21話
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「情けない話だが、事情があって職につけず、頼れる身内もない。こんな自分では――」
男は皿に載った薄切り肉に、木製フォークを刺す。
「いえいえ、素晴らしいじゃありませんか! 定住する場所がないならば、私の故郷に行きましょう。あそこなら仕事なんていくらでもありますし、見つからなかったとしても、夫になってくれるなら、私が養います! ――ラナさま、体にいいんですから苦豆をファンさんの皿に移さず、ご自分でお食べになって下さいね」
向かいに座った女は、せっせと作業している隣のラーナの皿を引き戻す。
「き、君もめげない人だね。しかし私達は長旅を行く。距離もそうだし、長さに比例すように危険も増す。目的地の『帝国』へ君がついて来てくれるわけではないだろう――ファン、その苦豆を私の皿に載せるのはやめてくれ」
宿の酒場は酔客だけでなく、夕食を取る宿泊客でも賑わっている。
その入口から一番近いテーブルにリオネル、ファン、対面にセラフィマ、ラーナが。
四人は自己紹介を兼ね、夕食を共にしていた。
「なあ、ファン。そなた達は帝国に行くのか? それならば、道によってはわらわたちの故郷も通るかもしれんな。その時は訪ねてくるがいい、歓迎しよう」
国々が対等に手を取り合った王国同盟、力により多数の属国を持つ帝国、そしてその両方と友好を結び、地方をそれぞれ支配している部族など、始大陸にはさまざまな勢力がある。
『帝、国?』
ラーナの誘いを軽く無視し、ファンは首を傾げていた。
「ああ、話していなかったか。我々はこれから帝国を目指す。君は私を助けたあとの指示は何も受けていないと聞いてね。なら、付き合ってくれても構わないだろう?」
ファンの話では、国外逃亡後は罪が取り消されるまで、時間を潰すよう指示されていたらしい。
その間の具体的な指示はなく、ならば、護衛のため、リオネルの傍にいるのは当然のこと。
ファンは頷き、ラーナは無視された腹いせに、殺し屋のメインディッシュにフォークを突き立てた。
『整列! 戦神が一角、岩神に誓いの剣を立てい!』
大通りを挟んで向かい側、神殿の外に仰々しい鎧に身を包んだ一団の様子が、宿の入口から覗けた。
「しかしなんで神様に祈るのに、あんな窮屈そうな装備が必要なんですかね?」
話を中断させた大声に、気分を害したとセラフィマが皮肉る。
夜も遅い。
神官兵達は明かりを手に、神殿の中に入っていった。
その列の中心、ラーナと変わらぬ年頃に男の子が、守られるように囲まれている。
「ふむ、では、あの子が『オラクル』か。数人、顔を合わせる機会があったが、その中の誰も景気の良い顔のものはいなかった。気の毒なことだ」
鬱陶しい物を見たというように、リオネルも溜息をつく。
「何じゃ、オラクルとは? 気の毒とは一体?」
「まあ、祭り上げられ、かしずかれ、豪勢な食事ばかり食べさせられるのは不幸だなと言うだけのことさ。ラーナみたいな奔放な子は知らなくていい」
豪勢な食事、という部分にのみ反応を示したが、特に興味があったわけではないのだろう、ラーナは食事を再開する。
「そうなんですかー。帝国に行くんですねー」
話を戻し、セラフィマが嬉しそうに確認する。
「でも、こことかは関の規制も緩いですが、帝国までの旅の途中はどうするつもりなんですか?」
たしかに国や都市の出入り、船の乗船手続きなどは、場所によってそれ相応の身分が必要になってくることもある。
それは国の状態、隣国との関係、戦時下であるなどの理由によって、いくらでも厳しくなる。
「まあ、ファンの伝手に頼るつもりなんだが。それでも厳しい国を迂回していけば、かなり大回りになるだろうね」
リオネルは長い旅路を想定して、憂鬱そうに笑った。
「なんて偶然! ――実は、ラナさまは我が部族の代表として、今回、親愛を示す挨拶回りの旅をなさっているんです!」
セラフィマが讃えるように、手をひらひらとラーナにかざす。
食後に切り分けた果実を味わっているラーナは、皆の視線が自分に集まっているのを感じて、胸を反らす。
「ふむ、それはまあ、その歳で代表とはすごいことなのかな? で、それが私と一体――」
「つまり、友好国を訪問するために、各国の印章の入った旅券が発行されちゃったりしてたりするんですけど――当然、ここと帝国の間の国のもあったりして」
ここまでいえば分かりますよねといった態度で、最後を告げない。
「――麗しいセラフィマ。旅路に危険はつきものだ。それなのに君たちはか弱い女性二人。無謀にも程がある。どうか君達の旅の守る騎士として、私とファンを同行させてくれまいか?」
胸に手を当てた礼は、身分としての騎士ではなく、生き方としての騎士を体現している――ように表向きは見えるからすごい。
セラフィマがリオネルの提案に感動するはずもない。
主であるラーナに至っては、高いところに持ち上げられているファンの分の果実を奪おうと、手を伸ばしていて聞いてすらいない。
「そうですね――それでは結婚していただけますか?」
セラフィマの口から出たのは、子供を人質にとった賊が要求をする声音に近い。
「ん、いや、それは幾らなんでも、割に合わないのでは。出来ればもう少し緩い――」
「――子供は何人がいいですか?」
譲歩を引き出そうとする交渉人を無視し、一気に要求を跳ね上げる。
「そういったことは君の未来の旦那様とだね、相談したほうが――」
ラーナは暗殺者の果実を諦め、笑顔で見つめ合って――いや、睨み合っているリオネル達の皿に手を伸ばす。
「あら、あら、いいんですか、私にそんな口を聞いて? リオネルはこれが必要、う――」
セラフィマは懐に手を入れ、言葉を止める。
そして、逆側も確かめ、服のポケットを裏返し、青い顔になった。
「ラ、ラナさま。旅券を丸めて入れておいた筒は――」
「うん? それならば、セラフィマが里を出た後になくしてはいけないと私から奪っていったではないか?」
指についた果汁を舐めながらの、行儀の悪いラーナを叱ることもせずに、セラフィマが慌て始めた。
「落ち着くんだ、セラフィマ。まずは思い出せる範囲でいつまでなら確実に旅券があったかを話してくれ」
震えるセラフィマの肩を抑え、リオネルは優しく問う。
「ええっと、たしか、船から降りるときに提示を求められてそれ以降はずっと入れっぱなしに――あ! 今日、リオネルと一緒に宿に入ってくるまではありました。カウンターで明日からの宿代を先払いするために財布を取ろうとした時に、間違えて旅券を入れているポケットを確認したので間違いありません!」
「となると、時間がかなり限られてくるのでは? 昼食の後、君は部屋に戻ってずっと眠っていたんだっけ?」
「か、確認してきます!」
ドタバタと階段を上がり、部屋のドアが閉まる音が響いた。
そして暗い顔でセラフィマが降りてきた。
「――ありませんでした」
息を切らして、うなだれる。
「ふむ、こんな短い移動で物を失くすものかな。それに、狭い通路で見つからないというのもおかしい。スリに遭ったとか――」
リオネルの言葉に心当たりがあるのだろう、セラフィマが顔を上げる。
「お酒を追加する注文するときに、男にぶつかりました! ――あの不自然なぶつかり方、きっとあの男です! ――でも、どこの誰かはとても」
絶望するセラフィマに、リオネルは胸を叩いた。
「なに、盗品を捌ける場所などそう多くはない。それに旅券などの特殊なものを扱うならならばなおさら。場所さえ分かれば、交渉することも難しくないだろう」
「た、助けてくれるんですか、リオネル?」
救いを見つけ、弱々しい態度でセラフィマが縋る。
「当たり前だろう! 見損なわないでくれよ。これから一緒に旅をする仲間が困っているんだ。知らぬふりなど出来るわけがないだろう」
「いえ、あの、別にまだ連れて行くとは――結婚はして、ええっと何でもないです、ぅ」
リオネルの出した助け舟に、白旗を上げるセラフィマが乗船した。
気づけばテーブルの上の果実は綺麗になくなっていた。




