香りを殺した紅茶を入れられるんだ!」


 上手といった言葉に反応し一瞬笑顔になったが、その数秒後ブルーノの剣幕に気付いたのか、言葉を反芻し、ようやく皮肉を言われていることにハンナは気付いた。



「――うう、そんなに怒鳴らくても、失敗は誰にでもあるわけですし。それを許す寛容な心を持つことが人には必要だってお婆ちゃんも言ってました」


 謝るどころか、微妙にこちらを避難するというメイドの離れ技に、ブルーノは呆気にとられてしまう。

 ――ちなみにハンナにこの教えを施した張本人はといえば、屋敷の入り口で門番のたった一度の失敗を許さず、めん棒片手に執拗に攻め立てていたりする。


 これはあの部下だけではなく、またもはずれを引いたのかとブルーノは悲嘆にくれる。

 しかしここで諦めては、実績を積み重ねてきた自分の経歴に、己の誇りに傷がつく。

 気を取り直し、叱りつけようとした気勢をハンナが遮った。


「あれ? でも旦那様、まだ一度も私の淹れた紅茶を飲んだ事ないですよね? この紅茶は御自分で?」


 不思議そうにこちらを見詰める少女の視線に、後ろ暗いものがない。

 彼女の瞳に嘘を付いている様子はないと判断したブルーノ。

 

 ――だがそれならば、この紅茶は誰が入れたというのだろうか。

 

 もう一人の使用人は朝から出払っており、屋敷にいる使用人はハンナだけ。

 他にいるものといえば風体の悪いボーマンの部下たち。

 だが、彼らの嗜むものといえば、酒であり、紅茶を嗜むことなどない。


 それに警備のために配置されている、彼らが、わざわざ職務外で紅茶を淹れてくれるとは思えない。


『私、紅茶、入レタ』


 微かな音が、室内に響いた。

 ハンナの耳には届かなかったみたいだ。

 もしや空耳か。

 怪訝に思いながら辺りをゆっくり見回すと、黒い外套が見つかった。

 そこに服掛けはなかったはずだ。

 なぜ服が宙吊りになっているのか。

 その外套に、見覚えがない。

 ブルーノの持ち物ではないとぼんやり考える。

 

 すると外套の右袖が、天に掲げられる。


 ――服が勝手に動いた。

 ありえない自体に、思考が追いつかない。

 驚くことも忘れたまま、目が離せない。

 動いた袖の先にあるのは掃除用具――細い棒の先に布切れを数枚まとめた物だった。


 この時点になってようやく、その外套を着ている存在にブルーノは気づく。

 

 ――なぜ、中身に気づかなかったのか。

 服がひとりでに動くはずがない。

 なら、人間が中にいるはず。

 その当たり前に、安堵し、それに気づかなかった異常に、息が止まる。


 黒い外套、その背中の凶器、ボーマンの警告。

 情報の断片が繋がっていく。

 そして、誰かの手によって持って来られたブルーノの紅茶には、淹れ方だけでは説明できない異物感があったのだ。

 

 結論は出すのは容易だった。

 暗殺者が誰にも気づかれることなく彼に紅茶を用意したのだ。

 もちろん何らかの意図を持って。

 己の顔面から血の気が引いていくのがわかった。

 余りにもな衝撃のせいか、目眩が起こる。

 

 ――いや違う。暗殺者の意図など一つしかない。

 ならばこの目眩は。

 ブルーノは咄嗟に判断し、揃えた二本指を喉の奥に突っ込む。

 込み上げてくる吐き気のままに、先ほどの飲んだ紅茶を床にぶち撒けた。


「――ハ、ハンナ。毒が、早く、み、水を持って」


「ひどい! 毒だなんて! 私の紅茶は飲めたもんじゃないっていうんですか! 飲んだその場で吐き出そうなんていくら旦那様でもひどすぎます!」


 興奮し涙を流すハンナに、お前はさっき自分が入れた紅茶ではないと発言したのではないかと、今するべきではない指摘が思い浮かぶ。

 それ以前に床にのたうち回る己の主を見た感想がそれなのか。

 

 この領地の人間にまともな奴はいないのかと、ここに来たことをブルーノは後悔していた。

 だが今はそれどころではない。

 先程少し紅茶を吐いたが確実ではない。


 早く大量の水を飲み、胃の中にあるであろう暗殺者の持った毒を、すべて吐き出さなければ。

 もうこの話の通じない愚かなメイドはあてに出来ないと、もつれた足で扉に向かった。


 ――ブルーノは勢い良く開いた内開きの扉に、顔面を殴打することになる。



    ●



「えっとハンナ、旦那様はなんで床に寝転がって鼻血を出しているんだい? それに、お前が泣きべそかいてる理由を教えな」


 扉を勢い良いく開け放った老メイドは、床に転がる主と、孫のように可愛がっているハンナを見て首を傾げる。


「うえっ、ひっく、旦那様が、私の入れた紅茶は飲めたもんじゃないって、全身で表現なさってるんですぅ!」


 己の新しい主が変わり者だったことに、ため息を吐いた後、何かを思いついた老婆が尋ねる。


「そういや、ハンナ。ストックは昨日のうちに使いきっていたはずなんだけど。あんたどうやって茶葉を調達したんだい?」


 老婆の疑問に、ハンナの涙が止まった。

 顔を背ける。


「――あの、その、大掃除の時に倉庫の奥を整理していたら見つかった、埃の積もった容器に入っていたのを補充しておいたんだけど、まずかったかな?」


 老婆の記憶が確かならば、屋敷内の掃除は普段から行われているが、離れにある倉庫はここ十数年行われていない。


「うん、それじゃあ、ハンナ。新しい旦那様はお疲れのようだし、寝室に運んで夕食の用意でもしようかね」


 老婆の提案に元気よく返事をするハンナ。

 寝て起きたら、ブルーノの機嫌も少しはましになるだろう。


 それに、失敗を許す寛容さを説けば、きっと判ってくれるはずだ。


「あっ、ところで高いところの埃を掃除するはたき棒を知らない? いつの間にか無くしちゃったみたいなの」


 ハンナの大好きな老婆の教えが、間違いであるはずがないのだから。


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