20話
◇
「ああ、愛おしいリオネル。このまま、私の故郷に、二人で凱旋を飾りましょう!」
手四つに組み合う、リオネルとセラフィマ。
「ははっ、それは無理な話だよ。私には成さねばならん事がある。今日の君との出会いを胸の宝石箱に仕舞い、苦しい時には思い出すようにしよう。ああ、短い時の恋人よ」
ファンは抱えていた屋台料理を、テーブルの空の皿に載せた。
その隣、ラーナは指についたタレを舐め取り、皿の上の薄焼きのパンを取る。
「いいえ、思い出なんかにさせはしないわ。そうよ、まずは誓いの証に、貴石を購入、それを二つに割り、互いの首飾りにしてもらうのはどうかしら!」
見た目、明らかに腕力で劣るはずのセラフィマに、リオネルは押され始める。
「――っというか、なんでこの細腕で私が押されているんだい? これほどの力があるのならきっと一人でも大丈夫だ! たとえ私がいなくなっても。さあ、勇気を出してこの手を放すんだ!」
酒場の客が注目するなか、それを無視して、ラーナはカウンターに。
「まあ、そんなことおっしゃらないで! 私は枝も手折れぬ非力な女。そんな私が見つけた最後の希望、絶対に離しはしない。――最悪、婚姻の誓いを結び、母に紹介させてくれるだけでもいいんです!」
ファンは二人のやりとりに飽きたのか、壁に背を預け眼を閉じていた。
それをラーナが引っ張り、カウンターに連れて戻った。
「それは、本当に、最悪だね。だが、そんな形だけの結婚に、何の意味がある? 今一度、考え直して欲しい」
壁際に追い詰められながらも、リオネルの饒舌は止まらない。
「私の女としての尊厳が守られます! ええい! つべこべ言わずに食べた分、身体で払いやがって下さい!」
セラフィマの可憐な顔立ちが、荒い鼻息で台無しになっている。
たった今、周囲に見せている醜態は、女の尊厳に何ら影響はないらしい。
「ファン、ファン! 相棒の危機を救うため、君の力を見せる時だ! 懐の財布から、ここの食事代を叩きつけてやりたまえ! って、ファンはどこに?」
助けを求めるのだが、肝心のファンの姿が近くにはない。
「ふふっ、相棒さんは私の味方のようですね。さあ、素直に私と夫婦になり、里の皆、特に私より年下のくせにわきまえず結婚していったあの子達に、その良き夫ぶりを披露するのです! ――フフフ、これでもう誰にも同情させはしません」
濁った瞳、暗い笑みがセラフィマから溢れていく。
「い、いやまあ、何も結婚だけが、人生じゃなし。そうだ、君の美しさはこの私が保証しよう。そこいらの道に立って、夫募集との看板をぶら下げれば、一人や二人」
一層濃くなった炎を背に、セラフィマが顔を近づける。
リオネルは情けない悲鳴を上げた。
「――そんな娼婦みたいな真似。ねえ、私を馬鹿にしているんですか?」
「いや、決してそういう意図があったわけではなきにしもあらず――は、は、は」
とうとう、言い訳が尽きたのか、リオネルの顔から血の気が引いていく。
手応えを感じたセラフィマが、小さく良しと拳を握りしめた。
「そうか、あの『後ろ刺しのセラ』もとうとう結婚かあ。わらわも感慨深いものが、っん?」
ファンを従えて戻ってきたラーナ。
少女の言葉に反応し真っ赤なセラフィマが、それをかき消すよう、両手を宙に振る。
「なんだい、そのそこはかとなく不安を掻き立てる異名は?」
「ちょっと、ラナさま! それは秘密にっ! 手、手を!」
主の失言を阻止しようとするが、今度はリオネルが、セラフィマを堅く放さない。
「うむ、我が部族、指折りの戦士ルキヤンを倒したセラフィマに与えられた名だ。同年代の女で奴に勝ったのはセラフィマだけ。もっと自慢してもいいのに、おまえは慎み深いな」
「名を与えられた経緯は分かった。では名の意味する! ところは! 一体! 何なのかね?」
主の口を塞ぐのは難しいと、セラフィマはリオネルを攻撃対象にかえる。
攻防は、防御側、リオネルがやや優勢か。
「ふむ、腕で劣るセラフィマが気迫で圧倒。情けなくも逃げ出したルキヤンの後を追い、その尻に短剣を突き刺したことからその名がついたと聞いた――ふむ、なぜ静かになる?」
セラフィマは頭を抱えしゃがみ込む。
耳に手を当て、外の情報の一切に自分が傷つかないよう心を守る。
「――ああ、すまない。祖父の遺言で、先祖代々の墓と、後ろの貞操だけは死んでも守り通せと、厳命されていてね」
気まずい空気が流れ、腫れ物を触るようにセラフィマの様子をうかがう。
ちなみに、大分脚色されている。
ルキヤンと決闘した覚えはないし、そもそも彼と正面から戦ってセラフィマが無事ですむはずがない。
だから、事件が起こったのは違う場面。
里近くの川、女性だけでの水浴びを男衆が愚かにも覗き、ばれた時のこと。
今よりも気が弱い当時のセラフィマは、悲鳴を上げ混乱する。
だから、激怒し彼らを追い掛けた。
辺に落ちているものを手当たり次第に投げつける年長組の女性たち、倣い、それを真似しただけのこと。
――だが運の悪いことに、逃げる途中にルキャンが『それ』を落としていった。
肌を晒したと頭が真っ白になったセラフィマは、『それ』拾い、彼の背に向けて投げつける。
悲しい事件だった。
狩猟用の投剣は、見事に、ルキヤンの片尻に刺さり、血が吹き出した。
悲鳴を上げるルキヤンに、覗き騒動も忘れ大慌ての皆。
結局、大した怪我ではなかったのだ。
ちなみに、男衆はラーナの母親が纏める女衆にこってり絞られて、それ以降、覗きは起きなくなった。
女達はいい気味だとセラフィマを讃え、男達は、しばらく彼女の前で尻を隠すようになった
――そして当時、セラフィマが淡い恋心を抱いていた少年は、彼女を避けるようになり、その三年後、セラフィマの親友と祝言をあげただけのこと。
それ以降、セラフィマは里の若い男を、虫でも見るような目つきになった。
「うーん、腹が満たされたら眠たくなった。わらわは一眠りするから、続きは夕食の時にしよう」
欠伸を手で隠すラーナに、リオネルが断りをいれる。
「いや、すまない。我々は先を急ぐので――って、これは何かな?」
ファンが差し出したのは、この宿の番号入りの鍵。
階段をあがるラーナの後ろを追い、彼女の隣の部屋を開ける。
それを見てリオネルは苦笑し、愚図っているセラフィマの肩を慰め叩く。
「とりあえず君も一度部屋に戻って落ち着こう。相棒が宿をとったようだ。だいぶ失礼な事も言ったし、お詫びを兼ねて夕食を皆で囲まないかい?」
男の顔を見上げ、セラフィマは涙目で訊ねる。
「――まだ、諦めませんよ?」
その一言は華麗に無視して、男も階段を上がっていく。
セラフィマが舌打ちをした。




