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32話


 ラーナと男を囲むように、神官兵が逃げ道を塞ぐ。

 それは人質の命よりも、ローブの男の捕獲を優先したもの。

 意義を唱えようとした助祭は、二人の護衛に、力尽くでその輪から離れたところに移動させられた。


――今ここでラーナに死なれると不都合ではあるが、己の危険を顧みずに助けに行く程でもない。

 主の危機に動揺を隠せず、右往左往するセラフィマの奥にいる暗殺者を、リオネルはそっと盗み見る。

 彼はラーナと仲が良さげに見えたが、ローブの男に義憤を覚えている様子もない。

 今現在の重要な位置を占める彼がこうでは、リオネルはどう行動するべきか。

 それに不可解なこともある。

 今度は人質をとったローブの男に目をやった。

 彼の目的は何なのだろう。

 この場で人質に適していたのは三人。

 武装した神官兵を除いた女子供。

 ラーナに、セラフィマ、そしてマウリ。

 その中でも人質どしてもっとも価値があったのは、神殿で役職を持つマウリなのだが。

 それに目もくれず、ローブの男達はラーナとセラフィマを狙っていたように思える。


――偶然この遺跡に居合わせたはずのあの二人を、か。


 それでもマウリを人質にできていれば、逃げることも可能だったかもしれない。

 だが、男の腕にあるのは銀髪の少女だった。

 逼迫した熱を無視し、思考するリオネルを呼び起こしたのは、彼を揺する涙目のセラフィマだった。


「あ、う、ラナさまがぁー?! な、なんとかして」


 瞳から流れる液体が、鼻から流れる液体と合流して、女性として酷いことになっている。


「ど、どうにかと言われても、ラーナの身を考えるなら、黙って相手の出方を見るべきでは?」

 

 その姿に若干引きながら、リオネルは当たり障りのない言葉を返した。

 それでセラフィマが納得するはずもなく、ファンに視線をやる。


「ファン、なんとかできそうかい?」


『――了』


 殺し屋は尋問中に没収された鎌型剣の代わり、袖口から滑らした短刀を投擲姿勢に。


「え、え、ちょっと?! 何をするつもりなんですか!」


 まっとうな考えの人間なら、人質の身の安全を考え、こんな暴挙は止めるだろう。

 セラフィマは慌て、凶器を振り上げるその腕の布に、手を引っ掛けてしまった。

 

 それでも体幹がしっかりしているのか、なんとか投擲することができてしまったのだ。

 ずれた白刃の煌めき。縦回転のそれは吸い込まれるようまっすぐに飛んで行く。


――囚われの少女の頭部に向かって。


 少女は身体を硬直させ、消え入りそうな短い悲鳴を吐き出した。

 頭に短剣が刺さっていれば、それは不可能だっただろう。

 ラーナの右こめかみをかすめ、床に美しい髪が一房、はらり。

 ラーナは命の危機を先に本能で、その後、転がった己の一部を見て理性で理解する。

 そして三人組に少女の訴えるような、涙で曇った瞳が。


『――シッカリ、狙ッタ』


 これはおそらく犯人のを、と。


「そんなことは見ればわかります!? なんですか、いくらラナさまの我儘が酷いからといって、これはやりすぎです! リオネルも言ってやってください――どうせ狙うなら、ラナさまじゃ、なく、て?」

 

 感情の見えない殺し屋にしては、珍しい言い訳だったのかもしれない。

 セラフィマは自分の言葉尻に引っ掛かるものがあり、首を傾げ、あっ、と瞳に理解が宿る。


「――こほん。私は、ラーナさまを助けるためにやったんです。つまりこれは不幸な偶然というやつです」


 わかりますよねと、リオネル、ファン、はては周りにいる神官兵にも同意を求める。

 ちなみに、一番に理解して貰わなければいけないラーナの方は、あえて見ないようにしていた。


「しかし、運が悪い。外れるにしても、せめて奴のどこかに当たってくれれば。これではただ相手を怒らせただけか」


 義理は果たした。

 リオネルは顎に手をやり、困った風を装う。


『一本、イットク?』


「いかないでください!?」


 先ほど投げたのとは逆の手に、またも刃を備え、投げる姿勢をとる。

 セラフィマが睨みつけ牽制した。


 こうなると、これ以上は神官兵たちに任せ、数を頼みにするしかないか。

 一連のふざけた寸劇に、肝心の相手の様子を見るが、意外な事に、特に憤慨しているわけでもない。

 飛んできた刃に、フードがずれて、初めて男の表情が現れていた。

 歳はリオネルとはそう変わらないように思える。

 だが、その瞳は濁ったように昏く、何も映していない。

 初め、その眼窩が空洞なのかと、勘違いすらした。

 ファンのように感情が乏しいのではない。

 ただ一つの思想に凝り固まり、それ以外に揺らぎがないさまは、同じ価値観を共有できない者には、不安を呼び起こすだけだった。


「――哀しいことだ」

 

 それは誰に対しての言葉だったのだろう。

 同情であり、慈しみである。

 だが、その全てが一つの思想の上に成り立っている盲信者。

 視線を向けられていた少女は、話かけられたと勘違いして、まだ己の首元に刃を突きつけている相手に顔を向けた。


「ああ、不安なことだろう。大いにさみしかろう」


「たしかにこの状況はとても不安だが、別に寂しくはないぞ? 旅の最中はセラフィマの小言がうるさいし、最近では無口なのと、多弁な連れも増えた」


 ラーナが律儀に答えを返す。


「そうか、さみしいか、足りないか。ならば、声を上げ、歌おうではないか。この地を去った『方々』に届くほどに。喉をすりつぶし、黒い血反吐を吐きながら、喜びの迎え歌を!」


 その独唱を、少女は理解できない。

 だが、ファンとセラフィマを除いた、全ての緊張が高まるのを感じる。


「神はこの大地に! そして我らの心におられる! 『外れの徒』よ。狂い人の世迷い言はそこまでにしておけ!」


 神官兵の長、ガダフは己の胸に手を当て、信仰心を守るために前に出る。

 仇敵を睨みつけるその瞳には、信じる神を侮辱された怒りに燃えている。

 『天外』『外の使徒』『古きもの』呼び方はあれど、それに抱く感情は一つ。

 遥か遠く、神話の戦争に敗れ、天の外に追いやられた者を信仰する世界の澱み。


「そうか、ああ、君たちの嘆きは受け取った。ならば、命を捧げよう。それが訪れる神の足元を照らす篝火になることを願って!」


 歓喜の涙を浮かべる男は、芝居がかった様で、握った刃を振り上げる。

 ガダフは男の凶刃から少女を救うべく走った。

 セラフィマは悲鳴を上げ、ここからでは届くはずもない手を主に伸ばす。

 手遅れだとわかっているので、リオネルはただじっと観察していた。


――男の凶行を眺めているだけの暗殺者を。


 だから、命が一つ消えていく。

 もちろん、出会ったばかりのリオネルに悼む気持ちなどなく、それはファンも同じこと。

 人の仲は時間ではなく、内容だなどという者もいるが、やはりそれなりに時は必要だ。

 その証拠に、神官兵の誰もが呆然とするだけで、悲しんでいる様子はない。

 離れたところで状況に置いてけぼりにされているモリスや、傭兵たちなどに語り聞かせたところで、涙の一粒も流れることはないだろう。


 なのでこの状況で一番心を揺らしているのは、セラフィマか。

 そう思ったが、セラフィマは呆然として動けないでいる。

 となると残るのは一人だけ。


――己自身の首に刃を突き立て、笑っている男。

 

 先程まで命を握っていたはずの男が、微笑みながら死んでいく姿を見せつけられている少女なのかもしれない。

 男はそのままゆっくりと刃を動かして、動脈を横切らせた。

 

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