37話
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「やはりこちらが本命で、他は囮か」
倉庫の扉は鮮やかな赤で、汚れていた。
マウリは己の推測が的中していたのに、あまり嬉しそうではない。
番をしていた兵士の口からは剣が刺し込まれ、そのまま後頭部に突き抜け、扉に磔になっている。
濃厚な血の匂いに、マウリの顔が青白くなる。
リオネルはふと疑問に思い、セラフィマに尋ねる。
「そういえば、遺跡の時にも思ったんだが、二人は血を見ても動揺しないのだね?」
己と暗殺者はともかく、それなりに育ちの良さそうなラーナとセラフィマ。
リオネルの問いに、二人は顔を見合わせる。
「別に血なんて狩りの獲物をさばく時に見慣れていますし――その、動揺したほうが、か弱くて儚げなだったりしますか? だったらしますけど」
確認してから動揺されても、鼻で笑うだけだ。
「そうじゃな。食べることは殺すこと。殺すことは生きること。それを恐れるような臆病者は、我が部族におらぬ」
当たり前のことを、当たり前だとラーナ。
昨日の夕食にでた豚の死骸と、目の前の人間の串刺しは、だいぶ趣が異なると思うのだが。
命は命、血は血だと、いうことだろうか。
だが、慌てふためかれ、邪魔になるよりはましか。
リオネルは部屋の中を確認するため、死体ごと扉を蹴り開けた。
部屋の前で、話し声を響かせていたのだ。
――当然、扉の中からは、リオネルに向かい一直線に刃が飛び出してくる。
「危ないから、三人は下がっていたまえ」
リオネルの警告の間にも、二手、三手と続き、剣が襲いかかる。
部屋の中の人物は、突きと共に、前に進み、そのまま部屋の外に位置をとった。
男はやはりローブ姿だ。
だが、昨日の者より一目で体格に秀でているのがわかり、争いの訓練を積んでいるものだと察せられた。
男は一行に警戒しながら、背を見せることなく、じりじりと下がっていく。
マウリ付きの神官兵は剣を構えているが、リオネルは無手、そしてファンも何も持っていない。
ある程度、距離を確保すると、踵を返し走りだす。
リオネルたちがやってきた廊下とは逆方向に。
「ばかめ、その先は」
すぐに神官兵が後を追う。
途中の扉を開く音は聞こえない。
追いかけ、数度、角を曲がったところで神官兵は立ち止まっていた。
追わぬ理由がわからず、一行も曲がり角へ。
そこは最近まで行き止まりだったのだろう。
だが、人一人が通り抜けるには充分な穴が開いている。
「これは、遺跡側から掘ったのだろうね。ご苦労なことだ」
穴からは、神殿内側に向かって、無数の壁の破片が転がっていた。
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「ええっと、これはあるし、これも盗られていない――」
倉庫内の密度が高くなっている。
それを気にすることもなく、マウリは新たに作成された目録と照らしあわせ、遺物を確認していた。
連絡を受け疾風の如く走ってきたガダフは、烈火の如くマウリの蛮勇を叱りつけた。
その勢いのまま、追討隊を編成すると、慌ただしくあの穴に消えていった。
もう一つの侵入経路である、昨日の祭壇の方の横穴にも隊を分けているらしい。
押しの弱いマウリならともかく、見るからに頑迷なガダフが、ラーナたちの同行を認めるはずがない。
一行は、しかたがないので、マウリの確認作業に付き合っていた。
「マウリよ。盗られた物の目星はつかないのか?」
口元を手で隠し、欠伸をしながらラーナが尋ねる。
夜も遅い。そろそろお子様はおねむの時間だ。
「目星ですか? そうですね。奴らが狙ったのだから、恐らく強力な武器の類だと思うんですけど――」
天外の徒の教義の一つ、神殿の教えの排除。そして己の狂信を広めること。
その排除とは物理的な意味も当然含んでいる。
「他には毒だとか、人の心を操る物があるとか、聞いたことがありますけど。目録の中にはそういった物があったという記述はありませんね」
ラーナと同年代のマウリは、眠気などないかのように、熱心に仕事に励んでいた。
奴らの目的が、倉庫の遺物であると解いた時と比べると楽なもの。
倉庫の中の一つ一つを確かめていけば、いずれなくなっている物、侵入した賊に奪われたものに辿り着く。
「武器か――ならばあの大剣が目的ではないのか?」
部屋の隅に立てかけられた『尽きぬ怨嗟』と名のついた大剣を、ラーナが指差す。
「僕もそう思ったんです。あれ以上の武器はないはずなんですけど」
武器の形をしたものは、その殆どを調べ終えていた。
未だ用途の判断できない物は、そういったわかりやすいものではなく、形からは判断すらできない物。
その中のどれかが目的なのかもしれないと、次いで、目録と照らし合わせている。
『あの~、もしもーし。神官さまー。ご機嫌麗しゅう存じ上げますが、私どもの弁解を聴いていただけないでしょうか?』
隣の部屋。
そこから、哀れな罪人の救済を求める声が聞こえる。
天外の徒に協力していた、傭兵の声だ。
神殿に牢屋などないので、街の警備隊に引き渡すまで、一箇所に閉じ込められていた。
『俺たちを騙して協力させたビフの野郎なら、この通り懲らしめておいたんで――って、そのお返事、いただけませんかねぇ?』
先ほどまで、一番必死に言い訳していたビフの声は、悲鳴と殴打の音の後には聞こえなくなっていた。
マウリの手が止まり、入り口に待機している神官兵を見る。
が、神官兵は首を振ると、隣に通じるドアを思い切り蹴った。
中の人間の短い悲鳴。
これでまたしばらく静かになる。
マウリは困ったように首を傾げはするが、また書物に目を通し始めた。
「――あれ?! なくなっている。でもなんで?」
「ん。奴らが持って行ったものがわかったのか?」
「はい。でも、なんでこれが?」
何度も確かめて、それでも納得がいかないのか、マウリは眉を寄せる。
「これって、たしか、『輝く人の小指』でしたっけ? 私が持っていた杖ですよね?」
マウリの横から、セラフィマが目録に描かれた絵を覗き見る。
「そうじゃ! きっと奴らの仲間の呪いを解くつもりなんじゃろう!」
意外に仲間思いなのだと、ラーナが素直に感心していた。
他の三人、マウリ、リオネル、セラフィマは、あの集団の恍惚とした笑顔を想像し、揃って渋い顔。
あれは仲間どころか、自分にすら優しくない人間の顔だ。
が、たしかに失くなっているのはそれだけ。
解呪の杖の使い途、そこから目的を遡れればと、頭を捻るが誰も思いつかない。
「しかし、マウリ。こうして並べてみると、発掘された遺産の、その大部分が武器なのかな?」
種別に分けられ、床に置かれている遺物。
「はい。前にもいいましたが、この遺跡で暮らす小人族は、骨食鬼という脅威に晒されていました。そのため、武器は必要だったのでしょう。ほら、こっちの本には、その戦いの様子が描かれています」
マウリは発掘された資料を捲っていく。
そこに描かれているのは、小人族が己の勇敢さと、骨食鬼の残忍さと凶悪性を、のちに語り継ぐために、詩まで自作で添えられていた。
小人族の文字は読めないだろうが、絵に惹きつけられたのかラーナがマウリに肩を並べる。
こうなると、引くことも、近づくこともできないのが少年特有の青臭さ。
マウリは真っ赤になって固まっていた。
「あ、あの。そ、それで、これが骨食の王と呼ばれ、小人族を最後まで苦しめ、た? あ、あのラーナさん、どうかされたんですか?」
マウリを無視し、ラーナが本を凝視していた。
そして頭を捻る。
「――わらわは、こいつを、見たことがある――気がする」
ラーナはマウリから書を奪うと、絵を指差して、皆に見せた。
――そして奇妙なことが起きる。
「あれ、ラナさま。私もごく最近、これと似たものを見たことがあるような?」
「まさか。これは人の時代よりもはるか昔、まだ小人族が存在していた頃のものだ。それを見たことがあるなど、と――不思議だ。私にも見覚えがある」
『同ジ、ク』
没収され、倉庫に保管されていた、己の外套をファンは羽織る。
ラーナにセラフィマ、加えてファン。
三者が揃って、腑に落ちていない。
そして、それはマウリも同じよう。
「先程の推測では、失くなった杖に目印を付けるため一人が自害したのだったな。とすると、もう一人が首を斬ったのも同様に目印を付けるため――」
放置していた疑問も、言葉にするとリオネルの中で繋がって行く。
『おい、誰か、俺の仲間に確認してくれ。リオネルか、セラフィマという女性なら、俺が盗賊の一味でないと証明できるはずだ。聴いているのか!?』
結構前に見捨てて、存在を忘れきっていたモリスの叫び。
天外の徒の目的は二つ。
あの場で、血飛沫を浴びたのは、解呪の杖、そして。
己の頭が叩き出した最悪な結論に、神官の少年の顔は、隣の部屋の救いの言葉など耳に入らない。
マウリの顔は凍りついたように色を失っていた。




