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35話

 昨日の今日で、忍び込まれるとは。


「あれか、神殿は兵士の代わりに案山子でも見張りにしているのかい?」


 大して実のある情報もよこさず、さんざん不平不満を並べ立て、神官兵が作った食事は不味いと、通りの屋台にまで使い走りをさせた男が、その上で吐いた言葉がこれだった。


 相手が草原の民、その強力な氏族の関係者だということで、マウリ助祭にはくれぐれもとお願いされている。


 だから、ガダフは腹がたっても、椅子やテーブルを蹴飛ばしたり、叩きつけたり、はては壁を殴るだけで我慢した。 


 だが、彼らがそれに恐れ慄くことはなく、脚が折れた椅子、真っ二つになったテーブル、凹んだ壁も無駄な犠牲になってしまった。


「――なぜついてくる?」


「ふむ、中々に哲学的な疑問だ。私が女性の魅力的な尻ならともかく、枯れたおっさんの小汚いケツを追いかけているなど、様々に深遠な理由があるに違いない。が、あえて一つに絞るとなると、ファン?」


『退屈、ダカラ?』


「そう、退屈だから。幾多の戦場を駆けた鉄鎖将軍マティウスも言っている。最強の敵は体格に恵まれた若き才能でもなく、熟練の戦士の老獪な戦術でもない。平和の下、連綿と続く、争いのない退屈であったと」


 饒舌に語られる口上が、無駄に美声なのも苛つく原因だ。


「ふむ、何だね、その大きな溜息は。やはり神官とは苦労の絶えない職なのか。同情するよ。――そうだ、君を元気づけるために、私の魅力的な尻振りを披露しよう! ははっ、なに礼はいらない。だが、尻を振るのは十回だけだ。見逃しても、アンコールは勘弁してくれよ。女性以外に披露することなど滅多にないのだが君たちはとても運が良い。そうは思わないか、ファン」


『思ワ、ナイ』


 神殿の通路、ガダフを先頭にその後を二人が付いて回る。

 立ち止まり、大きく息を吐く。

 こちらに尻を向けて、勢い良く腰を振っている笑顔の男。

 壁に背を預けて、目を閉じている細長い男。

 ファンは外套ごと没収されたため、黒の内着一枚。

 鍛えてはいるようだが、ほっそりとして長い体躯。


 枯れ木のような印象が、より一層強くなっていた。


「もう、付いて来るなとはいわん。だからすぐにその不快な踊りをやめて、口を閉じておけ!」


 槍の切っ先を尻に向けると、こちらの本気が伝わったのか、すぐに腰を止める。

 まずマウリと合流する。

 その道中、リオネルの口が閉じたまま、ということは決してなかった。

 ●


 賊の狙いは何なのか。

 マウリたちと合流し、非武装の神官から詳細な報告を受ける。

 賊の侵入は、どうやらまた警備の薄い地下の遺跡からの経路。


 「賊はまだ、神殿内に! 目撃した者の報告、数は十、特徴から『天外の徒』かと」

 

 ガダフは一部髭のない顎に手をやり、考えをまとめる。


「――妙じゃな。神殿を襲撃するには数が少なすぎる。それでは、大した被害もなく捕縛できてしまう。他に目的があるのか? だとしても、それはなんじゃ?」

疑問が口をついて出る。


 別に誰に尋ねたわけでもないが、その場にいるマウリに、ラーナとセラフィマの主従、そして、リオネルも答えを探していた。

「あの、捕まった仲間を助けに来たんじゃないんでしょうか?」


 手を上げたセラフィマに、ガダフは首を横に振った。

 あの傭兵たちが、天外の徒に協力していたことは間違いない。

 

 だが取り調べの反応では、恐らく天外の徒の素性を知らずに雇われていたのだろう。

 ガダフの長年の勘によれば、あの狂気に心酔し、心から組みしているようには思えない。

ただの使い捨てだったのか。

 それになにより、人の命、それも己たちの命ですら、軽く捨ててしまう狂人が、わざわざ彼らを助けに来るはずがない。


「となると、やはり運び込まれた遺物かな? 遺跡を探索していた彼らは、元々それが目的だったのだろう?」


 リオネルの言葉は的を射ている。

 あの遺跡にあったはずの何か、それは敵地である神殿に忍び込んでまで欲するものなのか。


「おい、宝物庫は無事なのか?! そうか、なら、巡回する最低限の者を残し、警備の者をそこに集めろ!」


 部下に指示を出すが、マウリが首を傾げる。


「あのガダフさん。たしか運びこんだものは、二階の宝物庫ではなく、地下の倉庫に研究のため、保管しているのでは?」


「たしかに、そうなのですが。奴らはそれを知らんはず。なら、狙われるのは、宝物庫になるはずです」


 マウリは少し逡巡した。


「――そうですね。では、早く宝物庫に向かいましょう」


 マウリの決意に水を差す用で申し訳ないが、それを手で制する。


「マウリ助祭は詰め所で待機してもらいます」


「なぜですか!? 僕も行きます!」


 心根の真っ直ぐな少年だ。

 抗議してくると思っていたので、ガダフの声は落ち着いてた。


「御自分の立場がわかっておられないのですか。 先程は、遺物が目的の可能性が高いといいましたが、奴らの狙いが貴方である事も考えられる。あなたは、この神殿の助祭であり、オラクルなのですよ。貴方の身に何かあれば、この神殿の存続が危うくなる」


 そう、この神殿で最も高い地位にあり、金勘定や街の有力者との会合が日課の司祭どの。

 彼らと違い、少年は取り換えが効かない。


「なあ、前に聞きそびれたのだが、オラクルとは何なんじゃ?」


 皆が知っている前提で話が進み、ラーナだけが取り残されている。


 オラクル、それは神の知恵の一端。

 崇拝、一途で純真な祈りを捧げ、神に認められること。

 そして天啓により、奇蹟を操る力を与えられし人間。


 神殿はそれを『託宣を受けし者・オラクル』と呼び、神の教えを体現した彼らを、高い地位に置いていた。


「ふーん、なんじゃろう。我らの『精霊の呼び手』に似ておるのう」


「馬鹿者?! そのような者と高尚で敬虔なオラクルを一緒にするな!」


 ラーナに悪気はないのだろうが、それこそ敬虔な信徒であるガダフには、その間違いが我慢ができなかった。

 だが、その信心深さを理由に、無知な子供を怒鳴りつけるのも、大人げないと理解している。

 非難するようなマウリと、少女の従者の視線。それに呆れたような、リオネルの表情。


「少し言い過ぎた、許せ。――それでは、わしはこれで。供の者を残していきますので、お早めに、警備の整っている別棟の私室にお戻りくださるよう。それとお前達の取り調べをしている無駄な時間がなくなった。特別に許してやるから、荷物を持ってさっさと神殿から出て行け」


 己より年若い者達の瞳。バツの悪さから逃げ出すように、ガダフは足早に去っていく。


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